「点」の重要性 書における「点」は、活字や硬筆で書く「点」とたい〈ん意味あいが異なるものです。 活字や硬筆で書く点は、ただそれがあるかどうかの文字言語としての機能において働き をもつものですが、書においては点といえどもそこに起筆、送筆、収筆があって、三過 折筆の技法が最小限のスペースの中に凝縮されなくてはなりません。点は文字構成のう ちの最も小さな存在でありながら、技法の上では書法のありかたや技量の到達が表れる、 きわめて重い位置づけを担っているのです。 とくに重要なことは、点の技法は歴史に直結しているということです。筆先が点の中 のどの位置にあるか、どこを通りどう抜け出るかということが、単に個人的な好みとか 流儀にとどまるものではないのです。つまり、書法が生み出されて継承されてきた歴史 過程を表すものとして、古人はそれをいかに理解し、修得し、踏まえるかを書法の格意 識として、明確に反映させてきました。 「点」と個性 したがって、古人の書作を臨書するにおいては、その書作の中の点の作り方をよく観 166
る 顔真卿の「点」 朝系にも南朝系にも属さない「点」の打ちかたに、顔真卿 欧法でも虞法でもない、北 ついせき 法 の点法があります。顔真卿の点は墜石の異名があり、起筆は筆を人れるというよりは、 書 で 垂直に落下させると言った方がふさわしい程に強く打ち込みます。図 8 ー 6 は顔真卿六 だいと - っちゅ - っこ・つしょ - っ 十二歳の書である「大唐中興頌」から選んだ一字で、雄 大なスケールで点が打ち込まれていることがよく理解されの 占 ~ 唐るものと思います。 大 顔真卿の点は筆先が画の左上にあり、太い部分は筆の腹 真 彡第 が当たっています。点の形状は欧法や虞法のような三角幵 6 「ではなく丸みがあって微妙に右くねりです。このくねりは 8 の 図筆先が画の上や下を通って形作るのではなく、筆管を右回 3 顔真卿書法系統の点法
王羲之の断筆・ 2 仮名への応用・ 第七則筆管を回すと線が伸びるーーー筆管を回すことによって筆毛の働きを助ける 左右の払いにおける筆管の回し 2 転折とはねにおける筆管の回し わよう 3 中国書法と和様の相違・ 第八則「点」の打ちかたで書法がわかる 北朝書法系統の点法・ 2 南朝書法系統の点法・ 顔真卿書法系統の点法・ 第九則一画とニ画の間をゆったりと 米字格と九宮格 2 大きく動き、あとは余力で っ 4 一画と二画を気宇大きく書けると、 あとは余力で筆がスムーズ 「点」は書法の歴史認識と個性の凝縮・ 184 180 149 146 165 177
る わ 法 書 で ち 書の大家たち の 点 欧陽詢、虞世南、楮遂良を初唐の三大家とし、これに盛唐の顔真卿を加えて唐の四大 家のくくりかたがされます。たたし、これは日本で定着しているもので、中国にはとく にこうした考えかたがあるわけではありません。唐代にはこの他、欧陽詢の子の欧陽通、第 しょふ そんかてい ちょ - つきよく力いそ 「書譜」を書した孫過庭、狂草 ( 奔放な草書 ) の達人とされた張旭と懐素、さらに薛稷、 りよ - つりゆ・つこ - つけん 李琶、柳公権と枚挙に遑のない程に人材が輩出しているところから見て、三大家また四 察するたけで、その捉えるべき書法の歴史的位置づけが見えてくる程です。もしそれら に理解なく、外形を模することに終始していたのでは、、 しくら努力を重ねたとしても本 質に迫ることはできないでしよう。真の個生とは歴史性を確かに踏まえた上で、そこか ら自由を見出して作り上げるべきものです。たかが点なり、されど点なり。「点」の書 法に対する認識を深め、目的に合わせて使い分けできるようになりましよう。 北朝書法系統の点法
顔真卿と明朝活字 書造形において、大きさということで明確な姿勢を打ち出したのは顔真卿であるとい っても過言ではないでしよう。唐代初期に楷書を完成させたとされる欧陽詢、虞世南、 楮遂良の初唐の三大家の書美の理想は、結局は王羲之書法に帰結される、払いを長くし スタイルの良さを重んじたものですが、顔真卿の場合はスタイルを越えて重量感が前面 凡。瓦 ① 図 11 ー 1 「凡」のいろいろ ② ②は明るく伸びやかな大きさが出ています。線の太さ、 点の大きさと位置との違いで、これほどに大きさが異な って見えるということです。さらに例③では点を左に寄 せ右側に余白を広くとることで、第二画の伸びを強調し、 例④では一、二画の囲みを大きくとり、点に動きを出し て行書としての大きさを作り出しています。このように わずかな囲みと点との対比の違いによって、文字造形の 表情がいかに多様に変化するかが、よく理解されること と思います。 206
空海と収筆のはね上げ 図 5 ー 1 の「恵」は、空海が最澄に宛てた書状である「風信帖 ( 書き出しの「風信雲 書」の語から付けられた名称 ) の中の一字です。運筆にスピード感が溢れ、あざやかな 切れ味を感じさせます。これは最後の点を右側に大きく離し、しかも収筆を上方にはね 上げた効果が生み出したものです。 しかし、もしこの最後の点を隠してしまうとどうなるでしようか。すべての点画が、 とり立てて筆勢として特徴のあるものではないことがわかると思います。つまり私たち の目はこの最後の点の筆勢によって、字形全体に筆勢がみちみちていると錯覚している ことになります 王羲之の紙離れ 空海のこのテクニックは偶発的なものではなく、王羲之の書法が巧みに踏まえられて います。その下の「徳」「思」「憑」は王羲之の書作から字を集めて、唐の太宗皇帝の文 しゅ - つじしょ - っキ、よ・つじよ を組み立てた「集字聖教序 , から選出したもので、王羲之には「心」を書くとき、最 後の点を勢いよく打ち、さらに左上方に筆先をはね上げる癖があったことを示します。 128
第八則「点」の打ちかたで書法がわかる 「点」は書法の歴史認識と個性の凝縮第 狼 ( イタチ ) 筆 ( 柳葉筆 ) 超長蜂羊 ( 山羊 ) 毛筆
書するだけでも、結果はたいへんに違ってきます。 2 大きく動き、あとは余力で 脳のリラックス 米字格、九宮格に基づき、カンムリや偏を書く方法は運筆からいうと、一画と二画と を枠いつはいに大きく離して書くことですが、これは大脳運動野の働きをリラックスさ せるためにたいへん効果的です。しかも、米字格にしても九宮格にしても一辺には中央 が明示されており、ウカンムリであれば第一画の点は上辺の中央に打たれることになり、 サンズイであれば第二画の点が左辺の中央に打たれることになります。 これはごく当たり前のことのように受け止められるかもしれませんが、ウカンムリで あれば中央に点を打ち、次に左右いつばいに第二画、第三画と続けることは、なかなか 容易ではありません。しかし、ここで大きく動いておくことが、書こうとする意識で緊 張した大脳運動野の機能をリラックスさせ、さらに次の画への連動を生み出してくれる 184
右払い 右払いは楷書・行書では形作りますが、草書には堅固しくなるので付けないの普通で す。隷書では右払いではなく、波磔になります ( 漢代には草書に波磔を加えた章草と呼 ばれる特異な字体がありました ) 。 楷書の右払い ( 図 7 ー 3 ) では、起筆で筆先を菊度左上方向に整え、そのまま運筆します。 このとき、心持ち筆管を左回りにすると、あとの払いでの方 筆先 向転換が楽になります。たたし、あくまでもほんの心持ちで 運す。点に至って筆管を度程度左回転し、筆先を左方に方 の 向転換して右方に払い出します。 この点で断筆する人としない人があります。これはあく 書までも技法上の好みの問題であって、断筆すると点の認識 楷 が作風に明瞭に表れます。例えば欧陽詢書法や北朝系の楷書 であれば、断筆を加えた方が作風のアクセントになり、虞世 図 南など南朝系の書法であれば、断筆でできる節目は柔らかさ の妨げになるでしよう。行書の場合は流れを重んじますから 筆 先 の 158
さらに顔真卿は篆書のもつ高い格式を傾注することに 意を注いだわけです。これらを総合して古法復帰精神とす 黼るならば、顔真卿が最も古い書法精神に挑戦したというこ 王とになります。 こま、・後代る 顔真卿の篆書を基盤とする書法精神のありかオ ( 図に大きな影響を与えました。図 8 ー 8 は王鐸の前掲「寄張 法 抱一自詠詩巻」 ( 一三三頁参照 ) 中の一字です。サンズイの 書 で 各点がまさしく直下に打ち込まれ、筆先が画中に封じられ たあと、はね出されています。次の図 8 ー 9 は呉昌碩の行 打 法 の 書に見る筆使いで、ここにも筆先を画中に収める点法が認 占 ~ 点 碩められます。王鐸は清末明初の動乱の中にあって二朝に使 昌 えた高級官僚であり、一方の呉昌碩は清末民初の混沌に巻 呉 き込まれた市井の芸術家という生きかたの違いがありまし第 たが、行草書を書きながらそこに巧みに篆書書法を応用し乃 ていく表現力には共有性が多く認められ、さらにそれが今