対するソ連は、第二次大戦後まもなく ー / を出現させた。扁平な丸型砲塔と大転輪方式の 採用は、ソ連戦車の伝統としてその後もしばらくつづいた。搭載された百ミリ戦車砲は強力で、出 現当時は世界最強の火力を誇ったんだ。 その後、西側諸国の戦車が百五ミリ砲を装備し出すと、これに対抗してさらに大口径の戦車砲を 開発した。これが百十五ミリ滑腔砲で、新型の e ー戦車の主砲として採用された。その e ーは、 一九六五年のモスクワ軍事パレードに初出現し、西側各国に衝撃をあたえた。つづく e ーは、さ らに強力な百二十五ミリ滑腔砲を装備した。これは、少なくとも口径という点では、現在に至るも 世界最大だ。もちろんこれは、近い将来、百四十ミリ滑腔砲が搭載された戦車が量産されるまでは、 という話だがね。 ーは、扁平な丸型砲塔というスタイルこそ継承したが、転輪は中直径のものと上部支持輪を 組み合わせたオーソドックスなものとなった。また、複合装甲と自動装填装置を採用したのも特徴 そして、旧ソ連最後のとして登場した e ーは、さらに新機軸テンコ盛りの野心的な戦車 であった。機関にガスタービンを採用し、主砲の百二十五ミリ滑腔砲からはミサイルも発射可能な んだ。また、敵の対戦車ミサイルに対する防御システムや、リアクテイプアーマー ( < Ⅱ爆発反 応装甲 ) も装備している。 この e ー、他国の第三世代にもけっして見劣りしないんだが、。 カスタービン機関の低い 信頼性や燃費の悪さなど、少なからぬ問題も抱えていてね。さらにソ連崩壊後のロシアは、新型戦 ヾ、」 0
逆に在道師団戦車大隊隷下の各中隊は十八輌編成と強化された。同様に第七師団隷下の各戦車連隊 も、十八輌からなる五個中隊編制となった。そして一個小隊は四輌の戦車からなり、それが四個で 十六輌。これに中隊本部の二輌を加え、合計十八輌で一個戦車中隊というわけだ。したがって、五 個戦車中隊からなる戦車連隊が三個に、偵察隊の分をふくめた戦車装備定数は合計一一百八十六輌と なったのだよ。 当時の米国機甲師団のそれは三百二十四輌、旧ソ連の親衛戦車師団のそれは三百二十二輌でね、 第七師団の約二百九十輌という数字は、旧ソ連の自動車化狙撃師団つまり、西側諸国軍でいう歩兵 師団だが、それの戦車装備定数にほほ等しいんだ」 太郎「なんだ、四十輌も少ないのか」 おじさん「おいおい、単純に数字の比較で少ないと一一一一口うなかれ、だな。 第七師団は、師団とは言いながら定員は約六千四百五十名にすぎん。だからこそミニ師団と言わ れるんだが、これに対し、当時の米機甲師団は約一万六千五百名で旧ソ連の親衛戦車師団は 一万五百名だ。米軍は、かってのペントミック師団こそ小振りだったが、この時代の師団は、平時 の編制定数ながら実質的には戦時編制と言っていいだろう。まあ、常時臨戦体勢を旨とする米軍の 師団は別格としても、諸外国の師団より小規模であることを考慮すれば、この約二百九十輌という 戦車装備定数は驚異的だぞ。 つまり、外国の一般的な機甲旅団に毛が生えたていどの規模ながら、この戦車の装備数だ。単純 計算にすぎないが、米国の機甲師団と同じ定員をもって部隊編成するのであれば、戦車を約 182
のコプラ、旧ソ連軍の << e ー 1 スナッパー 、そしてわが国の六四式対戦車誘導弾も同様なんだ。 次いで登場した第二世代の対戦車ミサイルは、第一世代の物と同様、ワイヤーによる有線誘導で あるのは変わりない。 しかし、飛翔するミサイルの後尾部にあるフレアーっまり ( 赤外線 ) 光 源を、検知器が組み込まれた照準装置で射手が照準すればよい方式となった。これにより第一 世代のミサイルのように、射手が目標に命中するまでミサイルを照準の軸線上に捉えつづけるよう に目視照準し、難しい誘導操作をしつづける必要がなくなったわけだ。このため、ミサイルの飛翔 速度も命中率も向上することとなったのだよ。 この第二世代のミサイルとしては、米国のを筆頭に、独仏共同開発によるミランや、 マット 旧ソ連の <e ー 2 や <e ー 3 などが有名で、わが国の七九式対戦車誘導弾 ( 通称重 ><e) もこの 世代に属するんだ。 そして、旧ソ連製ー 1 の発展型とも言える <e ー 3 サガーは、第四次中東戦争においてアラ サプ側、つまりエジプト軍などに使用され、イスラエル国防軍の戦車をことごとく撃破してしまった。 車イスラエルは、この『ショパフニョム作戦』において戦車の大量損耗を被り、精鋭部隊である第 対十四機甲旅団が壊滅したんだ。同旅団は、主として米国製のー絽パットン中戦車を装備し、三個 カ 戦車大隊を基幹とした編成だった。この戦闘で同旅団は約百輌もの戦車を喪失し、可動する戦車が チ ン 二輌にまで減ったという。その戦車装備定数は各種合計百二十二輌であったから、これはもう壊滅 威と言うより全滅と言ってよいだろうな。このように、実戦でその真価を発揮した対戦車ミサイルも、 有線誘導方式ゆえに、運用上の制約があったのは否めないだろうよ」
ね。当然ながら、通常の演習よりも気合いも入るというもんさ。 歌合戦であれば紅白、野球の場合であれば東西対抗などと称して両軍が戦うもんだが、自衛隊の 場合では青軍と赤軍に分かれて対抗演習が実施される。この対機甲演習の場合もそうで、演習部隊 は青軍が防御側で赤軍が攻撃側としてそれぞれ準備することとなった。これは自衛隊の作戦図に用 いる部隊符号、いわゆるミリタリー シンポルズだが、、 我 ( 味方 ) は青色、敵は赤色で区別するよ うになっているためで、戦術級シミュレーション・ウォー・ボードゲームをプレイしたことがある マニアにはお馴染みだろう。ちなみに、米軍などは青軍とオレンジ軍と称して対抗演習を実施して いたりするんだ。 なにせ、この対機甲演習の赤軍は対抗部隊、つまり仮想敵のソ連軍役だ」 太郎「赤軍と言われるソ連軍役を、青軍が担当するのも違和感があるツスね。やはり、赤軍は赤 軍側が担当するのが筋でしよ」 おじさん「ハ 、まあな。その赤軍の隊員の服装こそ自衛隊のものだったけれども、装甲車な どはべニヤ板でソ連のを模していたほどで、相当気合いが入っていたぞ。しかも、御丁寧に ー 3 サガーを模したハリボテまで搭載していたりする。 では、この第七師団が担任した対機甲演習とは、 ) しったいどのようなものであったのか。この演 習の主要演練項目は、文字通り歩兵、つまり普通科部隊を中心としてどこまで対戦車戦闘が可能な のかを研究することにあった。演習に参加したのは人員約五千名、戦車やなどの車輌約一千 輌という大規模なものだった。といっても、この数字には裏方であるメシ炊きなどの管理支援要員 184
現代の戦争は、開戦劈頭、つまりドンパチ開始当初における航空優勢の確立いかんが、その後の戦 争の帰趨に大きな影響をあたえる。先守防衛を国是とするわが国は、航空撃滅戦での先制攻撃は許 されない。したがって、敵国の着上陸侵攻に際して戦闘の主導権を握られては、戦車の活躍の場も せいぜい機動防御が関の山だろうな。局地的航空優勢を獲得してそれを徐々に拡大し、機が熟すま でひたすら堪えた後に反撃に出るしかあるまい。 これが、冷戦時代の旧ソ連軍の場合であれば、大量に装備された戦車に濃密な砲兵火力を組み合 わせ、全縦深にわたっての同時打撃によって、迅速かつ一挙に敵を撃破するドクトリンを旨として いた。なにしろ、かっての大祖国戦争においては電撃戦を確立したドイツ軍を相手に戦ったのだか ら、その影響も多分にあるだろうよ。 しかし、かりにわが国が、冷戦時代に旧ソ連軍と砲火を交えていたとしても、華々しい大戦車戦 はまず生起しなかっただろう。なぜかってえと、前に説明したように、わが国土は山地が主体で、 平野部は狭隘なうえに市街地や水田の占める面積が意外と大きいしな。したがって、局地的かつ小 規模な戦車戦は発生しても、数百輌もの戦車が同時に交戦するような大規模戦車戦はあり得ない。 それだけの規模の戦場となるべき地積がないからだ。 太郎「ちえ、残念だなあ」 おじさん「しかも戦車戦といっても、通常は戦車が単独で敵戦車と戦闘することは少ない。戦車 とは、あくまで敵戦車を撃破するための主役で、自走もしくは歩兵携行の対戦車火器と組み合わせ て運用されるのだ。 130
っても、鋼にニッケルを添加して焼き入れすることで『引っ張り強さ』や『弾性』が向上すること は当時すでに知られていたことだがね。 この戦車の装甲として使用されたのも、炭素鋼ではなくニッケル鋼だった。これは炭素約〇・四 ーセント、ニッケル四パーセント、クロム二パーセントとしたもので、開発したメーカーの名を 冠して『クルップ鋼』と呼ばれた。このクルップ鋼、それ以外に火砲などのあらゆる兵器の製造に 使用された。ちなみに、クルップ鋼が開発された一八九四年には、日清戦争が勃発しているぞ。こ のようにして、列強各国を中心として戦車の研究開発が進むこととなったんだ」 太郎「ところで戦車といえば、外観上もっとも目立っ部分といえばキャタピラですね」 おじさん「うん。通常、戦車の履帯つまりキャタピラは、起動輪が回転することによって駆動力 史が伝達されるんだ。一般的な戦車の履帯内側には『転輪』が上下に配置され、車重を支えている。 のところが一九三一年、上部の転輪を廃止し、直径の大きな転輪のみとした『大転輪方式』の戦車が 戦出現した。米国のウォルター・クリスティー発案による e ー 3 型軽戦車というやつだ。 で しかしこの戦車、残念ながら米国内での評価は芳しくなかったな。この戦車の方式に着目したの 式は、米国ではなく英国やソ連だった。高速走行が可能なうえ、転輪の数が少ないため整備の省力化 にもつながるというのが理由さ。 ら そして英国は、機動力 ( 速度性能 ) を重視した巡航戦車を生み出し、一方のソ連も高速戦車とい ク うコンセプトを打ち出した。とくに、大転輪方式の足回りは、その後のシリーズの高速戦車な マ ど、ソ連戦車の伝統となり、戦後も e ーが登場するまで一貫してこれを採用していたくらいでね。
この滑腔砲、旧ソ連がー戦車に搭載するため世界に先駆けて開発したもので、同車の 型百十五ミリ滑腔砲は、出現当初、西側諸国に大きな衝撃をあたえた」 太郎「滑腔砲の利点は ? おじさん「そうさな、ライフル砲に比べ砲身磨耗が少ないばかりか、なんと言っても徹甲弾の射 撃時に要求される高初速が得られるところにあるだろう。 代表的なライフル砲である英国の *-äー 7 系百五ミリライフル砲の場合、後で説明するけど co 弾使用で約千二百三十一メートル / 秒で、その長砲身型のー富でもせいぜい約千五百メートル 秒程度の初速にすぎない。 これに対して、ドイツのラインメタル社製百二十ミリ滑腔砲は、 Qco ー弾使用で約千七百メートル / 秒。さらに演習弾にいたっては、約千八百メートル / 秒と いう高初速だ。 の また、旧ソ連の系百二十五ミリ滑腔砲は、系の対戦車ミサイルが発射可能となっている。 そ 砲従来、砲弾とミサイルの発射を兼ねるものは、前述した米国製のー 162 型百五十二ミリ『ガン・ 戦ランチャー』しか存在しなかったから、この一門二役の機能も無腔線である滑腔砲ならでは、と言 砲えるだろう」 滑 太郎「ふ 5 ん。西側の軍隊では、ガン・ランチャーは普及しなかったんですね。それじゃあ、つ ルぎは戦車の弾薬について教えてくださいよ フ イおじさん「よかろう。ます弾薬とは、銃砲などから発射されるかロケットやミサイル等に運搬さ れて目標に到達し、その運動エネルギーや化学工ネルギーによって目標を撃破するものをいう。弾
は対照的だな」 太郎「ドイツ軍を苦しめたのは、冬将軍だけでなか 。凍ったんスねー 式おじさん「ああ。で、このようにーは、走・攻・ る守の三拍子そろった第二次世界大戦時の最優秀戦車 現と評されるほどだったのだよ。 雎そこでドイツは、ーに対抗すべく号戦車のパ 校ンターを登場させる。これは、捕獲したソ連の e ー 武を詳細に分析して開発したものでね。そのため、 陸 4 こ以た外観となってしまい、ヒトラーはこれを嫌っ ) の 3 。イ 、土たそうだよ。戦車にかぎらず、同様のコンセプトで開 発される兵器というものは、意識せすとも結果的に似 た形状となることが多いものだがね。たとえ意識的に 似せたにせよ、デッド・コピーではないのだから、これも仕方ないというべきかな。 こうしてドイツ軍は、なんとか e ーに対抗できるようになったのだが、ソ連もー引の改良型 をつぎつぎと登場させる。主砲を長砲身化したり、より大口径の八十五ミリ戦車砲を搭載するもの だから、ドイツもⅥ号戦車のティーガーを開発してこれに対抗したんだ」 太郎「ついに出ましたね、有名なティーガーが」
マーク I から九〇式まで。戦車の歴史 従来の常識を覆すほど迅速かっ電撃的であったことから、ク電撃戦 ( プリツツ・クリーグ ) クと呼ば ーかん れたんだ。ドイツ軍の確立した電撃戦は、翌年のフランス侵攻でも如何なく効果を発揮した。シャ ール型戦車などの有力な戦車を保有していたフランスも、戦車が活躍する間もなくあっさりと 降伏してしまったくらいだ。 ところが、地上戦において向かうところ敵なし イの大陸軍国ドイツも、同じ大陸軍国たるソ連をも 車相手にするようになると、さすがに苦戦しはじめ 号 の 強 e ー中戦車は、火力も装甲防護力も、そして機 最 ッ動力もが、ドイツ軍戦車のそれを圧倒していたん ドだ。最初に出現した型は、七十六ミリ ( 正確には 七十六・二ミリだが ) 戦車砲を搭載していたから e し 登祐と呼ばれる。 期 この戦車が優れているのは、避弾経始に優れた 大デザインと低い履帯接地圧にある。とくに後者は、 道路の鋪装率が低かったソ連ならではと言うべき 第ものでね、泥濘地における走破性に優れていたん だ。これは、ぬかるみで苦戦したドイツ軍戦車と 0 0 。◎。◎。◎。◎ T ー 34 に対キ亢してドイツが開発した、 V 号戦車パンター 0
おじさん「ああ。なんたって、もう蹴られる心配はないからな。ちなみに、冷戦下のソ連でも、 戦車の車長が操縦手を足で蹴って命令していたらしいな。これは無線機が装備されていないとか故 障のため使用できないのではなく、単にロシア語を理解できない操縦手が多数いたため、と言われ ているがね。いかにも多民族で構成されていたソ連らしい逸話だ」 首から下で御奉公 ? 陸自戦車男に要求される資質とは おじさん「戦車男はみすからを称して、『首から下で御奉公』と半ば自嘲ぎみに一言うことがある。 かってはたしかにそうだったかも知れないが、現在の戦車はハイテクの塊だ。いくら現代戦車の装 れ備するⅡ射撃統制装置などの修理は乗員の手に負えない ( 最悪の場合、補給処などに後送してユ ニット交換となる ) とは言っても、故障探究くらいはできなければならない。だから、補給処などに 修理を依頼するにしても、故障の状態などを口頭で説明できすに、電話で『とにかく故障している 戦んです、早く直してください』などと言っているようではお話にならんぞ 陸太郎「そうッスね。もっと自分も勉強しなきや」 おじさん「だから、電気や電子機器に関する基礎知識もなければいかん。 公 御そのため、つまり取扱説明書に ( メンテナンス・オーダーⅡ整備諸基準 ) や補給カタログ 下といった技術図書と格闘することとなるわけだ。これらのマニュアル類は一車種につき何冊にもお かよぶから、通読するだけでも容易なことではないがな。 また、日常の訓練でも教範というマニュアルのお世話になるぞ。最近は、自衛隊の教範もカラー せんしやマン せんしやマン 141