ポッダム - みる会図書館


検索対象: 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問
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1. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

ところが、ポッダム宣言にスターリンが署名したというだけでは、たとえ それで日本が即時降伏したとしても、「ソ連が対日戦に参加する」というヤ ルタ密約が文字通りに守られたとは言えない。密約が守られないまま対日戦 が終わってしまったら、米英は、ポーツマス条約体制破棄というスターリン の望みを支持し続けるかどうか疑わしい。原爆の完成によってアメリカ側は すでにソ連参戦の必要性を認めなくなっていた。にもかかわらす、というよ りそれだからこそ、ヤルタ密約の文字通りの履行 ( 対日武力行動 ) がなされ ないかぎりソ連の領土的野心を尊重する意思は米英にはもはや薄かったはす である。ソ連は自らの国益のためには、あくまで約束どおり武力参戦を実行 せねばならなかった。 ポッダム宣言への参加によってソ連が参戦をわざわざ予告してしまうと、 日本に対ソ動員の準備を促し、絶望的な抗戦を余儀なくさせた可能性もある。 スターリンのポッタム宣言参加を見れば、鈴木首相と外務省はただちに観念 してポッダム宣言即時受諾に動いただろうが、軍の機構は政治とは無関係に 回り出す。奇襲攻撃されれば崩壊もやむなきに至っただろう関東軍も、参戦 予告に遭っては事前の総退却もできす、国民の手前、対ソ正面決戦の任務を 放棄できなくなる。いまだ意気旺盛な支那派遣軍の増援を得て、陸軍挙げて 対ソ戦に備えざるをえなくなっただろう。もちろん実際には、ソ連参戦が予 告された時点で陸軍も観念し、政府に同調して降伏した可能性のほうがはる かに高いかもしれない。しかしその保証はない。少なくともスターリンは、 日本軍が満ソ国境防備を強めることを絶えす警戒していた ( 欧州戦において もスターリンは、米英がドイツと単独講和してソ連軍の西進を妨害するので はないかと最後まで疑っていたことに注意。ヒトラーも国防軍も、米英独共 同の対ソ戦を夢想しており、チャーチルも戦後しばらく対ソ戦に備えてイギ リス占領地域のドイツ軍を武装解除せすにおいたという事実があるくらいな ので、スターリンの疑心暗鬼も完全な杞憂とは言えなかった ) 。ポッダムで の連合幕僚長会議でも、ソ連側は支那派遣軍の移動の可能性をさかんにアメ リカ側に訊ねていたのである。 ソ連参戦が青天の霹靂でなくなるとそのショック効果が薄れ、日本陸軍の 覚牾を固めさせ、降伏の機を逃した可能性は無視できない。大陸の日本軍が 危険な細菌兵器や化学兵器を備えており、大規模に実戦使用していたことは 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問

2. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

ポッダム宣言第 12 項を文字通り読むならば、天皇制の存続が認めら れる、ということを第 25 問で見た。「国民の自由意思による平和的政 府」から天皇制が除外される旨の明記がないので、一般的な ( 広義の ) 解釈が採られるべきだからである ( 寛容の原則 ) 。 「書かれていないことについては、一般的な解釈が適用できる」とい う同じ諭理を第 13 項の無条件降伏条項に適用してみよう。そこには「日 本国政府はただちにあらゆる日本軍隊の無条件降伏を宣言すること」 が要求されており、カイロ宣言にあった「日本の降伏」は明記されて 連合国は、無条件降伏の対象を日本国から日本軍へと縮小したのだ ろうか。第 13 項は、日本軍の無条件降伏を必須と明記しているが、日 本国の無条件降伏は必要ないとは述べていない。むしろ、カイロ宣言 を撤回する記述がないがゆえに、日本国の無条件降伏についての沈黙 は、論理的には、カイロ宣言の確認を意味するのである。 実際、ポッダム宣言第 8 項を見ると、「カイロ宣言の諸条項は履行せ らるべし」とある。第 8 項を修正する記述は第 13 項に含まれていない ので、第 8 項の通り、ポッダム宣言はカイロ宣言の中にあるすべての条 件を含んでいることになる。鈴木首相が「黙殺」を言明したあの記者 会見で、鈴木はポッタム宣言を「カイロ宣言の焼き直しである。新し い内容を含んでいない」と述べているので、無条件降伏についてもカ イロ宣言と同趣旨が生きていることは日本と連合国との共通了解だっ たと言えよう。 カイロ宣言 ( 巻末・付録 2 ) には、第一次大戦後、さらには日清 戦争後に日本が獲得した海外権益のすべてを剥奪することが明示され、 「三同盟国ハ同盟諸国中日本国ト交戦中ナル諸国ト協調シ日本国ノ無条 もたら 件降伏ヲ齎スニ必要ナル重大且長期ノ行動ヲ続行スへシ」と決意表明 で終わっている。この決意表明が「カイロ宣言の諸条項」に含まれる のであれば、ポッタ・ム宣言は日本軍だけでなく日本国の無条件降伏を 要求した宣言ということになり、それを受諾した日本は国として無条 件降伏したことになる。 しかし、決意表明はあくまで決意表明であって、「カイロ宣言の諸条 2 4 2 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問

3. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

ポッダム宣言とハルノートはそっくりだが・・ 答え 3 0 すると、やはりアメリカは道義的に非難されてしかるべきではないの 行することのはうにアメリカの主目的があったことを意味する。だと 的に誤報を流したとも言われ、ルーズベルト自身が騙されていた面もあった いたと言われるが、これは、アメリカ国内の開戦を望む勢力が大統領に意図 という誤報がルーズベルトに伝えられ、それがルーズベルトの態度硬化を招 騙されたという図式は成り立たない。日本艦隊がインドシナに向かっている 開戦時に関しては、細かく見るならば、一方的にアメリカが騙し、日本が ンで、アメリカの罠にまんまと引っかかったのである。 成り立っている。外交音痴の日本は、開戦時も終戦時もまったく同じパター がここではソ連の脅威だった。パラレルな対応、つまり「構造的同型性」が 原爆投下であり、チャーチルからの参戦要請にあたるく外部のプレッシャー〉 は「黙殺」であり、アメリカの欧州戦参戦にあたるく真の目的〉がここでは ム宣言だった。開戦時の奇襲攻撃に相当するく名目上のきっかけ〉がここで 開戦時のハルノートと同じような役割を果たしたのが、終戦間際のポッダ 底驚いている ) 。 りである。攻撃場所までは察知されておらす、ルーズベルトは奇襲当日に心 ルトは真珠湾攻撃を知っていながら現地に通告しなかったという陰謀説は誤 ( ただしよく言われるような、ルーズベ 目的だったことはます間違いない。 アメリカがヨーロッパ戦争に参加するきっかけを掴むことがルーズベルトの ズベルトは十分予期していた。というより、むしろ日本に先制攻撃をさせて、 を突きつけることにより、日本が武力攻撃を仕掛けてくるだろうことはルー それまで日米の間で重ねてきた交渉を一気に決裂させる内容の「ハルノート」 この経緯は、真珠湾奇襲攻撃の時のルーズベルトの状況とよく似ている。 りの進行であることを物語っている。 は、トルーマンが「黙殺」に全然驚かなかったことの証拠であり、予定どお 声明についての記述がない。そればかりか、鈴木の名すら出てこない。これ た証拠はたくさんある。何よりもトルーマンの日記に、鈴木貫太郎の「黙殺」 トルーマン大統領が、「日本はポッダム宣言を受諾しない」と確信してい

4. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

れが平和的政府でありうる確信を抱いていたとしても、第 12 項は認め られない、という反発が日本の指導層の中にあったのである。それは なせだろうか、そしてそれは正当な反発だろうか。 答え きいちろう 当時の枢密院議長だった平沼騏一郎は、かりに「日本国民の自由意思に従っ て樹立された平和的政府」に天皇制が含まれるとしても、国民の意思によっ て天皇が認められるなどということ自体、許し難いことだと主張した。天皇 は、国民の意思なんぞによって選ばれる俗な存在ではない。神意によって日 本の統治を定められたのが天皇でなければならないのである。 ポッダム宣言が天皇制を認めているとしても、第 12 項のような形で天皇 制が再認されるというのは国体破壊も同然だ、という見方がこうして成り立 つことになる。平沼のようなオカルト国体論者によれば、単に天皇制が形だ け保たれればよいというものではないのだ。 ちなみに 今から見ると奇異に感じられるこの平沼的こだわりは、当時の 日本においては異端ではなく、むしろ政治的に主流の考えだった。たとえば、 1928 年パリ不戦条約 ( ケロッグ・プリアン条約 ) に日本も署名したが ( 8 月 27 日 ) 、その第 1 条「締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非 トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ 其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス」について、翌年 6 月 27 日、「政 府宣言書」として次のような但し書きを付けている。 「帝國政府ハ千九百二十八年八月二十七日巴里ニ於テ署名セラレタル戰爭 抛棄ニ關スル條約第一條中ノ琪ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ』ナル字句ハ帝國 憲法ノ條章ョリ觀テ日本國ニ限リ適用ナキモノト了解スルコトヲ宣言ス」。 この保留は、主権は天皇にあるという原則が守られねばならぬという理由 によってだった。つまりポッタム宣言第 12 項が大日本帝国の論理と相容れ ないのは、 17 年前にパリ不戦条約第 1 条が忌避されたのと同じ理由による のである。 ただしこの天皇中心の国本主義を潔癖に貫くと、連合国もしくはポッダム 宣言によって天皇制を容認されることが天皇制存続の根拠である、というこ と自体、国体の本質に反することになってしまうだろう * 。日本の政体に外 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問

5. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

1 1 ポッダム宣言には何が仕掛けられていたか ? はただちに降伏しただろう、あるいは降伏しやすかっただろうに、そ れを述べすにおいたために原爆投下が必要になってしまった、という 批判が一般的なのである。 ポッダム宣言に「述べるべきだったのに述べなかったこと」は、主 に三点あった。どういう事柄だろうか ? 答え これはポッダム宣言の全文を読まないと答えられない問題かもしれない。 じっくり考えたい人は、巻末・付録 3 の「ポッダム宣言」をお読みください。 しかし、「これが予め伝えられていれば日本は抗戦をやめたかもしれない」 事柄 ( 少なくともそう信じられている事柄 ) は、ポッダム宣言を読まなくと も何となく見当がつくのではなかろうか。 ます第一に、ズバリ、「アメリカは原爆を所有している」と明言することだ。 原子力の革命性は当時は常識だったし、ウラニウム爆弾といえば学生でもど ういうものかは知っていた。日本でも駒込の理化学研究所 ( 陸軍の依頼 ) と 京都大学理学部 ( 海軍の依頼 ) とでほそばそと原爆開発研究が進んでいたの で、アメリカが原爆を完成させたと聞けば政府も軍も「全面敗北」を確信で きたに違いない。 ポッダム宣言の最後の第 13 項は、次のように述べている。「われらは、 日本政府が直ちに全日本軍の無条件降伏を宣言し、この行動における同政府 の誠意について適当かっ充分な保証を提供することを要求する。それ以外の 日本の選択には、迅速かっ完全な壊滅があるのみである」。 迅速かっ完全な壊滅があるのみ、という警告は、具体的には原爆を意味し ている。しかし日本政府はこれを、単なる決まり文句としての、深い意味の ない脅しと受け取った。アメリカは「原子爆弾」を持っていることをあえて 第二に、もっと重要なこととして、冒頭のポッダム宣言署名者の問題があ 警告しただろう。降伏しなかった日本が悪い ! 」 ) 。 とに弁明できるための布石だったというわけである ( 「だからあれはど強く ツダム宣言は、日本を降伏させるための宣言というより、原爆を落としたあ 言を軽視させた。原爆を落とすことができるよう仕向けたのだ。すなわちポ 明示せす、わざと抽象的な紋切り型警告を発したことで、 日本にポッダム宣

6. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

3 ポッダム宣言とハノレートはそっくりだが・ 構造的同型性 否定論の理由として、こう言われることもある。「ポッダム宣言への 鈴木首相の「黙殺」声明 ( 7 月 28 日 ) より前に原爆投下命令が出され ていた。 7 月 24 日にテニアン島に出された原爆投下命令 ( 文書命令は 25 日 ) は、準備指令ではなく、無条件の指令だった。これは、日本の 返答とは無関係に原爆投下が前提されていたことを物語る」。 この指摘は、「ポッダム宣言を日本政府が「黙殺」したためにアメリ 力の世論が激昂し、トルーマンは原爆投下を命せざるをえなくなった」 という俗説を否定するには有意義だが、「ポッダム宣言への日本の返答 がかりに受諾だったとしても原爆を落とす気だったのだ。とんでもな い話だ」という批判に繋げるとしたらいかにも無理である。常識的に 言って、日本がポッダム宣言を速やかに受諾すればアメリカは原爆攻 撃をする名目が立たす、原爆投下命令は撤回されていたことは間違い ないからである。実際、トルーマンは投下命令承認時に、ステイムソ ン陸軍長官に対し「ポッダム宣言への日本の回答が容認可能と私が貴 官に通告しないかぎり、投下命令は有効である」と訓令した。当然な がら、原爆投下命令は条件付き命令だったのである。そして長崎原爆 投下直後、日本の回答はまだないにもかかわらすトルーマンはいささ か慌て気味に、大統領命令で以後の原爆攻撃を中止させている。 しかし、 24 日にテニアン島に原爆投下命令が発せられていることは、 次のような原爆批判に道を開いている。「天皇の地位保証がなければ日 本は降伏しないことをトルーマンは知っていた。つまりポッダム宣言 は、日本に拒否されることを見越して発せられた陰謀だった。日本に 降伏を拒否させて、原爆投下を正当化する口実としてポッダム宣言が 始めから意図されていたのだ」。 これは、最少の犠牲で戦争を終結させることよりも、原爆投下を実 / 62 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問

7. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

る。アメリカ合衆国大統領、中華民国政府主席、グレートプリテン首相の三 者が署名者となっており、ソ連のスターリンは人っていない。ポッダム会談 に出席していたのはトルーマン、チャーチル、スターリンだが、ソ連はこの とき日本と交戦状態になかったので、降伏を要求する立場ではなく、署名 者に人っていないのは当然といえば当然である。しかし、ポッダム宣言で日 本政府と軍が真っ先に注目したのが、署名者にスターリンが人っているかど うかだった。日本の外務省は連合国との停戦調停をソ連に依頼していた最中 だったので、ポッダム宣言にスターリンが署名していないということは、ソ 連への停戦仲介依頼にまだまだ希望が持てるという意味に受け取った。 日ソ中立条約は 1946 年 4 月 13 日まで有効だったため、日本は、ソ連の 仲介で少しでも日本に有利な、米英に得をさせない条件での講和ができるの ではないかと望みを繋いでいた。米英とソ連との間の潜在的対立を利用でき ると踏んでいたのだ。しかし当然のことながら、まだ中国と東南アジアの広 大な面積を占領したままの日本は、米英にとってだけでなくソ連にとっても、 第一の敵だったのである。米英に対してスターリンが「ドイツ降伏後 3 ヶ月 以内に対日参戦する」と約束していたという事実を、日本の諜報網はキャッ チしていなかった。駐ソ大使佐藤尚武は現地の感触にもとづき「ソ連に期待 しても一切無駄」と本国に再三説いていたが、希望的観測にすがる外務省を 説得することはできなかった。 もしスターリンがポッダム宣言の署名に名を連ねていたら、日本は悟った ことだろう、これでソ連による仲介の希望が消えただけでなく、ポッダム宣 言を拒否すればソ連の早期参戦すらありうると。ソ連参戦は日本が最も恐れ ていた事態だった。こう考えると、ポッダム宣言へのスターリンの署名を見 るやいなや日本は降伏したかもしれない、という説には一理ある。 ( ただし 逆の可能性もある。それについては第 46 問で見る ) 。 さて第三に、最も重要な事柄がある。そのためにこそ日本が絶望的な抗戦 を続けていた事柄だ。そう、国体の護持。具体的には、天皇の地位・大権の 維持である。ポッダム宣言の第 12 項には次のような文言がある。「 ( 第 11 項までの ) 諸目的が達成され、日本国民が自由に表明する意思に従って平和 的傾向を有する責任ある政府が樹立されるやいなや、連合国の占領軍は、日 本より撤収する」。ここには始めは、「右のく平和的傾向を有する責任ある政 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問

8. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

4 6 ソ連参戦でいったい誰が得をしたのか ? よく知られていた。敵の自暴自棄の危険な反撃に遭うことなく迅速な大勝利 を得るのでなければ、 4 ヶ月かけて大移動した赤軍部隊の功績がカ、すんでし 突然のソ連参戦は明らかに日本降伏に最大の影響力を及ばした。が、参戦 の予告が参戦そのものに匹敵する効果を持ちえたかどうかは確言できないの である ( 原爆投下の警告や公開実験が、原爆投下そのものと同じ効果を持つ とはかぎらないのと同じだ ) 。 ソ連の単なる参戦予告が日本を屈服させるのに有効だと考えられたなら ば、そもそもヤルタ密約は密約にはされす、米英としてはソ連が連合国側 につくことを日本にハッキリ知らせる戦略がすっと前から選ばれていたはす だ。ポッダム宣言にしても、米英はスターリンの名を人れることをむしろ積 極的に求めたはすだろう。 ところがポッダム宣言は、ソ連への相談なしにアメリカが発信し、ソ連側 に事後通告されたのだった。スターリンは激怒したが、結果的にはこれは、 日本にソ連の中立維持を信じさせ ( あるいは疑いつつも希望的観測にすがり 続けるよう仕向け ) 、いざソ連参戦となったときのショックを高め、スター リンの意図をいっそう確実に実現することになった。 ポッダム宣言へのソ連参加という選択肢が米英によって考慮されなかった こと、ソ連抜きの発信にスターリンが怒ったことは、ポッダム宣言にソ連が 参加することの効果について米英ソ首脳が当時明確な理解を持っていなかっ たことを示している。ソ連の単なる参戦予告も、奇襲的参戦に劣らぬ効果が あったかもしれないのに、それが検討すらされていないのは、米英が原爆の 効果を過大評価していたからだろう。トルーマンはソ連ファクターがなくと も日本を降伏させられると誤信していた。 他方スターリンは、ポッダム宣言の意義を誤解し、赤軍の貢献抜きでの日 本降伏を即時勝ち取るための実質的手段だと思い込んだ。ポッダム宣言は、 スターリンの署名なしでは日本に受諾させるだけの衝撃など持ちえす、そし て受諾されなかったからこそ、ソ連は満州侵攻によって極東を「解放」する ことができた。そして予告なき奇襲攻撃のショックが日本の抗戦意志を確実 に打ち砕いた。原爆投下の象徴的なインパクトを実質的な地上侵攻によって 補い、ヤルタ密約の領土的保証を勝ち取れたのである。

9. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

2 1 0 9 1 むしろ不必要なのは広島原爆のほうだった ? 広島が原爆で崩壊した直後に、陸軍が降伏に同意しなかったことは 事実だ。ソ連参戦によってこそ、陸軍も観念した。前問では「原爆と いうロ実さえあれば陸軍も説得できた」と言わんばかりである。その 考えは、原爆を過大評価し、ソ連参戦を過小評価しているのではないか。 原爆投下とソ連参戦の相対的重要度の関係について、肯定派は混乱し ているように見受けられるのだが・・ 答え 肯定派としては、原爆投下だけが陸軍を観念させたと主張する必要はない。 単に、ソ連参戦だけでは不可能だった速やかな降伏が、原爆投下によって初 めて可能になった、と言えればよい。つまり原爆投下は、本 - 上決戦にいたる 前にポッダム宣言受諾ができるための、十分条件であったと主張する必要は ない。必要条件だったと主張できれば十分である * 。 同じことはソ連参戦についても言える。ソ連参戦は、前問で見たように ポッダム宣言受諾の十分条件ではなかった ( 原爆投下が加わる必要があった ) が、必要条件だった ( 原爆投下だけでは日本はおそらく降伏できなかった ) 。 こう考えると、日本政府が、広島原爆だけではなせポッダム宣言受諾に踏 み切れなかったかがわかる。前述のとおり、広島の直後に外務省は、ソ連へ の調停要請を強めていたのだから、ポッダム宣言を受諾する気はさらさらな かった。ソ連参戦で観念し、続く長崎の原爆によって、ソ連参戦の衝撃に素 直に従う名目が軍にも与えられたのである。 広島原爆とソ連参戦はたった 3 日違いなのだから、ソ連参戦後に第二の原 爆投下がなくとも、広島原爆が主因で降伏したポーズはとれたはすだ、よっ て長崎原爆は不要だった、などと安易に考えてはならない。広島原爆後 2 日 半の間に日本政府は対ソ依存を強めるばかりで、ポッダム宣言受諾への傾き はまったく見られなかった、という事実は戦後に必すや明るみに出る。する と、ソ連参戦の決定因子ぶりが明白となり、日本の敗戦処理においてソ連の 発言力増大が必定になってしまうのである ( これはソ連が「悪」だと前提し た議論ではない。日本の占領統治がアメリカー国でなされることが日本の国 益に適っていたという意味である ) 。 つまり通説とは逆に、広島原爆のはうが不必要であり、長崎原爆さえあれ

10. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

フライング・タイガース プラッドリーオマル フランク報告 ( 政治的、社会的問題についての委員会報告 ) ペリリュー ペリー ベトナム戦争 ベトナム ( 帝国 ) 平和に対する罪→ A 級戦犯 米英原子力協定 文化差別 プルトニウム型 プルガリア フランス ベルリン ( 攻防戦 ) ( 陥落 ) 便衣兵 報復 ポーススハス・チャンドラ 北海道 ポッダム ( ポッダム宣言 ) ポッダム日記 ポーツマス条約 ポーランド ポルネオ ホロコースト ( 強制収容所 ) 本上決戦→決号作戦 毎日新聞 マーシャノレジョージ・キャ 松岡・銭永銘工作 マッカーサーダグラス ま 無差別爆撃→都市爆撃→恐怖爆撃→テロ爆撃→地域爆撃 9 , 10 , 18 , 19 , 20 , 21 , 22 , 26 , 27 , 28 , 31 , 33 , 51 , 92 , 147 , 149 , 188 , トレット 松代 松本俊一 満州事変 満州国 満州鉄道 マンハッタン計画 ミズーリ ( 戦艦 ) 三菱造船所 美濃部達吉 ミュンヘン協定 無条件降伏 ( 要求 ) 索引 10 50 28 , 29 , 68 42 , 44 , 61 , 63 , 1 1 9 , 120 , 148 , 171 , 178 , 212 188 71 37 35 , 41 9 , 146 48 , 63 174 , 175 , 186 , 255 , 258 45 229 1 1 , 80 , 112 , 1 71 , 231 , 249 12 , 24 39 , 46 , 47 , 48 , 49 , 121 73 , 81 37 , 52 , 53 , 54 , 55 , 66 , 72 , 73 , 75 , 77 , 78 , 83 , 85 , 88 , 90 , 91 , 92 , 98 , 102 , 103 , 104 , 105 , 106 , 107 , 108 , 109 , 110 , 111 , 122 , 123 , 124 , 125 , 126 , 128 , 129 , 132 , 134 , 158 , 163 , 169 , 178 , 181 , 182 , 183 , 186 , 202 , 218 , 219 , 241 , 242 , 243 , 244 , 245 , 247 , 248 , 249 , 250 , 251 , 253 , 256 , 257 256 144 , 182 77 , 231 58 9 , 10 , 11 , 12 , 13 , 14 , 15 , 97 , 144 , 215 , 216 , 233 , 237 20 , 56 , 57 , 85 , 88 , 89 , 91 , 92 , 139 , 158 , 166 , 167 , 168 , 169 , 172 , 177 , 184 , 186 , 187 , 212 , 216 , 224 , 258 48 44 , 174 114 29 , 39 , 50 , 51 , 52 , 56 , 75 , 90 , 131 , 151 , 152 , 167 , 174 , 249 184 , 187 186 58 , 140 , 167 108 87 , 160 , 195 48 , 131 , 187 179 34 , 35 , 36 , 37 , 38 , 50 , 67 , 7476 , 133 , 134 , 173 , 233 , 247 249 32 160 146 89 ムッソリー メタ性質 ペニート・アミルカレ・アンドレア 明号作戦→仏印武力処理 名誉負傷勲章 ( パープルハート・メダル ) 毛沢東 黙殺 本島等 189 , 221 , 225 , 230 , 233 , 235 , 236 , 237 , 238 , 240 53 , 63 , 67 , 85 , 93 , 94 , 95 , 96 , 97 , 98 , 99 , 100 , 101 , 102 , 108 , 109 , 112 , 113 , 114 , 126 , 127 , 128 , 129 , 131 , 133 , 150 , 164 , 241 , 242 , 243 , 244 , 245 , 246 , 258 37 , 80 , 112 , 113 , 130 , 163 , 243 23 63 , 120 175 248 104 , 122 , 123 , 1 24 , 219 , 242 , 257