らいにゆっくりと筆先を出します。 ⑥②は主に隷書に現われる短い縦画で、横画① ( 六〇頁参 照 ) をほぼ縦にした形です。起筆と送筆は①と同じですが、 収筆は軽く止めるだけで横画のように筆先を戻したり、縦 ⑦画①のように抜き出すことはしません。 字形の中心にある長い縦画は誰にとってもたいへん難し いもので、作品に与える影響力が大きく、どんな大家であ ⑧っても決して油断はならないものです。 す ③以下は楷書、行書、草書に用いられるもので、③④は 動 横画③⑤に対応するもの、⑤⑥は横画④に対応するもの、 子 ⑨ ( ⑧ ) は横画⑥に対応するもの、⑨⑩は横画⑦に対応するも 振 のです。 これらの運筆は第 縦筆 のすべて横画の方向 図画をそのまま縦に変 ⑩
を、レム・つりゆ - っ こと浮雲の若く、矯きこと驚龍の若し ) 」と讃えたのです。 しかし、一画一画の転折部 ( 点画の折れ目 ) を見ると不思議なことがあります。とく にそれが「書」の字に表れていますが、三つ目の転折で輪郭に小さな欠けが認められる ことです。この現象は図 6 ー 2 に示した -Q o で、前画の収筆に次の起筆を少しずらせ て人れ直したことから生じたものに違いありません。これが断筆の技法で、目だちませ んが他の画においても、この技法が多用されているものと思われます。 す 直 筆脈のダイナミック れ 人 これは運筆を極力短い単位に捉え、それを連動することによ ら 筆 断 っ って字形を作り上げるという考えに立つものです。これによっ の て草書とはいえ、一画一画が非常に明瞭になり、どこの部分をつ 七 叶見ても不鮮明なところがありません。一画一画を切って繋がな 第 いと書けない、即ち断筆しないと書けないというのではなく、 図この断筆の箇所が第五則で述べた起筆、収筆の働きを発し、錯 覚を促して一画一画を長く張りのあるものに見せているのです。
いことがあります。しかもそれでいて、各行の行立てがしつかりし、狭いながらも行間 が明るく鮮明に表れています。 この呉昌碩のしつかりした行立ても、縦画の方向の安定と貫通力がものをいっていま す。まず一行目では、初めの「金山亭子」の中心がよく通っています。次いで「崘低昻 高」では、左側の縦画が一線上に貫かれています。二行目では中心線のない「躡 . 「礼」 を飛ばして、「春雲」の縦画と「上」の縦画、「方」の点が線上にあり、「佛」の中央の 縦画と「坐」の縦画が一線上にあります。三行目でも「朝觀水月。の左側の縦が一線上 に貫かれ ( 「水」は中心の縦画をあえて左側に移している ) 、さらに「當」の二つの縦画 中 に連なっています。 集 かくして、ただ気儘に筆を動かしたたけのような書跡が、行立てのしつかりしたもの 画 となり、縦の流れ、さらに律動感を生み出しているのです。決して文字の中心を揃える というばかりではなく、縦画をやや左傾きにすることで統一し、中心線のあるときは中 心で、偏旁による文字は偏の左側の縦を、また時には右側の縦を貫くことのよって、縦第 の流れを作り出していることがわかります。
墨跡の中には振り子運筆が縦に横に斜めにと、さかんに生きていることがよく察知され ます。 4 横画・縦画を振り子で引く さて、いよいよ横画と縦画を振り子運動によって引くことにします。これまでの内 容がよくのみこめ、筆を運ぶ呼吸のほどが納得されていれば準備は十分です。 ⑥ ⑦ ③ ④ ⑤ ① ② 図 1 ー 8 横画のいろいろ
④ ⑤ ② 「縦画」にも、振り子運動 次に縦画に移ります。縦画の形状は図 1 ー四の十種に代 画表されます。十種といっても③⑤⑦⑨は収筆を止めた形、 の④⑥⑧⑩は③⑤⑦⑨の収筆をそれぞれ抜き出した形で組み ③種 十合わされるものです。 4 ①は篆書に現れる長い縦画で、横画の時と同じように起 図筆は筆先を巻いて人れ、送筆に転じては筆先が線の中央を 通るようにします。起筆の巻きで得た筆毛の弾力を用い それを下方に平行移動していくことも、横画を引いた要領 縦筆と同じです。収筆 、のは勢いよく抜かず、 図画むしろためらうぐ ① 選んでください。新しい筆、また柔らかすぎる筆は禁物で す。
第九則一画と二画の間をゆったりと 一画と二画を気宇大きく書けると、い一 あとは余力で筆がスムーズ 馬毛紙巻筆
書するだけでも、結果はたいへんに違ってきます。 2 大きく動き、あとは余力で 脳のリラックス 米字格、九宮格に基づき、カンムリや偏を書く方法は運筆からいうと、一画と二画と を枠いつはいに大きく離して書くことですが、これは大脳運動野の働きをリラックスさ せるためにたいへん効果的です。しかも、米字格にしても九宮格にしても一辺には中央 が明示されており、ウカンムリであれば第一画の点は上辺の中央に打たれることになり、 サンズイであれば第二画の点が左辺の中央に打たれることになります。 これはごく当たり前のことのように受け止められるかもしれませんが、ウカンムリで あれば中央に点を打ち、次に左右いつばいに第二画、第三画と続けることは、なかなか 容易ではありません。しかし、ここで大きく動いておくことが、書こうとする意識で緊 張した大脳運動野の機能をリラックスさせ、さらに次の画への連動を生み出してくれる 184
左払いなどの左方向に向けた斜画は、左方に誘導し行の流れの妨げになるものです。 欧陽詢はその対応のために、斜画をつとめて縦画同様に創り上げているのです。さらに これを詳しく見ると、欧陽詢は縦画を垂直ではなく、やや左傾きに作っていることがわ かります。これによって斜画を立てやすくし、行の左側を貫く柱状の線を作り出してい るわけで、ここに各字がうまく連結する秘訣があるものと思われます。「張翰帖」で表 現されている縦の流れは、あくまでも文字の中心を揃えまっすぐに書くことだけで成り 立っているものではないのです。 中 腕の動きの方向 集 ただし、縦画をやや左傾きに統一し、かっ斜画をつとめて立てるという方法は、そう 画 たやすくはありません。それは右腕は右肩から出ている関係から、腕や手指は右上から 左下には動作しやすい反面、左上から右下には運びにくいのです。これは剣術でいえば 順手打ちはよく腕が伸び、逆手打ちでは力が人らないことと同じです。つまり、人間の第 体のしくみは、本来的に左に流れやすくできているのです。とくに右肘が下がっていた り、体が左右に傾いていると方向がしつかりとれません。体を起こし、肘を上げ、第一
またその基盤に立って作品を書こうとするのならば、中国人の書法に対する精神的なあ りかたをまず踏まえなくてはならないでしよう。 心の働きが横溢し、運動野がリラックスして生きいきと第一画、第二画を広く大きく とれるようになったら、筆毛の働きもまた違ってきます。第一画、第二画をリラックス して筆を大きく運べば、自ずから振り子運動が始まって筆毛は大きく鞭打ちます。そこ に少し筆の回転 ( 捻筆 ) が加われば、筆先が起き、筆毛が幾分開かれるでしよう。そう したらあとはしめたものです。その起きた筆先の弾力を感じながら、余力で書いていけ はいいだけです。一、二画で息を吸い込むようにしてエネルギーを蓄え、次いで息をは き出すように運動を続けるわけです。速度も一、二画はゆっくりと、次いで後はたんだ ん速めていくことになるでしよう。筆毛が起きたときの運筆は、刃物が紙を切っていく ように軽やかなものです。つまり運筆が楽なのです。カまかせでなく、筆に書かせると い、つ意・味とコツがここに隠されています。 186
「横画」のいろいろ まず横画から人ります。一口に横画といっても、形態は歴史を経るごとに多様に変化 しています。それらをひととおり列挙してみましよう。 ①は篆書における横画です。起筆、収筆ともに丸く筆先を外に表しません。これは青 銅器に鋳込まれた金文の横画の感覚に発するもので、青銅器に鋳込んたイメージが、そ のまま石に刻する文字造形に持ち込まれたということもできます。しかし、二十世紀に 人って漢代の竹簡、木簡、さらに遡って戦国・秦代の竹簡までが発見されるようになり、 これが刻することによって作られたのではなく、明確な書法意識によって書かれていた す ことが判明しています。 動 ②は隷書のうちの、とくに長い横画を強調する書きかたです。大きな波を打つように 子 書くところから、収筆の形を波磔、あるいは波勢、また簡単に波と呼んでいます。波磔 は一文字に一画だけに限るという原則があります。 ③は起筆に明確な止めをつくらず、流れるように入って収筆だけを止める筆法です。第 これは漢代 ( 紀元前二〇六ー後一三〇 ) の竹簡や木簡に書かれた草書の筆法に現われたもの で、のちに隷書をくずした行押書 ( 行書の原型になるもの。八三頁参照 ) にも見られ、さ