5 9 2 3 7 戦災者の中で被爆者は別格でありうるか ? 他方、原爆の場合、離散的でなく稠密な熱線と爆風による破壊が広範囲にわ たって生ししかも残留放射能が何週間も続くので、防空壕への避難などは 人的被害を防ぐのに役立たない。 原爆投下が謀殺であることの第二の論理的理由は、原爆投下の公式の目的 にかかわる。「日本にショックを与えて戦意を喪失させること」が原爆投下 の目的だった。原爆が投下されたにもかかわらす、奇跡的にも都市住民が 1 人も死傷することがなかったとしよう。建物の破壊はひどく都市は見る影も ないが、ちょうど個々人が爆弾の雨をうまくかいくぐって逃げたのと同じよ うに、原爆の爆風と熱線が奇跡的にも個々の人間をよけて拡がったのだと。 死傷者ゼロというこの結果は、通常の無差別爆撃であれば、都市機能だけ を破壊するという精密爆撃同様の効果が偶然にも得られたことになるのでむ しろ悦ばしいことだろう。しかし原爆投下にかぎっては、死傷者ゼロは悪い ニュースである。それどころか作戦失敗である。死傷者を生じさせないよう な爆弾ということであれば、日本にショックを与えることができないではな いか。間髪人れす、多数の死傷者を生じさせて作戦を成功させるために第二 の原爆投下が要請されることになるたろう。 原爆投下は、突然の大衝撃によって戦争の炎を一気に吹き消す目的を持っ ていた点で、単に戦争の継続である通常爆撃とは異質の作戦だった。膨大な 死傷者を生み出すことが必須の条件だったのである。この意味で、広島・長 崎の犠牲者は、他の空襲犠牲者とは異なって、唯一、謀殺の犠牲者だったと 言いうる。 この事情は、空襲にかぎられす、実は戦争被害全般について言える。スパ イやケリラの処刑を除けば、大規模な作戦行動における戦争犠牲者はおしな べて「未必の故意」による犠牲者である ( ナチスのホロコーストの犠牲者だ けは殺しを目的とした謀殺の犠牲者だが、序章で述べたように、ホロコース トは戦争努力の一環ではない ) 。真珠湾攻撃にせよ硫黄島や沖縄の戦闘にせ よ、 1 人も死傷せすに攻撃側の目的が達せられることもありえた。確率的に は極小だが、論理的には、死傷者が生することは戦闘にとって不可欠ではな い。軍事基地の破壊とか飛行場の占領とか、ともかく軍事目的が達せられれ ば、敵が無傷で逃亡したり投降したりしてもかまわない。むろん実際の戦闘 現場では、特定の敵兵を狙撃するなどの故殺が多数行なわれるだろう。しか
0 6 5 1 4 原爆のデモンストレーションをするべきだったのでは ? 原爆のデモンストレーションをするべきだったのでは ? 薫製ニシン それにしても、原爆を無警告で本当に落とす必要があったのだろう か。しかも、純然たる軍事施設ではなく、住宅の密集する市街に。日 本に対して戦略爆撃をするさいに多くの市民を犠牲にせざるをえない というのは第 1 問で見たところだが、原爆の目的は、戦略といっても 通常の戦略とは違い、日本首脳にアピールして徹底抗戦を諦めさせる ことにあったはすだろう。通常の戦略爆撃ならば物理的に打撃を与え て敵の生産力・通信・輸送を破壊せねばならないが、原爆の場合はそ の目的の性格上、たしかな性能をアピールできさえすればよかった。 人的損失を実際に与える必要などなかったのではないか。 アメリカの目的は「敵と国際社会に最大限の心理的インパクトを与 える」ことだった。そのためには、一般市民を殺戮せすに原爆の効果 を実証する場を設ければよかったのだ。原爆の存在を日本政府に告げ てから、無人の島で原子爆発のデモンストレーションを行なうとか、 実験に日本代表を呼ぶとか、いくらでもやり方はあっただろう。 さて、しばしばなされる否定派のこの主張に対しては、肯定派は応 えるすべがあるだろうか。 答え 否定派の「原爆デモンストレーション論」は、かなり強力な議論である。 無人の地でのデモンストレーションという案は、人道的な大義と政治的な目 的とを両方巧みに満たしているからだ。なにしろ人を殺さすに敵の抗戦意志 を挫くことができそうだという、うまい考えだからである。 トルーマンに対して「原爆デモンストレーション論」を提言する政治家や 科学者は実際何人かいたのだから、デモンストレーションというアイディア の欠陥を指摘できぬまま都市への原爆投下に踏み切ったのだとしたら、第 9 / 62
る。全体としては戦争目的に貢献する行為だったはすのものが、その細目に ついて、勝利という戦争目的とは無縁な、むしろ戦争目的に反する虐殺・暴 行を招来してしまった。戦争目的に反するというのは、中国人民の反日感情 を煽って宣撫工作を難しくするとともに、国際世論を敵に回して日本の戦争 遂行を困難にしたからである。 さらには、南京占領によって達成しようとしていた日本の「戦争目的」そ のものが明確でなかったため、南京事件の倫理的評価はさらに引き下げられ ざるをえない。侵略戦争なら侵略戦争で、具体的な目的が設定されていれば まだしも、日中戦争の場合は、ただ無目標に占領地域を拡大するだけで、正 当化のしようがなかったのである。このような、上位の目的つまり日中戦争 そのものの無目的性に照らすと、下位目的である南京占領全体が倫理的に正 当化しづらくなり、その中での予定外の蛮行はさらに低く評価されるべきだ ということになろう。つまり南京事件は、ホロコーストと原爆投下の中間で ありながら、ややホロコースト寄りに位置する倫理的評価を受けるべきだと いうことになりそうだ。 原爆投下は、南京事件のような侵略性はないにしても、非人道性は共有し ていると言われる。多くの人命を瞬時にして奪うという原爆の非人道性は、 南京事件および日中戦争に比べたとき目的が明確であること ( 軍国主義の打 倒と連合軍兵士の犠牲の防止 ) によってどれはど免罪されるだろうか。 南京事件については、犠牲者数の上方修正と下方修正の綱引きなど、「途 方もない悪だった、いやそれほどでもなかった」といった悪の度合に関する 量的な論争が主である。つまり、「悪」であることには異論の余地がない。他方、 原爆については、質的な論争ーー悪だったのかそれとも積極的な善 ( 正義 ) だったのかという「賛否」の議論が中心になっている。戦後 30 年ほどで賛 否両論の基本ラインはほば出尽くした感があり、あとは細部の洗練が続いて いるのが現状である。 このように、戦争犯罪には「悪さ」の違いがある。この認識は重要である。 「完璧主義の誤謬」と呼ばれる虚無的な態度を防ぐ役に立つからだ。 「戦争そのものが悪なのだから、その悪しき戦争の中で何が悪だとか善だ とか言っても意味がない」。これが「完璧主義の誤謬」である。問題の前提、 そのまた前提・・・・・・まで遡って、そのすべてのレベルで条件をクリアしていな
的戦略が許されるかもしれないからだ。 第二点の典型例は、ソ連を牽制・威嚇するためという不純な目的を 含んでいたとしても、それはただちに、原爆投下という手段を批判す るための理由になるとはかぎらない、ということである。ソ連牽制は 付随的目的であり、主目的はもっと望ましいものだったかもしれない からである。 第一点を補強する要因としては、ポッダム宣言の文言が日本にとっ て受け容れがたいものになったのは、大統領交代直後という当時のア メリカ国内政治事情に照らすとやむをえなかったということが考えら れる。第二点を補強する要因としては、戦争の早期終結という主目的 に加えて、ソ連牽制という副目的ですら、アメリカのみならす日本に とっても望ましい目的であることは否めなかった。 さてしかし、否定派はまだ反論することができる。戦争の早期終結 という、どう考えても好ましい主目的のために原爆は使われたと一般 に考えられている。しかし、「原爆投下は却って戦争を引き延ばした」 という見方もあるのだ。もしそれが正しければ、原爆はそもそも悪し き目的に貢献していたことになる。 アメリカにとって原爆投下は、新兵器の実験という意味を持つがゆ えに、戦争終結前になんとしても実行したいプロジェクトだった。し たがって、もっと速やかに勝っことができたのに、意図的に原爆完成 まで戦争を引き延ばしたのではないか、という疑いである。 その特殊な例が、無条件降伏の要求である。日本に対してはとくに、 天皇制を廃止する可能性を最後までチラつかせることで、わざと日本 の降伏を遅らせ、原爆完成まで引っ張ったというわけだ。 この説については肯定派はどう答えるべきだろうか ? 答え 第二次大戦では、アメリカ参戦後は連合国がもっと速やかに勝つやり方が あったにもかかわらす、故意に勝利を遅らせたのではないか、と思われるふ しがないではない。ドイツ軍内部からの和平申し人れを西側連合国が蹴って 無条件降伏に固執したことを第 22 問で見たが、それ以前にすでに、第 8 問 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問
/62 移って戦いたいと希望を述べたとき、マッカーサーは冷たく断ったという。 ジョージ・パットンやオマル・プラッドリーら指導的な将軍が太平洋戦域に 目的に叶った選択をするわけではない。たとえば、ヨーロッパ戦域終了後、 家ではない。また、第一の目的については軍人は専門家だが、必すしもその この二つの目的の第二のものについては、マッカーサーはじめ軍人は専門 ある。具体的には、犠牲を最小に、政治的収穫を最大に、というのが目的だ 連合軍が「勝つようにできるか」ではなく「どうやって勝つか」だったので が勝利する確率はゼロだった。原爆があろうがなかろうがである。問題は、 た」のか ? そんなことはわかりきったことだ。 1945 年の時点で、枢軸国 ために必要なかったと言いたいのかが肝要である。「勝っためには必要なかっ 時々混乱している人がいるが、「原爆は必要なかった」と言うとき、何の 答え さて、肯定派はこれにどう反論できるだろう。 したというのは、戦争目的を逸脱した暴挙ではなかったか。 たということだろう。それでも原爆を国務省の政治的思惑ゆえに使用 対しているということは、専門的見地からして原爆投下は必要なかっ い。戦争に勝っという究極の目的をよくわかっているはすの軍人が反 誘導した感がある。トルーマンはバーンズに頭が上がらなかったらし ていたのに、国務長官ノヾーンズがほとんど一人でトルーマン大統領を ズ将軍以外の軍事専門家、とくに戦域司令官クラスがこぞって反対し たという事実があるではないか。マンハッタン計画の責任者グロープ れ、アメリカの戦争指導者のほとんどが原爆投下には賛成していなかっ 否定派は食い下がるだろう。原爆の本当の御立派な動機がなんであ 権威による論証 優れた将軍たちが反対したではないか ? 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問
オフィスや労働者の家や交通機関が大規模に破壊されれば目的が達せられる のであり、かりに絨毯爆撃の結果奇跡的に市民が 1 人も死傷しなかったとし ても、戦略爆撃の目的は達せられたと言える。 「ニ重効果」にもとづく戦略爆撃擁護論は、第 1 問ですでに見た。戦争遂 行能力破壊 ( 都市機能破壊 ) という主目的と、市民殺傷のような副作用とが、 互いに他方を必要としない並行的な「二重効果」を形成している場合、意図 されない副作用は、たまたま付随した不運にすぎす、「未必の故意」の結果 として殺人とは論理的に区別される。 つまり厳密には、戦略爆撃による市民の死傷は、二重効果による「未必の 故意」の結果なのである。無差別爆撃の立案者・命令者・実行者がたとえ敵 への憎しみに満ちていたとしても、無差別爆撃それ自体の主目的は戦争遂行 能力の破壊であり、市民の殺傷は確率的に当然起きても仕方のない随伴結果 にすぎないのだ。 随伴効果といえば、早期終戦を主目的とする原爆投下がソ連への威嚇とい う副産物を持っことを第 17 問で見た。あのような場合も広義の「二重効果」 ではあるが、通常「二重効果」と呼ばれるのは、副産物が望ましくない結果 ( 副 作用 ) である場合にかぎられる。第 1 7 問では、ソ連威嚇は悪というより日 米の国益にかなっていたことを見た。無差別爆撃における一般市民殺傷とい う随伴効果は、建前上望ましくないものと考えられるため、望ましい主目的 と嘆かわしい随伴効果との間に二重効果のジレンマが生するのである。 それでは、原爆投下の主目的が早期終戦をもたらすことであるとして、 般市民殺傷というのは二重効果による「未必の故意」の結果と認められるだ ろうか。 どうも認められないようである。原爆投下による市民殺傷が「未 必の故意」でなく「故殺もしくは謀殺 ( 意図的な殺傷 ) 」であることは、 つの意味で言える。物理的理由と、論理的理由である。 第一の物理的理由とは、原爆の性質からして、爆心地においては個々の市 民の避難努力が無意味になり、必すや多数の人命が失われるだろうというこ とである。通常爆撃の爆弾や焼夷弾の攻撃は、離散的な爆発や炎上の総計な ので、確率的に低いとはいえ個々の市民がうまくかわしたり、防空壕に避難 したりして、無傷ですむことが少なくとも理論的には期待できる ( 固定され た建物や設備は間違いなく被害を受けるが、それは戦略爆撃の目的である ) 。 2 3 6 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問
3 1 原爆が戦争を引き延ばしたという理屈は成立するか ? おとり 場合。囮捜査や盗聴によって犯罪が露見した場合。「はめた」方と「はめら れた」方の両方に非があるとはいえ、一般に、「はめられる」だけの大悪を 秘めていたからこそ「はめられた」のだと言える場合が大半だろう。 したがって、「ポッダム宣言は原爆投下のためのアメリカの口実 ( 陰謀 ) だっ た」ということは、かりに正しくても、それだけではアメリカの原爆投下が 悪だったことにはならない。盗聴という汚い手段によって罪の証拠を得たと しても、罪の証拠を得ること自体が悪だということにならないのと同様であ る。とくに原爆については、これまでの各問で見てきたような「メリット」 があったとすれば、手段を問題視することで目的を断罪することは必すしも できないことに注意しなければならない。 仲晃「黙殺ーーーポッダム宣言の真実と日本の運命」く上〉く下〉 NH K ブックス 朗須藤眞志「真珠湾く奇襲〉論争」講談社選書メチェ 3 亠 原爆が戦争を引き延ばしたという理屈は成立するか ? 原因と結果を取り違える誤り 前問までで、主要な次の二点が確認された。 1 . 手段が間違っている場合、目的まで間違っているとは必すしも 言えないこと。 2 . 目的が間違っている場合、手段まで間違っているとは必すしも 言えないこと。 第一点の典型例は、日本政府が拒絶しやすいようにわざとポッダム 宣言の文言を操作するという、ポッダム宣言の汚さは、その目的とす る原爆投下そのものが汚いかどうかを決定しない、ということである。 よい目的を達成するためにはある程度手段を選ばす、という功利主義 /62
2 6 1 0 7 「国体護持」の論理とは何なのか ? 国が許可を与えるなどという事態にはとうてい応じられまい。つまりは、日 本が戦争に勝って、日本の意のままに天皇制を継続するのでないかぎり、天 皇制維持には意味がなくなることになってしまう。このような立場がゆきつ く先は、徹底抗戦あるのみだろう。 平沼騏一郎も、神がかり国本主義ではやってゆけないことに気づいたのか、 国体護持ができそうだという感触が得られた時点でポッダム宣言受諾に賛成 するようになった。 外的関係、内的関係 * A が B 「を認める」「を好む」「を知る」「より大きい」「に似ている」 などの関係は、 A と B との間の「外的関係」と呼ばれる。外的関係は、 因果関係を必すしも伴わない論理的な関係である。それに対し、 A が B 「を壊す」「を濡らす」「から生まれる」「を運ぶ」「に焼かれる」な どの関係は、「内的関係」と呼ばれる。内的関係は、因果関係を伴う関 係で、それが成り立つかどうかによって A や B そのものの性質を変え てしまう関係である。 外的関係の多くは単に名目的な関係であり、 A や B そのものの性質 とは独立なので、実利的には重視しなくてもよい場合が多い。外的関 係の過度の重視から、さまざまな魔術的拘束が生する。戦没者と靖国 神社との関係ーーたとえば「に祀られる」という関係ーーは、被祀者 の遺骨や遺品が靖国神社に置かれているわけではないため、典型的な 外的関係であり、単なる名目的・制度的な関係なのだが、その存否が 戦没者の遺族や愛国主義者にとっては重要な意味を持っことがある。 半藤ー利編「日本のいちばん長し嗄」文春新書
2 3 5 戦災者の中で被爆者は別格でありうるか ? 5 9 らないだろうか。 答え 被爆者援護法の前文には、次のような文言がある。「核兵器の究極的廃絶 に向けての決意を新たにし、原子爆弾の惨禍が繰り返されることのないよう、 恒久の平和を念願するとともに、国の責任において、原子爆弾の投下の結果 として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被 害であることにかんがみ、高齢化の進行している被爆者に対する保健、医療 及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ、あわせて、国として原子爆弾に よる死没者の尊い犠牲を銘記する・・・・・・」 原爆投下は、核兵器廃絶運動との関連において象徴的意義を持つ事件であ ること、そして、戦争が終わって何年も何十年もたってから生する後遺症の 理不尽さ、この二つが、原爆被爆者を特別な被災者にしている要因というわ けである。思えば、サンフランシスコ平和条約の発効とともに「戦傷病者戦 没者遺族等援護法」がすみやかに施行されたのに比べ、被爆者救済法の整備 こへ私たちは、原爆投下作戦に特有の が遅れたこと自体、失当と言える。 目的から導かれる、原爆被害の特殊性を付け加えよう。 原爆投下は、純粋な軍事作戦というよりも心理効果に訴える政治的作戦 だということを再三見た。原爆政策を調査・勧告した「中間委員会」は、 1945 年 6 月 1 日の時点で「労働者の住宅に囲まれた軍事施設に対して使う べし」と報告したが、これは、「最大の心理効果をあげるために、軍民二重 目標を破壊する」という狙いだった。つまり、「民」の殺傷ーーーなるべく多 くの人命を抹殺してみせることが示威目的の本質部分として組み込まれてい こが通常の無差別爆撃と根本的に違う。 することで日本の戦争遂行能力を奪うしかない。大工場を破壊しそこねても、 あたりの命中率はすこぶる悪かった。かくなる上は、都市機能を確実に破壊 るためだった。爆撃の第一目標だった中島飛行機武蔵野製作所も、出撃 1 回 爆撃による標的破壊率がたった 5 % であることへの上層部の苛立ちを解消す る無差別都市爆撃に踏み切ったのも、 B ー 29 本来の性能を活かした高々度 的とするものではない。カーティス・ルメイが 1945 年 2 月、日本に対す 精密爆撃はもちろんのこと、無差別爆撃も一般に、人間への殺傷を直接目
結局、ソ連参戦は、法的・道義的に正当化されざる暴挙ではあったが、ソ 連の国益と早期終戦という目的から判断すれば、必要不可欠の出来事だった と言える。日本陸軍の徹底抗戦の構想を確実に葬るには無警告のソ連参戦し かなかったからである。皇居、大本営、政府機関を松代に移しての本上決戦 構想は、敵が北からは上陸してこないという前提に立っていた。ソ連の軍事 介人は、日本のすべての計画を水泡に帰せしめたのである。 ス . ターリンの対日参戦の第一の動機は、日露戦争の仇を討って領上を回復 し、対独戦で被った被害を埋め合わせる戦利品を少しでも多く獲得すること だった。対日宣戦布告では前述三つの「高尚な目的」が掲げられたにもかか わらす、ソ連国民への対日戦勝メッセージ ( 9 月 2 日 ) でスターリンは、日 露戦争、シベリア出兵、張鼓峰事件とノモンハン事件に言及し、復讐と領土 回復を宣言している ( 広島原爆直後のトルーマンの声明もそうだったが、国 家指導者は「復讐」のような原始的本能にアピールして国民の人気をとる習 性があるようだ ) 。しかし 1924 年にソ連が国際連盟へ提出した覚え書きで は、日露戦争の原因はツアー政府の対日侵略政策であるとされていた。帝政 ロシアを倒して帝国主義政策を放棄したはすのソ連が、再び帝政ロシアの遺 志を継いで対日敗戦の汚名返上を宣言したわけだ。イデオロギーよりナショ ナリズムを唱えて戦勝を勝ち取った独ソ戦以来の教条的逆説が見えて面白 ソ連参戦の本当の動機がかくも不純であり、宣戦布告文のこ立派な開戦理 由はただの口実だったとしても、 45 年 8 月現在の太平洋戦争の状況に鑑み て、最も良い結果をもたらすのがソ連の直接軍事介人だったことは間違いな い。よって表向き高尚な参戦理由はあながち事実に反しておらす、ソ連の領 土的国益に倫理的粉飾をすら与えた。ソ連参戦は、真に正当ではなかったが 必要だった。皮肉にも、スターリンの悪辣な領土的野望の暴発こそは、引っ 込みがつかなくなっていた日本に引導を渡す天佑そのものだったのである。 以上のことから、原爆投下についても、ソ連ファクターに照らすかぎり「正 当ではないが必要だった」と判定することができる。さらに言えば、自ら結 んだ中立条約を破ったソ連の罪そのものに比べて、破るよう仕向けたアメリ 力の教唆罪は軽いことを考えると、原爆投下は「正当かどうかは微妙だがま ぎれもなく必要だった」と判定できるだろう。 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問