作風 - みる会図書館


検索対象: 書の十二則
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1. 書の十二則

鄧石如の書法を、逆人平出の用法と形容し、漢人の再来と称えました。 運筆の解明から、さらに自己の個性や作風へ とりわけ碑碣の文字の外形を筆意で捉えることに熱狂させたのは、三国時代の呉 ( 二 てんばっしんしんひ 三ー二八〇 ) に刻された天発神讖碑でした。これは篆書ではあるが隷書の要素が多分に 加わり、霊気をただよわせた奇怪な字でした。多くの書家がこれの運筆の再現にいどみ、 にしかわしゅんとう じよさんこ・つ 清の金農、徐三庚らは自身の作品にもその影響を鮮明にし、日本でも西川春洞は同碑 の研鑽によって新風を打ち立てました。 ちょうゆうしょ・つちょ - っしけん 北魏の楷書から新たな書法を導き出したのは、清末の張裕釗と趙之謙で、二人は碑学 派の両雄でした。張裕釗は北魏の楷書の峻厳さに唐碑のもっ安定感を共存させ、そこに 鄧石如が切り開いた篆書の筆法を投人して、清澄で雄大な楷書の作風を打ち立てました。 一方の趙之謙は、隷書の筆法を楷書の中にことさらに用いることで、北魏の風格をさら に熱気に溢れ、肉感旺盛なものにしました。 この鄧石如や金農、徐三庚、また張裕釗、趙之謙らが拓本に表れた字形からその中に 隠されている運筆を探り、さらに自己の個性や作風に結びつけていった態度は、きわめ きんのう たた

2. 書の十二則

手本にしがみつくな さらには、創作性筆跡プログラムということも考えることができます。一線級の書家 とはもつばらこれを仕事とするもので、独自の作品スタイルを、さまざまに試行錯誤し ながら作り上げることを繰り返します。そして、次第にそれがその書家の定着した作風 になっていくのです。運動野の筆跡プログラムは、生まれながらの先天性に加えて、こ のように後天性の可能性を多分に有するものであると解されます。 風 作 運動野には質においても人さまざまです。よく反応する運動野があれば、なかなか反 応しない運動野があります。吸収力にすぐれた運動野があれば、拒絶力の強い運動野が個 あります。多面性を豊富にもっ運動野があれば、柔軟性に乏しい運動野があります。さ筆 らに、それを超えた運動野の普遍的な特徴に、一度組み込まれた筆跡プログラムは、今 し意味においても悪い意味においても、簡単には消え去らないということがあり 度はいゝ 筆 毛 ます。例えば身についてしまった筆の持ちかたは、よくよく自覚していかないと改まら ないし、一度誤って覚えてしまった筆順は、良くないとわかっていながらついつい出て序 しまうものです。 これを書道において見たとき、ともかくも手本にしがみついていたのでは、いつまで

3. 書の十二則

七画の横画は、あまり起筆を強くしていません。一つの目的は第一画の起筆をより明瞭 にすることであり、いま一つは字中に空間的な明るさを保っためでしよう。最後の縦画 のはねは、まさに見せるべくして勢いよく大きくはねたものです。ここで試みにこのは ねの部分を手で隠してみましよう。するとずいぶん印象が違って感じられるはずです。 これによっていかに最後の長いはねが見る目を錯覚させ、「事、全体の躍動感における 大きな役割を果たしているかが理解できることと思います。 「頻 , においても同様のことがいえます。偏の「歩」の最終画の収筆のはね上げは著 しく豪快なものですが、これも隠してしまうと、それまでの運筆がただ荒々しくかすれ つくり ただけのものになってしまいます。旁の「頁」においても最終画を隠せば、やはりかす れが騒々しいたけのものになります。激しい運筆そのままにすばやく紙面から離した収 筆の跡が、文字全体の迫力を成り立たせているといっていい程です。 起筆の力と収筆の切れ味 図 5 ー 5 は清末 ( 一九世紀末から二〇世紀初頭 ) の趙之謙による「邵芥山憶西湖詩 ( 邵芥山 の西湖を應うの詩 ) 」という作品中の一幅です。たい ( ん特徴のある作風で、行書では 134

4. 書の十二則

序章毛筆と脳、運筆と個性・作風 羊 ( 山羊 ) 毛大筆

5. 書の十二則

, ・第第碑を碑 図 0 ー 8 宇治橋断碑 29 序章毛筆と脳、運筆と個性・作風

6. 書の十二則

を繰り返すことです。これは運動野の立場から言いかえるならば、ひたすら他者の運動 野の働きの後を追っていることになります。人間は生まれながらにして異なる運動野を 備えているわけですから、なかなかうまくまねられない、手本のようにならないという のは至極当然のなりゆきです。 また、手本があるとうまくまねられるのに、手本がないとさつばり書けないという現 象がよくあります。これは手本を視覚的によく捉え、手指の運びもよくそれについてい くことができているのですが、運動野に浸透するまでには至っていないということにな るのでしよう。 しかし、書道界には師匠と瓜二つの作品を書く弟子はいくらでもいます。展覧会に人 るとよくある風景で、一門の人であれば識別は容易なのでしようが、外来者にはほとん ど同一の手になると見える作品がずらりと並んでいます。これらの門人たちは、さぞか しすさまじい訓練によって、運動野までを師匠のプログラムに作り変えたのでしよう。 運動野は固有のものですが、訓練によって作り変えることが可能な柔軟性があるという ことです。こうなると元の自身のプログラムも残存しているわけですから、運動野の筆 跡プログラムの二層性が生じます。

7. 書の十二則

右払い 右払いは楷書・行書では形作りますが、草書には堅固しくなるので付けないの普通で す。隷書では右払いではなく、波磔になります ( 漢代には草書に波磔を加えた章草と呼 ばれる特異な字体がありました ) 。 楷書の右払い ( 図 7 ー 3 ) では、起筆で筆先を菊度左上方向に整え、そのまま運筆します。 このとき、心持ち筆管を左回りにすると、あとの払いでの方 筆先 向転換が楽になります。たたし、あくまでもほんの心持ちで 運す。点に至って筆管を度程度左回転し、筆先を左方に方 の 向転換して右方に払い出します。 この点で断筆する人としない人があります。これはあく 書までも技法上の好みの問題であって、断筆すると点の認識 楷 が作風に明瞭に表れます。例えば欧陽詢書法や北朝系の楷書 であれば、断筆を加えた方が作風のアクセントになり、虞世 図 南など南朝系の書法であれば、断筆でできる節目は柔らかさ の妨げになるでしよう。行書の場合は流れを重んじますから 筆 先 の 158

8. 書の十二則

図 0 ー 16 天発神讖碑 図 0 ー 17 金農「世説新語」 39 序章毛筆と脳、運筆と個性・作風

9. 書の十二則

天地え黄守宙 洪荒日月盈異 . ~ ー第物 図 0 ー 20 北魏張猛龍碑 図 0 ー 21 張裕釗の楷書 41 序章毛筆と脳、運第と個性・作風

10. 書の十二則

書画家は墨液を使う人がすべてといってし 磨っている人はいません。 膠と香り 墨は炭素を膠で固めたものですが、膠は墨を固形にするためだけでなく、他にも書画 作品において重要な役割を荷っています。一つは墨を紙に付着させる役割です。炭素は もともとは元素の粉ですから、それだけでは紙には付きません。二つ目は炭素を運ふ役 割です。墨をたっふりと含ませて書するとにじみますが、にじみは膠が炭素を運んでい る現象です。したがって、例えば古い墨で膠がとんでしまったり、湿気らせて膠を変質 させてしまうと墨はうまくにじみません。炭素と膠の量のパランスで、にじみにも微妙 な変化があって、近年はそうしたことも作品作りに応用されてきています。 墨の香りについて、鎮静効果があることが、近年の科学実験で明らかになってきてい ます。もともと、墨の香料は膠が悪臭を発するために、墨職人がその臭い消しのために イい始めたものですが、それが次第に高級化して、むしろ楽しみの対象に転化されたも のです。 にかわ 、いほどで、作品のために濃い墨を求めて墨を 222