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検索対象: 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問
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1. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

そのような弱みを今さらアメリカは見せるわけにいかないだろう。一度 ルーズベルトによって敷かれた無条件降伏要求の路線は、いかに悪法であろ うとも、後継者トルーマンとしては遵守せざるをえなかったのである。 ここにもうーっの要因が加わる。トルーマンは、ルーズベルト急死によっ て就任するまで、無名だった。自分よりはるかに有名な国務長官バーンズや 陸軍長官ステイムソンに囲まれて、弱気政策に転することなど絶対にできな かった。内政的に見ても、国民の支持を取りつけねばならない新大統領とし ては、可能なかぎり強気な姿勢を崩してはならなかった。もしルーズベルト が生きていれば、もはや今の日本には無条件降伏を要求しなくてよかろう、 などと柔軟な態度を示すこともありえただろう。彼自身の責任における熟慮 だと認められたはすである。しかし、新米大統領トルーマンがルーズベルト 路線を引っ込めでもしようものなら、弱腰大統領として戦時の貴重な国民的 トルーマンが大統領就任演説で「われわ 支持をたちまち失ったに違いない。 れの要求は無条件降伏だったし、現在もそれに変わりない」と述べたとたん、 議会は満場の拍手で包まれたのだった。 そして、三つめの要因。日本に対して無条件降伏の要求を弛めようかとい う案が出たとき、ヨーロッパ問題の部署から、ドイツに要求して呑ませたこ とを日本に適用しないのは不公平である、との苦情が寄せられたという。政 策のノヾランスということは意外に重要であり、アジアでのアメリカの姿勢が ョーロッパに悪影響を及ばすことが懸念されたのだろう。 以上の三つはそれそれ過小評価できない要因であり、連合軍の勝利は 100 パーセント揺るがないながらも、中途半端な講和で対日戦を終わらせ ていたら、アメリカ、日本、中国、アジア諸国にとって決して好ましい戦後 秩序はもたらされなかった可能性が高い。天皇訴追を免れたために日本の反 省が生ぬるく、近隣諸国の不信を払拭できていない弊害を考えると、無条件 降伏撤回という譲歩までも日本が勝ち得ていたらどうなったことか、おおよ そ察しがっこうというものだ。 無条件降伏要求を宣言したという既成事実のもとでは、その宣言を撤回す ることはきわめて難しく、デメリットが大きすぎるのである。無条件降伏要 求から逸れることが難しいのであれば、倫理的にも、原爆投下に限った評価 をするべきであって、その前提を形成した無条件降伏要求の是非を原爆論議 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問

2. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

2 4 今さら無条件降伏要求を責めても仕方ないだろう ? はっきりと「ナチスの降伏」を求めるべきだったのに、ドイツ国全体を対象 としたために終戦を遅らせた罪がある。しかし日本に対しては、いかなる有 効な対象を無条件降伏要求の対象として名指ししようとも、結果に大して違 いは生じなかったと言えよう。依然として原爆投下は必要だっただろう。 2 蚣グイド・クノップ「ドキュメントヒトラー暗殺計画」原書房 /62 今さら無条件降伏要求を責めても仕方ないだろう ? 演繹定理 それでは前々問の第二点、「無条件降伏要求が間違っていたとしても、 その要求によって形成された文脈のもとでは、原爆投下はやむをえな かった。無条件降伏要求そのものの罪は原爆投下に転嫁されてはなら ない」についてはどうだろうか。 答え 無条件降伏の要求が正当化できないと仮定した場合、原爆投下は正当化で きるのだろうか。 1943 年の段階で明言されてしまった無条件降伏の要求は、 1945 年にはもはや訂正はできない。訂正することは後退と見なされ、敵に 弱みを見せることになって、戦争継続のための世論の維持ができなくなる可 能性があるからだ。 その考察には、いくつかの要因が絡んでいる。三つほど挙げよう。 ーっは、ドイツが降伏したことで、日本が却って希望を抱いたということ がある。第 13 問で見たように、米英の世論が厭戦に転する可能性があった。 そこへ無条件降伏の撤回などということになれば、日本は降伏するどころか、 嵩にかかって和平条件を吊り上げてくる可能性もある。ソ連が参戦すればア メリカは焦って、講和条件を日本に有利に変えてくるかもしれないと考えて いた日本軍人や政治家もいたくらいなのである。

3. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

0 9 5 2 2 超自然頼み、そもそも無条件降伏要求のせいでは ? いる ( 第 8 問で見た地中海戦域優先戦略の誤りを加えると、戦争は計 2 年延 びたことになる ! ) 。連合国の無条件降伏要求を意識して、すぐ後のナチス 党大会で宣伝相ゲッペルスはヒステリックな徹底抗戦の演説をしているし、 いまいち戦果の乏しかったイタリア軍ですら俄然必死に戦いだしたという。 とくに、 ドイツ国内には反ヒトラー派が少なからす存在していたのに、無 条件降伏要求によって、反ナチも戦争に協力する気運ができてしまった。反 ナチ・親ナチ問わすドイツ人すべてを一蓮托生に追い込んでしまったのだ。 実のところ、 1943 年春という早い段階から、後にヒトラー暗殺未遂に携わ ることになるドイツ国防軍一派により、西部戦線での和平が打診されていた。 条件は、非ナチス化したドイツ軍と米英軍が合同で、ソ連軍の西進を食い止 めること。ナチス打倒のこの絶好の機会を、無条件降伏にこだわるルーズベ ルトは蹴ってしまう。つまり、政治、経済、心理、軍事という四つの要素の うち、特に重要な「政治的手段」によって敵国の内部分裂を謀る理想的な戦 略があったというのに、それは顧みられす、もつばら軍事によって枢軸国を 撃破する方針を連合国は明言してしまったのである。これは、いたすらに選 択肢を狭めた姿勢であり、無駄な出血を双方に強いることになった。 無条件降伏の要求は、はとんど必然性も必要性もなく発せられた。もとも とドイツも日本も、アメリカやイギリスを占領する意思などなく、全面勝利 を目指す意図もなく、戦況有利な段階で適当な講和を結ぶつもりだった。東 部戦線と日中戦争に関しては事情は異なっていた ( とくに独ソ戦では民族絶 滅戦が唱えられていた ) が、いかにルーズベルトが親ソ派かっ親蒋介石派と はいえ、ソ連や中国のために枢軸国と無用な流血を続けることを望んだとは 思われない。無条件降伏という、枢軸国側としては要求することもされるこ とも考えていなかった厳しい声明があの段階で突如ルーズベルトの口から発 せられた理由は、まことに謎なのである ( ーっの仮説は第 41 問で示す ) 。 日本においては、太平洋戦争末期にこの無条件降伏要求の悪影響が表われ てきた。アメリカは日本国内の和平派と継戦派の対立を利用して、和平派を 激励するような外交攻勢をかける手があったのに、それをせすに無条件降伏 の要求をひたすら繰り返した。こうして天皇制保持に言質が与えられなかっ たために、日本国内では継戦派が「国体が護持されない」との理由を掲げて 継戦論に説得力を持たせることができたのである。和平派の巻き返しのため

4. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

1 0 9 2 7 面子と面子の衝突は腹芸で妥協 ? 身の手で」「連合国による日本占領はなし、または最小限」「日本の戦争犯罪 人の処罰は日本自身の手で」という計 4 項目に固執していた。これは、連合 国がとうてい呑める条件ではなく、徹底抗戦すると言っているに等しい。 日本の軍が無条件降伏を拒絶している以上、そして陸軍大臣の辞職によっ て内閣を自由に倒し、軍の意に添わぬ政策はことことくつぶす権限を陸軍が 握っている以上、かりにトルーマンが捨て身で無条件降伏要求を引っ込め「弱 腰提案」をしたとしても、日本政府はそれを受け容れられなかっただろう。 弱腰提案をするだけでも冒険なのに、それを拒絶されたとあっては、アメリ 力の立つ瀬がない。完璧な勝ち戦なのに、そのようなリスクを冒さねばなら ない必然性はアメリカにはさらさらなかったのである。 無条件降伏要求を引っ込めて国体維持を認めれば、確かに日本国内の和平 派を元気づけることはできただろうが、継戦派を抑えさせることはきわめて 難しかった。トルーマンが無条件降伏要求を貫徹したのは、無理なかったの である。 さらにもうーっ、アメリカ政府と日本政府との駆け引きでは済まないとい うべき要因がある。アメリカ以外の連合国の意思である。アメリカは、戦後 戦略を睨んで天皇制を認める用意ができていたが、東京裁判でオーストラリ アのウェップ裁判長が天皇の訴追を主張したことからわかるように、アメリ カ以外の連合国が 1945 年 7 月の時点で天皇制容認に同意できたかどうか は怪しい。日本と交戦中のすべての連合国を代表する宣言であるためには、 意見の相違がありうる事項については沈黙せねばならないのは当然のことだ ろう。ポッダム宣言に天皇条項は書かれてはいけなかったのだ。 ちなみに、 8 月 IO 日に日本政府が「天皇の国家統治の大権を変更するの 要求を包含し居らざることの了解の下に」ポッダム宣言を受諾すると回答し たのに対する「バーンズ回答」 ( 11 日 ) は、「降伏の瞬間から、天皇および 日本政府の国家統治権は連合国最高司令官に従属することになる (shall be subject (o) 」と述べ、「日本政府の最終形態は、ポッダム宣言に従い、日本 国民の自由に表明された意思によって確立されるものとする」と、「国民の 自由意思」を繰り返している。天皇の大権がどうなるかについては直接答え ていないが、この煮え切らぬ答え方には、アメリカの苦慮が滲み出ていると 言えよう。国内の強硬派や中国、オーストラリアをはじめとする連合国の不

5. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

に反ナチ的気運が高まり、ヒトラー政権打倒、戦争の早期終結といった流れ も期待できたはすだろう。ちょうど、南京陥落後も蒋介石が降伏しないこと あいて に苦慮した近衛内閣が、 1938 年 1 月に「爾後國民政府ヲ對手トセズ」と声 明発表し、中国人の政治的分断を図ったのと同じ戦略である。日本が、中国 全体を敵とするのではなくあくまで蒋介石政権と戦っているのだという態度 を表明したやり方は、その効果のほどはともかく、ルーズベルトにとって手 本になったはすである。 ナチも反ナチも一緒くたに徹底敗北に追い込もうとする姿勢は、「分割の 誤謬」を犯していると言える。分割の誤謬とは、全体の性質がそのまま部分 もしくは構成要素にもあてはまると考える誤謬である。下手くそなオーケス トラの構成メンノヾーがみな下手くそな演奏者だとはかぎらない。みな一流の 演奏者なのだが、音楽観が違うとか、人間関係上の原因でチームワークがバ ラバラだとかで、全体としてはひどいオーケストラになってしまっているの かもしれない。国家の代表 ( 政府 ) と国家のメンバー ( 国民 ) の関係も同様 である。ドイツ政府が憎むべき性質を持つからといって、国家を構成するド イツ国民にその憎むべき性質を無条件で移し替えてはならない。国内の和平 的分子を信じて働きかけ、政府の邪悪さを解体する分断策は、ヒトラー暗殺 計画が幾度も企てられた風土を考えると、ドイツに対しては功を奏した可能 性がある。 ただし、日本に対してはどうだったろう。分断策の効果は疑わしかったの ではないか。日本人も確かにさまざまな性格の個人から成ってはいたが、ド イツ国民とナチス党との分離に相当するような潜在的裂け目は日本には存在 しなかった。日本に対して分離策をとるとしたら、日本国家の無条件降伏の かわりに「日本の軍閥」の無条件降伏を要求するというポッダム宣言方式を カサプランカの時から公表することになるだろうが、軍を相手どって蜂起で きるような勢力は日本には存在しなかった。ドイツ国防軍がナチスに反旗を 翻しかけたのと同様な事態は、日本では起こりえなかったのである。そのよ うな反軍的な事態を呼び起こすためには、それこそ原爆投下によって天皇と いう究極の力が動かされ、軍を抑え込むことが必要だったのである。 まとめるとこうだ。枢軸国に対する無条件降伏要求は、間違っていたとす れば、要求そのものではなく、降伏を求める対象だった。ドイツに対しては 0 9 8 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問

6. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

3 3 「議会への説明」というプレッシャーは何なのか ? 機の緊急性は、勝勢の側より敗勢の側が高いという了解が自然であろう。そ の自然な論理をあえて逆転させる「無条件降伏要求緩和」は、勝勢側によほ どの弱みが発生しないかぎり、誤解やトラブルのもとである。「無条件降伏 要求緩和請願」を敗勢側から申し出るのが筋なのである。 原爆が使われたことが日本にとって「天佑」とされたことはすでに述べた が、アメリカにとっても原爆は天佑だった。つまり、圧倒的な核兵器を見せ つけたことにより、たとえ日本側の提示条件を呑んだとしても「弱腰」ゆえ でないと主張できることになった。かりに国内の戦気運を見破られている としても、実戦で日本を確実かっ短期間に叩き潰す力があることを内外に証 明できたことにより、かえって無条件降伏要求を弛めやすくなったのである。 容赦なき原爆使用によってようやく、強者の譲歩が「継戦への怖れ」ゆえで はなく「寛大さと平和希求のしるし」と信じられるようになったのだ ( 国際 連合の平和構築の決意のアピールとしても「勝者の余裕」は重要だった ) 。 強者アメリカの余裕は国際世論に対して重要な印象をもたらしたが、他方、 国内世論との関わりにおいては、原爆投下のためのまったく異質な動機がし ばしば挙げられてきた。「議会への説明というプレッシャー」である。マン ハッタン計画による原爆開発は、第二次大戦中にアメリカが取り組んだ戦争 努力の中でも最大級の企画だった ( ただし、基本的に不確定な兵器だったの で、すべての新兵器開発の中で最大のプロジェクトではなかった。たとえば B ー 29 開発の初段階だけでも、マンハッタン計画の 1 . 5 倍の費用がかけら れた ) 。 20 億ドルという、当時の日本の国家予算を超える巨費をつぎ込み ながら、それがアメリカの国家予算として表面化しないような秘密保持の下 でマンハッタン計画は進められた。 このいかがわしい資金流用を嗅ぎつけて調査にあたったのが、奇しくも、 当時上院議員だったハリー・トルーマンだったのである。トルーマンは「国 防計画調査特別委員会」の委員長として、政府資金運用の不正を次々と摘発 していたのだ。 43 年夏の段階でトルーマンは、目的不明なマンハッタン計 画について報告を受け、いつもどおり正義感に燃えて追及する。困った陸軍 長官ステイムソンは自らトルーマンを訪ねて「戦争遂行のための最高機密で す。政府を信じて、引き下がっていただきたい」と訴えた。トルーマンはス テイムソンを信じて調査を打ち切った。トルーマンは大統領に昇格したとき

7. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

今さら無条件降伏要求を責めても仕方ないだろう ? 2 4 に持ち込むことはフェアでない、と言えるだろう。当面の文脈内の問題解決 として原爆投下が正しかったかどうか、だけを論するべきである。重病の人 を治療するために大手術をする場合、病気という前提が嘆かわしい状況だか らといって、手術も否定されるべきだということにはならない。病気は今さ ら撤回できないからである。同様に、「無条件降伏要求」がもたらした悪し き状況を打開するために、原爆という荒療治しかないならば、無条件降伏要 求という今さら撤回できない状況の是非を原爆投下の倫理的評価に読み込ん でも意味がないのである。無条件降伏要求政策は原爆投下の遠い原因であり、 背景であって、行為としての原爆投下の是非に無条件降伏要求の是非はもは や ! 響しな 0 、。無条件降伏要求が与えられた上 00 0 条件付き判断 0 0 = よ て原爆投下の是非を評価せねばならない ( 「条件付き判断」の重要性は、ヨー ロッパ第一戦略の実施法の矛盾を考えた第 8 問でも確認された ) 。 いきなり「 P 」とだけ述べると疑わしいとしても、 Q という文脈下では「 P 」 が正しいと認められる場合、「 Q ならば P 」という命題を正しいと認めるべ きだ、という論法は、論理学で「演繹定理」と呼ばれる。その逆も同様。「 Q ならば P 」が正しいならば、 Q という条件下では裸の「 P 」が真と認められ ねばならない。 P を原爆投下、 Q を無条件降伏要求と読めば、本問での「条 件付き判断」推奨の議論が「演繹定理」に即したものであったことがおわか りだろう。 以上、①そもそも無条件降伏の要求は正当だったと考えるべき理由があ ること、②無条件降伏要求の文脈が設定されればそこから外れることは至 難なので、かりにその文脈が間違った前提に立っているとしても ( 無条件降 伏を要求すべきでなかったとしても ) 、原爆投下にはもはや罪を転嫁できな いこと、この二点を確認すれば、肯定派にとってはとりあえす十分だろう。 蚣ロナルド・タカキ「アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか」草思社 蚣福田和也「第ニ次大戦とは何だったのか」ちくま文庫

8. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

0 9 7 2 3 なぜ「国家」に無条件降伏を要求したのか ? 吉田一彦「無条件降伏は戦争をどう変えたか」 PHP 新書 2 3 / 62 なせ「国家」に無条件降伏を要求したのか ? 答え ててみよう。 分割の誤謬 前問末尾で提示された二つの主張に即して、具体的に議論を組み立 わす結束するようなことは起こらなかっただろう。戦局の悪化に伴って急速 はすだ。そうすれば、無条件降伏要求によってドイツ国民がナチ・反ナチ問 象を制限して、「ナチス政権」の無条件降伏を要求するという方法もあった イツ」に対して、つまり国家に対して要求する必要があったのだろうか。対 しかし、ナチスの蛮行が許しがたいものだったとしても、無条件降伏を「ド る人々の観点からすれば、正しかったということにもなるだろう。 を遅らせはしたが、長い目で見れば、とくに枢軸国の占領地で虐げられてい ない。無条件降伏の要求は、枢軸国の死に物狂いの抵抗を誘って当面の戦争 コーストは、戦争努力とは何の関係もない超大量殺人であり、容認の余地は なる侵略戦争を企てないともかぎらないからである。とくにナチスのホロ 和で済ませてしまうと、ナチもファシストも日本軍閥もそのまま残って、次 という決意を連合国が固めたとしても責めることはできまい。単なる条件講 解体できるほど完璧な敗北に追い込まないかぎり、世界平和は実現できない ていることも知られていた。勝者によって枢軸国の軍および政府そのものを すうすではあるが察知されていた。中国で日本軍が毒ガスと細菌兵器を使っ ることはよく知られており、強制収容所でのホロコーストのありさまも、う あながち不可能でもない。たとえば、当時ナチスがユダヤ人を迫害してい ます第一に、無条件降伏の要求は正しかった、と論することは可能だろう

9. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

3 2 答え 天皇制を認めるく試み〉くらいしてもよかったのでは ? 日本の降伏を妨げている最大のポイントである「天皇制廃止への懸念」を 日本人に払拭させて、少しでも降伏しやすくする努力は、アメリカとしてや るべきだっただろう。すでに見たように、天皇制容認は日本降伏のための十 分条件でないにせよ必要条件ではあったのだから、それをしなかったことは 責められるべき要因になる。本当に責められるべきかどうかは、無条件降伏 要求撤回のリスクーーーっまりトルーマン政権が支払うべきコストがどのく らい高くつくか、ということで決まる。 「無名の新米大統領として、国民に舐められないように」弱腰政策はとれ なかった、ということを第 24 問で見た。しかし本当だろうか。国務省以外 のアメリカ首脳部は、ポッダム宣言に天皇制容認を明記することにおおむね 賛成だったし、国務省内部にも、駐日大使を 10 年務めたジョセフ・グルー 次官のように、天皇制容認の発表を主張しつづけた「日本問題の権威」がい た。なによりアメリカの戦後政策は、天皇制を残しつつ天皇の権威を介して 日本の改革を進める方針に決まりつつあった。 チャーチルも、日本に天皇制を容認する旨を伝えて早く降伏させろ、と提 案した。イギリスとしては、同じ君主国という理解もあったことに加え、第 一次大戦の戦後処理の失敗を繰り返すまいという意図もあった。第一次大戦 後にドイツ皇帝を廃してしまったために、ヒトラーとナチスが台頭する隙を 作ってしまった。その悪夢を繰り返すまいというのがチャーチルの立場であ る。 こうして、実際に国内の指導層の大勢と同盟国のトップが無条件降伏要求 緩和を支持しているのだから、トルーマンとしてもポッダム宣言に天皇条項 を人れることはさほど難しくなかったはすなのである。 むろん、政策レベルの判断と、それを事前に公にするかどうかは別問題で ある。戦争末期の、戦後戦略との境界においては、世論の支持が民主主義国 家にとって相当重要だったことは察しがつく。戦争末期にもアメリカ世論は、 天皇に対する反感が強かったと言われる。どの調査でも、 70 % 以上のアメ リカ国民が何らかの形での天皇の処罰を求めているという結果が出たという ( 6 月 29 日発表のギャラップ調査では「天皇を処刑せよ」 33 % 、「天皇を 訴追、終身刑、島流しなど」 37 % 、「天皇を遺して傀儡として利用せよ」 7 % ) 。

10. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

には、原爆とソ連参戦という本来無用だった二大惨禍を経なければならな かったのだ さて、無条件降伏要求の誤りを弾劾して原爆投下を非難する否定派に対し て肯定派が出せる主張は、次の二通りある。 1 . 無条件降伏の要求は正しかった。 2 . 無条件降伏の要求が間違っていたとしても、その要求によって形成さ れた文脈のもとでは、原爆投下はやむをえなかった。原爆投下を支 持するにはそれで十分であり、無条件降伏要求そのものの罪は原爆 投下に転嫁されてはならない。 マ論理の循環論法、行為のマッチボンプ * 「わが軍が A 地区を爆撃したのは、 A 地区が軍事基地だからである。 A 地区が軍事基地だと言えるのはなせか。それは、わが軍の爆撃対象 二つの主張がそ は軍事施設に限定されているからである」のように れぞれ互いの理由を提供しあっているような論法が循環論法である ( 必 すしも二つではなく、もっと多くの文が循環連鎖を形作っている場合 もある ) 。それに対してマッチボンプ論法は、循環論法の行為ノヾ .—ジョ ンで、行為の理由と行為の原因が互いに互いを作り出しあうような論 法である。「 A 地区は軍事基地である」という主張の理由として「 A 地 区には多数の対空砲があるからだ」という事実が挙げられる一方、「 A 地区には多数の対空砲がある」ようになったのはなぜかといえば「 A 地 区に爆撃がなされる」という事実に対処するため、といった場合。爆 撃が原因となって対空砲を備えさせ、対空砲の存在が爆撃の理由となっ ている。マッチボンプを一つの文に圧縮して「わが軍が A 地区を爆撃 したのは、 A 地区が軍事基地だからである。 A 地区が軍事基地だとわ かったのはどうしてか。それは、爆撃のさい多数の対空砲火で応戦し てくることからわかる」と書き直せば、はば循環論法と同じ文になる ことがわかる。 0 9 6 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問