第 5 部公教育の問題点 2 、クラス分け 年齢別の区分があるのは学校だけで、大人の世界には絶対に存在しない。義務教育が導入される前の 時代は、あらゆる年齢の子供が一つの教室で学んでいて、年長の子供が年少の子供を教えるようになっ ていた。このシステムは、子供たちを席に縛り付け、「教官」の話をただ受動的に聞かせるだけの授業 よりもずっと効果的であることがわかっている。しかし先生の仕事は、生徒を番号によってクラスへ閉 じ込め、それに順応させることだ。上のクラスは厳しいもの、下のクラスはダメなものという先入観を 植え付ければ、彼らは自分の地位に満足し、クラスは軍隊のようにビシッとまとまる。 3 、無関心 先生は、たとえ子供たちが何かに興味を示しても、あまりそれに夢中にならないように教える。子供 たちが授業に熱中し、興奮して立ち上がったり、先生に褒められようと活発に競争したりする。しかし、 いったんチャイムが鳴ると、子供たちにはそれまでやっていたことをすべて中止させ、ただちに次の授 業の準備をさせる。どのクラスでも、重要なことは何一つやり遂げられたことがない。生徒たちがまと もにやり遂げるのは学費の納入くらいのものだ。 それどころか、子供たちはチャイムを通して、やり遂げるだけの価値のある仕事はないと教えられる。 そのため、何かに深く興味を持っこともない。何年間もチャイムに従って過ごすうち、一部の耐性のあ る子を除いて、もはや社会にはやるべき重要な仕事はないと思い込むようになる。チャイムは過去も未 来も打ち壊し、どの時間も均一なものにしてしまう。チャイムによって、授業はすべて無意味なものに なるのだ。 4 、感情的な依存 6 4
第 2 部学童保育の問題点 ■子供を見張るだけの仕事 僕は都内某区某小学校の学童保育の求人をハローワークで見つけ、応募。その場で採用が決まりまし た。アルバイトですからこんなもんです。時給は円 ( 泣 ) 。時に出勤し、時くらいにやって くる 1 ' 2 年生がランドセルをロッカーにしまうのを見守る。改めてこの年代の子どもと接すると、幼 稚園児と変わらないということを思い出させられます。そこから 1 時間もすれば 3S6 年生がやってき てやりたいことを始めていきます。最初に良いなと思ったのは、ゲーム類・おもちゃ類が豊富にあるこ とです。オセロから将棋からマンカラ ( おはじきを使ったゲーム ) 、野球盤、レゴプロック、 Z O 、 トランプ、なんでもござれ。小学生向けの本、漫画など到れり尽くせり。これは確かに退屈しないだろ 一つと思いました。 職員は持ち場が 3 つあり、室内、体育館、校庭を日替わりでローテーションするというものでした。 しかし仕事をしていく中で、子供たちの笑顔を見て微笑ましい気持ちになる・・というよりも、ストレ スが溜まる一方であるということが徐々にわかってきます。それは子供たちにというよりは、職員同士 の人間関係も含めた環境そのものに大きな原因がありました。 室内は、上記のようにゲームや読書をしているのを見守っているだけです。たまに将棋の相手をした り、マンカラの相手をしたり、ケンカをやめさせたり、騒いで走り回っている子供を静止させたりしま す ( 一時的に動物園状態になったりします ) 。 体育館は主にドッジボールをさせる仕事です。職員は審判とラインズマンとなって、試合をさせます。 もちろん参加するのは希望者だけなのですが、気づいた点といえばその参加意欲に性差はなく、僕自身
第 2 部学童保育の問題点 るような子供に対して、ケガをさせないようにするということのほうが難しい これがものすごく不快でした。まず、子供に対してまるで囚人を監視するかのような気持ちになるこ と。同時に、その監視をちゃんと遂行しているか職員同士で監視されている空気もあり、もちろん自分 は下っ端ですから自分自身が奴隷になったような気持ちになること。その仕事は何か成果が上がるもの ではなく、先輩職員としては何か小言を言うことくらいしかない。「さっき大縄を回している間、校庭 を見れていなかったから気をつけて」などと言われる。それが彼らの仕事なのですから当然です。彼ら は生産性というものについて考えたことがあるのでしようか。そこでは、子供たちにいきいきと笑顔に あふれて楽しんでもらいたいという微笑ましい気持ちは一切持てず、ただひたすら大過なく時間をやり 過ごすこと、子供にルールを逸脱した行為をさせないように見張ることが求められるのです。それはま るで看守にでもなった気分でした。もちろん刑務所の看守は立派な仕事だと思いますが、本来は子供た ちがのびのびと過ごすべきの放課後の校庭には相応しくないものでしよう。 例えばこれは実際にあった話ですが、下校時にお見送りと称して、時や絽時といった区切りのい い時間ごとに学校から noo E ほど離れた大きな交差点まで児童川人を連れて行きます。小学 2 年 生だと、どれだけ注意深く見ていても歩道橋の直前でかけっこを始め、転んで額をぶつけて流血したり します。これは一瞬の出来事です。傍目にはけっこう酷い感じのケガです。しかしこれを一体どうやっ て阻止できるというのでしようか。土台無理な話です。 宮台真司先生はこういう話題になると必ず「昔は子供は遊んでいる中で、穴に落ちたりしてボコボコ 死んでいましたよ」と言います。命に関わるような事故は極端にしても、ケガをする程度ならそういう こともあるという共通認識があった。しかし今の時代は、万が一そういうケガや事故が起こると監督責 任を追及するようなクレームが入る。裁判にも発展する。高いところから落ちたといえば、登らせない ワ 1
第 7 部私塾を作りたい一メンターの紹介ー キャラクターだと思います。 ある種のテレビバラエティの軽薄さ、質の低さはもはや説明するまでもなく、いじめ文化の発信源に なっているとさえ言えます。もちろんそこに社会的な効用はありますし、学べることも多いです。僕自 身もテレビが大好きでよく見ていますから。しかし一般的には、映画やネット動画などに比べて、テレ ビは受動的に受け取るもので、一目見て分かり易いものでないと続かないという現実がある。そうする と視聴率を確保するためにどうしても軽薄な内容にならざるを得ない。分かりやすいのは日本を覆うョ シモト的なイジリ文化です。誰か一人をスケープゴートとして仕立てないと、場が収まらない。そうい う安易な手法に頼り切っている。それは例えば『林先生の痛快 ! 生きざま大辞典』という良質な番組が 終わってしまい、『林先生が驚く初耳学 ! 』が残っているという現実が示しています。ここでは一一一一口うま でもなく、いかにして林修先生をやりこめるかというゲームが展開されています。 それでもその中で、林修先生のような人間が、テレビに求められ続けているということ自体が革命的 6 ーに自分の立ち位置を把握し、同時に「いっテレビの であると言っていい。 それは彼自身が相当クレバ 仕事がなくなってもかまわない」という気持ちが根底にあるからこそ、自信を持ってタレントの仕事が できるのだと思います。そして世の中に教養の大切さを伝えたいという思いがある一方で、『初耳学』 のようなその構成自体がある種のイジメになっている番組にも出られるサービス精神がある。「今でし よ ! 」を求められたら惜しみなくやる。このバランス感覚は見事です。 もちろん彼の著書『いっかるか ? 今でしょ ! 』『受験必要論』『林修の仕事原論』『林修の「今読みた い」日本文学講座』なども良書です。『異端のススメ』という本では、対談本を打診された時に、のち に東京都知事となる小池百合子氏を相手に選んでいます。その世の中を見る目には確かなものがありま す。
【補論】アイドルについて るという点では、指原莉乃ちゃんと共通しています ) 。 そしてフリーで活動しているという点も特筆すべきことでしよう。フリーというのは当然のことなが ら事務所内でのしがらみがない、自分で仕事が選べる、ギャラは全て自分のものになるというメリット がある反面、営業やあらゆる雑務を自分でこなさなければならないという難しさがあります。そしてい ざというとき、事務所が自分を守ってくれるということがない。自分の身は自分で守らなければならな タレントというのはたいてい芸能事務所に所属しているものです。ごくまれにそうでない人もいま すが、元々知名度があって、何らかのトラブルの後にやむなくそうなるということも多い そんな中、素人の地下アイドルにフリーという状況で活躍の場を広げるという方法論がありうるので しようか。自分自身に商品価値がなければ、まず仕事が始まりません。これもかってお笑い芸人ワナビ ーだった自分がフラッシュバックします。実力のないお笑い芸人 ( 男 ) なら何も起こらないで終わりな のですが、これが若くて可愛い女の子だと良からぬことも起こります。つまり世間をよく知らないこと に漬け込んで、悪い大人の餌食になることがある。そんな話は耳にタコができるくらい聞きます。金を 取られた、枕営業を強要されたなどは分かりやすい方で、怪しい大人を信じたら結局何も話が進まなく て時間を浪費しただけだった、などもあるでしよう。つい最近も、とあるグループがデビューに向けて 準備を進めていたら、一向に話が進まず、雲散霧消したという話がありました。その際の「わたしの夢 は何だったのか」という言葉が印象的でした。 女の子の夢を食い物にし、金儲けに利用しようとたくらむ大人たちを糾弾する人がいます。あるいは 甘い夢を見た女の子に対して自業自得だという人もいるかもしれません。しかしそれは本質ではない。 アイドルの生存戦略という話においては、どちらもどうでもいい話です。アイドルとして活動する以前 108
本当によい教育を実現するための覚書さいごこ 世界を知らないために世の中にどういう仕事があるのかという絶対的な情報量が足りていないことが 原因の一つではないでしようか。だからその需要に応えた『歳のハローワーク』という本が流行った りしました。たった一つ選択肢が増えるだけで、解決できる問題なのかもしれません。それに加えて、 何かを「好きになる」というカです。それにプレーキをかけないこと。それはみうらじゅん氏や山田五 郎氏の著書や活躍が参考になるでしよう。何かに興味を持っということが、学問においても仕事につい ても出発点ですから。そこでは価値判断が重要になってきます。何が価値あるもので、何が価値のない ものか見分けなければならない。その精度を高めること。まさに宮台先生が言う「本物」と「ニセ物」 を見分ける力というわけです。それがあれば、よい「感染」が待っているはずです。 だからこその「学校」でも「家庭」でもない「第三の居場所」なのです。情報のアクセスポイントは 数が多ければ多いほどいい。そして学校がどういう場所かを客観的に眺めることです。素晴らしい先生、 これらは間違いなく良いものでしよう。一方、あまり為にな 信頼できる仲間、そして学問との出会い らない時間だけを浪費する行事、視野の狭い先生、理不尽な価値の押し付け。こういうものから完全に 逃れることはできません。だからできる限り受け流す、距離を置く、心を完全に支配されないようにす る。そのような作法を身につけることこそが、先ほど言った「バランス感覚」を身につけるということ です。そのためには外から眺めるための「場所」があったほうがいい。 今、教育現場にまつわる問題が大きく取り沙汰されています。しかしこれは「だから学校を変えよう」 という方向で解決するのは無理だと断言しても良いでしよう。それはまさに『バカをつくる学校』に通 底するテーマでもありました。学校は「本来あるべき教育ができていない」のではない。むしろその逆 で「完ぺきに教育が成功している」のです。なぜなら学校教育の目的は「個性を尊重し、その子に合っ た才能を伸ばし、想像力を育む」のではなく、「個性を極力排し、自分で考えさせないで、想像力を破 6 9
第 3 部個別指導塾の問題点 万円のお金があれば、ギャンプルにでも費やしたほうが幾分か学びはあったでしようし、一儲けも 出来たかもしれませんね。それでも親は一縷の望みをかけて我が子を送り出す決断をしたはずです。こ のひと夏で、たとえ万円というお金がかかっても、少しでも良い高校に行ってくれるなら出せる投資 だと。その弱みに漬け込んでいるのです。「少しでも良い高校」というのがそもそも何の具体性もない 幻であるにも関わらず。 世の中の個別指導塾の大半は、こういうビジネスをしていると考えて差し支えないと思います。全国 的に展開しているようなところは特にそうでしよう。本当に評価の高い塾は、その大半が個人塾で、広 告もろくに出していないところがほとんどです。そうでなければ教室を全国にボコボコ作ったり、大量 の広告費を出せるわけがありません。積極的に広告を打っている時点できな臭いと気づかなければなら ない。個別指導という特性を生かしてきめ細やかな指導と、爽やかな講師が親身になって対応してくれ るというイメージだけは立派で、内実はお金さえ儲かればいいのです。教室長は大学生の講師がシフト をバックれないように汲々とするのが仕事で、講師が欠ければ近くの教室から同じくバイトの代打を送 り込みます。これでどうやってそれぞれの子供に合ったきめ細やかな指導を実現するのでしようか。こ れが本当に子供のためを思った教育でしようか。そして社会的に意味のある存在でしようか。僕は絶対 に間違っていると思います。ちなみに講師の大半は大学生で、給与はコンビニより安く、生徒から見て 講師が固定することは珍しいです。誰でもできる仕事だからです。その中で無遅刻無欠勤、平日にはい つもいるという僕は、異質な存在かもしれません ( 笑 ) 。 ・本来の夏休みのあり方とは そもそも夏休みというのは、長期の旅行や普段できないような体験をしたり、やりたくてもできなか
第 1 部教育との関わりについて らの逃亡。こんな人間がその先の学びに進めるはずがないのです。しかし心理学ならワンチャンあるの かもしれない。学校教育という名前だから教育そのものについて考える ( 教育学 ) のも良いし、心理学 はまさに人間について考えることのような気がしたからです。心理カウンセラーという仕事にも何かシ ンパシーを感じます。ただ臨床心理士という資格を得るにはまた大きなハードルがあることを後に知る ことになるのですが そんなわけで同じ県内であるにもかかわらず、そこから一人暮らしが始まりました。一人暮らしは良 い経験になったと思います。大学では陸上部に入り、ひたすら部活をしていました。部活を除けば他に 何をしていたのだろう ? という感じです。陸上の長距離は中学校から始めており、合計で川年間やった ことになります。とても楽しい時間でしたし、良い仲間にも恵まれました。とはいえ、学生時代に打ち 、むポー〉」 0 〔」今」複雑な感情を持 0 〔 = す。そ 0 時」〔それなり」活躍 ( 例えば 岐阜県選手権 2 位、校内マラソン大会で優勝など ) できたことは間違いなく僕の自尊心を育ててくれま したし、楽しい思い出はいくらでもあります。勝負の世界の厳しさ、自分の限界についても考えさせら れました。ただ、そこに充てた時間を別の何か文化資本を高めるようなものに使っていたらどうだった のだろうと思わないではありません。このことについてもまた改めて機会があれば書きたいと思います。 ■教育について考え始める まえがきに記したように、大学卒業と教員採用試験の不合格を最後に、僕は羽歳から歳までの約 8 年間、人生の回り道をすることになります。もちろん教育現場に関わるような仕事はしていません。 むしろ「普通に働く」という行為から逃げ続けてきた 8 年間でした。ちなみに地方国立大学を、就職を 決めない状態で卒業するというのは、これはとんでもない蛮行です。不義理という見方をする人もいる 2
第 8 部やりたいこと は大学では教育学部の心理学を専攻しており、そのような場所での実習も経験がありますから安心して ください。ただし、コミュニケーション障害 ( コミュ障 ) は認めません。本当に障害だったらこれはま た別の問題でしようし、より正確に言うとコミュニケーション拒否を認めません。それは人の尊厳を傷 つける、最もやってはいけないことだからです。大人や子供に関わらず、いじめにおいて最もダメージ を与えるのが「無視」なのだそうです。目の前の人間を、まるでその場にいないかのように振舞うこと。 精神的には殺されているようなものです。これほど人間の尊厳を傷つける行為はありません。しかし「コ ミュ障」や「人見知り」といった便利な言葉を使って正当化する風潮があるように思います。 これは漫画家の藤田和日郎氏の著書『読者ハ読ムナ』にあったのですが、彼は自分の職場に「ムクチ キンシ」 ( 無ロ禁止 ) と掲げているのだそうです。これはリーダーである藤田氏が気持ちよく仕事を遂 行するためなのですが、結果的にこの掟によって良質な仕事ができているのだという。ましてやクリエ イターを目指すのなら、お互いの好き嫌いを含めた価値観を共有し合って、新しい視点を獲得し続ける ことが大事なのだという。これは個人的にすごく良くわかる話です。だから僕も、その日に初めて顔を 合わせたなら、明るく声をかけますし、それに対して必ず何らかの反応をしてもらいたいと思うのです。 最近あった面白いこととか、今考えていることとか、不安とか、そういうものを話してもらえるといし ポイントは、それぞれが自主性を持ち、目的を持って来てくれれば、基本的に対応できるということで す。 つい最近ですが、とあるマンションで「お互いに挨拶するのを禁止にしましよう」というルールが制 定されたというニュースがありました。それは子供に「知らない人と喋らないように」という指導を守 らせるだめだそうです。いかにも現代的ではありますが、いくらなんでもこれは酷い。 事なかれ主義も ここまで来ると恐ろしいです。人はどうしてここまでバカな決断ができるものなのでしようか。理解に 苦しみます。こういう風潮とは徹底的に戦っていかなければなりません。 8
第 1 部教育との関わりについて で 1 人か 2 人、まあ地方進学校にありがちな感じですね。 僕はというと、ろくに受験勉強もしないまま、今ある学力で行けるところで、無理しない範囲で、浪 人する覚悟はなく、という本当に無気力な理由で、地元岐阜大学に進むことになりました。地元と言っ ても、高山市から大学のある岐阜市は特急で 2 時間かかる距離なので、実家から通うことはできません。 高山ー岐阜間より、お隣の名古屋ー岐阜間 ( 電車で分 ) の方がよほど近いということは、覚えておい て損はないでしよう。 僕は「岐阜大学教育学部、学校教育教員養成過程、学校教育講座、心理学専攻」というところに進学 しました。教育学部を選んだのは父親の影響が大きいでしよう。影響というか、父親が中学校の教師だ った、ただそれだけのことです。父に憧れてというよりは、世の中に教員以外の仕事があることがあま りイメージできなかっただけです。消去法ですね。今考えれば恐ろしいほど世界を知らなかったので。 少なくとも教育学部という名前の意味がわかった。医学部は別世界ですし、農学部は農業を勉強すると ころ ? 工学部とか文学部とか地域科学部とかの名前の意味がわからなかったのです。とはいえこの時点 で教育学部を選択する程度には、教育というものにコミットしていたと言えるのかもしれません。ちな みに伯父も中学校の先生、別の伯父は僕の高校で教頭をしていましたし、母親は保育士。小学生時代に 親戚一同が集まるときなどに、周りの大人たちが揃いも揃って学校の先生だらけだったらどうなるか考 えてみてください。大人になることイコール学校の先生になることなんだと考えても不思議ではありま せん。これでは教員以外の仕事をイメージできないわけです、笑。姉は教員免許を取るために僕の高校 で教育実習なぞをしていましたし、その後保育士になりました。兄は現役で高校で数学を教えています。 さて、主要 5 科目ではなくなぜ心理学なのか。ここでも消去法が発動されました。直感的に、国語の 古文・漢文、英語、社会は苦手だったので有り得ない。理科は高校物理・化学で挫折。数学は数 IIIO か