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検索対象: 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問
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1. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

に渡るまいという目算だった。 もうーっの説は、もっと信憑性がある。アメリカが原爆戦略を単独で決定 し、戦後核戦略をコントロールしたかったから、という説である。ョーロッ パ戦域で原爆を使うとなると、イギリスとの協議が必要になる。対日戦なら、 イギリスは緒戦で敗れてインドへ退いていたため、ビルマ戦域以外ではアメ リカはイギリスと相談する必要がない。つまり太平洋戦域でならアメリカが ほば単独で戦略を決められる。アメリカは戦後の核爆弾の秘密をイギリスと 共有する気はなかったので、はじめから原爆使用は対日戦でと決めていたと いうのである。 米英の二国は、第二次世界大戦でつねに一致協力していたと思われがちだ が、とんでもないことである。連合国の中ではむしろ、アメリカとソ連が意 気投合し、イギリスと中国はまた別種の戦略で動いていた。イギリスと中国 は、戦後の国際勢力図を構想しながら戦っていた。具体的には、イギリスも 中国も、当面の勝利以上に、戦後の共産主義勢力の伸張を防ぐことを狙い、 イギリスは大英帝国の維持を、中国も北アジアと東南アジアでの権益保持を 目論んでいた * 。米ソはもっとマジメに戦っていた。米ソは、当面の戦争に 一刻も早く勝っために戦っていたのである。 イギリスはアメリカと同じ英語国であり、連合国の資本主義陣営にあり、 アメリカの武器貸与法による援助の 63 % を受け、その他多くの利害を共有 しているということで、任意の戦略について米英の利害が一致しているもの と無条件に思われがちだ。先に与えられている知識に合わせて未知の情報も 推測してしまうというクセは「係留ヒューリスティクス」と呼ばれる。既知 のデータやヒントに繋ぎ留められて無批判に判断する習慣は、たいていは正 しい答えを得る役に立っし、素早く判断するには必須だが、しばしば間違う こともあるので要注意である。 一途に戦うアメリカは、戦後戦略に重きを置くイギリスを、余計な考えに惑 わされすぎるとしてたえす批判していた。ョーロッパ戦域の第二戦線開設で はイギリスが米ソと意見を異にし、ビルマ戦線では効率的に戦おうとしない 中国軍とイギリス軍にアメリカが苛つくという光景が現出していたのである。 そんなアメリカが戦後戦略を睨んで進めていた例外的なプロジェクトが、 原爆開発だったと言えるだろう。それだけに原爆は、アメリカの戦争努力の 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問

2. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

一戦略を忠実に実行するなら、イタリア攻撃よりもドイツ心臓部にまっすぐ 向かうノルマンディー上陸作戦を速やかに企て、イギリス本土に米英軍を結 集せねばならなかった。ところがチャーチルは、大英帝国の権益を守るため に、イタリアが始めた周縁戦域である北アフリカ戦争を優先し、ノヾルカン半 島からの上陸作戦を主張する。 この路線は、「ヨーロッパの柔らかい下腹部」を攻撃する戦略と呼ばれた。 もっともらしい呼び名だが、アメリカはこれを愚策だとして反発した。ョー ロッパ第一主義に異存はないものの、地中海優先主義に同意した覚えはな かった。マーシャル将軍、キング提督らアメリカの参謀部は、「フランス上 陸から一直線にドイツ心臓部へ攻め上がるのが筋。イギリスが地中海に固執 するなら、アメリカは太平洋に専念する」とイギリス側へ再三通告した。論 理の整合性ではアメリカに理がある。アルノヾート・ウェデマイヤー将軍など は、「イタリアを枢軸陣営にとどめておいたはうが、ドイツにとって負担に なる」と語ったほどだった。しかし、ヨーロッパ問題についてはイギリスの 判断を重んじなければならなかったのは当然である。ルーズベルトは「パー ルハーバーの仇を」という世論と海軍の声に直面しながら、冷静な計算にも とづいて、チャーチルの方針を支持することとなった。 中心戦域であるヨーロッパを優先しながらその中の周辺戦域を優先すると いうちぐはぐ戦略に従った西側連合国は、第二戦線開設を無駄に遅らせ、主 戦場を孤独に戦うソ連との緊張と相互不信をいたすらに高め、ヨーロッパの 終戦を 1 年以上遅らせてしまった可能性が高い。 ヨーロッパ第一戦略の進め方がますかったことは、多くの方面から指摘さ れている。地中海優先に固執したチャーチルですら、戦後の回想録では、「私 も早期のフランス上陸を望ましいと思っていた」と弁明している。イギリス の帝国主義気分が戦争全体の性格を歪めて弊害を引き起こしたことは間違い なかろう。英米軍は「タコを殺すのに足を 1 本 1 本ちぎってゆく」 ( ウェデ マイヤー ) ような無駄な戦いを続けたのである。西ヨーロッパでの第二戦線 開設の遅れが、「米英はナチとソビエトの共倒れを狙っている」という猜疑 心をスターリンに植えつけ、後に極東での性急なソ連軍侵攻の遠因にもなっ て、原爆投下促進へのプレッシャーをもたらすことにもつながった。 ただしこれは、「原爆投下につながった事情は回避できた可能性が高い」 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問

3. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

クリーンな戦略に従って動いていた。アメリカは、「フットボールをするよ うに第二次大戦を戦った」とよく言われる。イギリスや中国に代表される他 の連合国が戦後戦略を考えながら謀略戦を演じていたのに対し、アメリカは ナイープに、できるだけ早く敵を倒すためにのみ全力を尽くした。ソ連です ら、戦後の共産主義の世界制覇という目標を念頭に置いて戦っていた。戦後 戦略のなかったアメリカは、戦闘には完勝しながら政治的には敗北した、と 言われるゆえんである。とくに中国に投資したコストはすべて無駄になった。 朝鮮戦争では、日本軍と戦っていたかっての同盟軍による攻撃によってアメ リカ軍が撃退されるという憂き目にあったのである。 では、原爆投下もそのような無定見な失策だっただろうか。日本を安価に 降伏させるためには絶大な力を発揮した原爆だが、無警告で実戦使用すると いうあのやり方は、核兵器時代の幕開けを標すには適切であったのか、なかっ たのか。 原爆投下をせすに 1945 年 8 月以降も戦争継続することは、日本対米英 の戦争継続と、中国と東南アジアへの日本の侵略・占領状態の継続との、 つの面を持つ。日本本土上陸を敢行しないかぎり、米英軍が大打撃を受ける 可能性はほとんどなかったとはいえ、第 13 問に見たように毎月 20 万人の アジア人民が死亡していた状況では、いすれにせよ可能なかぎり早期の終戦 を図らざるをえまい。予定どおり 1 1 月 1 日には日本上陸が決行されただろ フ。 ダウンフォール作戦 ( 南九州上陸のオリンピック作戦 [ 11 月 1 日予定 ] 十相模湾・九十九里浜上陸のコロネット作戦 [ 46 年 3 月 1 日予定 ] ) では、 上陸軍は意外に苦戦したであろうと考えるべき根拠がいくつかある。もちろ ん、ドイツとは違って日本の場合、島国なので、海上封鎖によって資源の輸 送が途絶え、本土決戦前に軍需産業もほとんど壊滅していた。したがって、 本土決戦で連合軍に対してドイツ軍なみの有効な反撃ができたとは考えられ ない。それでも、終戦時には日本国内に 10 , 700 機の実戦可動な飛行機が あり、修理中・改装中のものも含めると 17 , 900 機の飛行機があった ( ア メリカ戦略爆撃調査団の 1946 年レポート ) 。決号作戦ではこのほとんどす べてを特攻機として使う予定だった ( 残存パイロットの大半は訓練時間が真 珠湾攻撃当時のパイロットの 5 分の 1 以下で、特攻以外の戦いをする技術が 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問

4. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

3 1 原爆が戦争を引き延ばしたという理屈は成立するか ? で見たように戦略的な遅延方策がとられていた疑いが強かった。 西部戦線では、イタリア打倒という二義的以下の目標に英米軍が初期の主 力を注いでしまったために、ドイツ打倒が大幅に遅れた。太平洋戦争はなお さら延びてしまった。戦後、アメリカの中国政策の失敗を悔やんだアメリカ 人の中には、「むしろ対日戦を優先すべきだった」という者もいる ( とくに 陸軍参謀本部から中国戦域司令官に転じたウェデマイヤー将軍 ) 。ョーロッ パ優先主義は、ソ連の戦力を過小評価した誤りであって、ヨーロッパを放っ ておいてもイギリスは十分ドイツの攻撃に堪えていたし、ドイツとソ連は勝 手に潰し合うままにさせるのが得策であって、急いでドイツ撃破のためにア メリカが乗り出す必要などなかったと。 むしろ急を要したのは中国であり、アメリカが援助物資をヨーロッパより いつも後まわしにしたために、国民党政権が対日戦で疲弊し、戦後の内戦で 共産党に敗れる原因となった。ます始めに、アメリカ世論に従って全力で日 本を打倒しておけば、日本降伏後に中国が共産化することもなく、東欧と東 アジアでソ連勢力が伸長することもなかった、というわけである。 大まかに見れば、連合国のうち第二次大戦を真面目に戦っていた、つまり 可能なかぎり早く勝っために努力していたのはアメリカとソ連であり、そ れに対してイギリスと中国は戦後戦略を睨んで、とくにアメリカを暗に操作 していたと言えるかもしれない ( 第 7 問 ) 。アメリカがイギリス、蒋介石、 中国共産党それぞれの思惑にそのつど引きすられたために、戦略を誤り、第 二次大戦の素早い勝利を逃してしまったことは確かだろう。 こうして、無条件降伏要求へのこだわりと、連合国とくにアメリカの優先 戦略の選択ミスが戦争期間の延長をもたらした、とは言える。ただし、結 果的な戦争の延長が原爆投下をもたらしたからといって、原爆投下のために 戦争が延長された、とは必すしも言えない。そう考えるのは、「原因と結果 を取り違える誤り」である ( 「ポストホックの誤謬」の変種 ) 。とくに、原爆 が本当に完成するかどうかは、 1944 年に人らないとまったく予想がつかな かった。そんな不確定な兵器のために、アメリカがわざと戦争を引き延ばし、 自国の若者の戦死傷を増やしたなどということは、とうてい信じられまい。 むろん、第 8 問で見たように、以上のことは大局的な背景だから、原爆投 下の倫理的判断には直接結びつかない。原爆投下に近い期間、たとえば原爆

5. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

不都合が大きいと考えられる。 しかし、第二次世界大戦前・戦中のアメリカと、戦後のアメリカとは分け て考えるべきではなかろうか。第二次世界大戦の経緯を知れば知るほど、ア メリカに落ち度はなかったというのが本書の認識である。第二次大戦でのア メリカの大きな誤りは、大英帝国に気を遣うあまり第二戦線の早期開設を 怠って対独勝利を遅らせたことと、無条件降伏要求を明言してこれまた枢軸 国の降伏を難しくしたことくらいだ。戦前・戦中のアメリカは、現在のアメ リカに比べて、より平和的かっ民主的な政府によって率いられていた。先制 攻撃も辞さない拡張主義的国家にアメリカを変えたのは、他ならぬ真珠湾攻 撃の恥辱の教訓だったのである。第二次大戦でのアメリカの戦争政策全般、 とくに原爆投下を擁護したからといって、戦後アメリカのベトナム戦争やイ ラク政策をも容認したことにはならない。むしろそのような抱き合わせ論法 を否定し、個別に論理的な判定を下す根拠を提示することが、本書の目的だっ たのである。 論理的な議論と言いながら、本書には著者自身の主観的評価が多々灯って いると感じられるかもしれない。しかし偏向が見られるとしてもおそらくは 細部に関わることで、議論の本筋に影響は与えていないはすである。本筋と いうのはただ三つ一一一 ①「原爆投下が正当化されるのは、それ以外には戦争を早期終結させる確実 な手だてが日本にも連合国にもなかったからである」 ②「日本を降伏させた圧倒的な主因はソ連参戦だったが、それがノヾレること から生じえた諸災厄を防ぐのに原爆投下という革命的事件が役立った」 ③「原爆投下を突出した悪として非難することは、他の戦争努力の相対的免 罪につながり、戦争そのものが絶対悪であることを失念させかねない」 ①の趣旨は日本では評判の悪い考えだが、国際的な定説である。「 1945 年 8 月の時点で日本は戦意も抗戦能力も失っていた」というのは、中国戦域 や本上決戦準備の実態を無視した虚偽である。第二次大戦では、中国やソ連 のように、領土内で日本よりもはるかにひどい惨害を被りながら戦勝を勝ち 取った国がある。彼らには援助する同盟国があったのだから頑張れるのも当 あの原爆投下を考える 62 問 戦争論理学

6. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

/ 62 定言三段論法ニ重効果 無差別爆撃は悪だろうか ? 原爆は、その威力からして工場などの施設に限定する精密爆撃には 戦略を用いるようになったのである。 民間人を攻撃することで工場労働力を奪い、敵国民の厭戦気運を煽る 対日戦では、最初の数ヶ月で精密爆撃を放棄し、無差別爆撃へ移行した。 のに対し、アメリカ軍は精密爆撃を原則とした。しかしアメリカ軍も だわった。ョーロッパ戦域では、イギリス軍が無差別爆撃に専念した さないので、効率が悪いとされ、アメリカ軍ははじめは精密爆撃に 別爆撃は、精密爆撃に比べると敵の軍事力に偶然的にしか影響を及ば まに呼ばれるが、無差別爆撃という呼び名が最も普及している。無差 けられる。都市爆撃は、無差別爆撃、恐怖爆撃、地域爆撃などさまざ 地や商業地を破壊して敵国民の志気を喪失させる「都市爆撃」とに分 が多く、工場や港、油田などの施設を破壊する「精密爆撃」と、住宅 指す。戦略爆撃は、戦場から離れた敵国領土や占領地を攻撃する場合 なく、大局的に見て敵の戦争遂行能力を減らすためになされる爆撃を られる言葉で、戦術爆撃のように直接に戦局を有利にするためにでは 爆撃」とは、戦場で敵の戦闘部隊を叩く「戦術爆撃」と区別して用い 般市民を対象にした無差別爆撃は、「戦略爆撃」の一種である。「戦略 否定派は、そもそも無差別爆撃が悪であると考える傾向が強い。 爆否定論」「原爆肯定派」「原爆否定派」などと呼ぶことにしよう * 。 に関する肯定論・否定論と紛らわしい文脈においては、「原爆肯定論」「原 定派」、肯定論を唱える立場または人々を「肯定派」と呼ぶ。他の話題 たという意見を「肯定論」と呼ぶ。否定論を唱える立場または人々を「否 論」、アメリカによる原爆投下は正しかった、あるいは避けられなかっ 爆投下は悪かった、あるいは控えることができたという意見を「否定 本書での基本語をます次のように定めておこう。アメリカによる原 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問

7. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

うか。そうとも言えない。前述のように、東京裁判が司法措置ではなく政治 的措置だったことは裁判所条例や覚え書きからはっきり読み取れる公認事項 だったので、少なくとも連合国の自己欺瞞はない。政治的には、「必す負け る戦争」を無謀にも開始して長期にわたって内外の人々を苦しめた責任は、 先制攻撃をした敗戦国の指導者だけに負わせるべきなのは当然である。戦犯 裁判は戦後処理手続きの一環なので ( 平和条約発効まで戦争状態が続いたと 見れば戦中処理手続きの一環なので ) 、戦勝側が自らを裁くのは時期尚早で ある。戦後政策を進めて国際秩序の復興を担うべき戦勝国のメンノヾーの中か ら、敗戦国への戦争犯罪によって裁かれる者を調査告発していくとなると、 戦後秩序の復興作業がはかどらなくなってしまうからだ。戦犯裁判とはかさ ねがさね、司法措置でなく行政措置としてしか成り立ちょうがなかったので ある。 戦争努力への倫理的判断の座標は「正義・罪悪」の軸ではなく「安全・危 険」の軸に据えるべきだということは第 2 問で見た。国際戦犯裁判は過去の 罪の審判ではなく、現在と未来の安全・安定を確保するための政治的実務に 権威を与える象徴的儀式なのだ。そう割り切って捉えれば、戦勝国と敗戦国 への不平等な罪状認定は不合理なものでないことがわかる。東条英機が裁か れたようにトルーマンも被告席に座り、山下奉文が裁かれたようにマッカー サーも断罪されることになったら、日本占領政策も、西側の対ソ戦略も滞っ たことだろう。見かけの「裁判」の体裁に囚われす、国際軍事裁判の意味を 考えるならば、政治的に見て、不公平性は必然かっ正当である。 むろん、勝ったからといってすべての罪がチャラになるわけではなく、勝 者の側どうしでの調整は必要だろう。重巡インディアナポリスの艦長 ( 第 12 問 ) をはじめ、味方に損害をもたらした罪で戦後に軍法会議にかけられ 有罪となった戦勝国メンノヾーは何人かいるし、日系アメリカ人の強制収容に 対するアメリカ国家からの補償もなされている。しかし、敗者に対する罪を 勝者が率先して認める必要があるだろうか。勝って図らすも損をする要素は あるだろうが、それは最小限にとどめるべきであり、勝者自ら損失を作り出 す姿勢はとらなくてよいというのが、「勝ち」「負け」のイデオロギーの本質 であろう。戦争は論理的にはゼロサムゲームでないという理屈はわきまえね ばならないが ( 第 18 問 ) 、蓋然的には、そして参戦主体の意図からすれ 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問

8. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

原爆投下は戦後戦略の一部だったのか ? J. ケリー「 Why Japan ? ーー原爆投下のシナリオ」教育社 0 7 きすり出して、日本国内の抗戦派を抑え込ませるのに成功したからで メリカ大衆に対し軍国主義の権化として宣伝されてきた天皇裕仁を引 なお、原爆投下は、「夷をもって夷を制す」戦略の模範であった。ア う、皮肉な教訓の典型例と言えよう。 期的視野に拘ると、短期的目標に専念した者に長期的には敗れるとい 戦勝利に繋がった。国民党の「覇者の戦略」が裏目に出たわけだ。長 たのは共産党の八路軍であり、中国民衆の支持を集めて抗日戦後の内 日戦のかたわら共産党への自色テロを続けていた。抗日戦を真剣に戦っ 戦略をとったのがアメリカの不興を買ったことである。国民党は、抗 をもって夷を制す」 ( 対日戦は米英に任せ、自分は国内の敵に備える ) * 国共内戦での国民党の主たる敗因は、蒋介石が兵力温存を図り「夷 夷をもって夷を制す れるべき点はないようである。 いたことについては、第二次大戦の経緯をふまえるかぎり、倫理的に責めら いって批判されることはあるにせよ、ドイツでなく日本をターゲットにして というわけで、アメリカの原爆戦略は、戦後の核兵器国際管理を妨げたと チルも了解していたのである。 わせたい兵器だったろうが、対独戦終結までには間に合わないことはチャー 数無償提供していたイギリスとしては本来ョーロッパ戦線の解決のために使 交わし、日本への原爆使用を正式に決定した。開発のために自国の特許を多 1944 年 9 月 18 日にルーズベルトとチャーチルは「米英原子力協定」を 選択だったのである。 共有を前提とする欧州戦線への原爆投人は、アメリカにとってはありえない メリカは信用できなかった。最も重要な同盟国とはいえ、イギリスとの機密 中で別格の配慮を要した。総じて戦後戦略優先に耽っているイギリスを、ア A. マキジャニ ある。

9. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

2 8 62 : 、 ヨーロッパ優先戦略は正しかったのか ? 行為と出来事の区別条件付き判断 英米の一致した「ドイツ優先戦略」が、ドイツでなく日本への原爆 投下を決定づけたというやや逆説的な事情については、第 6 問、第 7 問でよくわかった。しかし考えねばならないのは、英米の「ドイツ優 先戦略」はそもそも正しかったのか、ということである。これには二 つの意味がある。 ドイツ・イタリアに侵略された国々よりも、日本に侵 ます第一に、 略された中国のほうが、長い期間、苦難に晒されてきた。実際、 1945 年 4 月 25 日 ~ 6 月 26 日に 50 ヶ国の代表が参加して国連憲章を採 択したサンフランシスコ会議では、枢軸国の侵略を最も長く耐えたと いう理由で、中国代表が最初に署名する権利を得ているのである。そ のような象徴的な罪滅ばしではなく、連合国は実力によって中国を救 助すべきではなかっただろうか。中国はアメリカの武器貸与法による 援助のたった 3.2 % しか受けていない ( イギリスが 62.7 % 、ソ連が 22.6 % 、フランスが 6.4 % ) 。援蒋ルート☆が次々に日本軍に遮断され たため輸送が不自由だったせいもあるが、だからこそなおさら、援蒋 ルート早期回復の努力を注ぎ込むべきだったと言えよう。 戦略的に見ても、アメリカ参戦前にすでに、イギリスが単独で、つ いでソ連がほば単独で、枢軸国軍の攻撃に十分耐え、戦線によっては 優勢にすらなりえていた。アメリカが主力をヨーロッパへ向ける前に 世論に従ってます日本を迅速に倒し、それからヨーロッパへ派兵して も間に合ったはすである。戦後にアメリカが同盟国として中国を失っ たのは、対日戦を優先しなかったのが原因だという指摘も多い。 第二に、かりにドイツ優先戦略の原則が正しかったとしても、その 実施方法に疑問が残る。ドイツ優先戦略は正確には「ヨーロッパ第一 戦略」と呼ばれるが、通称ドイツ優先とも呼ばれる理由は、ドイツを倒 0 4 2 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問

10. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

は「京都を破壊すると日本人に反米感情を残して戦後政策が困難になる」と いうものだったが、戦前に京都を訪れたことのあるステイムソンの本音は、 宗教と文化の中心地を破壊するにしのびないという感傷だった。建前と本音 のいすれもが、京都よりも他の候補都市のほうが政治的・文化的価値が低く、 それらが核攻撃されても日本人自身にとって許容されやすいはすという差別 意識にもとづいている。 なお、京都を救うという人道的満足感が、原爆投下に代わる穏健な代案を 探る試みからステイムソンやトルーマンの良心を逸らし、彼らの精神の平衡 を保つ役に立ったと言われている。 ジョン・ w. ダワー「容赦なき戦争」平凡社 ロナルド・タカキ「ダカレ・ヴィクトリー」柏艪舎 蚣大内建ニ「ドイツ本土戦略爆撃」光人社 N F 文庫 蚣ジェームズ・バクー「消えた百万人」光人社 パウル・カレル、ギュンター・べデカー「捕虜」学研 2 7 /62 原爆投下は戦後戦略の一部だったのか ? 係留ヒューリスティクス 原爆完成がかりにヨーロッパ戦に間に合えば、アメリカは、ドイツ に対して原爆を使っただろうか ? 間に合いさえすればドイツも原爆 投下目標になりえただろうことは、ヤルタ会談に発つ前にルーズベル ト大統領が、「原爆完成の時点で対独戦がまだ続いているようなら、ド イツに対し使用することを考えよ」とマンハッタン計画の責任者グロー ブズ将軍に言ったという事実が示している。 しかし、それはドイツ降伏が間近いとわかっていたからこその口先 だけのポーズであり、「原爆開発を急ぐように」という催促もしくは激 励の意だったととるのが妥当だろう。というのは、「アメリカは、ドイ ツ降伏前に原爆を完成させたとしても、ドイツに対しては使わす、日 0 3 8 あの原爆投下を考える 62 問 戦争論理学