戦車の中身はど 5 なってる ? その構造と機能 太郎「ところでおじさん、自分は戦車の構造や機能がイマイチ頭に入っとらんのです。おさらい の意味で、いろいろと教えてもらえませんか ? 」 おじさん「よかろう、では復習だな。さっそく、これから一般的な戦車の構造とその機能につい て言及するとしよう。まず戦車の構造だが、大きくは砲塔部と車体部に区分される。砲塔は、おお むね円形もしくは多角形の構造物であって、搭載砲による全周射撃のため、人力や油圧あるいは電 動モーターなどで駆動し、自在に回転するようになっている。 し、カ で、砲塔は、良好な射界を得るためには、ある程度の高さを必要とする。なぜかと言えば、 ム月 機に全周に砲を指向できようとも、砲の俯仰角 ( 上下する角度 ) には限度があるからだ。 戦車の主戦場となる野外は、起伏に富む不整地であることが多い。これは、地形を利用して俯角 構 そ一杯として砲身のみを突き出しての射撃、つまり稜線射撃をするには都合が良いけど、反面、地形 ? が障害物となって射撃に支障をきたす場合もあるのだよ。 る て スウェーデンの >—on 戦車のように、無砲塔で車体に直接砲を固定した戦車も存在する っ んだが、油気圧によって車体を前・後傾することによって、砲の俯仰角という問題を解決している。 また、特殊な例としては、フランスの <>>< ーのように、戦車砲と一体となり俯仰する構造の『揺 中動砲塔』というものも存在する。 の 車 とは言え、砲塔を高くすれば重心も高くなり危険だし、なによりも敵弾が命中しやすくなるから 戦 な。戦車設計のプロたるエンジニアたちは、適度な高さの砲塔を設計するのに苦心しているのさ。
おじさん「そういうこった。さて、免許取得により戦車の操縦ができるようになれば、晴れて せんしやマン 戦車男の一員になれる。しかし、この後がまた大変なんだ。一人前の戦車男となるためには、さら に数々の教育訓練が待っている。原隊 ( 自分の所属部隊 ) での教育だけでなく、他の駐屯地で実施さ れる短期間の集合教育や、数カ月入校して教育を受けることもある。自衛隊には、隊員の教育訓練 を専門とする『学校』が存在するのは知っているかな ? 」 太郎「陸自の『富士学校』とか『武器学校』なんかのことでしよ。海自や空自には『第〇術科学 校』ってのもあるよね」 おじさん「そうだ。将来、太郎も、陸曹候補生などの試験に合格すれば、方面隊ごとに所在する 育『陸曹教育隊』に入校することになる。まあ自衛隊にかぎらず、民間企業でも研修につぐ研修で勉 の強するとはいえ、義務教育を終えても学校に入校するのは自衛隊くらいだろうな。しかも下っ端で 戦あるうちは、臨時勤務やその他の雑務にも追われるから、その多忙さも推して知るべしってもんだ 陸な」 で太郎「なかなか大変そうだなあー おじさん「まあな。じゃあ実際、太郎がこれからどんな訓練をするのか説明するとしよう。 せんしやマン 戦車男としての乗車時における最も基本的な訓練、それが単車訓練だ。七四式戦車の場合であれば、 操指揮官たる車長と、操縦手、砲手、装填手によって乗員が構成されている。つまり、車長以下四名 車の乗員が一体となって、はじめてその能力を発揮するってコトだな。そのために、この単車訓練に よって連携動作を演練するんだ。 せんしやマン
六一式戦車のそれとは雲泥の差だ。まず、もっとも注目されたのは、油圧による車体の姿勢制御機 能だ。この姿勢制御機能は、現在でこそいくつかの戦車で採用されているが、車高調整や前後に傾 斜するのはともかく、左右にまで車体を傾斜させることが可能なのは、世界的にも珍しい機能でね。 これは七四式戦車の登場以前には、スウェーデンの co > 1 c 3 戦車で実現されていたくらいだ ったんだ。 そして搭載するエンジンは川型、 2 ストロークの > 型十気筒ターポチャージャー付き空冷デ ィーゼルで、七百五十馬力の出力を誇った。当時の諸外国では、七百 5 八百馬力級のエンジンが戦 車に用いられていたから、動力面で世界第一級の水準にあったわけだ。また、英国が開発したー 7 系百五ミリライフル砲を日本製鋼所がライセンス国産したものを搭載し、武装面でも当時の世界 水準を行くものだった。ただ、その装甲防御力という点に関しては、登場した時期が時期だけに、 世界レベルからすれば若干見劣りするものとなったけどな」 太郎「ど、ついうことスか ? 」 おじさん「というのもこの時期、世界では <a-4QU) ー弾が実用化されたが、わが国は諸外国 の後追いという形で兵器開発を行なっているから、その開発サイクルがどうしても諸外国とズレて しまう。また、研究開発の予算が諸外国の半分にも満たないという制約から、冒険的かっ斬新な技 術開発も困難だ。それゆえに、戦後第二世代の戦車としては出現が遅かったことで、各国で実用化 されつつあった Q ー弾への対応を考慮した装甲とはなっていないのだよ。 その装甲は、車体がガス溶接による防弾鋼で砲塔が鋳鋼だった。砲塔を鋳造としたのは、主とし 174
の重量が約二十三キログラムと言われるからな。おじさんは、訓練用の擬製弾しか抱えてみた経験 はないが、それでもかなり重く感じられたぞ。 ここで、すこし火薬の話をしよう。演習弾といって炸薬 ( 火薬 ) の入っていない砲弾 ( 代わりに不 活性剤が填実されている ) ならそれ自体は爆発しないし、砲弾の中に詰まっている炸薬は比較的鈍感だ。 だから発射前の野砲の弾薬などのような、信管がついていない砲弾を落としたところでまず爆発は しない。炸薬自体は、それを砲弾から取り出して火をつけたとしても、ゆっくりと燃焼するだけだ。 ところが、信管の中には少量だが非常に鋭敏な火薬 ( 起爆薬や伝爆薬Ⅱアジ化鉛やテトリルなどを主剤 質 資としている ) が入っているから、これが作動することで鈍感な炸薬が爆轟、つまり瞬間的に燃焼す れるわけだな。これが爆発だ」 求 太郎「もし弾薬を落としたら、信管が作動して『ちゅど 5 ん』となったら即死かな」 要 おじさん「で、弾薬の内部には、これを爆発させるために『少量の鋭敏な火薬』と『比較的多量 戦の鈍感な火薬』を組み合わせて配列してあるわけだ。これを火薬系列という。 自 陸 だから、信管つきの砲弾は廩重に取り扱う必要がある。万一、落としたら最悪の場合、爆発する かも知れないからな。これを落とさぬように注意しながら車内に運び込むのだから大変だ。通常、 公 奉弾薬を手渡しする際は、渡す側の者が『弾 ( たま ) 』と発唱して渡し、受け取る側の者は確実に保 下持したら『よし』と発唱する。つまり『あ・うん』の呼吸というべきかな。二人が相互に連係して ら とい、つものだろ、つ。 作業するのが重要だぞ。弾薬の搭載作業のキッさは素人の想像にも難くない、 首 そして最後にもっとも重要なのは、協調性だ。もちろん、陸自の他職種であれ、海自であれ空自 143
服も独特なら、靴もまた独特の形状だ。第二次世界大戦時の戦車兵は、旧帝国陸軍をはじめとし て、各国とも丈が長い革製の長靴が一般的だった。戦後における各国の戦車兵は、歩兵用のコンバ ット・プーツと異なる、紐なしの専用プーツを着用するのが一般的だ。これも、素早い着脱を重視 した結果で、わが国もまた同様だな。戦前は、紐なしの長靴で戦後の自衛隊でもバンドで留める『戦 闘靴、装甲用』が用いられている。 また、多くの場合、戦車乗りは歩兵用とは形状の異なるヘルメットを着用している。自衛隊では、 戦車用へルメットを戦車帽と呼称している。最近、『装甲車帽』と呼称変更されたようだが、これ は正式名称の話だ。第二次世界大戦時は、各国とも素材に皮革を用いるのが主流だったけど、日本 陸軍ものは、なんと厚紙を成形して革でつつんだものだったのだよ。 太郎「 : : : 貧乏くさいッスね 備おじさん「これは、ト銃弾や砲・迫っまり迫撃砲の弾片から頭部を防護するためのものではなく、 ど車内の突起物から頭部を保護することを目的としているからなんだ。また、素材が革といっても当 一時の飛行帽のような柔軟な革ではなく、厚手の革を何層にも重ねて成形したものが多かった。その フため、ヘルメットは脱いでもその形を保っていて、かなり剛性が高かったのだよ。 ュ 戦後は、旧ソ連などの共産圈では革や布製のヘルメットが使用されたが、米軍などではグラスフ の 男 アイバーなど樹脂性のものが多用された。現在では、自衛隊をはじめとする各国とも、ケプラー繊 車 維などを使用したヘルメットを使用している。ちなみにケプラーは米国デュポン社の商標で、わが 7 陸 国では合弁会社の『東レ・デュポン』が生産を担当している。
この滑腔砲、旧ソ連がー戦車に搭載するため世界に先駆けて開発したもので、同車の 型百十五ミリ滑腔砲は、出現当初、西側諸国に大きな衝撃をあたえた」 太郎「滑腔砲の利点は ? おじさん「そうさな、ライフル砲に比べ砲身磨耗が少ないばかりか、なんと言っても徹甲弾の射 撃時に要求される高初速が得られるところにあるだろう。 代表的なライフル砲である英国の *-äー 7 系百五ミリライフル砲の場合、後で説明するけど co 弾使用で約千二百三十一メートル / 秒で、その長砲身型のー富でもせいぜい約千五百メートル 秒程度の初速にすぎない。 これに対して、ドイツのラインメタル社製百二十ミリ滑腔砲は、 Qco ー弾使用で約千七百メートル / 秒。さらに演習弾にいたっては、約千八百メートル / 秒と いう高初速だ。 の また、旧ソ連の系百二十五ミリ滑腔砲は、系の対戦車ミサイルが発射可能となっている。 そ 砲従来、砲弾とミサイルの発射を兼ねるものは、前述した米国製のー 162 型百五十二ミリ『ガン・ 戦ランチャー』しか存在しなかったから、この一門二役の機能も無腔線である滑腔砲ならでは、と言 砲えるだろう」 滑 太郎「ふ 5 ん。西側の軍隊では、ガン・ランチャーは普及しなかったんですね。それじゃあ、つ ルぎは戦車の弾薬について教えてくださいよ フ イおじさん「よかろう。ます弾薬とは、銃砲などから発射されるかロケットやミサイル等に運搬さ れて目標に到達し、その運動エネルギーや化学工ネルギーによって目標を撃破するものをいう。弾
おじさん「そうだ。そこで、威力偵察といって敵にちょっかいを出して、その反応を窺ったりも する。ところが従来の自衛隊では、偵察隊が装備するのはジープとオートバイくらいなもので、そ の能力もきわめて限定的だったんだ。これでは偵察隊とはいっても、実質的には斥候にすぎなかっ たのだよ。 これが、八七式偵察警戒車の登場で、いくらかマシな状況になった。とはいえ、敵が戦車などの より強力な手段をもって反撃してきたら、容易に撃破されてしまう。こうなれば、即座に行動を中 止して撤収しなくてはならん。そこで、偵察部隊でも戦車を装備するのが望ましいのだが、わが国 の偵察部隊で戦車を装備するのは、第七師団の偵察隊のみであるのが現状だ」 太郎「全部の師団偵察隊に戦車が装備されていればなあ おじさん「まったくだな。さて、敵戦車との交戦に先立ち、通常は航空機や特科部隊の砲爆撃に よる支援を受ける。これは、戦車同士による交戦の前に敵戦車を可能なかぎり減殺し、我に有利な 状况を作為することにあるわけさ。しかし、つねにその支援がうけられるものとはかぎらない。し かも、航空機による対地攻撃支援は天候・気象の影響をうけるし、特科部隊の攻撃目標にも火力指 向の優先順位がある。そこで、味方による航空支援や火力支援が得られない場合は、油気圧による 姿勢制御機能を活かした稜線射撃を多用するなど、地形地物を味方とするしかないだろうな。 もし、冷戦時代の陸自戦車部隊が、着上陸侵攻してきた敵戦車部隊と大規模な戦車戦を展開する つまり、偽装・隠蔽し としたら、それは地形地物を利用しての徹底した伏撃となったに相違ない。 た陣地から射撃し、射撃後ただちにあらかじめ準備された予備陣地へ小移動しては射撃する、それ うかが
対するソ連は、第二次大戦後まもなく ー / を出現させた。扁平な丸型砲塔と大転輪方式の 採用は、ソ連戦車の伝統としてその後もしばらくつづいた。搭載された百ミリ戦車砲は強力で、出 現当時は世界最強の火力を誇ったんだ。 その後、西側諸国の戦車が百五ミリ砲を装備し出すと、これに対抗してさらに大口径の戦車砲を 開発した。これが百十五ミリ滑腔砲で、新型の e ー戦車の主砲として採用された。その e ーは、 一九六五年のモスクワ軍事パレードに初出現し、西側各国に衝撃をあたえた。つづく e ーは、さ らに強力な百二十五ミリ滑腔砲を装備した。これは、少なくとも口径という点では、現在に至るも 世界最大だ。もちろんこれは、近い将来、百四十ミリ滑腔砲が搭載された戦車が量産されるまでは、 という話だがね。 ーは、扁平な丸型砲塔というスタイルこそ継承したが、転輪は中直径のものと上部支持輪を 組み合わせたオーソドックスなものとなった。また、複合装甲と自動装填装置を採用したのも特徴 そして、旧ソ連最後のとして登場した e ーは、さらに新機軸テンコ盛りの野心的な戦車 であった。機関にガスタービンを採用し、主砲の百二十五ミリ滑腔砲からはミサイルも発射可能な んだ。また、敵の対戦車ミサイルに対する防御システムや、リアクテイプアーマー ( < Ⅱ爆発反 応装甲 ) も装備している。 この e ー、他国の第三世代にもけっして見劣りしないんだが、。 カスタービン機関の低い 信頼性や燃費の悪さなど、少なからぬ問題も抱えていてね。さらにソ連崩壊後のロシアは、新型戦 ヾ、」 0
っても、鋼にニッケルを添加して焼き入れすることで『引っ張り強さ』や『弾性』が向上すること は当時すでに知られていたことだがね。 この戦車の装甲として使用されたのも、炭素鋼ではなくニッケル鋼だった。これは炭素約〇・四 ーセント、ニッケル四パーセント、クロム二パーセントとしたもので、開発したメーカーの名を 冠して『クルップ鋼』と呼ばれた。このクルップ鋼、それ以外に火砲などのあらゆる兵器の製造に 使用された。ちなみに、クルップ鋼が開発された一八九四年には、日清戦争が勃発しているぞ。こ のようにして、列強各国を中心として戦車の研究開発が進むこととなったんだ」 太郎「ところで戦車といえば、外観上もっとも目立っ部分といえばキャタピラですね」 おじさん「うん。通常、戦車の履帯つまりキャタピラは、起動輪が回転することによって駆動力 史が伝達されるんだ。一般的な戦車の履帯内側には『転輪』が上下に配置され、車重を支えている。 のところが一九三一年、上部の転輪を廃止し、直径の大きな転輪のみとした『大転輪方式』の戦車が 戦出現した。米国のウォルター・クリスティー発案による e ー 3 型軽戦車というやつだ。 で しかしこの戦車、残念ながら米国内での評価は芳しくなかったな。この戦車の方式に着目したの 式は、米国ではなく英国やソ連だった。高速走行が可能なうえ、転輪の数が少ないため整備の省力化 にもつながるというのが理由さ。 ら そして英国は、機動力 ( 速度性能 ) を重視した巡航戦車を生み出し、一方のソ連も高速戦車とい ク うコンセプトを打ち出した。とくに、大転輪方式の足回りは、その後のシリーズの高速戦車な マ ど、ソ連戦車の伝統となり、戦後も e ーが登場するまで一貫してこれを採用していたくらいでね。
おぬし 各職種ごとの技能を修得するための『後期教育』に区分されるよな。御主も前期教育が終わってい よいよ後期教育だが、自衛官としてはまだまだヒョッコだ。 そして、新隊員後期教育で機甲教育隊に配置されれば、とりあえず戦車男だ。でも、この時点で せんしやマン は戦車の操縦もできないから『戦車男の卵』にすぎない。後期教育が開始されると、当初は『機甲 科の概要』であるとか『戦車の構造』などの座学を主体に教わることになる。ところが、太郎のよ うに、自衛隊に入隊してくる新隊員のすべてがいわゆるク軍オタクというわけではないから、実技 はともかく座学では、専門用語ばかりだから睡魔との戦いとなってしまう」 太郎「覚悟してます」 育おじさん「おじさんは航空科だったけど、新隊員のころは、座学の時間も目を輝かせてはマニア の ックな質問を連発して、教官や助教を大いに困らせたものだったがな。まあ、居眠りして教官助教 男 戦に気合い入れられないようにすることだな。教育がはじまってしばらくすれば、待望の戦車操縦教 陸育がはじまるけど、これがまた大変だ。 で 自衛隊の主要な基地や駐屯地には、独自の自動車教習所が存在するんだ。独自とはいっても、そ れは教習に使用している車輌が『官用車』のトラックや戦車であるというだけで、教習所内に設け ら られたコースの作りは民間のそれと大差はない。 co 字にクランクありの、縦列駐車に坂道発進あり 操のというように、まったく変わりはない。しかも、この施設は公安委員会指定の教習所で、教官や 車助教つまり教官を補佐する助手だけども、彼らは指導員の免許を持っているプロなんだ」 太郎「駐屯地の中に自動車教習所があるなんて、さすが自衛隊ですねー せんしやマン