領域しかありません。 左 人は高齢になって足が衰えても、手はほとんど衰える ことがありません。耳が遠くなっても、ロは最後まで機 ち 持能します。これらの現象は、体部位局在性の分布量に比 例するものに他なりません。手やロを活発に動かす人は、 年をとってもお達者なのは本来的に備わった運動野の機 能を、よく刺激し活生化してきたたまものだといえるで こ 1 レよ一つ ち親指の体部位局在の領域は非常に大きいとともに、き 持 わめて敏感であることがわかっています。中国では親指 し かのことを拇指、つまり母の指と呼んで、やはりその役割 をを重んじていますが、親指は他の四本の指に対応する大 親きな役割を果たすように、人間のメカニズムとして装置 されていたのです。 図 これは猿の指と著しく異なるところです。猿の手はい
成行きまかせではなく、自意識をしつかり持ちながら書にとりくむことによって、積極 的に脳の働きの活性化を促していきたいものです。 脳と親指 ( 拇指 ) ここで、その大脳の運動野と言語野のしくみについて具体的に示すことにしましよう。 かって脳の構造に関する研究は、戦争や事故などで脳に欠損が生じた患者の状態からデ風 作 ータを集めるしか方法がないという、きわめて困難 で遅々たる進歩しかとげられない分野でした。その個 A 」 フような中で、半世紀以上も前に、カナダの医師ペン筆 。へ フィールドによって、大脳前側部に運動野という人 分体の運動機能に関する命令系統が存在することが指 毛 局摘され、「体部位局在」の分布図が示されました。 部それによると、手に対する領域が他を圧倒し、とり序 わけ親指の領域が大きいことがわかります。これに 図次ぐのがロの領域で、足についてはずいぶん小さい 1 00 イ 2 コ《 00 》 ~ / 3 アをま 〒ー Tru 丁き
よ - っゅ・つ しんが 古来、「書は心画なり」 ( 漢の揚雄が著した『法言』の「問神」に表れる語 ) 、あるい すなわ は「心正しければ則ち筆正し、 ( 『唐書』の「柳公権伝」に表れる語 ) といわれ、書する ことが心の働きと深く関係づけて唱えられてきました。また、初唐 ( 六一八ー七四一 ) の まっと ぐせいなん おうようじゅん 始めに名作を残した欧陽詢が八十四歳、虞世南が八十歳という天寿を全うしたように、 書の大家は長寿者ぞろいであり、今日でも書道に従事する人はどなたも長命で、しかも 精神面までがしつかりしているようです。 毛筆を使わなくても、手でしつかり書くとよく字を覚えることができ、物事を記億す るためにも効果的であることは、誰もが認めるところでしよう。 " 世界のミフネ。とし個 つまりセリフを完全に頭筆 て知られた俳優の三船敏郎はスタジオに脚本を持ち込まない、 に人れて撮影にのそんでいたことで知られますが、実は彼は本当はセリフを覚えるのが 得意だ 0 たのではなく、むしろ苦手だ 0 たために書いて覚えていたという逸話が残 0 て皿 います。 では、なぜ文字を手で書くことがそのように心の働きと結びつき、寿命を延ばし、あ序 るいは記憶するために効力があるのでしようか。これは長い間の疑問でしたが、近年に なって脳科学が発達し、次第にその理由が解明されるようになりました。つまり、文字
るのです。 私たちの生活の中にはまたまだ毛筆が生きており、とりたてて珍しいものではありま せんが、冒頭で述べたように、筆は世界的に見てきわめて特殊な形態と性能をもった筆 記用具であり、特異な文化なのです。大正時代になって、国家の先進化を急ぐ日本では、 ペン優先の毛筆廃止論が、高々と掲げられた時期がありました。第二次大戦後の占領下 でも、再び毛筆廃止の指導方向が強く働いて、日本から毛筆が消え去る可能性はいくら もありました。今、私たちが毛筆文化を享受し、楽しみ、その価値観を再認識できるの は、先達の命をなげうった努力によって守り抜かれたおかげであることを忘れるわけに はいきません。私たちが筆を執ることは、それだけですでに大きな歴史的意義を反映し ているのです。 2 毛筆で書すること 書と心 ( 脳 ) の働き せんだっ
線は数学的にいうと太さをもつものではありませんから、書の線は数学の世界では面 として認知されるでしよう。しかし、芸術的立場からすれば、書が運筆によって生み出 すのはあくまでも線です。その証拠に、書は二度書き、つまり一画を書くのに重ね書き をしません。それは筆を運ぶことによって現れた線状に、あくまでも自己表出としての 主体性を認める態度です。おなすりといって補筆することはありますが、これもはじめ の線に欠如するところがあったのをほんの少し補うのであって、これも元の線に主体性風 を認めておればこその行為であるといえます。 性 個 A 」 筆 毛筆の文化圏 漢字にしても仮名にしても、筆があったればこそ大きく形成された文化です。漢字、 いかに筆を使いこなしてすぐれた書の具筆 仮名の造形には筆の性能が常に関係しており、 毛 現に結びつけるかを、長い歴史を通じて先人は考えてきました。そして、文字を書する ことにこのように広く、かっ深い追求をなしえ、さらに今後も続けようとしている国は、序 漢字文化圏以外にはありません。欧米人にとっては文字を書することにかくまでに執着 し、価値観を認め合う漢字文化圏の人々の営みが不可思議であり、ひいては脅威でもあ
しちょ・つ 長ければ長いほど上質であり、その毛あしを鋒鋩といいます。これは筆の毛を銀杏形に 開いてみると ( 図 0 ー 1 ) 、直ちに納得されます。 また、日本製の筆の場合は、長さを調整して先を尖らせている場合もあります。これ はとくに仮名用の筆によく見られる筆職人の工夫になるもので、仮名書独特の細く澄み 切った線や、柔らかな太さの変化を表現しやすくしています。 ヨーロッパ絵画の筆と書の筆との使用上の相違では、重要なこととして筆毛の開閉を 用いるか否かということがあります。ヨーロツ。ハ絵画の筆は絵の具を塗る、あるいは描 くことを目的としており、油絵具であれば、その強い粘度に耐える毛質の堅さが必要で あり、絵具をその筆先の強靭さで塗りつけます。横着な言いかたかもしれませんが、描 いているのは面であり、機能的な発想はペンキを刷毛で塗るのと同次元にあります。 これに対して、書において表現するのはあくまでも線であり、しかもそこには動きが ぼくとっ あります。強い線、厳しい線、柔らかな線、温かな線、重厚な線、軽快な線、朴訥な線、 変化する線、淡々とした線、執拗な線など、その線質は実にさまざまに形容されます。 これは筆毛が開き閉じし、あるいは毛の側面が巧みに働くことによって表現されるもの です。
やかできちんとした楷書を書くのに適します。いま市販されている中国製の「写巻、ま た「双料写巻」は、その伝統を引き継いだ野兎の筆です。双料とは野兎の毛を芯にし、 その周りを羊毫で包む、二種類の材料によることを意味しています。 東大寺写経所では題師という身分の写経生があり、彼らだけが狸の毛の筆を使ってい がんもん だいせん ました。題師は写巻の題簽や経文末に願文 ( 経文を書き起こす趣旨を記した文 ) を書く、 りごうひっ 写経生の頭領でした。狸毫筆がそれほどに高級品だったということになります。近年は 狸毫筆を店頭で見かけることがまったくなくなりましたが、五十年位前まではけっこう 普及品として使われていました。ただし、本当の狸毫であったかどうかは定かではあり ませんが ホワンシューラン 中国で高級品として扱われているのはいたち毛です。中国ではいたちを黄鼠狼とい ろ - っ・こ - っ - っところから、 いたち毛の筆を狼毫と称することが一般的です。狼は日本ではオオカミ おおかみ になってしまいますから、ここでも日本人は狼の毛の筆と勘違いすることがよくありま す。狼毫は柔らか、かっしなやかで、とても書き易い筆ですし、兎毫と違って長いしつ ぼの毛を使えますから、かなり大きな筆を作ることも可能です。ただし、日本だと数万 円もする超高級品になってしまいますし、すり切れやすく、毛先の消耗が早いという欠
ヨーロッパ文化の中にも、油絵や水彩画を描くための絵筆はあります。しかし、これ らは主に豚毛を材料としていて毛質は硬く、刷毛を絵画用に変形したものといっていし でしよう。端的にいうと、ヨーロツ。ハ文化では柔らかい筆記用具は、根本的に発想外の 存在だったのです。 毛筆の素材 毛筆にはさまざまな動物の毛が用いられています。一般的に最も多く用いられている よ・つ′っ のは、白い山羊の毛です。これが羊毫 ( 「毫」は細い毛のことで、筆の毛は細いのでこ ム・つーも・つ き 1 」 - っ の語を用い、この意味から書することを揮毫といいます ) ですが、世間的には羊毛で通筆 ひつじ っています。しかし、羊毛とはもともとウールをさす語ですから、そのために羊毫を羊 の毛の筆だと勘違いしている人が多くあるようです。羊の細いちぢれた毛では筆ができ るはずがなく、まったくの誤りです。 奈良時代の東大寺写経所では、多数の写経生 ( 経師とよびました ) が職務に従事して章 - っさぎ いました。彼らが用いていた筆は兎毫であったとされます。この兎も、家で飼育するよ うな赤い目の白兎ではなく野兎です。野兎の毛は短いので小筆しか作れませんが、しな と・こ・つ
第十則縦画に集中ーーー縦画がしつかりしていると、一行に柱が立ち、行間の美が生まれる 欧陽詢の行書に見る縦の流れ 2 呉昌碩行草書の縦の流れ・ 3 「高野切第一種」の縦の流れ : 4 「寸松庵色紙」の縦の流れ・ : ふところ 第十一則懐を広くとるーーーー ~ 子形の雄大さは懐の広さから生まれる : 「大きさがある」とはーー対比と懐のふかさ : 「大きさ」を出すための原則 : 第十一一則姿勢づくりを意図するーーー・平衡感覚を保ち、体を自由に働かせる・ 紙を真下に見る・ 2 左手を効果的に用いる・ す 3 墨を磨る 亠め A 」、が」 っ ~ 208 204 203 225
縦への旋回運動・ 第三則筆の執りかた・位置を変える , ーー筆の執りかた・位置によって表現の幅を広げる・ 執筆を示しあう・ 2 執筆と作品表現・ 3 表現に応じて執筆を変える 第四則筆毛は・ハネの集まりーーー筆毛のしなりと、もどりの力を使う 筆毛のパネを確かめる・ 2 筆毛パネの連動・ 第五則紙離れをすばやくーーー線質には紙離れの跡によって促される錯覚あり・ : : : : 三 : ・ : ・ 錯覚とは何か・ 2 収筆のきれは起筆から・ 3 収筆の技法・ つまったら入れ直すーー・運筆は途中できってつないでもかまわない : 第 137 133 130 127 141