6 0 項」とは別個に付け加えられたものだ、 2 4 3 日本は結局本当に無条件降伏したのか ? という解釈も成り立つ。この 解釈を支持する傍証は次のことだ。すなわち、ポッタ・ム宣言第 8 項が 述べているのは領土を四島とその周辺に限るということで、無条件降 伏には言及していないという事実。無条件降伏宣言は、「諸条項」の外 にあると見ることもできそうだ。 さて、こんなにもいろいろ条件を考慮しなければならないなんて、 全然無条件つばくないではないか。日本は国として「無条件降伏」し たのだろうか。 答え 日本が無条件降伏したのかどうか、という問題は、「無条件降伏」という 概念に厳密な定義がないので、正しい答えを得ることは不可能であるように 思われる。しかし、「無条件降伏」の意味を厳密に定義しなければ日本の降 伏が無条件降伏だったかどうかを決められない、ということはない。「無条 件降伏」という語が日本に対してどのように使われてきたかという諸文書間 の整合性の問題として捉え直すことはできるからだ。つまり、「無条件降伏」 そのものの実質はともかく、カイロ宣言とポッダム宣言にある「無条件降伏」 という語が、日本の軍だけに適用されるのか国に適用されるのかという形式 的な議論に決着をつけることはできる。 日本の降伏を他の枢軸国の降伏と比べるなら、ドイツ降伏とは似ても似つ かす、イタリア降伏のほうに類似していると言える。ドイツは、降伏時に政 府が消滅しており、ヒトラーが自決寸前に任命した新政権は実体をなしてお らす連合国にも認められなかったので、国としてはそもそも無条件だろうが 条件付きだろうが降伏することができなかった。ドイツは単純に征服された のであり、降伏文書に署名したのは軍の代表者だけだった。 イタリアの休戦協定は、ムッソリーニ政権を継いだバドリオ政権が 1943 年 9 月 3 日に署名しているが、協定はしばらくは秘密とされ、連合軍総司 令官アイゼンハワーがイタリア側に休戦を通報する日時から発効するとされ た。その協定文書には「無条件降伏」どころか「降伏」の明記すらなかった。 にもかかわらす、 9 月 8 日にアイゼンハワーが発した公式発表には「無条件 降伏」という言葉が使われていたのである。無条件降伏の主体は「イタリア軍」
0 6 も効果的に使用する」 23 人 [ 15 % ] ) 。 く目標・日本〉は人種差別だから許せない ? しかし、この嘆願書は陸軍長官の事務所で停滞し、トルーマンのもとに届 けられることはなかった。マンハッタン計画そのものを動かす政治家の思惑 は違っており、どのみち既定路線は変更できなかったのだ。真珠湾攻撃の前 からすでに、アメリカ参戦後の戦略がルーズベルトとチャーチルの間で話し 合われ、「ドイツ優先戦略」が確認されていた。世界の権力の中心はまだ当 分ヨーロッパにあると考えられていたので、戦争に勝つにはドイツをます全 力で倒さねばならない。その間日本軍を釘付けにしておくに足る最低限の兵 力をアジアに向け、ドイツ打倒後に全力で日本を破るという構想である。つ まり、いつ完成するかわからない原爆は、ヨーロッパ戦域の作戦に組み込め るほど現実的ではなかった。緊急にヒトラーとムッソリーニを倒すのに主力 を投じる予定なので、ヨーロッパの枢軸国を通常兵器で打倒するまでに原爆 完成が間に合うことはなかろうと予想されていたのだった。逆に言えば、原 爆などという不確かな兵器が完成するあやふやな未来の時点でまだナチスを 敗北させていないようでは困る、という見通しがあったのである。 「人種差別」という概念は感情に訴える力が強いので、原爆投下のような 残虐行為を非難するときに持ち出されやすい。しかし、ある概念が自説擁護 に有効な武器だからといって、事実を確かめることなく安易に適用するのは、 典型的な「概念の乱用」である。ある事柄 A にたまたま事柄 B が隣接または 共存しているだけなのに、 B を A の原因とか理由と思い込んでしまう誤りは、 「ポストホックの誤謬」と呼ばれる。アメリカ国内の人種差別と、有色人種 の国への原爆投下とをただちに結びつけるのも、ポストホックの誤謬の一例 だ。アメリカ人に有色人種への人種差別意識があったということと、人種差 別意識が原爆投下目標選定の動機だったかどうかとは、まったく別問題なの である。 ちなみに、原爆投下目標の選定に人種差別は関係していなかったとしても、 「文化差別」の思惑は働いていた。第一目標だった京都が、直前になって陸 軍長官ステイムソンの強い反対で候補から外されたのである。京都に固執す るグローブズ将軍らマンハッタン計画指導部とステイムソンとの間でかなり 揉めて、ポッダムにまで説得の電報を送ってきたグローブズにステイムソン は激怒し、トルーマンに再三訴えて解決した。ステイムソンの表向きの理由
C 0 n t e n t s 47 1 8 5 日本政府が満州に移動したかもしれない ? 意図主義 1 8 8 原爆投下の政治経済的影響って結局 ? 理論的認識と実践的配慮 1 9 0 原爆肯定論者は、核兵器を容認するつもりなのか ? 論理的意味と因果的影響不当な類推 S 2 1 9 2 不用意な議論が核兵器容認に利用されることは確かでは ? 因果関係と相関関係誤った前提への依存 SI 1 9 7 肯定論の影響が心配だからとりあえす否定すればいいのか ? 忖度のバラドクス S 2 2 0 1 原爆肯定論の損得勘定、よくよく考えれば ? 期待効用 S 3 2 0 4 原爆肯定の潜在的悪影響はやはり侮れない ? 倫理的実在論と反実在論原則と特殊判断 2 1 0 被爆者のことを考えても原爆投下を肯定できるのか ? 現実バイアス慈悲深い殺人のバラドクス背理法 2 1 8 2 4 1 2 5 0 2 5 5 2 2 1 2 2 6 2 2 9 2 3 4 2 6 2 2 6 4 2 6 5 2 6 6 2 6 8 2 7 7 S S 被爆者のことをもっと考えると何が見えてくるか ? S9 努力の美徳性規則功利主義 原爆開発は確かに科学的快挙だったが・ S8 美的情報と論理構造 実感を重んすると論理はどうなる ? S7 感情に訴える議論原因と理由空なる理由 被爆者のことをさらにもっと考えると ? S6 ステレオタイプ化特定者バイアス 論理用語・学術用語索引 事項名・人名索引 あとがき 3 ポッダム宣言 2 カイロ宣新 付録 1 否定論・肯定論それぞれの主な論拠 ( 本書の大まかな流れ ) 修正主義無関連要因重視の誤り アメリカ人ですら今や原爆投下の非を認めつつあるのだが ? 62 後知恵バイアスド・モルガンの法則愚者のシナリオ 原爆投下を回避するには御都合主義的ャラセが必要だった ? 61 ファインチューニング意味論と語用論量の格率 日本は結局本当に無条件降伏したのか ? ニ重効果未必の故意緊急避難 戦災者の中で被爆者は別格でありうるか ?
に反ナチ的気運が高まり、ヒトラー政権打倒、戦争の早期終結といった流れ も期待できたはすだろう。ちょうど、南京陥落後も蒋介石が降伏しないこと あいて に苦慮した近衛内閣が、 1938 年 1 月に「爾後國民政府ヲ對手トセズ」と声 明発表し、中国人の政治的分断を図ったのと同じ戦略である。日本が、中国 全体を敵とするのではなくあくまで蒋介石政権と戦っているのだという態度 を表明したやり方は、その効果のほどはともかく、ルーズベルトにとって手 本になったはすである。 ナチも反ナチも一緒くたに徹底敗北に追い込もうとする姿勢は、「分割の 誤謬」を犯していると言える。分割の誤謬とは、全体の性質がそのまま部分 もしくは構成要素にもあてはまると考える誤謬である。下手くそなオーケス トラの構成メンノヾーがみな下手くそな演奏者だとはかぎらない。みな一流の 演奏者なのだが、音楽観が違うとか、人間関係上の原因でチームワークがバ ラバラだとかで、全体としてはひどいオーケストラになってしまっているの かもしれない。国家の代表 ( 政府 ) と国家のメンバー ( 国民 ) の関係も同様 である。ドイツ政府が憎むべき性質を持つからといって、国家を構成するド イツ国民にその憎むべき性質を無条件で移し替えてはならない。国内の和平 的分子を信じて働きかけ、政府の邪悪さを解体する分断策は、ヒトラー暗殺 計画が幾度も企てられた風土を考えると、ドイツに対しては功を奏した可能 性がある。 ただし、日本に対してはどうだったろう。分断策の効果は疑わしかったの ではないか。日本人も確かにさまざまな性格の個人から成ってはいたが、ド イツ国民とナチス党との分離に相当するような潜在的裂け目は日本には存在 しなかった。日本に対して分離策をとるとしたら、日本国家の無条件降伏の かわりに「日本の軍閥」の無条件降伏を要求するというポッダム宣言方式を カサプランカの時から公表することになるだろうが、軍を相手どって蜂起で きるような勢力は日本には存在しなかった。ドイツ国防軍がナチスに反旗を 翻しかけたのと同様な事態は、日本では起こりえなかったのである。そのよ うな反軍的な事態を呼び起こすためには、それこそ原爆投下によって天皇と いう究極の力が動かされ、軍を抑え込むことが必要だったのである。 まとめるとこうだ。枢軸国に対する無条件降伏要求は、間違っていたとす れば、要求そのものではなく、降伏を求める対象だった。ドイツに対しては 0 9 8 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問
問で見た「復讐」「カの誇示」という褒められざるべき動機がそれこそメイ ンだったことになる。無用の殺戮を目的とした原爆投下は断罪されるべきだ しかし肯定派もそれなりの反論を持っている。第一に、デモンストレーショ ンだけで日本を降伏させられただろうかという問題。第二に、不発だった場 合取り返しがつかなくなるという問題。第三に、機密保持の問題。第四に 原爆が戦後世界で平和維持のために担う役割をめぐって。 第一の論点。戦争に直接使わすデモンストレーションにとどめるというの は、弱腰であると見られはしないか、という懸念があった。天皇制の容認を ポッダム宣言に明言しなかったことも同じ動機による。話し合いでの和平を アメリカが求めているかのようなポーズをとることは、これまでの勝利の意 義を無にしてしまうことになる。ただでさえアメリカ世諭の朏戦気運を期待 している日本に対し、アメリカ政府の断固戦う決意を疑わせる余地を与え、 日本国内の継戦分子を勇気づけるような「弱い態度」を見せることは、アメ リカにとって厳禁だったのだ。 第二に、実験失敗の可能性も深刻である。万一デモンストレーションがう まくいかす、不発だったり印象の薄い爆発にとどまったりしたら、逆に敵に 侮られ、終戦を難しくしてしまう。現に、 1946 年 7 月 1 日、事前広報のさ れた初の原爆実験、つまり長崎後の初の核爆発であるクロスロード作戦 ( ビ キニ環礁 ) では、 1 発目の原爆が風のために標的を大きく外れ、「この程度 の威力か」と失望させるビジュアルしか提示できなかった。 さらに、原爆が実力どおりの威力をもたらしたとしても、それが心理的効 果に繋がっただろうか。たとえば原爆を予告とともに富士山に落としてみせ たとしたらどうだろう。たしかに富士山は形が変わるはど破壊されるかもし れないが、だからどうだというのか。日本政府も軍も、「これがもし都市に 落とされていたら・・・・・・」と慄然として降伏するだろうか ? むしろ「敵は都 市に落とす度胸がない証拠だ。国際世論というものがあるからな」と高をく くるのが関の山ではないだろうか。かりに破壊力を正確に認識したとしても、 日本政府は少なくとも国民の手前、たかが山一つ壊されたくらいで降伏する とは言えなかったはすである。終戦の詔勅が「残虐ナル爆弾」「頻ニ無辜ヲ 殺傷」と敵に人道的責任を負わせて「萬世ノ為ニ大平ヲ開カムト欲ス」と面 0 6 6 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問
あとがき というわけで、大日本帝国の軍隊はもとより政府にももともと好感を抱い ていなかった私としては、「原爆投下は正しかった」という結論はさほど驚 くべきものではなかったとも言える。 本書の「原爆投下肯定論」は、日本人の大多数を占める原爆投下否定論者 にとってこそ、便利な叩き台として使えるのではなかろうか。本書の肯定論 をすべて論理的に反駁できれば、そのときこそ無敵の原爆投下批判が展開で きるはすだからである。しかも、肯定論に有利な印象は、単に表面上のもの かもしれない。なせなら第 1 問の注でも述べたとおり、本書の初期設定では 肯定論のほうに低い信憑性をあてがって立証責任を負わせた結果、自すと肯 定論の正当化に多くの言葉が費やされることになったからである。 本書を手がかりに、政治的というより論理的な熟考がなされ、第二次大戦 論から世界平和論へと有意義な展開が生じてほしいと思う。 本書の内容は、すでに「エクリチュール元年』 ( 青土社、 2007 ) の加筆増補 部分 ( pp. 225-34 , pp. 238 ー 9 ) に凝縮した形で提示した。その草稿は、亜細亜 大学の特別講義で使用しながら構想を練ったものである。 4 年間にわたって 機会を提供してくださった松本賢信教授に感謝する。 そのはか、和洋女子大学、大阪芸術大学、学習院大学の学部・大学院での 授業、いちかわ市民アカデミー、和洋女子大学公開講座、雑学大学、鎌ヶ谷 市シニアサークルシルノヾー大学院など多くの場で各部分を発表し、出席者か ら貴重なコメントを受けることができた。重久俊夫氏を世話人とする人文死 生学研究会での討論も、間接的に役に立った。さらに直接的には、日英言語 文化学会第 17 回例会 (2008 年 4 月 12 日於明治大学 ) での招待講演 「ポッダム宣言の語用論 4 つのトリック」は、ほばそのまま第 1 1 問と 第 60 問に使うことができた。奥津文夫会長をはじめ、司会の馬場千秋、同 日講演者の村田年、その他質問をしてくださった諸氏に感謝する。 2 0 0 8 年 6 月 1 1 日 三浦俊彦
ば、日本は降伏できたのである。都市名抜きで正確に言い直すと、ソ連参戦 の前でなく後に原爆を一発落とされただけで、日本はスムーズに降伏できた のだ。アメリカがソ連参戦を待ちさえすれば、参戦前の殺戮は起こらすにす んだのだ。むろん第 18 問で見たように、ソ連参戦を防ぐことがアメリカひ いては中国や日本の利益にも直結していたという事情を考えれば、ソ連参戦 前の原爆投下を非難し去ることはできない。結果論的に理想を言うならば、 原爆投下より先にソ連参戦がなされ、ついで一発だけ原爆が投下されて、日 本の抗戦派が譲歩する口実が与えられ、終戦、というシナリオが最善であっ たろう。 原爆投下とソ連参戦とはともに、手遅れにならぬうちに日本が降伏できる ための必要条件だったが、どちらかというとソ連参戦のほうが決定的なファ クターであったことは間違いない。とはいえ、どちらが欠けても本土決戦に 雪崩れ込んで地獄を見た可能性が高い。ソ連参戦は陸軍の強気を挫いた。し かし面子がそれを認めることを許さなかった。原爆は、陸軍が面子を失わす に強気を放棄する口実を与えた。原爆投下を肯定するにはそのことだけで十 分である。 ちなみに、 10 日のポッダム宣言受諾の暫定回答の後、通常の無差別爆撃 も一部停止されたものの、日本政府の反応が鈍いのですぐにペースが戻さ れた。終戦の詔勅が作られていた 8 月 14 日以降にも、 B ー 29 約 150 機に よる大阪空襲をはじめ各地の都市爆撃で多くの犠牲者が出ている ( 14 日以 降に初空襲を受けた熊谷、伊勢崎、小田原の 3 都市だけでも死者約 300 人、 被災者 25 , 000 人以上 ) 。これらの被害は、戦争の趨勢になんの影響も及ば していない。市民は意味のない損害を被ったことになる。長崎原爆よりもこ れらの空襲のほうがはるかに理不尽だったわけだが、問題視されることはほ とんどない。象徴的インパクトに富み効果的だった事件が追及され特権化さ れ、象徴性がないため真に理不尽だった事件が無視されるという逆説がこ * 「 P ならば Q 」が正しいとき、 マ必要十分条件 に仄見えている。 0 9 2 P は Q の十分条件、 Q は P の必要条 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問
1 9 一億玉砕を撤回させる決め手は ? 念日前日にスターリンが「日本は侵略国」と明言した演説は、日本の各新聞 がはば全文を掲載していたのである。こうして事実上、敵国に等しいと国民 に認識されていたソ連が攻めてきたからといって今さら、「一億玉砕」の音 頭をとった大本営があっさり「ポッダム宣言受諾します」と国民に言えただ ろうか ? 本土決戦の時間稼ぎのため沖縄で 20 万以上の尊い犠牲を払わせ た直後に ? 房総沖のアメリカ機動艦隊に向かって、日の丸のハチマキをし た若者たちが帰らぬ攻撃に次々飛び立っている最中に ? ソ連参戦のような、あくまで通常戦争の継続としての打撃をいくら受けて も、戦争終結に踏み切る素地が当時の日本にはできていなかった。絶望的と わかっていながら、ドイツと同じように国上が征服され尽くすまで徹底抗戦 せねばならないシステムで動いていた。ところが、原爆となると話は別であ る。通常戦争の延長上にあるのではなく、核戦争へのバラダイム変換を示す パラダイム 出来事だった。原爆は戦争の「枠組み」を変えてしまったのだ。「一億玉砕」「総 特攻」も、原爆が相手では敵に出血を強いるという目的が達せられす、無意 味になった。 原爆が実質的威力より心理的効果 ( パラダイム変換のアピール ) を与える 兵器として目論まれていた証拠は多い。空襲被害を受けていない無傷の都 市が投下目標として選定されたのは、原爆そのものの威力を印象づけるため だった。同じ理由で、原爆投下のあと通常の焼夷弾絨毯爆撃を行なって完全 破壊を目指すという案も却下された。原爆そのものの威力を掻き消すような 真似は避けられたのである。 ただ一発で空前の被害を生するという心理効果、戦争の新段階を痛感させ る革命性のアピールがとにかく重要だった。実際に「一億玉砕」戦術で戦い 続ければ敵に相応の出血を強いる結果になっただろうが、事実よりも心理こ そが現実に影響をもたらすことが多い。切羽詰まった段階ではとくにそうで ある。原爆は、実際上のインパクトはソ連参戦にはるかに及ばないとはいえ、 象徴的な意義はソ連参戦よりはるかに大きかった。政治、経済、心理、軍事 の四つの要素から戦争は構成されると言われるが、く政治〉とく心理〉とい う二つの要素において、原爆はソ連参戦を凌ぐ威力を発揮したのだ。 思えば、カサプランカ会談で「無条件降伏」が宣言され、次に特攻開始に より日本の「降伏よりは死」という徹底抗戦姿勢の具体化がなされたことに
5 5 被爆者のことをもっと考えると何が見えてくるか ? 投下肯定論にとって有利な根拠になってしまう。つまり、原爆被災の恐るべ き写真や映像が訴えかけてくるのは、「誰かが絶対悪かった」「何かが絶対間 違っていた」ということだけであり、どこにその悪や間違いがあったかとい うことについては、原爆被害のビジュアルは何も語っていないのである。 「ノーモア・ヒロシマ」のスローガンどおり、反核運動はしばしば被爆地 の惨害のイメージを活用してアピールカを高めたが、その情熱に貢献したカ の大半は、トルーマン決定だけでなくパールハーノヾー攻撃やポッダム宣言黙 殺を非難する人々からも来ていることは当然推測できるだろう。実のところ、 日本全国を対象にしたアンケート調査 ( 原爆投下に主な責任を負うべきなの は誰 ? という質問 ) では毎回、広島市と長崎市の住民は「日本政府に主な責 任あり」と答える率が全国平均をやや上回る傾向がみられるのである。 「被爆者の前で原爆肯定論など言えるのか ! 」という叱責は、被爆者はみ な原爆投下に関してアメリカを憎んでおり、日本を被害者と考えている、と いった先人観にもとづいている。「被爆者の声とはこれこれこういうもの」 と決めつける類型思考は、ちょうど、「傀儡政権と呼ばれる政権の指導者は みな操り人形だった」という決めつけ ( 第 9 問 ) や、「元慰安婦はみな自 分の経歴を恥じているはす」といった差別的偏見 ( 第 50 問 ) 同様、対象 となる人々を侮辱するものだろう。被爆者にも多様な声がある。少数の実例 から安易に一般化したり、単なるイメージを鵜呑みにしたりする誤りは、「ス テレオタイフイヒの誤謬」にあたると言えるだろう。 第五点。「原爆投下は正しかった」と言われる場合、特定のあの二つの都市、 特定の人々が犠牲者として必要だったという意味で言われてはいない。たと えば、 7 千人の国民が事故死するという事態はとてつもない不幸だろう。そ の原因となる共通因子を除去するためには、政府は相当の出費を覚悟で措置 をとらねばなるまい。さて、来年、 7 千人程度の国民が交通事故で死ぬこと はほば確実にわかっている。では、それを防ぐために、政府は乗用車の運転 を禁止して、消防車や救急車、業務用の車だけに走行許可を出すべきではな いだろうか。 しかし誰もそんな措置を支持しようとはしない。乗用車の禁止によって、 生活の質の低下や、経済的損失が予想されることだけが理由ではない。加え て、「交通事故で誰が死ぬのか」がまだ決まっていないため、乗用車容認によっ
6 0 2 4 7 日本は結局本当に無条件降伏したのか ? 与える発言をせよ」という指令である。「徹底的な荒廃」「即時の徹底的な破壊」 といった言葉はきわめて一般的な表現と受け取られそうな無内容な言葉であ る。むろん論理的には内容を持つのだが、これまでの連日の空襲や陸海での 激戦がすでにして「徹底的な破壊」を意味しているととられかねす、日本政 府の既成知識に新たな情報を付け加えない紋切り型の外見をしている。のみ ならす第 2 項の文言により、極東に結集しつつある力は通常の陸海空戦力で あると暗示されているので、なおさら革命的新兵器の存在は読み取れなかっ たはすである。 原子爆弾という新しい情報を述べなかったことは、意味論的には間違いで はなくとも、語用論的には底意ある戦略的隠蔽であった。新兵器が出来たら いちいち敵に事前通告せねばならないという国際法上のルールはなかったの で ( むしろ隠蔽が当然なので ) 、道義的にはギリギリセーフの巧みな過少情 報戦略であったと言えるだろう。原爆投下後はもちろんこの隠蔽情報が今度 こそ顕わになって、最大限の威嚇となり、天皇を引きすり出し、日本政府・ 軍を聖断に従わせる決め手となった。 アメリカのこの言語操作は、ポッダム会談でソ連を相手にしても発揮され た。ソ連が日本の和平工作を米英に知らせているからには、米英が原爆につ いてソ連に隠しておくのは非対称的であり、不誠実の誹りを免れない。そこ でトルーマンはチャーチルと相談のうえ、「なにげなく」知らせるという方 法をとった。 7 月 24 日の本会議終了後、トルーマンは世間話でもするよう にスターリンの近くに寄っていって、「アメリカは異常な破壊力のある兵器 を持っている」とだけ言ったのである。スターリンはとくに驚く様子もなく 「日本に対して有効に使うことを望みます」と答えた。米英は、注意を惹か ない決まり文句によって「信頼できる同盟国」としての装いを保ったのであ る。 トルーマンも、離れて見ていたチャーチルも、スターリンは原爆について まったく理解していないという印象を抱いたが、実はスターリンは諜報網を 通じてマンノ、ツタン計画について熟知しており、 16 日の原爆実験にもソ連 のスパイが人り込んでいた。腹芸にかけてはスターリンが一枚上手だったの だ。とりわけ 7 月 24 日の本会議では、イタリアと東欧諸国の承認問題をめ ぐって、曖昧な表現を使った声明発表が同意されており、東欧へのソ連の勢