言語野 - みる会図書館


検索対象: 書の十二則
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1. 書の十二則

を派遣することによって、漢字文化の水準を中国と同等のものにまで一気に高めていき ました。日本の国家建設が、漢字文化の水準の向上とともにあったといっても過言では ありません。 さらに日本人は漢字の音を用いて日本語を表記することを工夫し、仮名を発明しまし た。漢字から学んだ漢語と仮名表記による和語を交え、日本語のもっ滑らかさと、漢語 の豊富な語彙量を相互に生かすことによって、日本語の言語としての美しさと表現力を 幅広いものにしていきました。 とくに重要なことは、漢字は日本に伝えられた時点から、これを機能させるだけでな いかに書するかという書法理念を伴っていたことです。『古事記』に、王仁が来朝 したとき『論語』と「千字文」を献上したとあります。『論語』とは経書、つまり学問 のための教科書であり、「千字文」とは書法の手本であると解され、記述の信憑性はと もかくとして、漢字が機能と書法とに両立されるべきものであるとの考え方がここに表 れています。 日本人は漢字に対し、この書法の面にも大変熱心にとりくみました。しかも、外国の 文字を自国の文字にみごとに転化させた応用力は、書法においても発揮されました。中 226

2. 書の十二則

日本人にしても中国人にしても、これらの文字を書くことによって身につけてきまし た。漢字や仮名は筆毛によって形作られたのであり、字形の美しさやパランスとまとま りは手の働きにかなうべくし、かっ書くことが快いことであるために築き上げられてい るのです。それだからこそ書道は何年やっても飽きることがなく、経験を重ねれば重ね るほどますます楽しくなるのです。そして、書くと文字がよく覚えられ、内容がしつか り記憶できるのは、書くことによって運動野と読み書きにかかわる言語野が互いによく 刺激しあい、それがプログラム化されて脳中に深く刻み込まれることが想定されます。 書は心 ( 脳 ) 画なり また、言語は話すものであり、聴くものであり、さらに話し聴きする中で、あるいは つか、一 思考する中で、イメージを連動させるものでもあります。これらの働きを掌る領域を順 に運動性言語野、聴覚性言語野、感覚性言語野と呼んでいます。運動性言語野が損なわ れると、筋肉に故障がなく、食事運動は普通にできても発語が不可能になり、いわゆる 運動性失語症を起すといわれます。聴覚性言語野が損なわれると、音は聞こえても言語 は理解できなくなり、語聾といわれる聴覚性失語症が起きるとされます。感覚性言語野 ごろう

3. 書の十二則

背側運動前野 書野 み語 読言 五ロ ニ : ロ 〈後〉 聴覚性言語野 感覚性言語野 く運動野と言語野〉 補足運動野 腹側運動前野 前補足運動野 一 1 = ロ 補野 20

4. 書の十二則

が損なわれると感覚生失語症を生じ、「山と言っているつもりなのに「川」と言って しまうような、錯語と呼ばれる言葉の理解の障害が起きるとされます。前出の読み書き にかかわる言語野が損なわれると、目には見えても文字の理解が不可能になる失語症、 文字が書けなくなる失書症が起きるとされます ( 二〇頁、図 0 ー 5 参照 ) 。 筆跡を造形表現としてとりくみ、また鑑賞する立場からすると、字形のいい悪いを判 断し好みを作り出す言語野、文字を書く流れやリズムを一定にし個性的にする言語野な風 作 どの存在が想定されますが、これまでの科学では、そこまでの説明ができる発見はまた ありません。これも今後の研究成果を待たねばなりませんが、書にとりくむ人が、他の個 筆 人よりもはるかに運動野と言語野を発達させていることは確かでしよう。 さらに、書道にいそしむ方が高齢になってどなたもお達者であることは、運動野と言 語野の健全が、。ハ ランスよく保たれていることを意味します。書くことが、とくに近年筆 毛 は漢字の書き取りが脳の活性化や老化防止にいし 、ということで、大人のための漢字練習 章 帳がプームになっていますが、書き取りはまさしく運動野と言語野を一斉に動かしてい序 る作業たからこそ、その効用があるのです。ましてや毛筆で書することは、その内容が っ ~ 複雑かっ豊富ですから、その幾倍もの効果が期待できます。

5. 書の十二則

たっても手本離れができません。ある程度は手本に徹する時期が必要で すが、あとは思いきって自分のカで書くことです。そうすれば自ずから 運動野がどんどん開かれ組み込まれて、独自の能力や作風が蓄積されて いでしょ一つ 丿つ大 類多彩・多量の文字と脳の活発な働き 次に書と言語野との関係になりますが、書は本来的に漢字、また仮名 隷字による言語を書くもので、運動野と言語野は同時進行で働いていること きん になります。漢字文化の言語は複雑で、漢字の種類だけでも甲骨文、金 ぶんだいてんしようてん 書図 ′イ楷文、大篆、小篆、隷書、楷書があり、さらに近年は戦国時代から秦漢に 至る竹簡が大量に発見されるようになって、小篆から隷書に至るまでの 中間的な新たな字体の存在が認められています。また、くずし字として 行 ぎようおうしょ しようそう は行押書から行書への系統、漢代の草書、章草から近体の草書などがあ り、しかもこれらの字体すべてが消去されることなく、書作の対象とし てとりくまれています。仮名においても、日常的に使用されるのは平仮

6. 書の十二則

名ですが、仮名作品には変体仮名が多用されるわけで、その総字数は少く見積もっても 二百字ほどはあり、なおくずしの度合いによって、字形はさらに変化します。 これに比べて、英語はアルファベット二十六文字を組合わせるだけです。しかも、英 米人はこれらを美しく書くことより正確さと書記の効率化に向かい、印刷活字やタイプ ライターを早くから開発し、その観念が今日の。ハソコン印字に繋がっています。中国大 陸では簡体字が普及して漢字がずいぶん簡便になりましたが、伝統的な漢字 ( 繁体字 ) 風 作 を抹消してしまったのではありません。近年は国際的な販路を予測する書籍は繁体字で 印刷しており、中国大陸でも学者は分野によっては、簡体字と繁体字の両方を身につけ個 筆 なくてはならなくなっています。 運 この漢字文化圏の識字力は、欧米人には魔術のように目に映るようです。とくに欧米 脳 人が驚くのは、二十画もあるような漢字を、中国人にしても日本人にしても、すらすら筆 毛 と書ける人が珍しくないことです。この識字力に結びつく言語野は、読み書きにかかわ る言語野と呼ばれています。漢字の総字数約五万字のうち、中国で通常使用されている序 のが約五千字、日本でも常用漢字だけで一九四五字です。いかに漢字文化圏で生きる人 が、欧米人に比べてこの一一一一口語野を活発に働かせているかが納得されるでしよう。

7. 書の十二則

めてたくさんあります。字形の組み立てをよく見、あわてず適宜に断筆を用いて書いて いけば何でもありません。 2 仮名への応用 音の流れを記述する仮名 す 直 仮名はたいへん便利なものでした。窮屈な漢文体ではなく、思うがままに日本語を書 れ き表すことができるのです。とくに遣唐使が廃止され国風文化が進むと、漢詩よりも和ら 歌が広く楽しまれるようになっていきますが、それも仮名というコミュニケーション手つ ま っ 段があったればこそのことでした。 また、漢字は表意文字で一字一字の独立性が高く、詩文においても文字一個の存在が しつかりしています。これに対して仮名は表音文字で音の流れをそのまま記述するもの第 ですから、幾文字かを書くことによって、初めて言語の表記になります。自ずから言語 -4 を成り立たせる幾文字かを一流れに書くこととなり、速度ある書きかたも要求されるよ

8. 書の十二則

行立て、流れ、律動感 図ー 2 は呉昌碩が自詠の詩を詩箋に書したものです。とくに書作品としての表現の 意図はなく、筆の動きにまかせて淡々と書き上げられたものですが、大脳運動野や文字 造形にかかわる言語野に内蔵された文字造形能力が随所に発揮されています。この呉昌 碩の書跡と先の欧陽詢「張翰帖」との違いの一つに、呉昌碩があまり行間をとっていな ネル多方確す 図 10 ー 2 呉昌碩「詩稿」 194

9. 書の十二則

ぎて、そっとなぞるように書いているばかりでは、言語野の視覚力はついても、運動野 が開店休業になってしまいます。 書作において最も必要なものは動きであり、その運筆力です。しかも、独自性のある 動きと運筆力です。これには運動野を大いに働かせ、筆毛という柔らかい特殊な筆記具 を使い尽くそうという意欲を欠くことはできません。さらに必要になるのは精神的な自 信です。思いきって心の扉を開き、心の発露の場として筆の使いかたを試しましよう。 風 作 性 本書では、そのための十二の基本項目を掲げています。名づけて「書の十二則」。 れによって今まで引きずっていた筆使いのこだわりが解きほぐされ、運筆の自由が大い筆 に得られていくことと思います。初めて筆を執られる方にも、これは書するためのたい せつなウォーミングアップになるでしよう。では、順を追って運動野と一 = 〕語野の柔軟性筆 毛 と機動力をつけていくことにしましよう。 章 序

10. 書の十二則

真跡の喪失 書道は古典を手本としてよく用いますが、古典は大きく拓本と肉筆に分かれます ( 肉 筆は日本だけの語であるので、以後は日中両国共通の語である真跡という表現に改めま す ) 。この区分けは中国については唐代 ( 六一八ー九〇七 ) 以前は拓本、五代・北宋以後は 真跡が多く、日本では白鳳時代の宇治橋断碑 ( 六四六年建立 ) 、奈良時代初めの多胡碑 ( 七 書、書道、習字は運動野と言語野の働きを基礎にして、そこに美意識と集中力を働か せることによって推進される営みです。「書は心画なり」とか「心正しければ則ち筆正 し」とは、いずれも書することを通じて心が平静かっ客観であるべきことを説いたもの です。心に乱れや萎縮があれば、 ) ゝ し力に頑張ろうとしても運動野が硬直して、うまく働 いてくれないことを指しています。緊張すると手が震えたり、気が焦ればあせるほど手 が縮こまって動いてくれないのは、そうした状態なのでしよう。 3 動いた結果が形であること