1 8 アメリカの国益追求って敵国日本にとっては・・ 牽制することこそ日本その他の国々の利益になっていた可能性はないか、と いうことである。国家の利益は互いに連動しているので、アメリカの利己的 戦略が、日本その他の国々をも利する、ということは大いにありうるからで ある。 実際、ソ連がアメリカを侮って、北海道分割を主張し続けたらどうだった だろう。満州の権益を余計に主張したらどうだったろう。朝鮮半島すべてを 占領していたら。ソ連がヤルタ会談の取り決めを破っていたら、日本、中国、 その他のアジア諸国に災いが降りかかっていただろう。とくに日本が、米ソ による分割の憂き目を見すにすんだのは、アメリカがしつかりと威信を確保 しておいたおかげであるかもしれない。東欧と違って東アジアではソ連が約 束をいちおう守ったのは、原爆の威圧が効いていたせいかもしれないのだ。 威圧だけでなく、信用の問題もある。もし原爆の連続投下がなかったら、 ソ連参戦と日本降伏との直接の因果関係が世界中にノヾレてしまい、ソ連に対 日勝利への貢献度の自覚を与え、東アジア権益での強気な主張を西側へ突き つける姿勢をもたらした可能性もある。ソ連参戦と長崎原爆の前後関係は偶 然の産物だったが、まがりなりにも長崎原爆がソ連参戦の後にきたことで、 実質的にはるかに重大要因だったソ連参戦の意義がカムフラージュされた。 原爆のほうが決定的要因だったかのような印象を国際世論に、そしてソ連そ のものにすら与えることに成功したのである。 占守島の戦い ( 8 月 17 日 ~ 21 日 ) でソ連軍が日本軍の守備を突破でき す実質的に敗れていたことからもわかるように、ソ連軍は上陸作戦の準備は できていなかった。しかしもし原爆投下がなく、たとえー週間の戦いであれ ソ連参戦が日本降伏を実現したという印象が広まりでもしていたら、ソ連は 自力で占領できすとも北海道を得られた可能性がある。早期終戦の手柄が国 際世論に明らかになれば、米英としても千島列島を超えた領土割譲をソ連に 認めねばならなかっただろうからだ。とりわけ東欧問題でソ連に少しでも譲 歩させる代償として、日本領土が生贄にされた可能性はある。 ソ連参戦が日本降伏の決定打だったことは紛れもなく真実であるだけに 原爆投下は、ソ連の真の貢献度を掻き消してソ連の正当な権利主張を削減す るのに大いに役立った。それはアメリカのみならす東アジア諸国の、とりわ け日本の国益に叶っていた。
ZS / 62 3 日ソ中立条約破棄はいくらなんでも酷すぎる ? 倫理的正当性 ソ連参戦というリアルなインパクトなしで、つまり原爆投下という シンポリックなインパクトだけでは戦争終結は実現できなかっただろ うことはすでに見てきた。 逆に、ソ連参戦さえあれば日本が即時降伏できたかというと、やは り原爆という超自然的口実が必要だったことも再三見たとおりだ。っ まりソ連参戦は、単独で原爆投下を不要にするほどの効果はないが、 原爆投下と合わさって早期終戦をもたらすのに必要十分な条件を構成 する不可欠のファクターだったことになる。 すると、原爆投下を正当化できるかどうかに関して、考えねばなら ないことが二つある。 ①ソ連参戦は、 ( 平和のために、そしてソ連にとって ) 正当だったの か ? ②ソ連参戦は、 ( 平和のために、そしてソ連にとって ) 必要だったの か ? ①は、「ソ連は日ソ中立条約を破棄する正当な理由があったのか」と いう問題だが、より根源的には、「西側連合国がソ連に日ソ中立条約違 反を要請したことは正当だったのか」という問題となる。原爆投下の 主体であるアメリカの倫理を問う意味では後者の質問が主題化される べきだが、その前提として前者の質問、すなわちソ連が日ソ中立条約 を破って侵攻すること自体にどれほどの正当性があったか、をます考 えねばならない。 ②は、ソ連参戦が正当であったかどうかにかかわらす、何らかのや むをえない必要性があったかどうかという問題である。西側連合国の あの原爆投下を考える 62 問 戦争論理学
トルーマンは、ソ連参戦はもはや不要だと考えるようになる。原爆の力だけ で日本を屈服させられるだろうと感じたのだ。 それでもトルーマンはポッダム会談中すっと、ソ連に対し対日参戦を促す 姿勢を崩していない。ポッダムでは米英の合同幕僚長会議が連日開かれてい たが、その決定の中にはソ連の対日参戦奨励とソ連の軍事力向上を援助する 旨が記され、 24 日にトルーマンとチャーチルの承認を得ている。しかも同 日にソ連を加えた連合幕僚長会議が開かれ、米ソの間で、対日戦協力のため ソ連軍事使節団のワシントンへの配置、シベリアの港と飛行場のアメリカ軍 への使用許可、などが取り交わされているのである。 したがって、トルーマンの気持ちが、日本を主敵とする姿勢からソ連を主 敵とする姿勢へ 180 度転換したというわけではない。原爆の威力がはっき りしたため、主目標である日本打倒を成し遂げつつ、ついでにソ連の協力抜 きでの一層好ましいアジア政策立案をも兼ねられると踏んだのである。ソ連 参戦が望ましかったのは、ソ連軍の負担のぶんだけ西側連合軍の出血を抑え られるからだったが、連合軍部隊の大量動員を要しない原爆攻撃という方法 が、ソ連参戦の代用になりうると考えられた。原爆の主目標はあくまで対日 戦の安価な早期勝利であり、ソ連への威嚇は原爆の付加価値だったのだ。 しかしトルーマンは読み違いをしていた。日本が原爆で屈服するという見 通しは甘かった。アメリカと違って、大日本帝国は人命を尊重しない。原爆 が都市に何発落ちょうとも、前線の軍隊の戦闘能力に直接の影響が及ぶわけ ではない。その点、ソ連軍の地上侵攻は、直接に日本陸軍の崩壊をもたらす ものだった。むしろ原爆で衝撃を受けたのはソ連だった。広島原爆の知らせ にスターリンは、アジア政策からソ連が締め出されるのではと怖れ、ただち に満州侵攻を開始させたのである。こうして、結果としてソ連を威嚇・牽制 する効果を持った原爆ではあったが、第一義的にはあくまで「安価に日本を 降伏させるため」に使われたことを押さえておかねばならない。顕著な副産 物を主目的と取り違える誤りは、「ポストホックの誤謬」 ( 第 6 問 ) にあたる。 付け加えると、戦中はもちろん終戦後ですら速やかに東西対立が国際政治 の主軸となったわけではなく、しばらくの間、依然として旧枢軸国が国際連 合にとっての主敵だという構図は保たれていたことに注意したい。東京裁判 において、弁護団は日中戦争を正当化する動機として再三「国際共産主義の 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問
かっ政治的ショックが甚大であることを予期できたアメリカとしては、 ソ連参戦のタイミングで「天皇制容認」のメッセージを発すればよかっ ただろう。日本は確実に降伏したはすだ。 たしかにその場合、ソ連の貢献は大きく見積もられるが、もともと 原爆に戦争終結の実質的効果がなかった以上、原爆投下は無用の殺戮 に終わった。アメリカの外面的尊厳を保っための道具でしかなかった。 そしてソ連への威嚇・牽制の道具でしかなかった。戦争を終結できる 時期が変わらないならば、表面的な原爆の衝撃などではなく、もつば ら実質的なソ連参戦の力によって終戦に持っていくことが賢明だった のではないか。日本降伏とともにアメリカ軍を迅速に朝鮮半島へ動員 すれば、現実がそうであったのと同様、ソ連の無制限の拡張はどのみ ち防げていたはすだ。 この否定派の攻勢に対して、肯定派は反論できるのだろうか。 答え 前問の問いかけは、結局、「アメリカ都合でソ連を牽制するために、日本 に原爆被害を与えたとは許せない」ということに尽きるだろう。その苦情は、 ソ連への威嚇は、アメリカの利益だけを考えてなされた。 1 . 当時、アメリカにとって主敵はもはや日本ではなくソ連だった。 次の二つのことを前提している。 2 . 道具」としばしば語っていたという。たしかに、そのような対ソ威嚇説が戦 なったと述懐している。国務長官バーンズも「原爆はソ連を扱いやすくする 将軍から「原爆の本当の対象はソ連だ」と言われたことが離脱のきっかけに フ・ロトプラットは ( 脱退はドイツ降伏より前 ) 、計画責任者のグローブズ の証拠がある。マンハッタン計画の途中で離脱したただ一人の科学者ジョセ たか ? アメリカがソ連を牽制しようとしていたことについては、大小諸々 原爆の主目的は、日本を負かすことよりもソ連を牽制・威嚇することだっ 第一の前提をます考え、第二の前提は次問にまわそう。 この二つの前提は、しかしどちらも間違っている可能性が高い。ここては 0 7 6 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問
2 1 0 9 1 むしろ不必要なのは広島原爆のほうだった ? 広島が原爆で崩壊した直後に、陸軍が降伏に同意しなかったことは 事実だ。ソ連参戦によってこそ、陸軍も観念した。前問では「原爆と いうロ実さえあれば陸軍も説得できた」と言わんばかりである。その 考えは、原爆を過大評価し、ソ連参戦を過小評価しているのではないか。 原爆投下とソ連参戦の相対的重要度の関係について、肯定派は混乱し ているように見受けられるのだが・・ 答え 肯定派としては、原爆投下だけが陸軍を観念させたと主張する必要はない。 単に、ソ連参戦だけでは不可能だった速やかな降伏が、原爆投下によって初 めて可能になった、と言えればよい。つまり原爆投下は、本 - 上決戦にいたる 前にポッダム宣言受諾ができるための、十分条件であったと主張する必要は ない。必要条件だったと主張できれば十分である * 。 同じことはソ連参戦についても言える。ソ連参戦は、前問で見たように ポッダム宣言受諾の十分条件ではなかった ( 原爆投下が加わる必要があった ) が、必要条件だった ( 原爆投下だけでは日本はおそらく降伏できなかった ) 。 こう考えると、日本政府が、広島原爆だけではなせポッダム宣言受諾に踏 み切れなかったかがわかる。前述のとおり、広島の直後に外務省は、ソ連へ の調停要請を強めていたのだから、ポッダム宣言を受諾する気はさらさらな かった。ソ連参戦で観念し、続く長崎の原爆によって、ソ連参戦の衝撃に素 直に従う名目が軍にも与えられたのである。 広島原爆とソ連参戦はたった 3 日違いなのだから、ソ連参戦後に第二の原 爆投下がなくとも、広島原爆が主因で降伏したポーズはとれたはすだ、よっ て長崎原爆は不要だった、などと安易に考えてはならない。広島原爆後 2 日 半の間に日本政府は対ソ依存を強めるばかりで、ポッダム宣言受諾への傾き はまったく見られなかった、という事実は戦後に必すや明るみに出る。する と、ソ連参戦の決定因子ぶりが明白となり、日本の敗戦処理においてソ連の 発言力増大が必定になってしまうのである ( これはソ連が「悪」だと前提し た議論ではない。日本の占領統治がアメリカー国でなされることが日本の国 益に適っていたという意味である ) 。 つまり通説とは逆に、広島原爆のはうが不必要であり、長崎原爆さえあれ
4 6 ソ連参戦でいったい誰が得をしたのか ? よく知られていた。敵の自暴自棄の危険な反撃に遭うことなく迅速な大勝利 を得るのでなければ、 4 ヶ月かけて大移動した赤軍部隊の功績がカ、すんでし 突然のソ連参戦は明らかに日本降伏に最大の影響力を及ばした。が、参戦 の予告が参戦そのものに匹敵する効果を持ちえたかどうかは確言できないの である ( 原爆投下の警告や公開実験が、原爆投下そのものと同じ効果を持つ とはかぎらないのと同じだ ) 。 ソ連の単なる参戦予告が日本を屈服させるのに有効だと考えられたなら ば、そもそもヤルタ密約は密約にはされす、米英としてはソ連が連合国側 につくことを日本にハッキリ知らせる戦略がすっと前から選ばれていたはす だ。ポッダム宣言にしても、米英はスターリンの名を人れることをむしろ積 極的に求めたはすだろう。 ところがポッダム宣言は、ソ連への相談なしにアメリカが発信し、ソ連側 に事後通告されたのだった。スターリンは激怒したが、結果的にはこれは、 日本にソ連の中立維持を信じさせ ( あるいは疑いつつも希望的観測にすがり 続けるよう仕向け ) 、いざソ連参戦となったときのショックを高め、スター リンの意図をいっそう確実に実現することになった。 ポッダム宣言へのソ連参加という選択肢が米英によって考慮されなかった こと、ソ連抜きの発信にスターリンが怒ったことは、ポッダム宣言にソ連が 参加することの効果について米英ソ首脳が当時明確な理解を持っていなかっ たことを示している。ソ連の単なる参戦予告も、奇襲的参戦に劣らぬ効果が あったかもしれないのに、それが検討すらされていないのは、米英が原爆の 効果を過大評価していたからだろう。トルーマンはソ連ファクターがなくと も日本を降伏させられると誤信していた。 他方スターリンは、ポッダム宣言の意義を誤解し、赤軍の貢献抜きでの日 本降伏を即時勝ち取るための実質的手段だと思い込んだ。ポッダム宣言は、 スターリンの署名なしでは日本に受諾させるだけの衝撃など持ちえす、そし て受諾されなかったからこそ、ソ連は満州侵攻によって極東を「解放」する ことができた。そして予告なき奇襲攻撃のショックが日本の抗戦意志を確実 に打ち砕いた。原爆投下の象徴的なインパクトを実質的な地上侵攻によって 補い、ヤルタ密約の領土的保証を勝ち取れたのである。
1 8 アメリカの国益追求って敵国日本にとっては・・ 伸張に日本が感じた恐怖」を挙げたが、アメリカにも中国にもまったく相手 にされなかった。もし戦争末期に米英の主敵がソ連に変化していたとするな らば、ましてや戦後においてはこの「日本の動機」をめぐる同情や意見対立 がわすかなりとも見られたはすだろう。それが一切なかったということは、 冷戦を経た私たちが思い込みがちなほどには、連合国対枢軸国の構図が東西 冷戦の構図へと急速に移り変わったわけでない、ということが見てとれよう。 ハリー・ s. トルーマン「トルーマン回顧録」恒文社 亠 8 アメリカの国益追求って敵国日本にとっては・・・ ノンゼロサムゲーム 原爆攻撃がソ連参戦に代わる効果をもたらすとトルーマンが考えた としても、ソ連参戦が「望ましくない」ことにはなるまい。安価な対 日戦勝利が主目的だったならば、ソ連参戦は原爆と相乗効果をもたら すがゆえに、依然歓迎さるべき出来事だったはすだ。ところが、トルー マンはソ連参戦の日、緊急記者会見の席で憮然と「ソ連が日本に宣戦 布告した。以上」とたけ述べて退席した ( 歴代大統領の記者会見の最 短記録 ) 。トルーマンが掌を返したようにソ連参戦を快く思わなくなっ た理由は、やはり、一貫してソ連を敵視していたことが最大の理由だ。 広島に原爆を投下した政治的効果を確かめる暇もなく間髪人れすに長 崎にも原爆を投下したのは、もはや対日戦勝利の節約というより、ア メリカの力を見せつけてソ連を牽制すること以外の意図は考えられな いのではないか。そんな利己的な国威発揚が、長崎の何万の人命に値 したというのだろうか。 答え 前問の答えで予告したうちの第二の前提を考える番である。「ソ連への威 /62
0 7 5 1 7 結局はソ連への成嚇だったわけでは ? 亠 7 /62 結局はソ連への威嚇だったわけでは ? ポストホックの誤謬 前問の答えはいくら何でもこじつけだ、と否定派は言うだろう。事 実に即して検証してみよう。 長崎への原爆投下が日本の首脳陣にどれほどの衝撃を与えたかとい うと、まったく与えなかったと言える。たしかに原爆の個数について は陸相、参謀総長、軍令部総長の見込みが外れたとはいえ、長崎原爆 の報を得ても最高戦争指導会議の意見が依然としてまとまらなかった ところからすると、結果的に長崎原爆は余計だったと言うべきだろう。 原爆が単数だろうが複数だろうが、同日の御前会議で天皇がポッダム 言受諾の意思表示をしたことに変わりなかったはすである。 つまり、日本の首脳部にとって真に衝撃だったのは、ソ連参戦であっ た。徹底抗戦を唱えていた陸軍にとっては、原爆は痛くも痒くもなかっ た反面、もろに陸上戦闘での壊滅を意味するソ連参戦は痛打だった。 外務省にとってはそれ以上の衝撃だった。一縷の望みをかけていたソ 連の仲介がなくなったどころか、その相手が牙を剥いてきたからであ る。こうして、政府も軍も、ソ連参戦で観念したと言ってよい。 アメリカでも実は似たようなものだった。広島への原爆投下のとき はもちろん、新聞の一面トップを飾ったのは広島のニュースだったが、 長崎のときはどの新聞も二番手以下の扱いで、トップにはソ連の対日 参戦を掲げたのである。長崎の原爆投下が、ソ連参戦に比べていかに 重要でなかったかがわかる。 こうしてみると、長崎はもちろんのこと広島に対しても、つまり原 爆投下など一度も行なわなくとも、アメリカはソ連参戦を待てばよかっ たのではないか。もともとルーズベルトがスターリンに対日参戦を執 拗に促したのもその効果を見込んでのことだったし、マッカーサーも しきりにソ連参戦を希望していた。日本にとってのソ連参戦の軍事的
答え ますは①正当性の吟味から。 「正当であるはすがない」というのが、おおかたの日本人の意見だろう。 1941 年 4 月 1 3 日に調印された日ソ中立条約 ( 5 年間有効 ) について、 1945 年 4 月 6 日にソ連側は不延長 ( 期限切れからさらに 5 年間・ 1951 年までの延長はしない意思 ) を通告していた。これは 1946 年 4 月までの 効力を失わせるものではなく、中立条約はあと 1 年有効のはすだった。しか し 8 月 8 日にソ連は、日ソ中立条約を破棄、ポッダム宣言に参加、日本に宣 戦布告した。告げられた理由は主に三つ、「日本がポッダム宣言を拒否した 以上、ソ連が求められていた和平調停の基礎は失われたこと」「西側連合国 がソ連に対日参戦して世界平和の回復に貢献するよう提案したこと」「日本 国民をドイツ国民のような苦難から救うこと」だった。 ソ連のこの言い分が、有効期間をまだ残している中立条約に反して軍事行 動に踏み切るための正当な理由を示しているのだろうか。中立条約違反につ いてはソ連もいちおう気にしており、ポッダム会談のときソ連側から「米英 および他の連合国からソ連に対日参戦の正式要請を出すよう」申し人れてい る。しかしそんな要請をすれば、ソ連参戦が対日勝利の決定的因子であった と国際的に印象づけてしまう。それを避けるために米英側は 2 日間の熟慮の 末「国際連合憲章の第 103 条と第 106 条からしてソ連が参戦する義務のあ ることは明白」と答えた。窮状から要請するわけではなく単に義務履行の催 促をいたしますというわけだ。日ソ中立条約より戦後秩序の責務のほうが優 先するので心配ない、という保証がこうしてソ連に与えられた。 ちなみに、国連憲章の第 103 条と第 106 条は次の通りである ( 大意 ) 。 第 103 条国際連合加盟国のこの憲章に基く義務と他のいすれかの国際 協定に基く義務とが抵触するときは、この憲章に基く義務が優先する。 第 106 条アメリカ、イギリス、ソ連、中国、フランスは、国際平和と 安全維持のために必要な共同行動を、相互にかっ必要に応じて他の国際連合 加盟国と協議しなければならない。 ただしソ連はこの時点で、常任理事国となることに同意していたものの国 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問
4 5 日ソ中立条約破棄はいくらなんでも酷すぎる ? こでも問題は、ソ 立場からは必要とされたことはすでに見たので、 連側から必要だったのかどうか、ということだ。すなわち、戦闘に訴 える以外の手ではソ連の国益は実現できなかったのか、と。 ①②に対する正解が「正当だった」「必要だった」ということであれば、 原爆投下の効果がソ連参戦によってサポートされるべき正当かっ必要な 保証が得られていたことになり、原爆投下が早期終戦という名目上の目 的を実現できる見込みが正しかったことになり、肯定派が有利になる。 逆に、①②に対する正解が「不当だった」「不要だった」ということ であれば、原爆投下が早期終戦という名目上の目的を実現するために は悪しき手段によってサポートされねばならなかったことになり、否 定派が有利になる ( 「正当だたカ : 不要だた」あるいは「不当だ。たが必要だた」 という場合は、その内容を考えて全体的にソ連参戦の是非を評価せね ばならないが、戦争という文脈では概して「正当性 ( 正義 ) 」より「必 要性 ( 功利 ) 」が優先されることは念頭に留めるべきだろう ) 。 前問末尾で触れたように、ダウンフォール作戦 ( 本土決戦 ) における 連合国側の膨大な犠牲者の見積もりは、ソ連参戦なしでの見積もりだっ たため、ソ連参戦を考慮に人れた場合はダウンフォール作戦実施とい う選択肢が選びやすくなり、原爆投下の必要性は減じるようにも思わ れる。しかし今確認したように、実際は逆なのである。ソ連参戦の有 無が、より正確には是非が、原爆投下が意図された結果を正しく生む かどうかを決定する要因だったのだ。一般にソ連参戦と原爆投下は対 立する因子のように考えられがちで、ソ連参戦の意義を認めれば原爆 投下は正当化しにくくなるかのように主張される傾向があるが、原爆 投下とソ連参戦の効果 ( および正当性 ) は、実は相互に依存しあう関 係にあるのである。 さて、日本の早期降伏をもたらす決定打となったソ連参戦は、正当 だったのだろうか。あるいは、必要だったのか。