第 7 部私塾を作りたい一メンターの紹介ー るべき姿なのではないか、そんなことを考えています。 ・アドラー ( 岸見一郎 ) フロイト、ユングと並び、「心理学の三大巨頭」とされている「アドラー心理学」がプームになって います。その火付け役となったのが『嫌われる勇気』 ( ダイヤモンド社 ) でしよう。本書は日本のアドラ ー心理学研究の第一人者である岸見一郎氏と、フリーランスライターの古賀史健氏が書いたもので、哲 人と青年の対話形式で物語が進んでいきます。上記のふたりが登場人物となって展開していく小説のよ うにも読める作品です。僕自身、この本でアドラー心理学というものを知りました。 今では売上 150 万部を超え、十分に認知されているといっても良い本書ですが、やはり僕にとって も大きな影響を与えられた本です。今さら感があるからこそ、あえて強調しておきたい。 これを分かっ たふりをするのはいけないし、ベストセラーだからといって侮ってもいけない。国民的必読書に指定す芻 るべきではないでしようか。ちなみに僕がこの本と出会ったのは発売されてすぐ、書店に平積みされて いるのを見かけたときです。売上に関する宣伝文句はなかったように思います ( 〇〇万部突破、という ような ) 。そしてタイトルを見た瞬間に、今読むべき本だと確信しました。ここで言いたいのは、この 本に関して一一一一口えば僕はかなりの古参ヲタだということです。ま、余談ですが。 タイトルが示す通り、本書のメッセージは本当にやりたいことを実現するには、嫌われることを恐れ てはいけないということでしよう。一貫して「勇気」を持っことを求められます。もちろん本書の知見 はそれだけではありません。「過去は存在しない」という考え方、「トラウマは認めない , 「すべての悩 みは「対人関係の悩み」である」「劣等感と劣等コンプレックスの違い」「貢献感」「課題の分離」「共同 体感覚」など、重要なワードが盛りだくさんです。詳細は本書にあたっていただくとして、最重要図書
第 1 部教育との関わりについて らの逃亡。こんな人間がその先の学びに進めるはずがないのです。しかし心理学ならワンチャンあるの かもしれない。学校教育という名前だから教育そのものについて考える ( 教育学 ) のも良いし、心理学 はまさに人間について考えることのような気がしたからです。心理カウンセラーという仕事にも何かシ ンパシーを感じます。ただ臨床心理士という資格を得るにはまた大きなハードルがあることを後に知る ことになるのですが そんなわけで同じ県内であるにもかかわらず、そこから一人暮らしが始まりました。一人暮らしは良 い経験になったと思います。大学では陸上部に入り、ひたすら部活をしていました。部活を除けば他に 何をしていたのだろう ? という感じです。陸上の長距離は中学校から始めており、合計で川年間やった ことになります。とても楽しい時間でしたし、良い仲間にも恵まれました。とはいえ、学生時代に打ち 、むポー〉」 0 〔」今」複雑な感情を持 0 〔 = す。そ 0 時」〔それなり」活躍 ( 例えば 岐阜県選手権 2 位、校内マラソン大会で優勝など ) できたことは間違いなく僕の自尊心を育ててくれま したし、楽しい思い出はいくらでもあります。勝負の世界の厳しさ、自分の限界についても考えさせら れました。ただ、そこに充てた時間を別の何か文化資本を高めるようなものに使っていたらどうだった のだろうと思わないではありません。このことについてもまた改めて機会があれば書きたいと思います。 ■教育について考え始める まえがきに記したように、大学卒業と教員採用試験の不合格を最後に、僕は羽歳から歳までの約 8 年間、人生の回り道をすることになります。もちろん教育現場に関わるような仕事はしていません。 むしろ「普通に働く」という行為から逃げ続けてきた 8 年間でした。ちなみに地方国立大学を、就職を 決めない状態で卒業するというのは、これはとんでもない蛮行です。不義理という見方をする人もいる 2
第 7 部私塾を作りたい一メンターの紹介ー であることは間違いないです。心理学によって何か慰めてもらおうというつもりで読むと、打ちのめさ れます。そこでは、現状を変えるにはマインドセットを変えるしかないこと、そして不断の努力を求め られるのです。アドラー心理学が「実践の心理学」と言われる所以がここにあります。強い気持ちを持 っためにとてもよい本です。 またその続編『幸せになる勇気』では、カウンセリングでよく用いられるという三角柱の話が好きで す。目の前に三角柱があることをイメージする。これは我々の心を表している。そして自分の位置から は三面のうち二面が見えている。一面には「悪いあの人」、もう一面には「かわいそうなわたし」と書い てある。カウンセリングに来る人はほとんどがこのいずれかの話に終始します。自分自身に降りかかる 不幸を語ったり、自分を苦しめる他社や社会を憎悪する。多くの場合、人はこの 2 っしか語っていない ということに気づきます。でも我々が語り合うべきものは、ここにはないというのです。それは隠れて いる一面にある。そこには何が書かれているか 「これからどうするか」です。 状況をよくするには「これからどうするか」を考えるしかない。僕はこれを実践するべく、今この文 章を書いています。 ・内田樹、藤原正彦、菅野仁、齋藤孝 教育界では言わずと知れた重鎮たちです。内田樹先生は元神戸女子大学の先生で、プログなどを通じ て教育について、社会について長く論じ続けています。藤原正彦先生は、数学者だからこそ国語を重視 する人です。小学生において重要なのは「一に国語、二に国語、三四がなくて、五に算数」という言葉 は名言だと思います。また、偉大な実績を残した数学者はみな子供時代を美しい自然の中で育ってきた とか、日本人の繊細さや四季を感じることの大切さなどを教えてくれます。まさに日本人としての品格 4
参考文献一覧 ☆ 瀧本哲史「君に友だちはいらない」 瀧本哲史「戦略がすべて」 瀧本哲史「読書は格闘技」 瀧本哲史「ミライの授業」 瀧靖之「万人の脳画像を見てきた脳医学者が教える「賢い子」に育てる究極のコツ」 竹内薫「 99 ・ 9 % は仮説思いこみで判断しないための考え方」 多湖輝「子どもの頭をよくする心理作戦」 田中秀臣「絽の経済学」 田中秀臣「ご当地アイドルの経済学」 為末大「諦める力」 ダン・アリエリー「予想どおりに不合理【行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」」 常見陽平「「意識高い系」という病」 常見陽平「「すり減らない」働き方」 坪田信貴「学年ビリのギャルが 1 年で偏差値を上げて慶應大学に現役合格した話」 出口汪「早わかり文学史」 出口汪・影山英男「日本の教育の危機はどこにあるか」 苫野一徳「子どもの頃から哲学者 5 世界一おもしろい、哲学を使った「絶望からの脱出」 ! 」 外山滋比古「思考の整理学」 外山滋比古「幼児教育でいちばん大切なことー聞く力を育てる」 中川淳一郎「ウエプはバカと暇人のもの」 中川淳一郎「縁の切り方」 中川淳一郎「仕事に能力は関係ない。幻歳無職からの大逆転仕事術」 中川淳一郎「節約する人に貧しい人はいない。」 中川淳一郎「好きなように生きる下準備」 中川淳一郎・漆原直行・山本一郎「読書で賢く生きる。」 中嶋嶺雄「学歴革命秋田発国際教養大学の挑戦」 中島義道「働くことがイヤな人のための本」 中島義道「私の嫌いな川の人びと」 中島義道「ひとを ' 嫌ということ」 中島義道「私の嫌いな川の言葉」 中島義道「人生に生きる価値はない」 中島義道「どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか ? 」 中村淳彦「中年童貞」 117
参考文献一覧 宇野常寛・濱野智史「希望論」 宇野常寛・吉田尚記「新しい地図の見つけ方」 漆原直行「ビジネス書を読んでもデキる人にはなれない」 おおたとしまさ「ルポ塾歴社会日本のエリート教育を牛耳る「鉄緑会」と「サピックス」の正体」 大原扁理「年収囲万円で東京ハッピーライフ」 ☆岡田斗司夫「ぼくたちの洗脳社会」 ☆岡田斗司夫「オタクはすでに死んでいる」 岡田斗司夫「いいひと戦略」 岡田斗司夫「評価経済社会ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている」 岡田斗司夫・内田樹「評価と贈与の経済学」 親野智可等「「親力」で決まる ! 子供を伸ばすために親にできること」 陰山英男「本当の学力をつける本」 勝山実「安心ひきこもりライフ」 河野敏久「私塾で世直し ! 実践 ! 「イジメ」「不登校」から子供を救った闘いの記録」 菅野仁「教育幻想クールティーチャー宣言」 菅野仁「友だち幻想」 ☆岸見一郎「嫌われる勇気一自己啓発の源流「アドラー」の教え」 岸見一郎「幸せになる勇気一自己啓発の源流「アドラー」の教え 2 」 岸見一郎「アドラー心理学人門一よりよい人間関係のために」 岸見一郎「アドラーに学ぶよく生きるために働くということ」 工藤順一「国語のできる子どもを育てる」 工藤順一「論理に強い子どもを育てる」 工藤順一「子どもの才能は国語で伸びる」 栗田哲也「子どもに教えたくなる数学」 栗田哲也「数学に感動する頭をつくる」 ケリー・マクゴニガル「スタンフォードの自分を変える教室」 國分功一郎「暇と退屈の倫理学」 ☆木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか ? 」 小島寛之「数学入門」 小島寛之「数学でつまずくのはなぜか」 小林公夫「「勉強しろ」と言わずに子供を勉強させる法」 斉藤淳「川歳から身につく問い、考え、表現する力」 齋藤孝「天才がどんどん生まれてくる組織」 115
第 1 部教育との関わりについて で 1 人か 2 人、まあ地方進学校にありがちな感じですね。 僕はというと、ろくに受験勉強もしないまま、今ある学力で行けるところで、無理しない範囲で、浪 人する覚悟はなく、という本当に無気力な理由で、地元岐阜大学に進むことになりました。地元と言っ ても、高山市から大学のある岐阜市は特急で 2 時間かかる距離なので、実家から通うことはできません。 高山ー岐阜間より、お隣の名古屋ー岐阜間 ( 電車で分 ) の方がよほど近いということは、覚えておい て損はないでしよう。 僕は「岐阜大学教育学部、学校教育教員養成過程、学校教育講座、心理学専攻」というところに進学 しました。教育学部を選んだのは父親の影響が大きいでしよう。影響というか、父親が中学校の教師だ った、ただそれだけのことです。父に憧れてというよりは、世の中に教員以外の仕事があることがあま りイメージできなかっただけです。消去法ですね。今考えれば恐ろしいほど世界を知らなかったので。 少なくとも教育学部という名前の意味がわかった。医学部は別世界ですし、農学部は農業を勉強すると ころ ? 工学部とか文学部とか地域科学部とかの名前の意味がわからなかったのです。とはいえこの時点 で教育学部を選択する程度には、教育というものにコミットしていたと言えるのかもしれません。ちな みに伯父も中学校の先生、別の伯父は僕の高校で教頭をしていましたし、母親は保育士。小学生時代に 親戚一同が集まるときなどに、周りの大人たちが揃いも揃って学校の先生だらけだったらどうなるか考 えてみてください。大人になることイコール学校の先生になることなんだと考えても不思議ではありま せん。これでは教員以外の仕事をイメージできないわけです、笑。姉は教員免許を取るために僕の高校 で教育実習なぞをしていましたし、その後保育士になりました。兄は現役で高校で数学を教えています。 さて、主要 5 科目ではなくなぜ心理学なのか。ここでも消去法が発動されました。直感的に、国語の 古文・漢文、英語、社会は苦手だったので有り得ない。理科は高校物理・化学で挫折。数学は数 IIIO か
【補論】アイドルについて 「アイドルとしての魅力も心意気も十分にある、しかしまだ世間に知られていないという存在を見つけて 推すこと」ではないでしようか。自分がいち早く気付いた本質的な価値を、世間に問うていくこと。そ れが証明されていく過程。これは株や先物取引と同じ感覚です。それで何か金銭的な得をするというわ けではないんですけどね。あくまでも趣味の世界ですから。 そして見返りを求めず応援するというのがいい。僕はアイドルを推すという行為は「疑似恋愛」と言 われるような恋愛的な意味と、「尊敬」を起点にした師弟関係とのいいとこどりをする行為ではないか と考えています。疑似恋愛の部分が大きく取り上げられがちですが、どちらかというと「尊敬 , こそが 重要なように思います。僕はアイドルを推すとき、間違いなく「尊敬」の感情があることを自覚してい ます。それは本書で散々挙げてきたメンターたちに対するものとまったく同質のものです。応援してい るだけの僕なんかより、推しメンの方がよほどスゴイ。ここを勘違いして「自分が応援してあげている」 という認識をしている人は、幸福なヲタクライフを送れていないように見受けられます。 そしてアドラー心理学『幸せになる勇気』では、「教育の入り口は尊敬であり、それ以外あり得ない」 というのです。自分が先生であれば、子どもたちに対して尊敬の念を持つ。尊敬なきところに良好な対 人関係は生まれず、良好な関係なくして言葉を届けることはできないからです。これはアイドルとヲタ クの関係においても言えることではないでしようか。そしてエーリッヒ・フロムのこんな一一 = 〕葉を紹介し ています。 「尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことで ある、 「尊敬とは、その人が、その人らしく成長発展していけるよう、気づかうことである」 112
第 8 部やりたいこと は大学では教育学部の心理学を専攻しており、そのような場所での実習も経験がありますから安心して ください。ただし、コミュニケーション障害 ( コミュ障 ) は認めません。本当に障害だったらこれはま た別の問題でしようし、より正確に言うとコミュニケーション拒否を認めません。それは人の尊厳を傷 つける、最もやってはいけないことだからです。大人や子供に関わらず、いじめにおいて最もダメージ を与えるのが「無視」なのだそうです。目の前の人間を、まるでその場にいないかのように振舞うこと。 精神的には殺されているようなものです。これほど人間の尊厳を傷つける行為はありません。しかし「コ ミュ障」や「人見知り」といった便利な言葉を使って正当化する風潮があるように思います。 これは漫画家の藤田和日郎氏の著書『読者ハ読ムナ』にあったのですが、彼は自分の職場に「ムクチ キンシ」 ( 無ロ禁止 ) と掲げているのだそうです。これはリーダーである藤田氏が気持ちよく仕事を遂 行するためなのですが、結果的にこの掟によって良質な仕事ができているのだという。ましてやクリエ イターを目指すのなら、お互いの好き嫌いを含めた価値観を共有し合って、新しい視点を獲得し続ける ことが大事なのだという。これは個人的にすごく良くわかる話です。だから僕も、その日に初めて顔を 合わせたなら、明るく声をかけますし、それに対して必ず何らかの反応をしてもらいたいと思うのです。 最近あった面白いこととか、今考えていることとか、不安とか、そういうものを話してもらえるといし ポイントは、それぞれが自主性を持ち、目的を持って来てくれれば、基本的に対応できるということで す。 つい最近ですが、とあるマンションで「お互いに挨拶するのを禁止にしましよう」というルールが制 定されたというニュースがありました。それは子供に「知らない人と喋らないように」という指導を守 らせるだめだそうです。いかにも現代的ではありますが、いくらなんでもこれは酷い。 事なかれ主義も ここまで来ると恐ろしいです。人はどうしてここまでバカな決断ができるものなのでしようか。理解に 苦しみます。こういう風潮とは徹底的に戦っていかなければなりません。 8
第 2 部学童保育の問題点 ールを破るということ、年長者、大人、先生の一一一一〕うことに従わないという時点で考えられないわけです が、これはつまりまともな教育を受けていないということの証拠でしよう。ポイントは「カづくで何か を従わせたり、大きな声を出したりしない」ということです。大きな声で何かを従わせることⅡ大人と して力不足だと言うかのように。もちろん「叱ってはいけない」ということは多くの教育関連本でも指 摘されているとおりですし ( アドラー心理学では「叱ってはいけない、褒めてもいけない」としていま す ) 、一面的には理解できます。しかし現実はそんなに甘いものじゃない。子どもの好き勝手にやらせ ていいという話ではありません。舐めた態度をとる子どもに対して「ダメだよー」とか「こらー」とい う程度の言い方では、事態が悪くなることはあっても改善されることはありません。ただ調子に乗らせ るだけです。威圧、あるいは恫喝すること ( という言葉は少々きついかもしれませんが ) や、強制的に 帰らせるなどの対応ができないのは、全く間違っている。今から振り返るまでもなく、職員は完全に舐 められていた。最初に威厳を示すことに、完全に失敗しているのです。 そしてミーティングと称して、いい大人が輪になって「最近子供たちの反抗がエスカレートしている。 どう対応しますか」などと話し合っている。何か良い案を職員の話し合いから出そうとしている。「以 前こういう対応をしたらうまくいきました」という体験を共有して、「イイですね—」なんて褒め合っ て良い気持ちになっている。他にも「校庭のサッカーゴールに頭をぶつけるとケガをするから、クッシ ョンを巻くべきか否か」を延々 1 時間話し合ったりしていました。しかしそんな議題が起こる時点で結 論なんか決まっているのです。彼らは子供たちの安全性について考えている、という行為そのものに酔 っているだけなのですから。そして「〇〇小では既にやっています」という情報通がいて、じゃあウチ もやるべきだね、となる。信念も何もなし。その会の最後には「教頭 ( 学校側 ) に提案してみます。」 この人たちはウルトラバカなんだろうなと思いました。少なくとも僕はクッションを巻いたゴールなど でサッカーをしたくありません。サッカーが本当に好きな児童のことなど考えていないに違いありませ 2
第 8 部やりたいこと だからこそ、科目の区別は特にありません。その都度やりたいことをやればいいのです。少なくとも 中学レベルまでの知識は、科目横断的であるべきだと思うからです。数学も英語も言語という観点で言 えば言葉を使いこなす力を養う国語の延長であるという見方もできますし ( 算数・数学の文章題が読め ていないなど論外です ) 、理科は数学の考え方に慣れていないと到底太刀打ちできません。実験結果に ついて問うような問題はやたらと問題文が複雑なので読解力が必須です。社会の地理で出てくる特殊な 地形などは、理科の物理や地学の知識と密接に関わるものでしよう。後は世界の成り立ちや人類の歴史、 自然の法則にいかに興味を持たせるかどうか。世の中を知るということは、理科と社会に精通するとい うことです。 ・言葉から世界が始まる そして全ては言葉から出発します。その意味で、全ての基礎となるのは国語ではないかと思います。 まず言葉が正しく使いこなせないようではどうしようもありません。そして語彙を鍛える。語彙という のはボキャプラリーとも言いますが、自分の中で知っていてかっ使いこなせる言葉のまとまりです。あ る言葉が自分の語彙にないということは、その言葉が持っている意味・感覚・世界観を認識することが できないということですから、それだけ自分の世界が貧しいものになります。「若者言葉」というのは それを揶揄することでしよう。逆に言えば、語彙が豊富な人は豊かな感性を持っていると言えますし、 初めて見る言葉であっても元々自分の中にある言葉の組み合わせであれば、意味を推測することができ ます。暗記も早くできるでしよう。これは受験にも大いに役に立つはずです。人間的な価値は、語彙の あるなしが最初の出発点ではないでしようか。語彙を増やすことをあきらめてしまった人と、生涯勉強 だと考えている人では、年を重ねるごとに取り返しがっかないくらいの差が広がっていきます。