には、原爆とソ連参戦という本来無用だった二大惨禍を経なければならな かったのだ さて、無条件降伏要求の誤りを弾劾して原爆投下を非難する否定派に対し て肯定派が出せる主張は、次の二通りある。 1 . 無条件降伏の要求は正しかった。 2 . 無条件降伏の要求が間違っていたとしても、その要求によって形成さ れた文脈のもとでは、原爆投下はやむをえなかった。原爆投下を支 持するにはそれで十分であり、無条件降伏要求そのものの罪は原爆 投下に転嫁されてはならない。 マ論理の循環論法、行為のマッチボンプ * 「わが軍が A 地区を爆撃したのは、 A 地区が軍事基地だからである。 A 地区が軍事基地だと言えるのはなせか。それは、わが軍の爆撃対象 二つの主張がそ は軍事施設に限定されているからである」のように れぞれ互いの理由を提供しあっているような論法が循環論法である ( 必 すしも二つではなく、もっと多くの文が循環連鎖を形作っている場合 もある ) 。それに対してマッチボンプ論法は、循環論法の行為ノヾ .—ジョ ンで、行為の理由と行為の原因が互いに互いを作り出しあうような論 法である。「 A 地区は軍事基地である」という主張の理由として「 A 地 区には多数の対空砲があるからだ」という事実が挙げられる一方、「 A 地区には多数の対空砲がある」ようになったのはなぜかといえば「 A 地 区に爆撃がなされる」という事実に対処するため、といった場合。爆 撃が原因となって対空砲を備えさせ、対空砲の存在が爆撃の理由となっ ている。マッチボンプを一つの文に圧縮して「わが軍が A 地区を爆撃 したのは、 A 地区が軍事基地だからである。 A 地区が軍事基地だとわ かったのはどうしてか。それは、爆撃のさい多数の対空砲火で応戦し てくることからわかる」と書き直せば、はば循環論法と同じ文になる ことがわかる。 0 9 6 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問
答え ますは①正当性の吟味から。 「正当であるはすがない」というのが、おおかたの日本人の意見だろう。 1941 年 4 月 1 3 日に調印された日ソ中立条約 ( 5 年間有効 ) について、 1945 年 4 月 6 日にソ連側は不延長 ( 期限切れからさらに 5 年間・ 1951 年までの延長はしない意思 ) を通告していた。これは 1946 年 4 月までの 効力を失わせるものではなく、中立条約はあと 1 年有効のはすだった。しか し 8 月 8 日にソ連は、日ソ中立条約を破棄、ポッダム宣言に参加、日本に宣 戦布告した。告げられた理由は主に三つ、「日本がポッダム宣言を拒否した 以上、ソ連が求められていた和平調停の基礎は失われたこと」「西側連合国 がソ連に対日参戦して世界平和の回復に貢献するよう提案したこと」「日本 国民をドイツ国民のような苦難から救うこと」だった。 ソ連のこの言い分が、有効期間をまだ残している中立条約に反して軍事行 動に踏み切るための正当な理由を示しているのだろうか。中立条約違反につ いてはソ連もいちおう気にしており、ポッダム会談のときソ連側から「米英 および他の連合国からソ連に対日参戦の正式要請を出すよう」申し人れてい る。しかしそんな要請をすれば、ソ連参戦が対日勝利の決定的因子であった と国際的に印象づけてしまう。それを避けるために米英側は 2 日間の熟慮の 末「国際連合憲章の第 103 条と第 106 条からしてソ連が参戦する義務のあ ることは明白」と答えた。窮状から要請するわけではなく単に義務履行の催 促をいたしますというわけだ。日ソ中立条約より戦後秩序の責務のほうが優 先するので心配ない、という保証がこうしてソ連に与えられた。 ちなみに、国連憲章の第 103 条と第 106 条は次の通りである ( 大意 ) 。 第 103 条国際連合加盟国のこの憲章に基く義務と他のいすれかの国際 協定に基く義務とが抵触するときは、この憲章に基く義務が優先する。 第 106 条アメリカ、イギリス、ソ連、中国、フランスは、国際平和と 安全維持のために必要な共同行動を、相互にかっ必要に応じて他の国際連合 加盟国と協議しなければならない。 ただしソ連はこの時点で、常任理事国となることに同意していたものの国 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問
/ 62 原爆投下は真珠湾攻撃の報復か ? 自然主義の誤謬逆ポストホックの誤謬わら人形論法 アメリカが原爆の投下目標を日本にしたのは、真珠湾の復讐という 動機があったのではないか ? 国内世論向けのパフォーマンスだった のではないか ? 現にトルーマン大統領は、広島壊滅の直後のラジオ声 明で、「われわれは真珠湾の報復を果たした」と宣言し、続くいくつか の機会にも、真珠湾への報復を強調している。しかし、報復などとい う理由が、重大な政策決定に反映されてよいのだろうか。同盟国もなく、 空襲と海上封鎖によって追い込まれた日本を降伏させるのに、原爆が はたして「必要」だったのだろうか。国内世論の高揚を狙うという目 的は「必要」のうちに人るまい。戦争より政治を優先しすぎた大統領 および国務省の誤りだったのではないか。 復讐のような悪しき目的、政権の人気取りのような重要でない目的 のために、不必要な大量殺戮を行なったのだとしたら、まぎれもなく 邪悪以外の何物でもないだろう。この原爆投下批判に対して、肯定派 はどう反論できるだろうか。 答え アメリカは世論を大切にする国である。民主主義国は国民の支持がないと 戦争は遂行できない。ドイツ、ソ連、日本のような全体主義国家にはない余 計な苦労をアメリカの戦争指導者は背負い込まねばならなかったのだ ( もと もと、工業生産力で 10 倍以上の差があり物理的には勝ち目のない対米戦争 を日本が決意できたのも、世論に左右される民主主義国の弱点をあてにした ところが大きい ) 。 しかし世論が重要であるだけに、国民向けの「理由づけ」が真の理由を表 現しているとはかぎらないだろう。「真珠湾の報復」というのは、政治感覚 も情報も十分に持ち合わせない庶民に対して、わかりやすい説明を提示した 0 4 6 あの原爆投下を考える 62 問 戦争論理学
には「非道狂暴の新爆弾、戦争努力を一切変革」「残忍狂暴な新兵器原子爆 弾はついにわれらの戦争努力の一切を烏有に帰せしめた」とある。弁明の気 ますさを声高に掻き消すように「新爆弾、新爆弾」のオンパレード。新爆弾 の「新」とは、爆発原理の新しさはもとより、戦争の意味の新しさ、抗戦精 神の古さを物語っているのである。 忘れられがちだが、戦争末期の日本は、連合軍との戦いだけでなく、むし ろそれ以上に、和平派と継戦派との内戦が深刻だったことに注意しよう。そ してさらに、国民に事態をどうわからせるかも政府にとって大問題だった ( ポ ツダム宣言の新聞発表をどうするかについても一苦労だった ) 。この国内政 治の難局を一挙に打開したのが原爆投下だったというわけである。いうまで もなく、対ソ政策の崩壊という外交政治的破局を一挙解決したのも原爆だっ た。というわけで、原爆は、その実質の乏しい象徴性ゆえにこそ、実質的な 政治効果をもたらした逆説的兵器だったと言えるだろう。 皮肉なことに、軍事的名誉とは無関係であるがために原爆投下に反対した マッカーサーやニミツツらアメリカの軍人と同じ理由によって、つまり軍事 的に重要でない事件だという理由によって、日本の徹底抗戦派の軍人も、原 爆を降伏の理由として受け容れることに同意できたのだった。 いすれにしても、原爆が戦争の文脈を一新して、現行の軍民の常識をひっ くり返すということがなされないかぎり、日本は、通常戦争をひたすら続行 して、ドイツの二の舞になっていたことは間違いなかろう。ドイツ国民は原 爆のような派手な攻撃は受けなかったが、公平に見て、日本国民より遥かに 酷い目に遭っているのである。 森山康平著、太平洋戦争研究会編「図説特攻」河出書房新社 2 亠 /62 むしろ不必要なのは広島原爆のほうだった ? 必要条件と十分条件 0 9 0 あの原爆投下を考える 62 問 戦争論理学
0 4 7 09 原爆投下は真珠湾攻撃の報復か ? ものと言える。「真珠湾の報復」という名目は、原爆投下の目的というより、 むしろ逆に、原爆投下をわかりやすくする手段として使われたのである。い すれにしても、一度に万の単位で市民を殺した措置に対しては、即効的な辻 褄合わせが必要だっただろう。 表向きの理由として「報復」を掲げたのは、倫理的ならざる通俗的な名目 を立てて、アメリカ庶民の洗練されない原始的本能にひたすら訴えかけたと いう意味では褒められたものではない。奇襲攻撃への報復の衝動は国民感情 として自然だが、「自然である」ことが「善い」として認められるべきだと はかぎらない。「自然である」と「善い」を同一視するのは、「自然主義の誤 謬」と呼ばれる錯誤である * 。 たしかに、国民の報復欲に訴えることは正義とは関係ない。そればかりか 正義に反してさえいる。が、だからといって、その良からぬ名目の裏に隠さ れた真の戦略的意味までが悪だったことにはならない。原爆投下の宣伝的側 面ではなく、真の政治的動機を探ることが必要である。 原爆投下には、「真珠湾の報復」といったスローガン以外にも、さまざま な低俗な動機が勘ぐられた。人体実験のためだとか、アメリカの力を誇示す るためだとか、あるいは第 6 問に見た「人種差別」というのもこのたぐいで ある。それらわかりやすい低級な説明は、賛否両サイド、とくに否定派サイ ドのうち無教養な層には訴えかけるところがあるたろう。しかし、そうした 扇情的な動機をでっち上げられるからといって、あるいはあながちでっち上 げではなく本当にそうした動機が付随していたと判明したとしても、メイン として高尚な実利的理由や理念的理由があったことを否定できたことにはな らない。 「人体実験」という批判は、実際に終戦後にアメリカの調査団が市街の破 壊状況や被爆者の健康状態を大規模に研究したにもかかわらす治療はしな かった、という事実によって信じられやすくなっている。しかしたとえば、 センター試験を受けた受験生が後で問題を解き直したからといって、浪人生 活に備えた復習のためにセンター試験を受けたということにはなるまい。あ くまで人学試験に合格するために受けたのであり、再挑戦に備えた復習は副 産物である。同様に、すでに起きた原爆投下の効果を、臨床資料として転用 したからといって、「そのために」原爆投下をした証拠にはならない。証拠
さてそれでは、「広島・長崎への原爆投下の容認」を「将来の核兵器 使用の容認をもたらすもの」として理解してしまう世間の風潮は、悪 いものなのだろうか。さらには原爆投下肯定論が正しいと説得された 人は、そのまま将来の核兵器の使用も容認されたように説得されてし まいがちである一一一そういう傾向は、悪いのだろうか。 答え 「広島・長崎へのあの原爆投下」の是認が「将来の核兵器使用」の是認を ただちに意味しないことは第 49 問で見た。ということは、「広島・長崎へ のあの原爆投下」の是認が「将来の核兵器使用」の是認をもたらすものとあ えて理解するには、何らかの積極的な理由が必要なはすである。 しかし、「大した理由なくどうしてもそうなっている」ということはある かもしれない。第 49 問で批判した「不当な類推」は人間の本能に深く根を 下ろしているので、「核兵器を是認する」という共通項で二つの議論を結び つけてしまう習慣を脱するのは難しいかもしれない。その結果、「広島・長 崎へのあの原爆投下」の是認が「将来の核兵器使用」の是認を引き起こす、 という傾向は、理由云々以前に事実問題として、個人としても集団としても どうしようもないのだ、と論じることはできるだろう。そして、あなた個人 としては「不当な類推」はますいとは心得つつも、大多数の人は「不当な類 推」でどうしても動いてしまいがちだという知識があなたにある以上、原爆 投下肯定論を唱える人は概して将来の核兵器使用を容認するつもりでいるの だろう、とあなたは推測せざるをえないかもしれない。 この心理は自然なので、肯定論を唱える当人も、自分が将来の核兵器使用 を容認していると聞き手に思われても仕方ないと思っているに違いない。つ まり肯定論を唱える人は、将来の核兵器使用を容認する声が増しているとい う実例を自ら人々に示しているも同然なのであり、将来の核兵器使用容認の 風潮が強くなってもかまわないと間接的に認めていることになる。肯定論を 聞く大多数の人もまたそう受け取るだろうから、肯定論が唱えられるたびに 世論が核兵器使用容認へと傾いていく。こうして、社会の全員が「不当な類 推」の不合理さをわきまえていながらも、「不当な類推」の力をみなが承知 している状態においては、「不当な類推」がなされることが集団的に容認さ 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問
5 6 被爆者のことをさらによーく考えると ? 「扇情的な写真が判断を変えるく理由〉になるなどと私は思ってなどいない。 単に、判断を変えるく原因〉になっていると私は感じるのだ。そしてその原 因の力に従って判断を変えたまでだ」 しかしこの弁明は的外れである。たしかに、扇情的な写真が人の判断を変 えるく原因〉として働くことは事実である。そしてく理由〉が論理的な要因 であるのに対してく原因〉は物理的な要因であり、したがって、く原因〉に よって動かされたからといって「非論理的」と責められるいわれはないだろ う。「非論理的」というのはく間違った理由〉によって判断を変えるような 場合 ( つまり、理由と判断とが合理的に適合していない場合 ) に言われるの が筋であって、物理的原因がどのように判断に影響しようとも、もともと論 理とは関係ない変化なので、「非論理的」ではありえない。それはその通り なのだが、しかし「理由なし」というのもある意味では「空なる理由」とい う理由だと見なすこともできる。空なる理由は、いかなる判断の変更に対し ても「不適切な理由」であろう。「理由を伴わない単なる原因」によって判 断変更することは、「空なる理由という不適切な理由」によって判断を変え ることなので、やはり「非論理的」なのだ。 あるいは、論理的な理由を伴わない単なる原因による変化が許されるとし ても、量的な変化にかぎられるべきである。つまり、「今までアメリカ軍の 方針は間違っていると思っていたが、この黒焦げ死体の写真を見てからます ますその思いが強くなった」「サイバン陥落の時点で本土空襲を予期できた 日本政府が即時降伏しなかった罪は重いと怒りを禁じえなかったが、崖から 赤ん坊を投げ捨てたあと自ら飛び降りる女性の映像を見てからますますその ・・このような心情の変化なら、く空なる理由〉による 思いが強くなった」 動かされ方としても合理的と言える。 他方、「今までアメリカ軍の方針は間違っていると思っていたが、この写 真を見てから、悪いのは日本政府のほうだという考えに変わった」「サイバ ン陥落の時点で即時降伏しなかった日本政府の罪は重いと怒っていたが、 ・・このような心情 の映像を見てから怒りの矛先がアメリカ軍に変わった」・ の変化は不合理である。なぜなら、東京大空襲への認識の「論理構造」は、 写真を見る前と後とでは変わっていないはすだからである。事実的情報内容 を持たない扇情的写真による変化は、従来の価値判断の論理構造を同型に
オフィスや労働者の家や交通機関が大規模に破壊されれば目的が達せられる のであり、かりに絨毯爆撃の結果奇跡的に市民が 1 人も死傷しなかったとし ても、戦略爆撃の目的は達せられたと言える。 「ニ重効果」にもとづく戦略爆撃擁護論は、第 1 問ですでに見た。戦争遂 行能力破壊 ( 都市機能破壊 ) という主目的と、市民殺傷のような副作用とが、 互いに他方を必要としない並行的な「二重効果」を形成している場合、意図 されない副作用は、たまたま付随した不運にすぎす、「未必の故意」の結果 として殺人とは論理的に区別される。 つまり厳密には、戦略爆撃による市民の死傷は、二重効果による「未必の 故意」の結果なのである。無差別爆撃の立案者・命令者・実行者がたとえ敵 への憎しみに満ちていたとしても、無差別爆撃それ自体の主目的は戦争遂行 能力の破壊であり、市民の殺傷は確率的に当然起きても仕方のない随伴結果 にすぎないのだ。 随伴効果といえば、早期終戦を主目的とする原爆投下がソ連への威嚇とい う副産物を持っことを第 17 問で見た。あのような場合も広義の「二重効果」 ではあるが、通常「二重効果」と呼ばれるのは、副産物が望ましくない結果 ( 副 作用 ) である場合にかぎられる。第 1 7 問では、ソ連威嚇は悪というより日 米の国益にかなっていたことを見た。無差別爆撃における一般市民殺傷とい う随伴効果は、建前上望ましくないものと考えられるため、望ましい主目的 と嘆かわしい随伴効果との間に二重効果のジレンマが生するのである。 それでは、原爆投下の主目的が早期終戦をもたらすことであるとして、 般市民殺傷というのは二重効果による「未必の故意」の結果と認められるだ ろうか。 どうも認められないようである。原爆投下による市民殺傷が「未 必の故意」でなく「故殺もしくは謀殺 ( 意図的な殺傷 ) 」であることは、 つの意味で言える。物理的理由と、論理的理由である。 第一の物理的理由とは、原爆の性質からして、爆心地においては個々の市 民の避難努力が無意味になり、必すや多数の人命が失われるだろうというこ とである。通常爆撃の爆弾や焼夷弾の攻撃は、離散的な爆発や炎上の総計な ので、確率的に低いとはいえ個々の市民がうまくかわしたり、防空壕に避難 したりして、無傷ですむことが少なくとも理論的には期待できる ( 固定され た建物や設備は間違いなく被害を受けるが、それは戦略爆撃の目的である ) 。 2 3 6 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問
ないまま、スターリンは原爆投下の報を聞くことになる。そのため、戦後の 措置について中国の賛同を得ることなしに、ソ連は日本に 8 月 8 日宣戦布告 することになったのだった。このようにヤルタ密約を厳密には守らなかった 点でも、ソ連の作戦行動は不当であったといえよう ( 中ソ友好同盟条約は 8 月 14 日に署名、 24 日に発効した ) 。 蚣ポリス・スラヴィンスキー「日ソ戦争への道ーー - ノモンハンから千島占領まで」共同通信社 ソ連参戦でいったい誰が得をしたのか ? 功利的必要性 前問で見たように、日ソ中立条約を破って宣戦布告したことに対し て、ソ連側は大きな道義的責任を負っていると言えるだろう。このこ とは、前問①が否定されることにより、原爆投下の正当性を否定する 方向に働く。不当なソ連参戦という「悪」のカで補完されないと原爆 投下の目的は達成されなかったのであるから。 この結論に対して、肯定派は反論できるだろうか。 / 62 答え ソ連参戦の正当性は、確かに否定される。その点に反論の余地はなさそう だ。しかし、②の必要性のはうはどうだろう。 ソ連が宣戦布告で述べた参戦理由「和平調停の基礎は失われた」「西側連 合国に求められた」「日本国民を苦難から救う」などは、どれも国連憲章の 精神には合致し、合理的と言えば言えるものばかりである。ソ連が国際的名 望を高めるのに十分な名目であると言えよう。しかし、それらが「戦争をす る」ための合理的理由になっているかどうかは別である。たとえば、同じ目 的を達成するために、日本からの和平調停要請に応じるという手はなかった のだろうか。ソ連が連合国と日本との間に立ち、日本の海外領土をすべて放 あの原爆投下を考える 62 問 戦争論理学
2 8 62 : 、 ヨーロッパ優先戦略は正しかったのか ? 行為と出来事の区別条件付き判断 英米の一致した「ドイツ優先戦略」が、ドイツでなく日本への原爆 投下を決定づけたというやや逆説的な事情については、第 6 問、第 7 問でよくわかった。しかし考えねばならないのは、英米の「ドイツ優 先戦略」はそもそも正しかったのか、ということである。これには二 つの意味がある。 ドイツ・イタリアに侵略された国々よりも、日本に侵 ます第一に、 略された中国のほうが、長い期間、苦難に晒されてきた。実際、 1945 年 4 月 25 日 ~ 6 月 26 日に 50 ヶ国の代表が参加して国連憲章を採 択したサンフランシスコ会議では、枢軸国の侵略を最も長く耐えたと いう理由で、中国代表が最初に署名する権利を得ているのである。そ のような象徴的な罪滅ばしではなく、連合国は実力によって中国を救 助すべきではなかっただろうか。中国はアメリカの武器貸与法による 援助のたった 3.2 % しか受けていない ( イギリスが 62.7 % 、ソ連が 22.6 % 、フランスが 6.4 % ) 。援蒋ルート☆が次々に日本軍に遮断され たため輸送が不自由だったせいもあるが、だからこそなおさら、援蒋 ルート早期回復の努力を注ぎ込むべきだったと言えよう。 戦略的に見ても、アメリカ参戦前にすでに、イギリスが単独で、つ いでソ連がほば単独で、枢軸国軍の攻撃に十分耐え、戦線によっては 優勢にすらなりえていた。アメリカが主力をヨーロッパへ向ける前に 世論に従ってます日本を迅速に倒し、それからヨーロッパへ派兵して も間に合ったはすである。戦後にアメリカが同盟国として中国を失っ たのは、対日戦を優先しなかったのが原因だという指摘も多い。 第二に、かりにドイツ優先戦略の原則が正しかったとしても、その 実施方法に疑問が残る。ドイツ優先戦略は正確には「ヨーロッパ第一 戦略」と呼ばれるが、通称ドイツ優先とも呼ばれる理由は、ドイツを倒 0 4 2 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問