になったのだ。だが、いつ行くかはまだ決めていない。朝比奈さんにも説明していない。彼女 は大人バージョンの自分に事情を教えてもらっただろうか。ここ数日のお姿を拝見する限りで は、もう一つよく解ってなさそうだが。 「まったくな」 とう 意味もなく呟き、部室棟へ続く廊下を踏みしめた。 サーキットで開催されるモーターカーレースのように俺は同じ地点に戻ってくるルールを背 ちが 負わされているのかもしれない。二周目と三周目にそれほどの違いはなくて、あったとしても それを決めるのは俺の仕事じゃないが、オープニングラップとファイナルラップでは同じ道、 同じ光景であろうと、まったく異なる意味を持つように見えるだろう。せいぜいリタイアに注 意しながら最後まで走りきり、ゴールラインを無事通過できたらそれでいいのさ。そう、誰か 失がチェッカーフラッグを振るその時まで。 の ・ : まあ、それもこれも全部ひっくるめて余計な理屈でしかないのは解っている。 むだ どう言いわけしようとも無駄なことだ。なぜなら俺はこっちを選んじまった。ハルヒのよう 涼な無意識ハッビー大暴走とはワケが違う。あくまで自らの意思で空回りするバカ騒ぎのほうを 選んだのだ。 ならば、最後まで責任を取るべきだろう。 力しさし わか ろうか さわ
「なあ、長門」 「なに ? 「お前、一人暮らしだっけ」 「 : : : そう」 なぜ知ってるのかと思っているんだろうな。 家族はいないのかと訊こうとして、睫毛がひそやかに伏せられるのを見て思いとどまる。調 そ、つだい 度品がほとんどない部屋を思い出した。最初に行ったのは七ヶ月前、気宇壮大なスケールで語 おとず られるコズミックな電波話に色んな意味でビビった。次に訪れたのは三年前の七夕で、そん時 ともな は朝比奈さんを伴っていた。一度目より一一度目のほうが時系列的には先ってんたから、俺も器 用なことをしたものだ。 しつもしまりのない態度でいるが、時たまこっちの 「猫でも飼ったらどうだ。いいそ、猫は。、 言うことを解ってんしゃないかって気がするんだ。喋る猫だっていても不思議じゃない。 ルにそう思うぜ」 ト禁止」 だま そう言ってからしばらく黙って悲しげな目を瞬かせていたが、ツバメの風切り音みたいな息 もろ を吸うと脆い音声を吐き出した。 まっげ しばたた しゃべ
次にハルヒが舳先を向けたのはメイド少女の姿へである。 しゅんかん 「みくるちゃん、あなたはどう ? 夜更けすぎに雨が雪へと変わる瞬間を見に行こうとかって さそ だれ 誰かに誘われてない ? ところで今時そんなことをマジな顔で言う奴が本当にいたら殴っちゃ っていいわよ」 そうぼう きつもん 大きな双眸を見開いてハルヒを見つめていた朝比奈さんは、いきなりの詰問にビビクンとし てから、 あ、それよりお 「いえ、そ、そうですね。今のところ何も : ・ ええと、夜更けすぎ・・ : : ? 茶を : : : 」 「とびつきり熱いやつをお願いね。この前のハーブティーってやつがおいしかったわ」 注文するハルヒに、 「は、はい さっそく」 お茶を入れるのがそんなに楽しいのか、朝比奈さんは顔を輝かせてカセットコンロにヤカン をかけた。 満足げにうなずきつつ、 ハルヒは最後の一人となった長門に言った。 「有希 , 長門はページから顔を上げずに短く答えた。 へさき なぐ
132 さすがだな、ハルヒ。お前はいつもそうだったよ。思いついたらその二秒後には行動してい とびらけと るんだ。それでこそお前だ。部室の扉を蹴飛ばすように開けて登場するたび、お前は突然の決 おどろ 定を俺たちに知らせるんだ。驚かないのは長門くらいで : 「しまった」 うで 腕時計に目を落とす。とっくに放課後になっている時刻である。昨日長門のマンションでし ちこく た約束を忘れていた。明日も部室に行くと言ったのに、これでは遅刻た。。 トアのノックを一人 で待っ長門のしょんぼりした姿が容易に想像できる。ちょっと待っててくれ。すぐにとん・ほ返 りするからさ。 残された伝票を古泉がすくい上げ、 「僕が奢るのは涼宮さんの分だけですよ ? 」 俺のも奢ってくれたらお前に教えてやってもいいのだが。 「ほう。何でしよう」 かってこいっから聞いた話をそのまま返してやった。手短に。人間原理がどうしたとかいう ′」とう ハルヒ神様説。いかにしてこいつがノノ 、、レヒの先回りにやっきになっていたかを。孤島での自作 自演等々。 考え込む古泉に、俺は改めて問うた。 おご
の着ぐるみを着せ、朝比奈さんを乗せて会場に登場するというシナリオを書いていました。ク ジ引きで決めたんですが誰がその役を射止めたか、それはどうです ? 思い出してきました べてんし びよう さつばりだな。元々ない記憶を思い出すことが出来たら、そいつは立派な詐話師だ。別の病 棟に入院する必要がある。だがこの古泉に言っても詮ないことだった。 「まあ、あなたになったんですけどね。そういうわけでトナカイの着ぐるみを手縫いすること にしたんですが、そのための材料を街まで買いに行こうと部室棟の階段を下りていたとき、あ なたが落ちてきたんです」 まぬ 「間抜けな話だ」 まゆ そう言うと古泉は小さく眉をひそめた。 さい」よノび一 失「あなたは最後尾を歩いていました。ですから、その時の様子を見た人は誰もいません。我々 の の横を、こう、」古泉は右手に持ちかえたリンゴを転がり落として左手で受け止めるという。ハ フォーマンスを演じ、「ゴロゴロと転がり落ちてきたのです。ですけどね、」 宮 涼再びリンゴの皮むきを始めながら古泉は、 「ビクリともしないあなたに駆け寄った後、階段の上に誰かがいたような気がしたと涼宮さん いっしゅんひるがえ が一瞬翻って、すぐに引っ込んだような気 は言っていました。踊り場の角で制服のスカート とう せん
近寄った。 「なに ? 」 長門は動かずに返答した。 「教えてくれ。お前は俺を知っているか ? 」 ちんもく くちびる すっと唇を結び、長門は眼鏡のツルを押さえてしばらく沈黙の時を過ごした。 俺があきらめたほうがいいかと出家先を考え始めていると、 「知っている」 そう答えた長門は、俺の胸の当たりに視線を注いでいる。希望がわいてきた。この長門は俺 の知る長門なのかもしれん。 「実は俺もお前のことなら多少なりとも知っているんた。言わせてもらっていいか ? 」 、の「お前は人間ではなく、宇宙人に造られた生体アンドロイドだ。魔法みたいな力をいくらでも ヒ しんにゆう レ 使ってくれた。ホームラン専用パットとか、カマドウマ空間への侵人とか : : : 」 こうかい 言いながら早くも後悔の念が押し寄せてきた。長門は明らかに変な顔になっている。目とロ 涼 おそ かたぐち を開き、俺の肩ロくらいに視線をさまよわせていた。俺と目を合わせるのを恐れているような ひょうりゅう 気配が長門の周囲に漂流している。
やっ すどお おかげで午後からの授業をまったく何一つ聞けやしない。どんな声も物音も俺の耳を素通り さいぼう し、脳細胞に何の情報を植え付けることはなく、気がつけばホームルームさえ終わって、とう に放課後になっていた。 おそ 俺は恐れていた。後ろの席でシャーベンを走らせている朝倉よりも、 ハルヒと古泉が学校に かくにん いないってことにだ。誰かに改めて確認することすら、もうたまらなくイヤである。「そんな しようたくちしず 奴、知らん」と言われるたびに、俺はずぶずぶと底の見えない沼沢地に沈んでいくだろう。椅 子から立ち上がる気力もなかなかチャージされない。 よろよろと俺は移動を開始する。前兆を見定める時間は終わった。もう起こってしまったの ど。、るはずのないやつがいて、いなければいけないやつがいない。朝倉一人にハルヒと古泉 および九組の生徒たちでは、交換するにもまるで尺があわない。 「なんてこった」 俺が狂ったのではないんだとしたら、ついに世界が狂ったのだ。 誰がそれをしたフ 、レヒ、一則、カつ、 くる こうかん
116 よゅう 女らはどう思っただろうか。どう思われようとかまわない。気にする余裕を俺は失っている。 俺は立ちつくしたまま、近づいてくるブレザー制服の女子生徒を見つめていた。 涼宮ハルヒ。 やっとーー見つけた。 びしよう 不覚にも微笑してしまう。発見したのはハルヒだけじゃなかった。 ハルヒの横を歩きながら何やら話しかけている詰め襟の生徒、それは古泉一樹の見飽きた微 そ , つい 笑みフェイスに相違ない。思わぬ付録まで付いてきやがった。 あいだがら ここでのこいつらは二人仲良く下校するような間柄なのか。それにしてはハルヒは不機嫌そ きおく うな、俺の記憶にある高校入学初期の状態を維持している。たまに横を向いてポツリと返答し て、またムスっとした顔でアスファルトの地面にややキツィ目を落としている。 以前のあいった。団の発足を思い立つまで、学内のどこでもそうしていたような、強 かくとう い敵が見あたらないことにイラだって力を持てあましている格闘家のような表情が俺にはひど ころ く懐かしい。あの頃のハルヒもこうだった。ありふれた日常に退屈していたものの、求めるの に必死で自分で生み出そうとはまだ思いついていない時代のハルヒである。 じ たいくっ
俺は問答無用で妹の腰を抱えると部屋の外に放り出し、「絶対開けるな」と厳命してドアを 閉じた。直後、 「おかーさーん。キョンくんがー頭おかしくなってるよー」 ひょっとしたら本当かもしれないことを叫びながら階段を下りていく妹の声が聞こえる。 「さあ、シャミセン ゆか 俺はあぐらを組んで、床にちょこんと座る貴重なオス三毛猫に言った。 しゃべ 。むしろ喋ってくれたほうが今 「以前、俺はお前に絶対喋るなと言った。だがそれはもういい てつがく の俺は安心する。だからな、シャミセン。何か喋れ。なんでもいい。哲学ネタでも自然科学ネ タでもいい。解りやすくなくていい。喋ってくれ」 けづくろ シャミセンは俺を退屈そうに見上げていたが、心底退屈になったのかちゃっちゃと毛繕いを 失始めた。 消 の 「 : : : 俺の言ってることが解るか ? 喋ることはできないがヒアリングはできるとか、そんな ヒ まえあし レ んか ? だったらイエスの場合は右前脚を、ノーの場合は左前脚を出してくれ」 はなづらっ 涼手のひらを上向けて鼻面に突きつける。シャミセンはしばらく俺の指のにおいをくんくんと もど 嗅いでいたが、やはりというか、何も言わず何の意思表示もすることなく、毛繕いに戻った。 そうたろうな。 こしかか
212 そんなのが楽しいと思わなかったのかよ。 うんざりでいい加減にして欲しくてアホかと思って付き合いきれないか。はん、そうかい つまりお前はこう思っていたわけか。 こんなもん、全然面白くねえぜ。 そうだろ ? そういうことになるじゃねえか。お前が真実ハルヒをウザいと感じて、ハルヒ うっと、つ の持ち出してくるすべてが鬱陶しいんだとしたら、お前はそれらを面白いなどと思わないよな。 ちカ 違うとは言わせねえそ。明らかだろうが。 しかしお前は楽しんでいた。そっちのほうが面白かったんだ。 なぜかと一一一一口うか ? ならば教えてやるよ。 お前はエンターキーを押したじゃねえか。 きんきゅうだっしゆっ 緊急脱出プログラム。長門の残したやり直し装置。 おもしろ