0 6 も効果的に使用する」 23 人 [ 15 % ] ) 。 く目標・日本〉は人種差別だから許せない ? しかし、この嘆願書は陸軍長官の事務所で停滞し、トルーマンのもとに届 けられることはなかった。マンハッタン計画そのものを動かす政治家の思惑 は違っており、どのみち既定路線は変更できなかったのだ。真珠湾攻撃の前 からすでに、アメリカ参戦後の戦略がルーズベルトとチャーチルの間で話し 合われ、「ドイツ優先戦略」が確認されていた。世界の権力の中心はまだ当 分ヨーロッパにあると考えられていたので、戦争に勝つにはドイツをます全 力で倒さねばならない。その間日本軍を釘付けにしておくに足る最低限の兵 力をアジアに向け、ドイツ打倒後に全力で日本を破るという構想である。つ まり、いつ完成するかわからない原爆は、ヨーロッパ戦域の作戦に組み込め るほど現実的ではなかった。緊急にヒトラーとムッソリーニを倒すのに主力 を投じる予定なので、ヨーロッパの枢軸国を通常兵器で打倒するまでに原爆 完成が間に合うことはなかろうと予想されていたのだった。逆に言えば、原 爆などという不確かな兵器が完成するあやふやな未来の時点でまだナチスを 敗北させていないようでは困る、という見通しがあったのである。 「人種差別」という概念は感情に訴える力が強いので、原爆投下のような 残虐行為を非難するときに持ち出されやすい。しかし、ある概念が自説擁護 に有効な武器だからといって、事実を確かめることなく安易に適用するのは、 典型的な「概念の乱用」である。ある事柄 A にたまたま事柄 B が隣接または 共存しているだけなのに、 B を A の原因とか理由と思い込んでしまう誤りは、 「ポストホックの誤謬」と呼ばれる。アメリカ国内の人種差別と、有色人種 の国への原爆投下とをただちに結びつけるのも、ポストホックの誤謬の一例 だ。アメリカ人に有色人種への人種差別意識があったということと、人種差 別意識が原爆投下目標選定の動機だったかどうかとは、まったく別問題なの である。 ちなみに、原爆投下目標の選定に人種差別は関係していなかったとしても、 「文化差別」の思惑は働いていた。第一目標だった京都が、直前になって陸 軍長官ステイムソンの強い反対で候補から外されたのである。京都に固執す るグローブズ将軍らマンハッタン計画指導部とステイムソンとの間でかなり 揉めて、ポッダムにまで説得の電報を送ってきたグローブズにステイムソン は激怒し、トルーマンに再三訴えて解決した。ステイムソンの表向きの理由
この人は将来の核兵器使用を本当に肯定しているのだ。ふーん。将来の核兵 器使用肯定の熱意がこれほど表明されるとは、その立場に一理あるんだろう こうして、個人としては誰も信じていないし良いと思っていない事柄や態 度が、忖度の結果として肯定され採用されてしまうという事態になる。戦前 の軍国主義や国家神道、天皇神聖の信仰もこの「忖度のパラドクス」に類し た架空の同調圧力として成立していたものだろう ( 私は信じていないけどみ んな信じているから合わせなきゃ・・・・・・ ) 。 * すると、肯定派と否定派の対立はこうなる。「広島・長崎へのあの原爆投 下」を是認すると「将来の核兵器使用」の是認という望ましくない影響をも たらしがちだ、それは避けがたいことだ、だから「広島・長崎へのあの原爆 投下」はあくまで非難されねばならないーーそういう戦略を否定派はとり、 肯定派はそれに抗う。 肯定派の言い分はこうだ。世間の人々が啓発されておらす、「あの原爆投下」 への態度と「今後の核兵器使用」への態度の区別が十分できていないだけの ことだ。人々を啓発して広島論・長崎論が核戦略論にただちに結びつかない ことを教育し、合理的な議論ができるよう導くのが先決であって、蒙昧状態 での思い込みに立脚した拒絶反応を尊重することは、ますます蒙昧主義を助 長し、正常な議論を不可能にするだけだ。 対して、否定派の言い分はこうだ。世間の人々が啓発されていないという のはその通りで、「あの原爆投下」と「今後の核兵器使用」との区別を理解 してもらうのが論理的にはなるはど望ましい。しかし論理よりも実利を優先 せねばならない場合は多いものだ。あいにく人間の標準というものは、望ま しい知的レベルをクリアしているとはかぎらない。どれほど教育したとこ ろで、核兵器という共通項があるかぎり、「あの原爆投下」と「今後の核兵 器使用」に対する賛否が連動している印象を人々の意識や無意識から拭い去 ることは至難である。必す影響が生する。人々の愚かさに迎合するのはもち ろん褒められたことではないが、核使用容認論を促すような深刻な影響をも たらしかねない以上、「あの原爆投下」を是認する言辞は控えるべきである。 これは論理的な議論以前の問題だ。平均的人間の知性がもっと改善された時 代になったら、おおっぴらに「あの原爆投下」の是非を議論しようではない 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問
る。全体としては戦争目的に貢献する行為だったはすのものが、その細目に ついて、勝利という戦争目的とは無縁な、むしろ戦争目的に反する虐殺・暴 行を招来してしまった。戦争目的に反するというのは、中国人民の反日感情 を煽って宣撫工作を難しくするとともに、国際世論を敵に回して日本の戦争 遂行を困難にしたからである。 さらには、南京占領によって達成しようとしていた日本の「戦争目的」そ のものが明確でなかったため、南京事件の倫理的評価はさらに引き下げられ ざるをえない。侵略戦争なら侵略戦争で、具体的な目的が設定されていれば まだしも、日中戦争の場合は、ただ無目標に占領地域を拡大するだけで、正 当化のしようがなかったのである。このような、上位の目的つまり日中戦争 そのものの無目的性に照らすと、下位目的である南京占領全体が倫理的に正 当化しづらくなり、その中での予定外の蛮行はさらに低く評価されるべきだ ということになろう。つまり南京事件は、ホロコーストと原爆投下の中間で ありながら、ややホロコースト寄りに位置する倫理的評価を受けるべきだと いうことになりそうだ。 原爆投下は、南京事件のような侵略性はないにしても、非人道性は共有し ていると言われる。多くの人命を瞬時にして奪うという原爆の非人道性は、 南京事件および日中戦争に比べたとき目的が明確であること ( 軍国主義の打 倒と連合軍兵士の犠牲の防止 ) によってどれはど免罪されるだろうか。 南京事件については、犠牲者数の上方修正と下方修正の綱引きなど、「途 方もない悪だった、いやそれほどでもなかった」といった悪の度合に関する 量的な論争が主である。つまり、「悪」であることには異論の余地がない。他方、 原爆については、質的な論争ーー悪だったのかそれとも積極的な善 ( 正義 ) だったのかという「賛否」の議論が中心になっている。戦後 30 年ほどで賛 否両論の基本ラインはほば出尽くした感があり、あとは細部の洗練が続いて いるのが現状である。 このように、戦争犯罪には「悪さ」の違いがある。この認識は重要である。 「完璧主義の誤謬」と呼ばれる虚無的な態度を防ぐ役に立つからだ。 「戦争そのものが悪なのだから、その悪しき戦争の中で何が悪だとか善だ とか言っても意味がない」。これが「完璧主義の誤謬」である。問題の前提、 そのまた前提・・・・・・まで遡って、そのすべてのレベルで条件をクリアしていな
1 原爆投下を比較してみよう。 三つのうちでホロコーストは独特であり、他に類例がない。南京事件と原 爆投下はそれぞれ、多くの類例を代表する典型 ( もしくは極限 ) である。南 京事件の類例としては、日本軍の中国・東南アジアでの暴行、ドイツ軍の各 占領地での殺戮、ベルリン攻防戦や満州でのソ連軍の暴行、サイバンや沖縄 の住民を巻き添えにした日本軍の戦闘などいくらでも挙げられる。原爆投下 は、いうまでもなく都市を対象にした無数の戦略爆撃の延長上に位置づけら れよう。 ホロコーストと原爆投下の明確な違いは、戦争努力の一環であるかどうか である。すなわち、敵に勝っため、味方の犠牲を減じるための努力としてな された措置であるかどうかである。ホロコーストは、民族レベルの大量殺人 に他ならす、大戦でのドイツ勝利の可能性を高めるためにはまったく貢献し ていない。戦争と並行して、戦争の混乱に便乗してなされた行為だっために 慣例上第二次大戦の枠内で語られるだけであり、戦争とは別個の「政策」だっ たのである。この意味で、「戦争努力」という文脈を設定した上でも、ホロコー ストを正当化する論理を見出すことはほとんど不可能である。ホロコースト にかろうじて類似しているのは、関東軍 73 1 部隊に代表される捕虜の人体 実験だろうが、国際法で禁じられた細菌兵器使用の準備という悪質な目的を 持っていたにせよ、まがりなりにも戦争努力に組み込まれていた点で、ホロ コーストとは一線を画している。 他方、原爆投下は、戦争に勝っための最大限の努力の結晶といってよい ( 連 合国の勝利は確定していたので、正確には「上手く勝っための最大限の努 力」 ) 。相対論・量子論という最新の革命的科学理論と、人類史上最大のテク ノロジーを応用し、戦術的・戦略的な諸条件を議論したあげくに決定された 措置だった。細部においては原爆投下決定が正しかったかどうかに異論の余 地は残るものの、原爆投下が連合国そして日本の犠牲を減じたこと、少なく とも「そうする意図」が原爆投下の本質をなしていたことは疑えない。ホロ コーストに比べれば、原爆投下を正当化する理屈は豊富であり、「戦争努力」 という文脈を設定した上では、それは正当化できるばかりか、必要な行為だっ たと論じることすら十分可能なのである。 日本政府の窮状を打開し、軍と国民に敗北を納得させて降伏のきっかけを
/62 移って戦いたいと希望を述べたとき、マッカーサーは冷たく断ったという。 ジョージ・パットンやオマル・プラッドリーら指導的な将軍が太平洋戦域に 目的に叶った選択をするわけではない。たとえば、ヨーロッパ戦域終了後、 家ではない。また、第一の目的については軍人は専門家だが、必すしもその この二つの目的の第二のものについては、マッカーサーはじめ軍人は専門 ある。具体的には、犠牲を最小に、政治的収穫を最大に、というのが目的だ 連合軍が「勝つようにできるか」ではなく「どうやって勝つか」だったので が勝利する確率はゼロだった。原爆があろうがなかろうがである。問題は、 た」のか ? そんなことはわかりきったことだ。 1945 年の時点で、枢軸国 ために必要なかったと言いたいのかが肝要である。「勝っためには必要なかっ 時々混乱している人がいるが、「原爆は必要なかった」と言うとき、何の 答え さて、肯定派はこれにどう反論できるだろう。 したというのは、戦争目的を逸脱した暴挙ではなかったか。 たということだろう。それでも原爆を国務省の政治的思惑ゆえに使用 対しているということは、専門的見地からして原爆投下は必要なかっ い。戦争に勝っという究極の目的をよくわかっているはすの軍人が反 誘導した感がある。トルーマンはバーンズに頭が上がらなかったらし ていたのに、国務長官ノヾーンズがほとんど一人でトルーマン大統領を ズ将軍以外の軍事専門家、とくに戦域司令官クラスがこぞって反対し たという事実があるではないか。マンハッタン計画の責任者グロープ れ、アメリカの戦争指導者のほとんどが原爆投下には賛成していなかっ 否定派は食い下がるだろう。原爆の本当の御立派な動機がなんであ 権威による論証 優れた将軍たちが反対したではないか ? 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問
本書のような原爆投下肯定論は、原爆という殺傷手段について、「質にお いては銃弾と異ならす、数においては銃弾よりもはるかに少人数の犠牲で戦 争を終結させた」という見方に意外な合理性があることに注意を喚起する。 そこから無関連要因重視の誤りを是正し、戦争そのものの悪を際立たせる試 みとして、原爆投下肯定論を捉え直すことができるのである。 ガー・アルペロビッツ「原爆投下決断の内幕」く上〉く下〉ほるぶ出版 リチャード・ H. マイニア「東京裁判勝者の裁き」福村出版 福田茂夫「第ニ次大戦の米軍事戦略」中央公論社 朝日新聞「新聞と戦争」取材班「新聞と戦争」朝日新聞出版 蚣読売新聞戦争責任検証委員会「検証戦争責任」く 1 〉く 2 〉中央公論新社 蚣「フォッグ・オブ・ウォーマクナマラ元米国防長官の告白」ソニ ・ピクチャーズ・エンタティンメント 2 6 0 戦争論理学 [DVD] あの原爆投下を考える 62 問
完成後は、アメリカは投下第一政策をとった。その期間内では「遅延戦略」 が使われていた疑いはある。しかし、原爆投下以外に良策があったかどうか、 つまり投下第一戦略が是か非かについては、すでに各問で考察してきたとお りである。 3 2 バーバラ・ w. タックマン「失敗したアメリカの中国政策」朝日新聞社 / 62 天皇制を認めるく試み〉くらいしてもよかったのでは ? 換喩的戦略 これまで、「原爆投下は不可避だった」という理由をいくつか見てき た。とりわけ、無条件降伏要求へのトルーマンの固執は、内政的・外 交的にやむをえなかったこと。たとえ天皇制容認を明言したとしても、 ソ連参戦がなければ日本陸軍は屈服しなかっただろうこと。そしてそ の屈服を名誉ある屈服たらしめ支障なく降伏させるには原爆という象 徴作用による浄化が必要だったこと。等々の見解を述べた。 しかし、否定派は納得できまい。上の議論には一理あるのだが、あ くまで推測である。トルーマンにとって、無条件降伏要求を弛めて天 皇制容認を明言することは、ます、それはどリスクの大きいことだっ たのか。また、ソ連参戦および原爆投下まで行かないと日本軍が屈服 しそうにないというのが信憑性大だとしても、もしリスクが小さいの であれば、「試みてみる」ことはできたのではないか。つまり、日本に 拒否される確率が高いとしても、それによってアメリカが負うダメー ジが相対的に大きくないならば、天皇制容認という条件を付けたポッ ダム宣言を発することは、他の連合国を説得してまでもやる価値のあ ることだった。それをしなかったのは、やはりアメリカに道義的罪が あることになる。 この主張に、肯定派はどう応じるべきだろう。 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問
6 2 アメリカ人ですら今や原爆投下の非を認めつつあるのだが ? 開していることが多いからだ。つまり本書は、日本政府に向けた修正主義的 原爆投下論と言える。 日本の多数派の考えは、トルーマンの原爆投下決定は間違っており、大統 領から原爆投下機搭乗員にいたるまで、被爆者に謝罪すべきだ、というもの だろう。本書の結論は、むしろ被爆者に謝罪すべきなのはアメリカ人ではな くむしろ日本政府、天皇、かっての軍首脳関係者などであろうというものだ。 また、ポッダム宣言にさいして、首相答弁がなされる前にすでに「笑止」「黙 殺」など過激な継戦言辞を自発的に連ねて政府や軍の意図すら越えた過度の 迎合に走り、原爆投下の事後正当化に一役買った日本のマスコミにも大きな 責任がある。ポッダム宣言の時だけでなく、概して戦時中の日本の新聞は、 軍や政府の圧力とは無関係に、勝ちいくさのたびに号外を出し、販売部数拡 大のため軍の栄光を率先して讃えるセンセーショナリズムの傾向が濃厚だっ た。その点、まるでオリンピック日本代表選手を応援するのと同しノリで海 外派遣軍の活躍を熱狂的に賛美した一般国民にこそ、第一の戦争責任があっ たと言える。一般国民全員が新聞の商業的成功の方針を左右し、それに軍や 政府が後押しされたり、逆に利用したりした面があるからだ。 よって、戦争責任は原爆被爆者も共通に分け持っている。しかし被爆者は、 戦争終結のための必要悪たる殺戮を恣意的抽出の形で代表的に被らされたと いう意味で、全日本人の謝罪を受けて当然であろう。日本政府の謝罪は、被 爆者援護法などで事実上達せられているが、その他の日本人による謝罪も贖 罪もまだはとんど行なわれていない。その原因は皮肉にも、被爆国という象 徴的地位を獲得した国のメンノヾーとして、日本人全体が被害者的スタンスを 保っ権利を主張できているがためなのである。 というわけで、あえて政治的含意の点から言うとこうなる 日本人の 深い内省に訴えかけたい本書的な修正主義的立場からすると、日本を部分的 に免罪しかねないアメリカ修正主義言説の流布は、有難迷惑と言うべきであ る。しかし同様に、本書のような日本側の修正主義的言辞が普及したりすれ ば、国際倫理の反省努力にとっては迷惑なことだろう。なせなら、現在の国 際社会では、どの国にもましてアメリカの自己反省が最も求められているこ とは確かだからだ。過去のアメリカの行ないを正当化することは、今後のア メリカの行動への無批判な容認を助長しかねす、国際平和の戦略的見地から
に反ナチ的気運が高まり、ヒトラー政権打倒、戦争の早期終結といった流れ も期待できたはすだろう。ちょうど、南京陥落後も蒋介石が降伏しないこと あいて に苦慮した近衛内閣が、 1938 年 1 月に「爾後國民政府ヲ對手トセズ」と声 明発表し、中国人の政治的分断を図ったのと同じ戦略である。日本が、中国 全体を敵とするのではなくあくまで蒋介石政権と戦っているのだという態度 を表明したやり方は、その効果のほどはともかく、ルーズベルトにとって手 本になったはすである。 ナチも反ナチも一緒くたに徹底敗北に追い込もうとする姿勢は、「分割の 誤謬」を犯していると言える。分割の誤謬とは、全体の性質がそのまま部分 もしくは構成要素にもあてはまると考える誤謬である。下手くそなオーケス トラの構成メンノヾーがみな下手くそな演奏者だとはかぎらない。みな一流の 演奏者なのだが、音楽観が違うとか、人間関係上の原因でチームワークがバ ラバラだとかで、全体としてはひどいオーケストラになってしまっているの かもしれない。国家の代表 ( 政府 ) と国家のメンバー ( 国民 ) の関係も同様 である。ドイツ政府が憎むべき性質を持つからといって、国家を構成するド イツ国民にその憎むべき性質を無条件で移し替えてはならない。国内の和平 的分子を信じて働きかけ、政府の邪悪さを解体する分断策は、ヒトラー暗殺 計画が幾度も企てられた風土を考えると、ドイツに対しては功を奏した可能 性がある。 ただし、日本に対してはどうだったろう。分断策の効果は疑わしかったの ではないか。日本人も確かにさまざまな性格の個人から成ってはいたが、ド イツ国民とナチス党との分離に相当するような潜在的裂け目は日本には存在 しなかった。日本に対して分離策をとるとしたら、日本国家の無条件降伏の かわりに「日本の軍閥」の無条件降伏を要求するというポッダム宣言方式を カサプランカの時から公表することになるだろうが、軍を相手どって蜂起で きるような勢力は日本には存在しなかった。ドイツ国防軍がナチスに反旗を 翻しかけたのと同様な事態は、日本では起こりえなかったのである。そのよ うな反軍的な事態を呼び起こすためには、それこそ原爆投下によって天皇と いう究極の力が動かされ、軍を抑え込むことが必要だったのである。 まとめるとこうだ。枢軸国に対する無条件降伏要求は、間違っていたとす れば、要求そのものではなく、降伏を求める対象だった。ドイツに対しては 0 9 8 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問
体であることは、親政の主体であることを必要としない。かりに天皇機関説 を信じていても、天皇に責任を認めることができる。実際は天皇機関説は排 撃され、戦前・戦中の日本人の建前は、天皇は国そのものだとする考えだっ たが、譲歩して天皇機関説が正しく ( 学界や天皇自身がそう認めていたよう に ) 、天皇が国の一機関にすぎないとしても、最高機関としての地位は揺る がなかった。天皇は神でないにしても少なくとも最高機関であり、天皇の権 限は絶対的だった。当然、法的責任もなければならなかった。 法や倫理の上での責任の定義に頼る以前に、政治 ( すなわち実質的影響力 ) を見ても、天皇の責任は明白である。張作霖爆殺事件後の田中内閣総辞職、 二六事件の鎮圧、対米一撃論の支持による降伏の引き延ばし、そして他 ならぬポッダム宣言受諾の決定は天皇裕仁の個人的主張が決定的要因となっ ぎしよう た。天皇の具体的発言には実質的影響力があった。重慶に近い宜昌の占領を 急かし、珊瑚海海戦について海軍の詰めの甘さを叱り、太平洋の戦局が絶望 的になった段階においてさえ中国大陸での一号作戦の成功に喜び「そこまで 進撃したなら昆明まで行けぬのか」と好戦的な示唆を与え続けた裕仁である。 大和水上特攻も、天皇の「水上部隊はないのか」の一言で決まったし、特攻 そのものからして、神風の生みの親である大西瀧治郎が天皇の休戦命令を期 待しての外道作戦だったことを告白していた ( 第 20 問 ) 。政府に背き続 けた軍部も、天皇個人の発言は尊重しており、重大な作戦や戦争続行それ自 体の是非が、最終的に天皇の一存で決まることがありえた。少なくとも上層 部にそう認識されていたのである。天皇自身にも自分の言葉の重みはわかっ ていた。意外と知られていないが決定的なのは、本土決戦方針を決定した御 前会議と同日 ( 45 年 6 月 8 日 ) 、戦中最後の議会である第 87 回臨時帝国議 会の開院式で次のような勅語を発したことである一一一「世界の大局急変し敵 ますます の侵冦亦倍々猖獗を極む正に敵国の非望を粉砕して征戦の目的を達成し以て とき 国体の精華を発揮すべき秋なり」。断末魔が近いこの時期に天皇の徹底抗戦 命令が出たことにより、厭戦の世論は完全に封じられ、海軍と宮中グループ の終戦工作 ( 第 28 問 ) も致命的なダメージを被った。この種の勅語の発 布は、天皇の自由意思による認可がなされないかぎり実行されない。陸軍の 強硬派に引きすられた天皇の責任は重大である。 戦況をたえす報告されており、かっ権限を持っていた天皇が、原爆投下と 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問