本当によい教育を実現するための覚書さいごこ 世界を知らないために世の中にどういう仕事があるのかという絶対的な情報量が足りていないことが 原因の一つではないでしようか。だからその需要に応えた『歳のハローワーク』という本が流行った りしました。たった一つ選択肢が増えるだけで、解決できる問題なのかもしれません。それに加えて、 何かを「好きになる」というカです。それにプレーキをかけないこと。それはみうらじゅん氏や山田五 郎氏の著書や活躍が参考になるでしよう。何かに興味を持っということが、学問においても仕事につい ても出発点ですから。そこでは価値判断が重要になってきます。何が価値あるもので、何が価値のない ものか見分けなければならない。その精度を高めること。まさに宮台先生が言う「本物」と「ニセ物」 を見分ける力というわけです。それがあれば、よい「感染」が待っているはずです。 だからこその「学校」でも「家庭」でもない「第三の居場所」なのです。情報のアクセスポイントは 数が多ければ多いほどいい。そして学校がどういう場所かを客観的に眺めることです。素晴らしい先生、 これらは間違いなく良いものでしよう。一方、あまり為にな 信頼できる仲間、そして学問との出会い らない時間だけを浪費する行事、視野の狭い先生、理不尽な価値の押し付け。こういうものから完全に 逃れることはできません。だからできる限り受け流す、距離を置く、心を完全に支配されないようにす る。そのような作法を身につけることこそが、先ほど言った「バランス感覚」を身につけるということ です。そのためには外から眺めるための「場所」があったほうがいい。 今、教育現場にまつわる問題が大きく取り沙汰されています。しかしこれは「だから学校を変えよう」 という方向で解決するのは無理だと断言しても良いでしよう。それはまさに『バカをつくる学校』に通 底するテーマでもありました。学校は「本来あるべき教育ができていない」のではない。むしろその逆 で「完ぺきに教育が成功している」のです。なぜなら学校教育の目的は「個性を尊重し、その子に合っ た才能を伸ばし、想像力を育む」のではなく、「個性を極力排し、自分で考えさせないで、想像力を破 6 9
本当によい教育を実現するための覚書さいご 春樹も学校というシステムに最後まで馴染めませんでした。それをこんなふうに語っています。自分 は「右を向け」と言われたらつい左を向いてしまうような「猫的人格 , である。しかし日本の教育シス テムは、共同体の役に立つ「大的人格」をつくることを、ときにはそれを超えて、団体丸ごと目的地ま で導かれる「羊的人格」をつくることを目的としているようにさえ見えたと。そしてその傾向は教育の みならず、会社や官僚組織を中心とした日本の社会システムそのものにまで及んでいるように思える。 いかにも春樹らしいし、その問題意識から、羊を巨大な悪として扱う『羊をめぐる冒険』が生まれたの かもしれませんね。 だからこそ春樹は小説家になった。小説家なんて、この社会のしがらみから最も遠く離れることに成 功した人ですから。翻って僕はどうかというと、自分の精神を病むこともなく、それなりに適応してき 。といっても、完全 たんじゃないかと思います。「猫的人格」よりも「大的人格」に近いかもしれない に楽しんでいたかというとそうではない。何か漠然とした違和感を抱えながら、それなりにやり過ごし てきたという自覚がある。自分は猫だと言い切ることはとてもできないような、猫に強烈にあこがれを 持った大、という感じでしようか。だからこそ自分には、その架け橋ができるのではないかと思うので す。幸か不幸か、真っ当な道から外れてしまった自分だからこそ何か出来ることがあるかもしれない どちらか一方を排除し、他方を採用するのではない。完全な善悪で分けるのではなく、それぞれの良い ところをいかして、良いとこどりをするような。問題解決とはまさにそのようなもので、複数の考えか ーベン ) です。それができない ら全く新しい考えに統合し洗練させていくこと、つまり止揚 ( アウフへ だろうか。本書はそのための提言なのです。 最後に村上春樹「職業としての小説家」の中のとある文章を紹介したいと思います。 100
第 3 部個別指導塾の問題点 ことながら、学歴が上がるにつれて平均給与が上がっていくグラフです。不安を煽ってお金を出させる のは詐欺の常套手段です。思考停止した人間には、勉強の大切さを説くよりそんなグラフの方がてきめ んに効果を発揮するでしよう。将来良い給料を手に入れるためには、今塾にたくさんお金を払うのもや むを得ない。そんな発想をさせるためのワナです。その貪欲さ、狡猾さに布くなりました。そして僕は 現状、そんな環境で働いています。時給—ooo 円程度の給与で。ああ、プーメランが痛い ちなみにこのグラフについて説明しましよう。高卒より大卒の方が給与水準が高い、また東大でない 大学卒よりも東大卒の方が給与水準が高い、というのは事実です。しかしそれは、大学に行ったから給 料が高くなった、という因果関係があるわけではないんですね。良い給料がもらえるような能力がある 人が、大学に行く傾向があるという相関関係に過ぎないのです。どちらかが原因でどちらかが結果とい うわけではない これは東大と非東大にも一一一一口えることです。それにこれは統計であって、その人自身が どうかなんていうことには関係がない。中卒でもものすごく稼いでいる人もいれば、大卒でもワーキン グプアの人がいるなんてことは当然のことです。つまり結局は自分自身に能力があるか、頑張るかどう かでしかない。そういうことには目をつぶって、データを都合のいいように利用しているだけなのです。 これも金を使わせるための宣伝に利用されているだけです。 ー教育と売上至上主義は相性が悪い そしてこうも言えると思います。「教育」と「売上至上主義」は最も相性が悪い。両立はほぼ不可能 だということです。これは内田樹先生が著書の中で繰り返し述べています。私たちの社会は、お金を払 っているものが偉いと考えすぎている。日常生活でそういう場面が多いのは事実ですが、「教育」と「医 療」に関しては絶対にこれを取り入れてはならないと言います。生徒にしろ患者にしろ、「お客様」と
本当によい教育を実現するための覚書さいご 覚を身につけるということです。 これは宮台先生がよくする話ですが、人が物事を判断する尺度に「正しさ」と「楽しさ」があります。 「正しさ」を追求したいと思うのは、これは当然のことです。それは罪を犯してはいけないとか、差別 はいけないとか、いじめはいけないとか、そういうことです。 ( ポリティカルコレクトネス ) とい う言葉も聞くようになりました。しかし余裕がない現代人は、「正しさ」よりも「楽しさ」を優先して しまう。いじめは無くせないし、ヘイトスピーチも溢れている。思わぬ政治家が生まれてしまう。それ は全て「正しさ」よりも「楽しさ」が優先された結果です。これは世界中で起こっていることです。人 は「楽しさ」の魔力に抗うことはできません。 他方で「正しさ」は暴走する。平等を追い求めるあまり本質を失ってしまう。「楽しさ」は悪だとい うばかりに、道徳的なつまらない言説があふれてしまう。運動会では順位を決めない方が良いというこ とになり、マンションで挨拶するのを止めましようとなる。問題を起こさないことが第一に考えられて いる教育現場がまさにそうです。異質なものを排除しすぎているのです。これでは楽しくない上に、本 来求めるべき教育効果さえ犠牲にしている。本末転倒なのです。 この状況を打開する方法は何か。「楽しく」かつ「正しい」という手法を取るしかない。これが唯一、 持続可能なやり方だというのです。思えば僕も「楽しい」ことだけをやってきたように思います。それ に加えて、僕は今でも個別指導塾で子供と接していますが、自分の「正しさ、は常に意識しています。 相手が小学校低学年だろうと、舐めた態度をとったときは「そうじゃねえだろ ! 」と詰めます。そうす ると教室長に「もっと優しくしてください」などと言われるのですが ( 笑 ) 。慣れあって相手を気持ち よくさせることだけが教育ではありません。時には厳しい態度も必要です。だから僕は「正しさ」を維 8 9
第 8 部やりたいこと 思えば僕は昔、パズル雑誌で「ナンクロ」というパズルにハマりました。マス目に数字が書いてあっ て、同じ数字のマスには同じ言葉が入る。そして意味のある言葉を完成させていく。カナのものや漢字 のもの、いろいろありました。これでだいぶ言葉を覚えたと思います。何しろ言葉を知らないと解けな いのですから。そしてつい先日、宮本哲也『伝説の算数教室の授業』の中で紹介されていた「計算プロ ック」というパズルにハマりました。これはものすごくエキサイティングです。「足し算」「掛け算」「四 ージョンは鬼の所業です。でもこれが頑張れば解ける 則何でもあり」で難易度が違うのが良い。四則バ という絶妙な難易度なのです。良い年こいた大人なのに、深夜のファミレスで 3 時間も没頭してしまい ました。これはぜひ子供にやらせたいですね。「面積迷路」も面白いです。パズルが子どもの学力向上 に最も適していると考えて、パズル職人として活動している東田大志氏は『パズル学入門』『京大・東 田式日本語向上パズル』などの著書でパズル普及に努めています。これらもいい教材になると思いま す。 歳以上の子どもが対象になるようなロールプレイングゲームなどの複雑なゲームは、子どものスト レス発散につながり、創造性や忍耐力を培うのにむしろよい影響があるという研究結果があるそうです ( 『「学力」の経済学』 ) 。歳以上というのはさすがに高度なレベルのものだと思うのですが、僕個人と してはドラクエ、に代表されるから得たものはものすごく多いと感じています。何回やった か分かりません。 『桃太郎電鉄』に関しては、日本の都道府県と名産品を把握するのにこれ以上の教材はないでしよう。 陰山英男『本当の学力をつける本』の中で見たのですが、小学生の段階で都道府県名を集中的に学習す る時間は一時間もないそうです。確かに不思議です。僕自身は間違いなく「桃鉄」で都道府県の大体の 位置、都市名、その読み方、名産などを覚えた記憶がありますが、桃鉄をやっていない人はどうやって 0
第 3 部個別指導塾の問題点 った趣味に没頭したり、家族との時間を過ごすためのものではないのでしようか。これほど貴重なまと まった時間を、学校がないからといって毎日塾に来るなど正気の沙汰ではありません。一日中図書館に 籠るのも良いでしようし、あるいは一日中テレビゲームに興じたりということの方が幾分かマシです。 お金もかかりません。個人的には古き良きロールプレイングゲーム ( スーファミのドラクエや ) 、 桃太郎電鉄は必須科目にしたいと思っています ( ただしスマホゲームはダメだ ) 。それはさておき。 そして子供、親、双方ともに明確な将来の目標がないくせに ( ないからこそなのかもしれませんが ) 、 「少しでも良い高校に行く」ということだけは妄信的に信じているようです。「少しでも良い」という のが曲者です。卒業生の大半が東京大学に行くような特殊な学校 ( 男子校、女子校に多い ) を除けば、 良いも悪いもないでしよう。私立か公立かという選択は多少変わるのかもしれませんし、親の経済的な 視点から各自で決めればよいでしよう。それ以外は基本は目クソ鼻クソですよ。お受験コースからはす でに落ちこぼれているわけですし。偏差値もおぼっかないようなレベルの連中にとっては、はっきり 言って高校なんか人生においてどうでもいい選択だということを、もっと広めていくべきなのではない でしようか。大切なのは、そこでいかに頑張るかということだけです。仮にあとから本気で行きたい大 学が見つかったら、そこで心を入れ替えたりそれこそ予備校に通うなどすればいくらでも挽回できるし、 自分次第で東京大学だって早慶だって目指すことはできます ( そんな人はいくらでもいます ) 。才能も なければやるべきこともやっていないのに、お金さえかければ一発逆転できると考えているのが間違い です。結局これは、努力しないで結果だけをお金で買おうとしているのでしよう。「それらしいサービ ス」が買えるだけで、本当の実力など身につくはずがありません。 そしてそのような搾取を積極的に仕掛けているのが、ある種の個別指導塾という業態なのです。ほと んど詐欺です。そういえば塾の壁に「中卒、高卒、大卒の給与水準」の紙が貼ってありました。当然の 4
第 8 部やりたいこと ・図書館として、読書を超絶推奨 ( 1 冊読むごとに 200 円 ! ) 何をおいても読書を最重要視します。なぜなら児童・生徒にとって、読書以上に効率が良く、有益な 学びはないからです。最低限の読書をせずに、まともな学びはないと断言してもいいでしよう。孔子は 『論語』の中でこんなことを語っています。 「私は一晩中眠らずに考え続けたことがあった。それはほとんど無駄だった。やはり、書を読んだり、 自の言を聞いたりするほうがよい」 深い理解のない勉強のための勉強、入試を突破するためだけの勉強をする暇があったら、読書をしろ と言いたいです。特に小学校レベルの勉強なんて少しできる子だったらあまりにも簡単すぎる内容なの で、宿題なんか一切無視で読書をしたほうが倍良い。そのために僕が厳選した数々の本がいつで も読める状態であり、つまりそこは図書館なのです。図鑑や絵本、漫画なども良質なものを取り揃える 予定です。児童文学なんかも良いですね。こちらは幻時間眠らない図書館として、一般にも開放します。 さらに塾生は、指定されたものの中のタイトルであれば、 1 冊読むたびに 200 円の報酬が与えられ ます。これは少し変な感じがするかもしれませんが、中室牧子氏の著書『「学力、の経済学』から着想 を得たものです。勉強をさせるために報酬を与えるというのはいかがなものかという考え方はあると思 います。僕自身もそう思っていました。つまり勉強のモチベーションは内発的なものであるべきで、報 酬で釣るのは邪道であろうと。しかしこのような「目の前ににんじん作戦、は、その報酬の提示の仕方 によって、良くも悪くも作用するというのです。 ここで紹介されているのは次のような話です。本を読む、宿題を終えるなどのインブットに対して報 6 8
第 8 部やりたいこと 酬を与えた場合と、学力テストや通知表の成績が上がったなどのアウトブットに対して報酬を与えた場 合を比較した結果、学力テストの結果が良くなったのは前者であった。その中でも特に「本を読むごと にご褒美を与えられた子どもたちの学力の上昇は顕著だった」というのです。その理由は、動機が何で あれ実際にインブット ( 読書 ) の行動を起こしているからです。一方「テストの点が上がったら」とい う条件を与えられても、結局何をすればいいのかわからず、具体的な行動に結びつかないからなのだそ うです。 これを読んで僕はものすごく納得しました。確かに想像できる話です。始めはおこづかい目当てだっ たとしても、本を読んだら感銘を受けたり、読書に対する抵抗がなくなっていくのではないかと思うか らです。それで結果的に読書好きになったら万々歳ではありませんか。子供には「お小遣いまでもらえ てラッキーくらいに思ってもらえれま、 ーしい。だいたい本好きな人でも、最初に本を読むようになった 動機は「本を読めちゃう自分カッコイイ」だったりするものです。当然僕もそうでした。それでいいと 思うのです。 ただし、報酬を与えるからには最低限のチェックをします。本を読んだという実績は自己申告で、例 えば「どんな内容だったか要約」「読んで感じたこと」などを対面で喋ってもらうか ( 要約し、再現す ることが深い理解につながります ) 、希望であれば読書感想文でも良いでしよう ( ちなみに作文指導も 可能です。小論文対策もバッチリだね ! ) 。 本の読み方にも人によってその質に差が出ます。超がつくような読書家 ( 成毛眞、小飼弾レベル ) で もない人が、速読を勧めていたらマュッパものです。だいたいそれは読んだ本の冊数を自慢する人です し、そういう人は典型的な中身の薄い人間ではありませんか。人は本を読んでいるつもりでも、驚くほ ど読めていないものです。やはり本当にその内容を血肉化する、あるいは著者と対話するというレベル 8
第 2 部学童保育の問題点 ールを破るということ、年長者、大人、先生の一一一一〕うことに従わないという時点で考えられないわけです が、これはつまりまともな教育を受けていないということの証拠でしよう。ポイントは「カづくで何か を従わせたり、大きな声を出したりしない」ということです。大きな声で何かを従わせることⅡ大人と して力不足だと言うかのように。もちろん「叱ってはいけない」ということは多くの教育関連本でも指 摘されているとおりですし ( アドラー心理学では「叱ってはいけない、褒めてもいけない」としていま す ) 、一面的には理解できます。しかし現実はそんなに甘いものじゃない。子どもの好き勝手にやらせ ていいという話ではありません。舐めた態度をとる子どもに対して「ダメだよー」とか「こらー」とい う程度の言い方では、事態が悪くなることはあっても改善されることはありません。ただ調子に乗らせ るだけです。威圧、あるいは恫喝すること ( という言葉は少々きついかもしれませんが ) や、強制的に 帰らせるなどの対応ができないのは、全く間違っている。今から振り返るまでもなく、職員は完全に舐 められていた。最初に威厳を示すことに、完全に失敗しているのです。 そしてミーティングと称して、いい大人が輪になって「最近子供たちの反抗がエスカレートしている。 どう対応しますか」などと話し合っている。何か良い案を職員の話し合いから出そうとしている。「以 前こういう対応をしたらうまくいきました」という体験を共有して、「イイですね—」なんて褒め合っ て良い気持ちになっている。他にも「校庭のサッカーゴールに頭をぶつけるとケガをするから、クッシ ョンを巻くべきか否か」を延々 1 時間話し合ったりしていました。しかしそんな議題が起こる時点で結 論なんか決まっているのです。彼らは子供たちの安全性について考えている、という行為そのものに酔 っているだけなのですから。そして「〇〇小では既にやっています」という情報通がいて、じゃあウチ もやるべきだね、となる。信念も何もなし。その会の最後には「教頭 ( 学校側 ) に提案してみます。」 この人たちはウルトラバカなんだろうなと思いました。少なくとも僕はクッションを巻いたゴールなど でサッカーをしたくありません。サッカーが本当に好きな児童のことなど考えていないに違いありませ 2
第 3 部個別指導塾の問題点 万円のお金があれば、ギャンプルにでも費やしたほうが幾分か学びはあったでしようし、一儲けも 出来たかもしれませんね。それでも親は一縷の望みをかけて我が子を送り出す決断をしたはずです。こ のひと夏で、たとえ万円というお金がかかっても、少しでも良い高校に行ってくれるなら出せる投資 だと。その弱みに漬け込んでいるのです。「少しでも良い高校」というのがそもそも何の具体性もない 幻であるにも関わらず。 世の中の個別指導塾の大半は、こういうビジネスをしていると考えて差し支えないと思います。全国 的に展開しているようなところは特にそうでしよう。本当に評価の高い塾は、その大半が個人塾で、広 告もろくに出していないところがほとんどです。そうでなければ教室を全国にボコボコ作ったり、大量 の広告費を出せるわけがありません。積極的に広告を打っている時点できな臭いと気づかなければなら ない。個別指導という特性を生かしてきめ細やかな指導と、爽やかな講師が親身になって対応してくれ るというイメージだけは立派で、内実はお金さえ儲かればいいのです。教室長は大学生の講師がシフト をバックれないように汲々とするのが仕事で、講師が欠ければ近くの教室から同じくバイトの代打を送 り込みます。これでどうやってそれぞれの子供に合ったきめ細やかな指導を実現するのでしようか。こ れが本当に子供のためを思った教育でしようか。そして社会的に意味のある存在でしようか。僕は絶対 に間違っていると思います。ちなみに講師の大半は大学生で、給与はコンビニより安く、生徒から見て 講師が固定することは珍しいです。誰でもできる仕事だからです。その中で無遅刻無欠勤、平日にはい つもいるという僕は、異質な存在かもしれません ( 笑 ) 。 ・本来の夏休みのあり方とは そもそも夏休みというのは、長期の旅行や普段できないような体験をしたり、やりたくてもできなか