とげたことは中日両国における先駆的な偉業であり、篆書、隷書の書法にも目覚しい表 現活動がありました。運筆はスピード感に溢れ、手首の回転 ( 中国では回腕と、 す ) を滑らかにして、極めて歯切れのいし 鋭くありながら厚みのある線表現を展開し ました。 もりたちくか おかやまこういん 森田竹華は熊谷直子と岡山光陰門の同門の仮名の書家で、小さな文字を書くときも、 筆を執る位置を下げることをしませんでした。これは岡山光陰の厳しい指導でもあった ようです。彼女はまた、必ず肘を上げて書きました。彼女には書は筆に書かせるものと いう強い信念があって、肘を上げると筆をどの方向からも働かせることができ、そのた めの非常に有効な方法になりました。それによって独特の張りと厚みを伴った線質を生 み出し、さらに線の張りから生まれる自由な文字造形を創出しました。 はんてんじゅ 潘天寿は浙江省杭州にあった杭州美術学院 ( 現在の中国美術学院 ) 院長を勤めた中国 画壇の巨匠で、奇逸な画風とともに、独特の書風においても知られました。人差指を高 く突き上げた執筆は、中国人としても非常に厳しいものです。 お - っ力い ・こしょ - っせき また王个簷は上海を拠点として活躍した書画家であり篆刻家で、若い頃から呉昌碩に 人室の弟子として仕えたことで知られます。上は一九六三年、五十七歳のときに来日し かいわん 110
2 筆の持ちかた・構えかた 指と筆ーーー八面出鋒 一般には日本では筆は「持つ」と、 しいますが、「執る」とのいいかたもあります。 「執」は「小説を執筆する」、あるいは「手術を執刀する」「執務中である」というよう に決して特殊な語ではなく、指先の働きに意味あいが多く込められています。これに比 かばん す べ「持つ」は「重い鞄を持つ」「持ち物検査」というように、まさに行為そのままをさか す簡便な語です。したがって、筆のように微妙な性能を指で扱う用具に対しては「執 子 る」と表すのがふさわしいのであり、筆の執りかたは日中両国を通じて執筆法と称され ています。 むち 第 筆毛は一本一本が鞭打っ弾力性の集合体なのですから、執筆法で一番大切なことは、 筆毛が自由に伸びのびとその性能を発揮できるようにすることです。中国では、筆先が はちめんしゆっはう 自在にどの方向にも働くことを八面出鋒といっています。筆を握るように窮屈に持っ
から手の甲、さらに腕を結ぶ線上にあり 執ます。このように中国書法と和様との執 様筆法が異なるため、漢字書家は仮名を草 和 書のつもりで何とかこなしますが、仮名 書家は中国書法を書けないという現象を 図 生じています。 中国書法と和様の最も大きな違いは、中国書法は手首を回し ( 回腕 ) 、筆管も回しま すが指は固定して屈伸させないのに対し、和様は指の動きを自由に用いることです。こ しようれんいん えんれい れによって和様独特の円やかで婉麗な運筆が完成度を高め、さらに青蓮院流、御家流な どの書流の展開を繰り広げていくのです。 いを・ー・直第 164
真跡の喪失 書道は古典を手本としてよく用いますが、古典は大きく拓本と肉筆に分かれます ( 肉 筆は日本だけの語であるので、以後は日中両国共通の語である真跡という表現に改めま す ) 。この区分けは中国については唐代 ( 六一八ー九〇七 ) 以前は拓本、五代・北宋以後は 真跡が多く、日本では白鳳時代の宇治橋断碑 ( 六四六年建立 ) 、奈良時代初めの多胡碑 ( 七 書、書道、習字は運動野と言語野の働きを基礎にして、そこに美意識と集中力を働か せることによって推進される営みです。「書は心画なり」とか「心正しければ則ち筆正 し」とは、いずれも書することを通じて心が平静かっ客観であるべきことを説いたもの です。心に乱れや萎縮があれば、 ) ゝ し力に頑張ろうとしても運動野が硬直して、うまく働 いてくれないことを指しています。緊張すると手が震えたり、気が焦ればあせるほど手 が縮こまって動いてくれないのは、そうした状態なのでしよう。 3 動いた結果が形であること
以上の考えかたを踏まえ、さらに伸びのびとスケール大きく書くためのコツについて、 中国における書法教育の方法を応用しながら述べていきます。 米字格と九宮格 中国人の「書相」 中国人の書く漢字と日本人の書く漢字は、一見してすぐに判断がつく程に異なります。 おもしろいことに、日本人学生でも中国で書法に打ち込んでくると、書相 ( 文字つき ) がたいへん中国人くさくなっていて驚かされることがあります。書相は人相に照らして 作った私の造語ですが、この中国人的書相とはどんなもので、どこが日本人の書く漢字 と異なるのでしようか 中国の書家 ( 中国語では書法家 ) から感心させられることの一つに、さほど達者だと だいせん も思わない人でも、題字や書物の題簽を書くとなると、実にうまくびったりとスペース に収めることです。それも、たった一枚のぶつつけ本番であってもです。これは大きな 180
ぐらいに起しますが、これには机が日本の常識よりも高いことに理由の半ばがあって、 日本の低めの机では、そこまでしなくとも筆は立てられます。ただし、掌の甲が手首か ら下がるほどになると、筆管に五指の力が集まらなくなり、弾力のある線を引くことが 困難になります。これも試しに筆管を立てた状態を保ちながら、中国人並みに手首を起 してみてください。筆管にぎりぎりと指の力が集まることが理解できるはずです。力を 人れなくとも自然に筆管に力が人る中国人の方法の利点を、大いに導人していきましょ さらに腕の構えかたですが、この「腕の語は注意を要します。それというのは、 「腕」は中国では手首を指すからです。例えば筆の構えかたを指す代表的な語として提 わん わんけんわん 腕と懸腕がありますが、これを日本語の「腕」と解するか、中国語の「腕、 ( 手首 ) と 解するかでは、まったく意味が違ってくるのです。つまり、中国の文献を読んで「腕」 とあるのを「腕」と解したら、とんでもない誤解を生じかねません。 日本ではどの解説書も、提腕は手首から肘までを机上に着けて書く書きかた、懸腕は 手首から肘までを机から離して書く書きかたと説明しています。「提、を置く、「懸」を 懸げると解したものでしよう。ところが中国では提腕は日本と変わりませんが、懸腕で わん
「客」 のです。いったん運動野が萎縮して守りに人ってしまった ら手はどうにも動かず、気ばかり焦って手が動いてくれな しという状態に陥らざるをえないことになります ニ画を大きく 体図 9 ー 3 は何紹基書の「山谷題跋語」から取った二字で っ のす。「客」においても「満」においても米字格、九宮格そ ゅ を 紹れぞれにかなうものであることがよく理解されることと思 います。この運筆は日本人が苦手とするもので、日本人の画 図書は第一画と第二画が近く、全般に字形の上部が小さく狭 画 く集まって、下部たけが広くかっ長くなりがちです。和様一 漢字はその日本人がもっ特性や好みをそのまま生かして洗 練したものですが、中国の書法を学び取るつもりで和様を第 混在させていたのでは、矛盾でしかありません。中国の書 5 法を学び、中国書法の基礎を汲み取ろうというのであれば、
向に運筆して、はねの位置に至ります。さらに断筆し、今度は右回りに起筆を人れ直し てはね出します。この起筆は縦画の左輪郭上に乗せるのがよく、運筆は左払いのとき同 様に、腹から押し上げるようにしてそのまま離します。 以上のように、運筆には常に筆管の右回り、左回りの回転が微妙にかかわっています。 これをなめらかにするためには、これまで述べてきたように筆管を指先で浅く執ること が不可欠の条件になりますから、いま一度自己の執筆の形を詳細にチェックしてくださ 3 中国書法と和様の相違 平安時代中期、仮名書法が形成されていくに伴い、それまで専ら中国書法でも、とく に王羲之書法に準拠することにつとめられていた漢字書法も、柔らかな日本独特の書風 わよう に改められていきました。これを和様と呼んでいます。ただし、当時からそのような名 称があったわけではなく、江戸時代に人って儒者の間で中国風の書法がさかんになり、 わよう もつは 162
日本は国風文化の形成に大きく転じました。それまでひたすらに中国化することによっ て国家形成をしていたものから、中国への気遣いなく、自分たちの好みをためらいなく 前面に表現できるようになったのです。 その伝統は続きました。鎌倉、室町、桃山、江戸と時代が推移していく中で、八百年 にわたって楷書が正式な字体とみなされることが一度もありませんでした。楷書はわず かに中国から伝来された書籍、即ち漢籍のみにおいて見るものでした。 江戸時代に人って寺子屋が普及し、庶民の文字教育が世界的に見ても稀なほどに盛ん になりました。ここでも幕府の公文書書体が、御家流という行草書に少し仮名が混じる くずし字であったことから、初歩的な御家流が教えられました。幕府が掲げる高札のほ か、浄瑠璃の手本 ( 教本 ) や瓦版、看板、歌舞伎字の勘亭流や浮世絵中の文字など身の 周りのあらゆる文字がくずし字で著されました。世の人々にとってはくずし字が普通の 字で、楷書の方が特殊なものだったのです。 行書は書きやすく、入りやすい 明治維新が成った明治五年に学制が制定され、欧米の学校制度を参考にして義務教育
名ですが、仮名作品には変体仮名が多用されるわけで、その総字数は少く見積もっても 二百字ほどはあり、なおくずしの度合いによって、字形はさらに変化します。 これに比べて、英語はアルファベット二十六文字を組合わせるだけです。しかも、英 米人はこれらを美しく書くことより正確さと書記の効率化に向かい、印刷活字やタイプ ライターを早くから開発し、その観念が今日の。ハソコン印字に繋がっています。中国大 陸では簡体字が普及して漢字がずいぶん簡便になりましたが、伝統的な漢字 ( 繁体字 ) 風 作 を抹消してしまったのではありません。近年は国際的な販路を予測する書籍は繁体字で 印刷しており、中国大陸でも学者は分野によっては、簡体字と繁体字の両方を身につけ個 筆 なくてはならなくなっています。 運 この漢字文化圏の識字力は、欧米人には魔術のように目に映るようです。とくに欧米 脳 人が驚くのは、二十画もあるような漢字を、中国人にしても日本人にしても、すらすら筆 毛 と書ける人が珍しくないことです。この識字力に結びつく言語野は、読み書きにかかわ る言語野と呼ばれています。漢字の総字数約五万字のうち、中国で通常使用されている序 のが約五千字、日本でも常用漢字だけで一九四五字です。いかに漢字文化圏で生きる人 が、欧米人に比べてこの一一一一口語野を活発に働かせているかが納得されるでしよう。