第 6 部教育現場のあるべき姿 せん。 私は冷ややかにその子の顔をながめ、「この教室は質問禁止なんだ。わからない問題はやるな」と言 って O 君を追い払いました。勇気を振り絞って質問を持ってきた U 君は予想外の展開に驚きましたが、 私のとりつく島もない応対にすごすごと引き下がり、席に着いてその問題を解きはじめました。背中が 寂しそうでしたが放置しました。 これも痛快ですよね。 このような宮本哲也氏の振る舞い方、考え方はとても良いと思いました。しかし氏が主宰する宮本算 数教室ではレベルの高い内容の授業を展開し、実際に難関中学への合格実績を出している。これは僕に 真似できるものではありません。しかし宮本氏は言います。「学習は強い人間として成長するために必要 なもので、中学入試での合格など行きがけの駄賃にすぎない」と。これはまったくもって正しいと思い ます。どこかに合格することが目標なら、それは見ているものがあまりにも浅いと思う。本当の目的が 見えていない。ましてや目の前の定期テストの結果に一喜一憂するとか、鼻で笑うレベルです。 そしてまたここから得られる教訓がありました。それは、自分が主催すれば自分の理想的な環境は作 れるし、宮本氏のように自信を持って教育に携われるのだということです。そしてそれは、自分ひとり でやりくりするような規模でも十分実現可能なんだということです。 一 0
第 7 部私塾を作りたい一メンターの紹介ー ・万かしし ・書物を読むことの大切さ ( 吉田松陰 ) 「書物をひもとけば、素晴らしい言葉が林のようにあふれていて、心をわくわくさせる。それでも人 は、なかなか書物を読もうとしない。たとえ読んだとしても、そこに書かれたことを実行しない。真剣 に実行したら、千万年が経っても尽きないくらい役立つものが得られるのにー。ああ、改めて何をいう 必要があろう。いや、そうはいっても、よい教えを知ると黙っていられなくなるのが人情というものだ。 昔の人は昔にそういい、現代の私はいまそれをいっている。いまさら何で気にすることがあろう。そん なことを思いながら、士規七則をつくるのである」 ( 宮本哲也 ) 「子どもを本好きに育てれば、それだけで子育ては半分成功したようなものです。少なくとも、国語、 理科、社会は「勉強」として頑張らなくても、読書を通じて、興味を持って勉強できます」 「世の中の仕組みを知ること、歴史を学ぶこと、先人の生き方を参考にすること、において、読書に 勝るものはないでしよう。」 ( 村上春樹 ) たくさん本を読んだことによって救われたと書いています。自分の 春樹は学校に通っていた時代に、 周りにある不自然さや矛盾、欺瞞について真剣に考えていたら、袋小路に入ってしまったかもしれない しかし、たくさんの読書を通して視野がある程度ナチュラルに「相対化」され、自分が立っている地点 から世界を眺めるというだけでなく、少し離れたよその地点から、世界を眺めている自分自身を、客観 0
【補論】アイドルについて 「アイドルとしての魅力も心意気も十分にある、しかしまだ世間に知られていないという存在を見つけて 推すこと」ではないでしようか。自分がいち早く気付いた本質的な価値を、世間に問うていくこと。そ れが証明されていく過程。これは株や先物取引と同じ感覚です。それで何か金銭的な得をするというわ けではないんですけどね。あくまでも趣味の世界ですから。 そして見返りを求めず応援するというのがいい。僕はアイドルを推すという行為は「疑似恋愛」と言 われるような恋愛的な意味と、「尊敬」を起点にした師弟関係とのいいとこどりをする行為ではないか と考えています。疑似恋愛の部分が大きく取り上げられがちですが、どちらかというと「尊敬 , こそが 重要なように思います。僕はアイドルを推すとき、間違いなく「尊敬」の感情があることを自覚してい ます。それは本書で散々挙げてきたメンターたちに対するものとまったく同質のものです。応援してい るだけの僕なんかより、推しメンの方がよほどスゴイ。ここを勘違いして「自分が応援してあげている」 という認識をしている人は、幸福なヲタクライフを送れていないように見受けられます。 そしてアドラー心理学『幸せになる勇気』では、「教育の入り口は尊敬であり、それ以外あり得ない」 というのです。自分が先生であれば、子どもたちに対して尊敬の念を持つ。尊敬なきところに良好な対 人関係は生まれず、良好な関係なくして言葉を届けることはできないからです。これはアイドルとヲタ クの関係においても言えることではないでしようか。そしてエーリッヒ・フロムのこんな一一 = 〕葉を紹介し ています。 「尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことで ある、 「尊敬とは、その人が、その人らしく成長発展していけるよう、気づかうことである」 112
第 7 部私塾を作りたい一メンターの紹介ー 方で、若者は金がないと嘆いている。粗大ゴミは処分するにもお金がかかる。だったらインターネット を使ってモノを捨てようとしている人と、それを必要とする人をつなげればいい。彼らはそんな環境に 生きています。また週 5 日、目一杯働いて、休日に疲れを取るためにマッサージにお金を払う、という ことも盛大な無駄なのかもしれません。これでは何のための人生かわからない。そんなことを発信して いる人たちです。大原氏は家賃がものすごく部屋に住むことによって、週 2 日だけ働いて後は好きなこ とをして過ごしているそうですが、それが精神的に最もバランスがいいようです。 中川淳一郎氏は元博報堂、現ネットニ = ースの編集者で『ウエプはバカと暇人のもの』『ネットのバ カ』『バカざんまい』などとにかく世の中のバカについて吠えている印象のある人ですが、人生やお金 や人との付き合い方をものすごく誠実に語る人です。アホほど稼いでいますが、いつでも白いョレョレ のシャツを着ています。その中でも特に『節約する人に貧しい人はいない。』『縁の切り方』などでは、 周りに惑わされたり見栄を張ったりすることなく、自分の中にしつかりとした価値基準を持っことが大 6 事だという主張しており、とても感銘を受けています。『好きなように生きる下準備』は生きる上での 指針を与えてくれます。これらの著書もやはり僕の価値観形成に大きく関わっています。 坂口恭平氏はさらに毛色が違った人物ですが、何といっても『独立国家のつくりかた』が衝撃的でし た。日本政府が信用ならないので自分で勝手に新政府の設立を宣言し、新しい世界を作っていこうとし こ見えてしまうかもしれません ている野心家です。常識にとらわれていると、あまりにもおかしな言説 : 一つつ」 2 陥 が、だからこそこのような思考実験には価値があると思います。躁うつ病を抱えていて、酷い ったり、感情を抑えられなくなったり、活動の基盤の一つであった一 ( ( er をやめてしまったり復活し たりといろいろあるようですが。自分の電話番号を「いのちの電話」と称して公開しており、日本の自 殺をゼロにしたいと本気で呼びかけています。そういう熱い人です。
【補論】アイドルについて るという点では、指原莉乃ちゃんと共通しています ) 。 そしてフリーで活動しているという点も特筆すべきことでしよう。フリーというのは当然のことなが ら事務所内でのしがらみがない、自分で仕事が選べる、ギャラは全て自分のものになるというメリット がある反面、営業やあらゆる雑務を自分でこなさなければならないという難しさがあります。そしてい ざというとき、事務所が自分を守ってくれるということがない。自分の身は自分で守らなければならな タレントというのはたいてい芸能事務所に所属しているものです。ごくまれにそうでない人もいま すが、元々知名度があって、何らかのトラブルの後にやむなくそうなるということも多い そんな中、素人の地下アイドルにフリーという状況で活躍の場を広げるという方法論がありうるので しようか。自分自身に商品価値がなければ、まず仕事が始まりません。これもかってお笑い芸人ワナビ ーだった自分がフラッシュバックします。実力のないお笑い芸人 ( 男 ) なら何も起こらないで終わりな のですが、これが若くて可愛い女の子だと良からぬことも起こります。つまり世間をよく知らないこと に漬け込んで、悪い大人の餌食になることがある。そんな話は耳にタコができるくらい聞きます。金を 取られた、枕営業を強要されたなどは分かりやすい方で、怪しい大人を信じたら結局何も話が進まなく て時間を浪費しただけだった、などもあるでしよう。つい最近も、とあるグループがデビューに向けて 準備を進めていたら、一向に話が進まず、雲散霧消したという話がありました。その際の「わたしの夢 は何だったのか」という言葉が印象的でした。 女の子の夢を食い物にし、金儲けに利用しようとたくらむ大人たちを糾弾する人がいます。あるいは 甘い夢を見た女の子に対して自業自得だという人もいるかもしれません。しかしそれは本質ではない。 アイドルの生存戦略という話においては、どちらもどうでもいい話です。アイドルとして活動する以前 108
第 2 部学童保育の問題点 子供には、大人から見てレベルが低いものが良いものだと信じきっている。ここに傲慢があります。要 は何も考えていないのです。大人が良いと思うものが子供に分かるわけがないと、まるで子供のような ピュアな心でそう思っている。これが教育現場の問題の多くに関わっていると思います。普通に考えて、 大人が見ても面白いと思うものを、自信を持って子供に与えるべきなのではないでしようか。大人がそ れだけの自信が持てていないのです。こういう大人に教育をされた子供は、本当にかわいそうです。 このような経験の中で、ここには公益性も生産性も社会的価値も何もないと判断しました。そこには ただ、理想主義的な間違った教育思想に酔っている大人がいるだけでした。そして子供たちに学力を向 上させよう、人間的に成長させようという意思のある大人はいませんでした。反面教師的な、このまま ではいけないという危機感を持っという学びは十分に得たので、 2 ヶ月で辞めました。ちなみにこうい う職場で僕のようなアラサー男子は珍しいです。当然ですが薄給のアルバイトですから、普通はこんな ところで働きません。施設長と正規職員の若い男女 ( 薄給 ) が一人ずつ、あとは子育てを終えた世代の パートのオバチャンです。しかし、このパートの人たちがある意味最も厄介な存在でした。詳細は省き ますが、当然のことながら全てにおいて価値観、見ている世界があまりにも違うので、話が通じません。 血液型による相性や占い、スピリチュアルの話を全力で聞かされても困ります。自分たちの価値観と合 わないという理由で「施設長が頼りない」と陰口を一一一一口うし、当然ですがネットの世界のことなど何も知 らない、スマホはゲームだという認識しかない。本も読まない ( 読めない ) 。それでいて自分は子育て を経験しているということでマウンティングだけは立派なのです。老害という一一 = ロ葉が現実味を帯びた経 験でした。僕も異質な人間としてずいぶん迫害されました。まあそれはいいでしよう。世の中にはやは り同僚として関わってはいけない属性の人がいるということも学びました。
【補論】アイドルについて 東大卒だからテレビに出られて、それが理想的だとするならば、結局は偏差値的な勉強じゃないかと 思われるかもしれません。一部はそうですが、もちろん重要なのはそこではないのです。当然ですが、 テレビを見ていれば多くの人が「地下アイドルが東大ってだけでテレビ出られるなんて気楽なものだ、 と思うでしよう。そこでもし結果が残せなければ悪い印象さえ残すかもしれない。しかしそんなことは 本人が一番良く分かっています。だからそのプレッシャーは相当なものだろうと思います。彼女が東大 卒であることが圧倒的に有利に働いていることは間違いないですが、それはきっかけに過ぎなくて、自 分を相対的に見つめて足りないものを補い続けてきたから、今の活躍があります。それは本当に時間を かけて、徐々に積み重ねてきたものです。 これは本人が語っていたことですが、「ミラクル 9 」というクイズ番組に出たとき、全く活躍できな かった。これが本当に悔しくて、すぐに東大のクイズ研究会の知人に弟子入りして猛勉強したのだとい う。彼女の立場では、そこがタレントとしての勝負どころだとはっきり認識しているからです。そして その努力が実って、「さま」で大活躍を果たした。そんな準備をしていたことを聞いて、驚きました。 やるべきことを見据えて準備をし、実際に結果を出した好例でしよう。 ここで考えたいのが学歴のことです。まずメディア露出するために「東大生」という肩書きが強力な のは火を見るより明らかです。であるならば、これを全力で取りに行くということをもっと考えればい いのではないだろうか。こんなにわかりやすい話はない。もちろん東大というのはその一例で、国立大 学であればプランドがあるだろうし、早慶でも十分通用すると思います。多少なりとも学校の勉強が得 意であったなら、十分に狙う価値のあるものでしよう。その適性がある子にとっては、これは大きな指 針になるはずです。そして一度手に入れれば、その後の人生の節々で精神的に自分を支えてくれるもの になるに違いありません。 106
第 5 部公教育の問題点 子供たちは教師に褒められたい、あるいは怒られたくないと思うように条件づけされる。学校には言 論の自由さえも存在しない。 教師は生徒を自分の基準に合うように動かし、それに反する者は厳しく罰 せられる。若者の間でしきりに「個人の自由」が叫ばれているが、自由は学校制度とは矛盾するものだ。 5 、知的な依存 子供たちは何事も自分で判断せず、教師の指示を待つように教えられる。彼らが何を学ぶべきか、彼 らの人生に何が必要かなど、重要な判断はすべて専門家が行う。専門家とは教師であったり、その背後 にいる「影の雇い主」であったりする。 「優等生」とは、教師が示した考えにほとんど抵抗せず、適度な熱意を持って、それを受け入れる生 徒である。「影の雇い主」が決めたことに従順で、他のことには興味を示さない 一方「劣等生」とは、教師の示した考えに抵抗し、何をいっ学ぶのか、自分でそれを決めようとする 生徒のことだ。教師としては、そうした生徒を野放しにしておくわけには行かず、彼らの意志を砕くた め、親に連絡するという効果的な手段を使う。 「優等生」は、大人になっても専門家の支持を待つ。今日の経済社会は、そうした人々によって成り 立っていると言っても過言ではない。つまり、職を失いたくなかったら、学校改革に賛成票を投じるの は軽率だというわけだ。私たちの社会は、自分で考えることを知らず、ただ言われたことをするだけの 人間によって成り立っている。 6 、条件付きの自尊心 親から無条件に愛されている子供は、自尊心が強く、従わせるのが難しい。しかしこういう自信家が 大勢いては、社会は維持できない。そこで教師は子供たちに、自分の価値は専門家の意見に左右される ということを教える。つまり彼らは常に教師に評価され、審査されるのである。 4
【補論】アイドルについて 「その人が、その人らしく成長発展していけるよう、気づかう」。アイドルを推すという行為は、この 一言に集約されると思います。なぜなら「その人であること、そのものに価値を感じているはずですか ら。そうでなければ推し変をした方が良い。ヲタクにできることなんて、たかが知れています。推すべ き存在を見つけたならば、あとはその人がその人らしくいられるように声をかけ、勇気づけて、後押し するくらいのことしかない。先ほど見返りを求めないといいました。しかし、もし推しメンと良好な関 係を築くことに成功していれば、必然的に感謝されるはずです。それは見返りと言えるのかもしれない し、ヲタ活から日々の活力や人生の充実を感じているならば、それは十分に見返りを受けていることに なります。 本書のまとめとして、アイドルについて書きました。いつけん関係がないように見えるかもしれませ んが、「本質を見極める , 「現代をよりよく生きる」という点において、僕の中ではシームレスにつなが っている問題です。ずっとアイドルヲタクをやってきた分、思い入れが強いという部分はありますが。 教育について、社会問題について、アイドルについて、アイドルヲタクとして、まだまだ僕の中で答え が出ていないことは多く、今でも勉強中です。自分の理想について、近いうちに「実践」していけたら しいと思います。その際にはご協力いただけたら幸いです。何卒よろしくお願いします。 2 016 年肥月ちろう 113
本当によい教育を実現するための覚書さいご 春樹も学校というシステムに最後まで馴染めませんでした。それをこんなふうに語っています。自分 は「右を向け」と言われたらつい左を向いてしまうような「猫的人格 , である。しかし日本の教育シス テムは、共同体の役に立つ「大的人格」をつくることを、ときにはそれを超えて、団体丸ごと目的地ま で導かれる「羊的人格」をつくることを目的としているようにさえ見えたと。そしてその傾向は教育の みならず、会社や官僚組織を中心とした日本の社会システムそのものにまで及んでいるように思える。 いかにも春樹らしいし、その問題意識から、羊を巨大な悪として扱う『羊をめぐる冒険』が生まれたの かもしれませんね。 だからこそ春樹は小説家になった。小説家なんて、この社会のしがらみから最も遠く離れることに成 功した人ですから。翻って僕はどうかというと、自分の精神を病むこともなく、それなりに適応してき 。といっても、完全 たんじゃないかと思います。「猫的人格」よりも「大的人格」に近いかもしれない に楽しんでいたかというとそうではない。何か漠然とした違和感を抱えながら、それなりにやり過ごし てきたという自覚がある。自分は猫だと言い切ることはとてもできないような、猫に強烈にあこがれを 持った大、という感じでしようか。だからこそ自分には、その架け橋ができるのではないかと思うので す。幸か不幸か、真っ当な道から外れてしまった自分だからこそ何か出来ることがあるかもしれない どちらか一方を排除し、他方を採用するのではない。完全な善悪で分けるのではなく、それぞれの良い ところをいかして、良いとこどりをするような。問題解決とはまさにそのようなもので、複数の考えか ーベン ) です。それができない ら全く新しい考えに統合し洗練させていくこと、つまり止揚 ( アウフへ だろうか。本書はそのための提言なのです。 最後に村上春樹「職業としての小説家」の中のとある文章を紹介したいと思います。 100