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検索対象: 書の十二則
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1. 書の十二則

背側運動前野 書野 み語 読言 五ロ ニ : ロ 〈後〉 聴覚性言語野 感覚性言語野 く運動野と言語野〉 補足運動野 腹側運動前野 前補足運動野 一 1 = ロ 補野 20

2. 書の十二則

脳と筆跡と手本 ところで、一九七四年になってイギリスの—社が x 線による O E-" スキャンを製品 化して以来、超音波、核磁気共鳴 ( ) など画期的な機器が次々と開発されて、 人間の生体そのままを検査することが可能になり、脳神経科学は飛躍的な発達をとげて いきました。運動野の前方に新たな運動野が見つかり、はじめの運動野を一次運動野、 新たな運動野はさらに背側運動前野と腹側運動前野に分けられました。さらに補足運動風 作 野、前補足運動野などと認識される所在が次つぎに明らかにされ、記憶、学習、プラン ニングなどの高次の運動機能には、運動前野、補足運動野、前補足運動野との関連が唱個 えられるようになっています。ただし、運動野の基軸になるのはあくまでも一次運動野筆 で、体部位局在性が示されるのも一次運動野に限られます。 脳 文字を書く経験が脳に記憶され、かつ大脳運動野の指令によって書跡が筆記されるの靴 毛 であるとすると、 QZ< が人それぞれに必ず異なるように、個々人の筆跡が異なること は当然のなりゆきであり、かっ筆跡を他者が合一に記すことが不可能なことが納得でき序 ます。書道では師匠から手本が与えられ、それを一心に学ぶことになりますが、この学 ぶ行為とは、手本を模倣する作業であって、少しでも手本に筆跡を近づけるべく、模倣

3. 書の十二則

手本にしがみつくな さらには、創作性筆跡プログラムということも考えることができます。一線級の書家 とはもつばらこれを仕事とするもので、独自の作品スタイルを、さまざまに試行錯誤し ながら作り上げることを繰り返します。そして、次第にそれがその書家の定着した作風 になっていくのです。運動野の筆跡プログラムは、生まれながらの先天性に加えて、こ のように後天性の可能性を多分に有するものであると解されます。 風 作 運動野には質においても人さまざまです。よく反応する運動野があれば、なかなか反 応しない運動野があります。吸収力にすぐれた運動野があれば、拒絶力の強い運動野が個 あります。多面性を豊富にもっ運動野があれば、柔軟性に乏しい運動野があります。さ筆 らに、それを超えた運動野の普遍的な特徴に、一度組み込まれた筆跡プログラムは、今 し意味においても悪い意味においても、簡単には消え去らないということがあり 度はいゝ 筆 毛 ます。例えば身についてしまった筆の持ちかたは、よくよく自覚していかないと改まら ないし、一度誤って覚えてしまった筆順は、良くないとわかっていながらついつい出て序 しまうものです。 これを書道において見たとき、ともかくも手本にしがみついていたのでは、いつまで

4. 書の十二則

が損なわれると感覚生失語症を生じ、「山と言っているつもりなのに「川」と言って しまうような、錯語と呼ばれる言葉の理解の障害が起きるとされます。前出の読み書き にかかわる言語野が損なわれると、目には見えても文字の理解が不可能になる失語症、 文字が書けなくなる失書症が起きるとされます ( 二〇頁、図 0 ー 5 参照 ) 。 筆跡を造形表現としてとりくみ、また鑑賞する立場からすると、字形のいい悪いを判 断し好みを作り出す言語野、文字を書く流れやリズムを一定にし個性的にする言語野な風 作 どの存在が想定されますが、これまでの科学では、そこまでの説明ができる発見はまた ありません。これも今後の研究成果を待たねばなりませんが、書にとりくむ人が、他の個 筆 人よりもはるかに運動野と言語野を発達させていることは確かでしよう。 さらに、書道にいそしむ方が高齢になってどなたもお達者であることは、運動野と言 語野の健全が、。ハ ランスよく保たれていることを意味します。書くことが、とくに近年筆 毛 は漢字の書き取りが脳の活性化や老化防止にいし 、ということで、大人のための漢字練習 章 帳がプームになっていますが、書き取りはまさしく運動野と言語野を一斉に動かしてい序 る作業たからこそ、その効用があるのです。ましてや毛筆で書することは、その内容が っ ~ 複雑かっ豊富ですから、その幾倍もの効果が期待できます。

5. 書の十二則

日本人にしても中国人にしても、これらの文字を書くことによって身につけてきまし た。漢字や仮名は筆毛によって形作られたのであり、字形の美しさやパランスとまとま りは手の働きにかなうべくし、かっ書くことが快いことであるために築き上げられてい るのです。それだからこそ書道は何年やっても飽きることがなく、経験を重ねれば重ね るほどますます楽しくなるのです。そして、書くと文字がよく覚えられ、内容がしつか り記憶できるのは、書くことによって運動野と読み書きにかかわる言語野が互いによく 刺激しあい、それがプログラム化されて脳中に深く刻み込まれることが想定されます。 書は心 ( 脳 ) 画なり また、言語は話すものであり、聴くものであり、さらに話し聴きする中で、あるいは つか、一 思考する中で、イメージを連動させるものでもあります。これらの働きを掌る領域を順 に運動性言語野、聴覚性言語野、感覚性言語野と呼んでいます。運動性言語野が損なわ れると、筋肉に故障がなく、食事運動は普通にできても発語が不可能になり、いわゆる 運動性失語症を起すといわれます。聴覚性言語野が損なわれると、音は聞こえても言語 は理解できなくなり、語聾といわれる聴覚性失語症が起きるとされます。感覚性言語野 ごろう

6. 書の十二則

を繰り返すことです。これは運動野の立場から言いかえるならば、ひたすら他者の運動 野の働きの後を追っていることになります。人間は生まれながらにして異なる運動野を 備えているわけですから、なかなかうまくまねられない、手本のようにならないという のは至極当然のなりゆきです。 また、手本があるとうまくまねられるのに、手本がないとさつばり書けないという現 象がよくあります。これは手本を視覚的によく捉え、手指の運びもよくそれについてい くことができているのですが、運動野に浸透するまでには至っていないということにな るのでしよう。 しかし、書道界には師匠と瓜二つの作品を書く弟子はいくらでもいます。展覧会に人 るとよくある風景で、一門の人であれば識別は容易なのでしようが、外来者にはほとん ど同一の手になると見える作品がずらりと並んでいます。これらの門人たちは、さぞか しすさまじい訓練によって、運動野までを師匠のプログラムに作り変えたのでしよう。 運動野は固有のものですが、訓練によって作り変えることが可能な柔軟性があるという ことです。こうなると元の自身のプログラムも残存しているわけですから、運動野の筆 跡プログラムの二層性が生じます。

7. 書の十二則

ぎて、そっとなぞるように書いているばかりでは、言語野の視覚力はついても、運動野 が開店休業になってしまいます。 書作において最も必要なものは動きであり、その運筆力です。しかも、独自性のある 動きと運筆力です。これには運動野を大いに働かせ、筆毛という柔らかい特殊な筆記具 を使い尽くそうという意欲を欠くことはできません。さらに必要になるのは精神的な自 信です。思いきって心の扉を開き、心の発露の場として筆の使いかたを試しましよう。 風 作 性 本書では、そのための十二の基本項目を掲げています。名づけて「書の十二則」。 れによって今まで引きずっていた筆使いのこだわりが解きほぐされ、運筆の自由が大い筆 に得られていくことと思います。初めて筆を執られる方にも、これは書するためのたい せつなウォーミングアップになるでしよう。では、順を追って運動野と一 = 〕語野の柔軟性筆 毛 と機動力をつけていくことにしましよう。 章 序

8. 書の十二則

たっても手本離れができません。ある程度は手本に徹する時期が必要で すが、あとは思いきって自分のカで書くことです。そうすれば自ずから 運動野がどんどん開かれ組み込まれて、独自の能力や作風が蓄積されて いでしょ一つ 丿つ大 類多彩・多量の文字と脳の活発な働き 次に書と言語野との関係になりますが、書は本来的に漢字、また仮名 隷字による言語を書くもので、運動野と言語野は同時進行で働いていること きん になります。漢字文化の言語は複雑で、漢字の種類だけでも甲骨文、金 ぶんだいてんしようてん 書図 ′イ楷文、大篆、小篆、隷書、楷書があり、さらに近年は戦国時代から秦漢に 至る竹簡が大量に発見されるようになって、小篆から隷書に至るまでの 中間的な新たな字体の存在が認められています。また、くずし字として 行 ぎようおうしょ しようそう は行押書から行書への系統、漢代の草書、章草から近体の草書などがあ り、しかもこれらの字体すべてが消去されることなく、書作の対象とし てとりくまれています。仮名においても、日常的に使用されるのは平仮

9. 書の十二則

真跡の喪失 書道は古典を手本としてよく用いますが、古典は大きく拓本と肉筆に分かれます ( 肉 筆は日本だけの語であるので、以後は日中両国共通の語である真跡という表現に改めま す ) 。この区分けは中国については唐代 ( 六一八ー九〇七 ) 以前は拓本、五代・北宋以後は 真跡が多く、日本では白鳳時代の宇治橋断碑 ( 六四六年建立 ) 、奈良時代初めの多胡碑 ( 七 書、書道、習字は運動野と言語野の働きを基礎にして、そこに美意識と集中力を働か せることによって推進される営みです。「書は心画なり」とか「心正しければ則ち筆正 し」とは、いずれも書することを通じて心が平静かっ客観であるべきことを説いたもの です。心に乱れや萎縮があれば、 ) ゝ し力に頑張ろうとしても運動野が硬直して、うまく働 いてくれないことを指しています。緊張すると手が震えたり、気が焦ればあせるほど手 が縮こまって動いてくれないのは、そうした状態なのでしよう。 3 動いた結果が形であること

10. 書の十二則

成行きまかせではなく、自意識をしつかり持ちながら書にとりくむことによって、積極 的に脳の働きの活性化を促していきたいものです。 脳と親指 ( 拇指 ) ここで、その大脳の運動野と言語野のしくみについて具体的に示すことにしましよう。 かって脳の構造に関する研究は、戦争や事故などで脳に欠損が生じた患者の状態からデ風 作 ータを集めるしか方法がないという、きわめて困難 で遅々たる進歩しかとげられない分野でした。その個 A 」 フような中で、半世紀以上も前に、カナダの医師ペン筆 。へ フィールドによって、大脳前側部に運動野という人 分体の運動機能に関する命令系統が存在することが指 毛 局摘され、「体部位局在」の分布図が示されました。 部それによると、手に対する領域が他を圧倒し、とり序 わけ親指の領域が大きいことがわかります。これに 図次ぐのがロの領域で、足についてはずいぶん小さい 1 00 イ 2 コ《 00 》 ~ / 3 アをま 〒ー Tru 丁き