こでだ、自然のものだろうが人工物であろうが、障害物となりそうな資材を事前に準備するんだ。 この際、煙幕などの手段が併用可能ならばなお良いな。前に説明した對機甲戦闘動作教育上ノ参考 てつぼう では、『木桿若シクハ鉞棒ニョル攻撃』として、履帯と起動輪もしくは誘導輪の間に、木桿や鐵棒 えんび あるいは円匙を差し込んで戦車の停止を図る要領を記述している」 太郎「エンピってなんスか ? 」 おじさん「スコップだよ。現在の自衛隊では『戦闘シャベル』とか『携帯シャベル』と呼んでい なま るけど、隊員間の通称は『円び』だ。本来は『エンシ』と発音するのが正しいが、それが訛ったも のでね。旧軍が消滅して五年間の空白があった陸自でも、旧軍用語が生きているということさ。ま あとにかく、敵戦車の足周りに棒っ切れなり円匙なりを突っ込んででも停めろ、というわけだな。 で、それらも準備できない場合はどうするか。潜望鏡などの光学視察装置や暗視装置、砲塔部に これらの部分は、小火器 そなえられた予備燃料の携行缶とか、戦車の脆弱部を射撃するしかない。 でも破壊することが可能だ。このように、手元に満足な対戦車火器がなかったら、敵戦車に察知さ れることなく接近して、これらの手段を使って攻撃するしかないのだよ」 戦車の天敵、攻撃へリコプター おじさん「弱肉強食の自然界では生物に天敵が存在するように、軍事の世界における各種兵器に も天敵が存在する。もちろん、戦車などの、つまり戦闘装甲車輌にも天敵は存在するのだ」 太郎「戦車にとって天敵の最右翼と一言えば、対戦車ミサイルを装備した攻撃へリコプターでし
対するソ連は、第二次大戦後まもなく ー / を出現させた。扁平な丸型砲塔と大転輪方式の 採用は、ソ連戦車の伝統としてその後もしばらくつづいた。搭載された百ミリ戦車砲は強力で、出 現当時は世界最強の火力を誇ったんだ。 その後、西側諸国の戦車が百五ミリ砲を装備し出すと、これに対抗してさらに大口径の戦車砲を 開発した。これが百十五ミリ滑腔砲で、新型の e ー戦車の主砲として採用された。その e ーは、 一九六五年のモスクワ軍事パレードに初出現し、西側各国に衝撃をあたえた。つづく e ーは、さ らに強力な百二十五ミリ滑腔砲を装備した。これは、少なくとも口径という点では、現在に至るも 世界最大だ。もちろんこれは、近い将来、百四十ミリ滑腔砲が搭載された戦車が量産されるまでは、 という話だがね。 ーは、扁平な丸型砲塔というスタイルこそ継承したが、転輪は中直径のものと上部支持輪を 組み合わせたオーソドックスなものとなった。また、複合装甲と自動装填装置を採用したのも特徴 そして、旧ソ連最後のとして登場した e ーは、さらに新機軸テンコ盛りの野心的な戦車 であった。機関にガスタービンを採用し、主砲の百二十五ミリ滑腔砲からはミサイルも発射可能な んだ。また、敵の対戦車ミサイルに対する防御システムや、リアクテイプアーマー ( < Ⅱ爆発反 応装甲 ) も装備している。 この e ー、他国の第三世代にもけっして見劣りしないんだが、。 カスタービン機関の低い 信頼性や燃費の悪さなど、少なからぬ問題も抱えていてね。さらにソ連崩壊後のロシアは、新型戦 ヾ、」 0
車『チョールヌイ・オリヨール ( 黒鷲 ) 』の開発も試作でストップしたままで、資金難のため量産 めど 化の目処は立っていないんだ」 太郎「なんだか、いまの低迷するロシアを象徴してるみたいだなあー おじさん「で、一九八〇年代に入ると、列国の第三世代がつぎつぎとデビューを飾った。 これに対しわが国も、世界に伍する戦車として九〇式戦車を開発するわけだ。百二十ミリ滑腔砲や 複合装甲といった第三世代としての標準装備に加え、七四式戦車で確立された姿勢制御技術も継承 された。また、フランスのルクレールと同様に、自動装填装置を採用して注目を集めたのは御主も 知っているとおりさ。 このように、世に戦車が登場して百年にも満たないが、この間の技術的進歩には目覚ましいもの があったな。その一方で、戦車を取り巻く政治的・戦略的環境も変化してきた。近年は、各国とも 戦車などの重厚長大な装備を大幅に削減する傾向にあってね、一部では戦車不要論も叫ばれている んだ。 でも、『衝撃力の発揮』という戦車ならではの特性を考えたとき、それは他の手段をもって容易 に代替できるものではないことがわかるよな。だから、いかに戦車の存在意義が低下しようとも、 戦車という兵器がそう簡単に消滅してしまうとは、おじさんには思えない。 おそらく今後も、戦車は戦車として陸戦の主役でありつづけるだろうし、また、時代の変化に適 合したスタイルとなって生き残るに違いないだろうよ
目的ではなく、単に親睦を深めて意志の疎通を円滑にし、かっ仕事も円滑に進めるための接待にす ぎないんだがね。しかし、過剰な接待合戦は、おたがいに立場を弱くすることになるから、諸刃の 剣ともい、んるわけさ 太郎「まったく事情を知らない第三者から誤解をまねきかねないッスね」 おじさん「ああ。それに現在では、公務員倫理規定上、いわゆる『官官接待』も問題となったり するしな。商慣習上の民間企業同士における接待とはわけが違うんだよ」 自衛隊装備品の実用試験とは おじさん「戦車にかぎらず、自衛隊の主要な正面装備は、実用試験を経た後に正式に部隊配備と なる。これは、ライセンス国産であろうが純国産であろうが同様でね。それは、当該装備品がカタ ログデータどおりの性能を発揮するかどうか性能確認を実施すると同時に、作戦上および整備補給 上など運用面での不具合はないか、確認するのが目的なんだ。 これは極言すれば、民間の工業製品が出荷前に実施する試験のようなものだ。民間工業製品の場 合であれば、『シャルピー式衝撃試験』や『ロックウエル硬さ試験』など規格に基づいた試 験が行なわれる。これは、武器等製造法で、試験方法も武器の種類によって定められているんだ。 これに対して自衛隊の正面装備などは、 (NationaI Defense standerd Ⅱ防衛庁規格 ) に定められ た方法で試験を行なう。これは、自衛隊の正面装備は防衛専用品という特殊な工業製品であり、戦 場という過酷な環境で使用されるものだからなんだ。 224
よな。これは、軍事色を薄めるためか、歩兵は普通科、砲兵は 特科と呼ばれている。御主の所属する機甲科もその職種のひと つで、戦車の火力および装甲防御力ならびに卓越した機動力を きもって敵を撃破するのが任務の職種だ。 そして、機甲科は戦車部隊と偵察部隊に区分され、第二およ もび第七師団は連隊規模、その他の師団は大隊規模の戦車部隊を 持っている。もちろん、戦車男が所属するのは戦車部隊である る でが、第七師団隷下の偵察隊は別だ。他の師団等と異なり、第七 科 甲偵察隊には戦車が装備されている。 自そのむかし、師団が管区隊と呼ばれていた時代は、各偵察中 陸 隊にも戦車が装備されていたことがあったんだ。当時は特車と 呼ばれていたがね。しかし後の改編により、第七師団を除く各 偵察隊の戦車装備数はゼロとなってしまった。つまり偵察部隊 といっても、ジープやオートバイ主体の斥候にすぎなかったわけだ。これが現在では八七式偵察警 戒車の装備により、戦車ほどではないが限定的な威力偵察が可能となった。 さて機甲科は、警察予備隊創設当初から存在していたのではない。機甲科の誕生は昭和二十七年 に保安隊に改編された際に、『二十トン型特車』として装備されたー幻チャーフィー軽戦車が米 軍から供与されたことに遡る。 せんしやマン 112
り給油することとなっている。 ー丿ーの出番となる。しかし、タ これが演習時などの野外における燃料補給となれば、タンクロ ンクロー ーから燃料補給が 丿ーがすべて出払っていたりすることもあるから、つねにタンクロー 受けられるとはかぎらんぞ。そこで燃料携行缶やドラム缶から燃料を補給することとなるんだ」 太郎「じつはドラム缶からの給油は、まだ経験してないんスよ」 しさ。で、ほとんど おじさん「そうか。では予習だな。実技訓練の前に知識として覚えとけばい、 の戦車には、燃料携行缶、いわゆるジェリカンを予備として車体に搭載しているんだが、この燃料 携行缶で給油する場合は、ストープに灯油を補給する際に使用するようなポンプで給油するわけで 労はない。蛇管と称するノズルを燃料携行缶に装着して給油するんだ。燃料携行缶の上下が逆様にな るくらいに傾けることによって、重力を利用しての迅速な給油が可能となる。しかし、その容量は 戦約二十リットルにすぎない。 陸そして、各車固有の予備燃料だけで足りないとなれば、ドラム缶から給油することになる。一般 的に、師団などの作戦区域内では『段列』と称する補給整備のためのエリアが設けられる。ここに へは燃料交付所も開設されるが、戦車部隊の大隊や中隊本部でもドラム缶で燃料をストックしてある ポンプだ。 まから、まずはこれを使用することになる。この際に使用されるのが手動式のロータリー・ このロータリ ・ポンプ、動力式の給油ポンプより装備数が多いから、たいていの部隊が保有し 車ている。その構造は、手回し式ポンプに吸入管とノズルがついたホースからなっていて、手回しハ ンドルを何百回も回して給油するんだ。その吐出量は毎分約一リットルにも満たないそうで、これ 149
七百三十輌も装備することになる。このことからも、第七師団の人員に対する戦車装備数から一言え ば、けっして馬鹿にしたものでもないんだ。 ところが、北転事業によりせつかく第七師団の戦車装備定数が二百八十六輌に増えたというのに、 一個戦車中隊は三個小隊編成に逆戻りしてしまった。このため、装 九〇式戦車の配備にともない、 備戦車の更新により質的向上ははかられてはいるが、なんのための北転事業であったのかと非難す る声もある。ともかく、北転事業によって機甲化改編時の戦車装備定数より増加したのは事実でな、 その意義は大きく、けっして無意味なものではなかったのだよ 習 宀便 わずか十七分で陣地が突破された対機甲戦闘演習 研太郎「ところで、戦車同士の激突による戦車戦と違 0 て、戦車対歩兵の戦闘 0 て一方的な結果に たなる場合があるよね さおじさん「それは、相互の戦闘準備状况の程度によるところが大きいな。一例をあげれば、中東 戦争時においては歩兵の携行する対戦車ミサイルが、入念に偽装をほどこした陣地から大量に発射 いつもそうであるとはかぎらん。一般的に歩兵は、戦車を相手としての戦 地され大戦果をあげたが、 で 闘ではかなり不利た 分 + 陸上自衛隊が昭和五十九年十月一日から五夜六日にわたって実施した、陸幕指名対機甲演習もそ すの好例だろう。陸幕指名演習というのは、陸上自衛隊の総本山たる陸幕から、『今年は〇〇につい わ ての課題をあたえるから、研究成果を野外演習の場で展一小発表しなさい』と言われたようなもので 183
おじさん「そうだ。そこで、威力偵察といって敵にちょっかいを出して、その反応を窺ったりも する。ところが従来の自衛隊では、偵察隊が装備するのはジープとオートバイくらいなもので、そ の能力もきわめて限定的だったんだ。これでは偵察隊とはいっても、実質的には斥候にすぎなかっ たのだよ。 これが、八七式偵察警戒車の登場で、いくらかマシな状況になった。とはいえ、敵が戦車などの より強力な手段をもって反撃してきたら、容易に撃破されてしまう。こうなれば、即座に行動を中 止して撤収しなくてはならん。そこで、偵察部隊でも戦車を装備するのが望ましいのだが、わが国 の偵察部隊で戦車を装備するのは、第七師団の偵察隊のみであるのが現状だ」 太郎「全部の師団偵察隊に戦車が装備されていればなあ おじさん「まったくだな。さて、敵戦車との交戦に先立ち、通常は航空機や特科部隊の砲爆撃に よる支援を受ける。これは、戦車同士による交戦の前に敵戦車を可能なかぎり減殺し、我に有利な 状况を作為することにあるわけさ。しかし、つねにその支援がうけられるものとはかぎらない。し かも、航空機による対地攻撃支援は天候・気象の影響をうけるし、特科部隊の攻撃目標にも火力指 向の優先順位がある。そこで、味方による航空支援や火力支援が得られない場合は、油気圧による 姿勢制御機能を活かした稜線射撃を多用するなど、地形地物を味方とするしかないだろうな。 もし、冷戦時代の陸自戦車部隊が、着上陸侵攻してきた敵戦車部隊と大規模な戦車戦を展開する つまり、偽装・隠蔽し としたら、それは地形地物を利用しての徹底した伏撃となったに相違ない。 た陣地から射撃し、射撃後ただちにあらかじめ準備された予備陣地へ小移動しては射撃する、それ うかが
機甲科の発足当初は、すべての装備車輌が米軍供与でね、その多くが朝鮮戦争で酷使されたもの だったんだ。しかも装備面にかぎらず、訓練環境なども満足に整備されていなかった。このような 制約下だったけれども、昭和三十五年、戦後初の国産である六〇式自走無反動砲が登場した。 翌年には、念願の戦後初の国産戦車として六一式が装備化され、その後の主要陸戦兵器を国産する 礎ともなったのだよ。 ところで、陸上自衛官の着用する制服の襟には、職種き章と称する金属製のバッジがついている よな。この職種き章により、御主ら隊員が何の職種に属しているかがわかる」 太郎「はい、 機甲科の職種き章は、天馬つまりベガサスと戦車を組み合わせたものだそうですー おじさん「うむ。で、すべての戦車男が着用する制服の襟には、このき章が誇らし気に輝いてい 衄るわけだ」 出 応 戦車部隊もスクランブル ? 応急出動訓練とは 太郎「ところでおじさん、もし日本がどこかの国に武力攻撃されたら自衛隊が防衛出動すること プ ン になるよね。戦車部隊の出動って、実際にはどんな感じなんです ? ク おじさん「うん、自衛隊が防衛出動するといってもだな、突然、『オイ、出動だ ! 』『ヘイ、合 ス 隊点 ! 』てな具合とはならん。防衛出動命令が発令される前には防衛出動待機命令が発令されるし、 車それに至る間には国際情勢の変化など、かならすなんらかの徴候がある。まず、わが国周辺の国際 情勢が怪しくなってきた時点で、応急出動訓練の名目で準備を開始するのだ。かってのー せんしやマン 113
また、ルクレールは、わが国の九〇式に匹敵するほど高価な戦車だ。その価格の半分以上を電子 装備が占めているようだ。なにせ、従来は各車輌間での情報交換などは無線に頼っていたのが、デ ジタル・データバスによりデータの共有も可能となったからな。その進歩した電子装備を搭載する 同車は、ヴェトロニクス ( ヴィークル・エレクトロニクスの略Ⅱ戦闘車輌用電子装備 ) という新たな用語を 定着させるのに一役買った。つまりヴェトロニクスは、ルクレールの出現によって一般化した用語 だと言えるな。 一方、世界初の戦車開発国の英国は、一九四七年に < センチュリオン戦車を登場させた。この 戦車は、全備重量のわりに軽快な巡航戦車と、機動性より装甲防護力を重視した歩兵戦車を一車種 に統合したようなものでね。これは、大戦後に両者の区分を廃止したためで、センチュリオン戦車 の開発当初は巡航戦車として計画されていたんだよ。 しかし、その後に英国が開発したチーフテンは百二十ミリライフル砲を搭載し、攻撃力こそ世界 随一ではあったが、 機動性はそれほどでもなかった。わが国で、六一式戦車がデビューして間もな いころのことだ。これは、現在の主力であるチャレンジャー 2 でも同様だがね。つまり、従来の歩 兵戦車と同様の設計コンセプトとも言えるかな。 なにせ、第三世代の現用の最大速度は、軒並み時速約七十キロメートルという時代だ。こ れに対し、オマーンに輸出した型こそ世界水準だが、英本国のチャレンジャー 2 のそれは、時速 約五十六キロにすぎないのだよ。 ところで、第二次大戦後の英国戦車は、伝統なのか 0 ではじまる名称となっている。それととも