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検索対象: 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問
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1. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

1 6 少なくとも長崎への原爆投下は正当化できまい ? こともできたはすだからである。むろん、日本政府が広島の直後にポッダム 言を受諾すれば第二の原爆投下はなかった。長崎壊滅の翌日にポッダム宣 言受諾回答を発していることからわかるように、御前会議と閣議の決定その ものは迅速に行なえたのだから。 実際には日本政府は、広島壊滅の直後にどのような行動に出たのだろうか。 しげのり ポッダム宣言受諾への傾きは一切ない。むしろ外務大臣東郷茂徳は、駐ソ大 使佐藤尚武に対してソ連への働きかけを急がせ、天皇の特使派遣受け人れを 催促させた。これに対する外相モロトフの回答が、なんと「宣戦布告」だった。 ソ連の対日参戦は実はやや準備不足だったのだが ( 上陸作戦の用意はでき ておらす、陸戦でも北樺太の部隊は作戦行動が遅れた ) 、ポッダムでアメリ 力の原爆完成を遠回しに知らされ、さらには広島への原爆投下を知って、ス ターリンは侵攻予定を繰り上げさせ、結果としてヤルタ会談での約束「ドイ ツ敗北後 3 ヶ月」びったりに進軍を始めることとなった ( 皮肉にも「ソビエ トは同盟国への約束は厳守する」という美徳の誇示に役立っこととなった ) 。 西側連合国がヤルタ密約を守るかどうかスターリンは疑心暗鬼だった。ヤ ルタでは対日参戦の見返りに千島列島のすべてを領有してよいと約束されて いたが、しよせんは密約であったし、密約相手のルーズベルトとチャーチル の二人ともすでに政権の座にいない状況だった。対日勝利へのソ連の貢献を アピールし、とくに日本降伏前に千島列島まで軍事行動で確実に奪っておく 必要があったのである。スターリンは、新たに北海道の北半分の領有をも要 求した。 他方、アメリカとしては当然のことながら、極東でのソ連勢力伸長を防止 するために、アメリカ軍が日本の主敵であるうちに日本を降伏させねばなら なかった。広島壊滅そして大統領声明の直後に日本が降伏すれば問題なかっ たが、ソ連が参戦を急ぎかねない状況では、第二原爆の投下中止命令は出せ なかっただろう。実際には、ソ連軍侵攻開始の 11 時間後に長崎に原爆が投 下された ( ただし原爆搭載機のテニアン島発進時には、司令部にソ連参戦は 知られていなかった ) 。 長崎原爆は、結果的には、ソ連がピースメーカーとして目立つような展開 を阻み ( マスキング効果 ) 、戦勝へのアメリカの貢献という印象を確実にし た。主交戦国たるアメリカの地位を不動のものにして、戦後の日本占領政策

2. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

とを指摘することができる。対して肯定派は、広島・長崎は軍事的重 要性が高かったと主張する傾向がある。トルーマン大統領も、原爆投 下直後の声明で広島を「軍事基地」と表現し、破壊の正当性をアピー ルした。 つだったにすぎない。 の威力実験に使うため温存することが許されたいくつかの地方都市のうち二 とって広島・長崎は、日本国内の破壊目標として決して上位ではなく、原爆 ままでもアメリカは圧倒的に優勢を勝ち取ることができていた。アメリカに ろう。原爆投下目標の 5 都市 ( 京都、広島、小倉、新潟、長崎 ) を生かした まで両都市を本格的に爆撃せす無傷で保っ余裕があったことからもわかるだ 急に破壊を要する」ほどのものでなかったことである。それは、戦争末期 違いなく言えることは、広島・長崎の軍事的重要性が、アメリカにとって「緊 の総意」というものがなかっただけに、単純にまとめるのは難しい。ただ間 アメリカの意図は、当時の大統領や国務長官、軍トップなどの「全員一致 ピールすることに主目的があったとは考えられないだろうか。 かなかったのであり、むしろ多数の人命を抹殺することによって新兵器をア 崎の軍事的重要性とは別個に考えねばならない。軍事施設破壊は副産物でし 産業的拠点を「主目標」と考えていたのか。この問いは、現実の広島・長 とがどれほど戦争完遂の上で有効だと信じていたのか、そしてこれら軍事的・ の軍事的重要性をアメリカ側がどの程度考慮しており、これらを破壊するこ 前問の答えで見た「意図主義」をここでも持ち出してみよう。広島と長崎 答え 定派に対して、否定派はどう応じればよいだろうか。 長崎だったからこそ、原爆攻撃も正当化されるのだ。そう主張する肯 このように、広島・長崎は軍事的に重要な都市だった。そんな広島・ の拠点であった ( 現在でも自衛艦を多数建造している ) 。 も中国軍管区司令部があった。長崎には三菱造船所があり、軍需産業 清戦争以来大本営が置かれるなど「軍都」としての性格が濃く、当時 について調べればその戦略的価値が解明できる。たしかに広島は、日 これは基本的には事実の問題であり、広島と長崎の軍事産業的地位 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問

3. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

2 1 0 9 1 むしろ不必要なのは広島原爆のほうだった ? 広島が原爆で崩壊した直後に、陸軍が降伏に同意しなかったことは 事実だ。ソ連参戦によってこそ、陸軍も観念した。前問では「原爆と いうロ実さえあれば陸軍も説得できた」と言わんばかりである。その 考えは、原爆を過大評価し、ソ連参戦を過小評価しているのではないか。 原爆投下とソ連参戦の相対的重要度の関係について、肯定派は混乱し ているように見受けられるのだが・・ 答え 肯定派としては、原爆投下だけが陸軍を観念させたと主張する必要はない。 単に、ソ連参戦だけでは不可能だった速やかな降伏が、原爆投下によって初 めて可能になった、と言えればよい。つまり原爆投下は、本 - 上決戦にいたる 前にポッダム宣言受諾ができるための、十分条件であったと主張する必要は ない。必要条件だったと主張できれば十分である * 。 同じことはソ連参戦についても言える。ソ連参戦は、前問で見たように ポッダム宣言受諾の十分条件ではなかった ( 原爆投下が加わる必要があった ) が、必要条件だった ( 原爆投下だけでは日本はおそらく降伏できなかった ) 。 こう考えると、日本政府が、広島原爆だけではなせポッダム宣言受諾に踏 み切れなかったかがわかる。前述のとおり、広島の直後に外務省は、ソ連へ の調停要請を強めていたのだから、ポッダム宣言を受諾する気はさらさらな かった。ソ連参戦で観念し、続く長崎の原爆によって、ソ連参戦の衝撃に素 直に従う名目が軍にも与えられたのである。 広島原爆とソ連参戦はたった 3 日違いなのだから、ソ連参戦後に第二の原 爆投下がなくとも、広島原爆が主因で降伏したポーズはとれたはすだ、よっ て長崎原爆は不要だった、などと安易に考えてはならない。広島原爆後 2 日 半の間に日本政府は対ソ依存を強めるばかりで、ポッダム宣言受諾への傾き はまったく見られなかった、という事実は戦後に必すや明るみに出る。する と、ソ連参戦の決定因子ぶりが明白となり、日本の敗戦処理においてソ連の 発言力増大が必定になってしまうのである ( これはソ連が「悪」だと前提し た議論ではない。日本の占領統治がアメリカー国でなされることが日本の国 益に適っていたという意味である ) 。 つまり通説とは逆に、広島原爆のはうが不必要であり、長崎原爆さえあれ

4. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

功利的判断の自然さと言うべきものが、原爆のデモンストレーションでは なく実戦使用を選んだ政治的判断の根っこにあったのである。そのような「熟 慮の上の自然さ」に従うことは、ちょうど「数学的論証の結果自然にもたら された結論」に従うのと同様に、「諭理に叶った自然さ」と言えるだろう。 功利主義という倫理学説があり、「結果として最大多数の最大幸福を生む ( 効用を最大にする ) 」行為が倫理的に善い行為である、と主張する。功利主 義は、「最大多数の最大幸福 ( 最大の効用 ) 」という「事実」と倫理的善とを 同一視している点で「自然主義の誤謬」を犯しているように思われるかもし れない。しかし、「最大多数の最大幸福 ( 最大の利益 ) 」という概念自体に価 値の要素が含まれており、純然たる「客観的事実」から成っていると言いが たい。むしろ功利主義は、当面の善悪を判定するさいに、長期的な広い視野 で見たときの結果の総合的善し悪しを考慮に人れて判定せよ、という指令で ある。この功利主義にもとづいて戦後核戦略まで睨んだとき、原爆実戦使用 はやむをえなかったということであるならば、広島・長崎を犠牲にした政治 的判断は「自然主義の誤謬」を犯しているとは言えない。 という次第で、否定派は「自然主義の誤謬」を持ち出すことはできないこ とがわかった。よろしい、と否定派は譲歩する。百歩譲って、広島への原爆 攻撃はやむをえなかったとかりに認めてみよう。しかし長崎はどうなのだ ? 肯定派の言うアメリカの政治的目的は、一度原爆投下をすれば達成できたは すではないか ? 2 発目の原爆はまったく必要なかったはすだ。広島原爆が かろうじて保持していた政治的・功利主義的メリットを、長崎原爆はまった く持っていない。少なくとも、何万人もの犠牲に見合うだけのメリットは持っ ていないはすである。 しかも広島原爆の正体を日本政府が理解して間もないうちに、すなわち 3 日後に再び無警告で投下するという無法ぶりである。 2 発目の原爆はほとん ど無意味な殺戮に他ならない。弁解の余地はないだろう。 さらに言えば、長崎には捕虜収容所がいくつかあり、目標をそれた投下を 行なうと、連合軍捕虜が被爆するおそれがあった。実際、広島ではこく少数 だった連合軍捕虜の被爆が、長崎では 200 人以上にのばったのである。 第二の原爆 ( 長崎 ) が第一の原爆 ( 広島 ) よりも正当化しがたいことは確 実のように思われる。アメリカは、広島壊滅のあと、なせ日本にもっと考え 0 7 0 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問

5. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

, ごょ宝ト ,. S / 62 不用意な議論が核兵器容認に利用されることは確かでは ? 因果関係と相関関係誤った前提への依存 それでは第二の、因果的・実践的な批判の検討に移ろう。 こちらは、「広島・長崎への原爆投下の容認は、将来の核戦争の容認 をもたらす」というものだ。この「もたらす」メカニズムはいろいろ 考えられるだろう。「広島・長崎への原爆投下の容認」が「将来の核兵 器使用の容認」として理解されやすいこと、あるいは「将来の核兵器 使用の容認をもたらすもの」として理解されやすいこと、あるいは「将 来の核兵器使用の容認をもたらすものとして理解されやすいもの」と こでは、そのメカニズムの詳細 して理解されやすいこと・・・・・・等々。 は括弧に人れて、ともかく「広島・長崎への原爆投下の容認」が「将 来の核戦争の容認」を増やす傾向がある、という因果関係だけが主張 されているものと考えよう。肯定論が説得的に展開されればされるは ど、核兵器使用を容認しやすい風潮が強くなり、危険である、という 主張である。 肯定論へのこの反論に対しては、三通りの再反論ができる。問 1 、 問 2 などで学んだ分析法を思い出しながら、三通りの再反論をスケッ チしてみよう。 答え ます第一に、「広島・長崎への原爆投下を正当だったと容認すること」が「将 来の核兵器使用の容認」をもたらす、ということを否定する、あるいは疑問 視するという応答。 第二には、「広島・長崎への原爆投下を正当だったと容認すること」が「将 来の核兵器使用の容認」をもたらすとしても、そのような心理的影響を受け てしまう人が間違っているのだからその誤った傾向を正さねばならす、「広 島・長崎への原爆投下容認」を控える必要はない、とする応答。 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問

6. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

イ 9 / 62 原爆肯定論者は、核兵器を容認するつもりなのか ? 論理的意味と因果的影響不当な類推 肯定論を堂々主張することに対する実践上の批判として、 次のよう なものがある。 「広島・長崎への原爆投下を正当だったと容認することは、核兵器の 容認に繋がり、将来の核戦争の容認に繋がる」 さて、この批判は正しいだろうか。 答え 次の二つの批判を区別しなければならない。 A 「広島・長崎への原爆投下を正当だったと容認することは、現在の核兵 器の容認を意味し、将来の核戦争の容認を意味する」 B 「広島・長崎への原爆投下を正当だったと容認することは、現在の核兵 器の容認をもたらし、将来の核戦争の容認をもたらす」 A は、「肯定派の立論そのものが核兵器容認論であり、核兵器使用・核戦 争容認という内容を持っている」と主張している。 B は、「肯定派の立論そ のものが核兵器容認論かどうかはともかく ( かりに核兵器容認論ではないと しても ) 、核兵器容認論に利用され、今後の核兵器使用を認める議論を強め るような悪影響をもたらす」と主張している。 A は論理的 ( 意味論的 ) な主張であり、 B は因果的 ( 語用論的 ) な主張である。 ます、論理的な主張について考えよう。「広島・長崎への原爆投下を正当だっ たと容認すること」は、「現在の核兵器の容認」「将来の核戦争の容認」を意 味しているだろうか。 当然意味している、なせなら同じ核兵器に関する容認だからだーーそのよ うに考えるのは短絡的である。それは「不当な類推」である * 。目立つ共通 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問

7. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

犠牲は膨大だった。広島原爆ですでに相当の心理的効果をあげたので あれば、限界効用の逓減にもかかわらす長崎の人命は無駄に消費され てしまったことになる。 さて肯定派は、長崎への第二の原爆投下を正当化することができる のだろうか ? 答え 限界効用逓減の法則は、常にあてはまるわけではない。逆に、「相乗効果」 によって、 2 倍の投資が 2 倍以上の効果を生むことがある。では広島と長崎 はどうだったのか。 相乗効果の有無を調べる前にます認識しておかねばならないのは、トルー マンは、第一の原爆投下と第二の原爆投下を、それぞれ個別に命令したわけ でないということだ。ポッダム宣言発信の 2 日前に、原爆投下命令がテニア ン島に伝えられているが、その内容は、「 8 月 3 日あたりから以降、天候が 許し次第、順次原爆を落とせ」という趣旨だった。準備できていたのはその 時点で 2 発だけだったが、そのあと生産予定のぶんも含め、一つの命令です べての原爆についての投下指令が一挙に出されていたのである。使用可能な 原爆を順次使っていけというこの指令がポッダム宣言より前に出されている ことから、ポッダム宣言は日本によって拒否されるとトルーマンが予想して いたことがわかる。 なお、第二の原爆投下が広島の 3 日後に実施されたのは、 8 月 IO 日以降 しばらく悪天候が続くという天気予報により、テニアン島の司令部で 9 日出 撃と決められたからだった。トルーマンは、意外に早かった第二の原爆投下 にひるんで、ただちに停止命令を発している ( ただしこの時点では第三の原 爆は完成しておらす、通常爆撃については停止命令は出されていない ) 。 つまるところ、広島原爆と長崎原爆は、別々の行為ではなく、ひと繋がり の出来事の二つの部分に他ならないということである。複数形で指された「原 爆」の投下という単一の命令を、現地で一括実行したその二つのパートなの である。 もちろん、それによって長崎の原爆を正当化することはできない。 トルー マンは長崎の後そうしたように、広島の直後に第二の投下は待てと指示する 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問

8. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

0 5 軍事目標としての広島・長崎の妥当性は ? ことだった。 自国民や自国兵士に対してすらそのような実験動物的扱いをしていたと あってみれば、戦時中の原爆使用については、アメリカ側に「認識の甘さ」 はあっても「非人道性」はなかった、あるいは非人道性があったとしても敵 に対する特有の非人道的意図があったとは考えにくい、と言えるかもしれな もちろん、軍部指導者の中に原爆投下反対者がいたことからもわかるよう に、原爆が「普通の兵器」ではないという認識はアメリカで共有されていた。 しかしその見方というのは、通常兵器とはあまりに違うため、化学兵器・生 物兵器とも違っており、従来の倫理的判断の拘束外にある「超・新兵器」と いったものだったふしがある。当時は、核爆発を兵器に利用できるというこ とは常識を超えており、規制の範囲外だった。ハイゼンベルクら、ドイツの 原爆開発に関わった科学者たちは、広島への原爆投下の報に接したとき「ウ ソだろ ! 」と呆然としたという。その非人道性に驚いたのではなく、こんな に早い時期に核爆発が実現できるとは信じていなかったのである。原爆に関 する倫理的考察が原爆使用そのものに追いつかなかったのも無理はない。 いすれにしても、現在の基準で当時の「新兵器」を裁くことはできない、 というのが原爆肯定派の一つの論拠となるだろう。 アルバカーキー・トリビューン編「マン、ツタン計画一一プルトニウム人体実験」小学館 蚣マイケル・ハリス「ばくたちは水爆実験に使われた」文春文庫 ギュンター・アンデルス、クロード・イーザリー「ヒロシマわが罪と罰ーー - 原爆 / ヾイロットの苦悩の手紙」 ちくま文庫 62 な・ 軍事目標としての広島・長崎の妥当性は ? 意図 ( 目的 ) の特定 無差別爆撃の善悪に議論を戻そう。否定派は、広島・長崎の被害の 大部分は住宅地や非軍事施設であり、犠牲者の大半が民間人だったこ

9. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

さてそれでは、「広島・長崎への原爆投下の容認」を「将来の核兵器 使用の容認をもたらすもの」として理解してしまう世間の風潮は、悪 いものなのだろうか。さらには原爆投下肯定論が正しいと説得された 人は、そのまま将来の核兵器の使用も容認されたように説得されてし まいがちである一一一そういう傾向は、悪いのだろうか。 答え 「広島・長崎へのあの原爆投下」の是認が「将来の核兵器使用」の是認を ただちに意味しないことは第 49 問で見た。ということは、「広島・長崎へ のあの原爆投下」の是認が「将来の核兵器使用」の是認をもたらすものとあ えて理解するには、何らかの積極的な理由が必要なはすである。 しかし、「大した理由なくどうしてもそうなっている」ということはある かもしれない。第 49 問で批判した「不当な類推」は人間の本能に深く根を 下ろしているので、「核兵器を是認する」という共通項で二つの議論を結び つけてしまう習慣を脱するのは難しいかもしれない。その結果、「広島・長 崎へのあの原爆投下」の是認が「将来の核兵器使用」の是認を引き起こす、 という傾向は、理由云々以前に事実問題として、個人としても集団としても どうしようもないのだ、と論じることはできるだろう。そして、あなた個人 としては「不当な類推」はますいとは心得つつも、大多数の人は「不当な類 推」でどうしても動いてしまいがちだという知識があなたにある以上、原爆 投下肯定論を唱える人は概して将来の核兵器使用を容認するつもりでいるの だろう、とあなたは推測せざるをえないかもしれない。 この心理は自然なので、肯定論を唱える当人も、自分が将来の核兵器使用 を容認していると聞き手に思われても仕方ないと思っているに違いない。つ まり肯定論を唱える人は、将来の核兵器使用を容認する声が増しているとい う実例を自ら人々に示しているも同然なのであり、将来の核兵器使用容認の 風潮が強くなってもかまわないと間接的に認めていることになる。肯定論を 聞く大多数の人もまたそう受け取るだろうから、肯定論が唱えられるたびに 世論が核兵器使用容認へと傾いていく。こうして、社会の全員が「不当な類 推」の不合理さをわきまえていながらも、「不当な類推」の力をみなが承知 している状態においては、「不当な類推」がなされることが集団的に容認さ 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問

10. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

保った変化、すなわち深化あるいは弱化にかぎられるはすであり、価値判断 の質的な転倒ということは起こってはならない。 広島平和記念資料館や長崎原爆資料館を訪れて、ケロイドの写真を見たり 被爆者の声に触れたりすることで認識が変わるとすれば、それは以前どおり の判断の強度が変わることに限定されていなければならない。事実関係の論 理構造に対する認識に寄与しないビジュアル資料によっていちいち認識を変 更することが許されていたら、論理的な議論というものができなくなってし まうだろう。したがって、肯定派だった人を説得するために「被爆者の体験 談やケロイドの写真に触れてもなお君たちは・・・・・」と追及するのは、相手に 非論理的な態度を強制することであり、自分の首を絞めることになる。論理 に背くよう相手に求めたとたん、相手が他のいかなる非論理的な言説を繰り 出してきても、もはや咎める足場を失ってしまうからだ。 一方、 1 や 2 の場合は、扇情的写真によって感情の量的深化が起こること 自体、想像力か意志力のいすれかに問題がある証拠となる。死者 9 万人、と 聞けば、その時点で強い感情が生じているべきで、写真や映像を見ないと本 当に心に響かなかった、というのではますいのである。具体的な光景にじか に触れないとわからない、というのは、日中戦争勃発や真珠湾攻撃当時の日 本国民を蝕んでいた病だった。空襲を受け始めてからやっと戦争の大変さを 思い知った、というのでは遅い。 数字や意味情報だけでは判断を確立できす、映像や体験談で認識を改める ような人は、もともと想像力に乏しく、本土決戦や第三次大戦への想像力も 乏しいだろう。そのような思考未熟な人が多数存在しているという嘆かわし い現状認識に寄りかかった議論は、原爆投下否定論の論拠としてあまりにも 弱い。 なおも「感覚的な媒体」の重要性を力説し続ける人に対しては、次の ような切り返しが有効だろう。広島・長崎の原爆被害があったせいで、私た ちは今すでに核攻撃被害の生々しいリアルな写真を見ることができている。 原子戦争の恐ろしさを痛感させられ、恒久平和希求の象徴として使えている。 逆に言うと、広島・長崎の原爆被害がなければ、私たちは核戦争の恐ろしさ を実感できす、今ころ安易な核兵器使用を許してしまっていたかもしれない。 第二次大戦後に一度も核兵器の実戦使用がなされすに済んできたのは、広島・ 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問