覚えているものです」 そうは言われても、ノートをとらずに講義をきく勇気がない。人なみのノートをつ くって大学を出た。その後、何年かして、ドイツへ留学した。ドイツの学生は、講義 をせっせと書き取るようなことはしないで、じっときいている。ところどころ、数字 などが出てくると、メモする程度である。この人たいへん感心して、かっての老先生 のことばを憶い出したそうである。 どうやら、文字と記憶は合性がよくないようである。文字に頼ると、その分、記憶 は弱くなる。メモなどがなくても、大事なことは忘れない。用心してメモしておくと、 かえって忘れる、というのは正しくなくて、メモしたことは、これで安心だと思うと 同時に、忘れやすいのである。 ある記憶力抜群の歌人がいた。みんながスケジュール手帳をもって、予定などを記 人するのが普通になってからも、メモの手帳もスケジュール表ももたないで、「す。へ て、頭にメモしてある」と記憶を誇った。実際、半年、一年先のアポイントメントで も、「その日の午後は詰まっている。次の日なら一日、フリ ーだ」などと言ってまわ
日記をつけるのは一日の決算をするようなものである。それに対応する予算がない のはおかしいではないか。決算はもちろん大切であるが、予算なしの決算は手続きの 上からも不備である。そう言って、日記をこきおろして、毎日の予定を立てることを すすめた。これについては、次に、くわしくの。へることにしたい。 文字は記憶力を退化させる 人間は大昔、ことばはもっていても、文字をもたない長い時代があった。最古の文 字も比較的新しい時代にまでしか遡ることができない。現在なお、文字と無縁な生活 をしている人がいる。かなり多くいるらしい。 文字が文化を進めるのに大きなはたらきをするのはたしかであるが、文字があらわ れたために失ったものもある。そのびとつが、記憶力である。文字がないと、大事な ことは、記録して保存するということができない。すべては頭の中へ刻み込まれ、記 憶として保持される。記憶はきわめて重要な保存の手段、唯一の方法であった。そう う時代の人間をいまはっきりと考えることもできないけれども、おしな。へて、現代 020
人よりはるかに記憶にすぐれていたと想像される。それでも、生活のほとんどが、言 憶されないで湮滅した。どこの国においても、神話の世界がきわめて具体性に欠ける のはそのためだろう。 文字の使用が進むにつれて、記憶力は退化すると思われる。覚えておかなくても、 書いたものがあれば安心できる。それで記憶を弱体化する。 文字の助けを借りることのできない盲人の困難は想像を絶するものがあるが、その 埋め合わせをするかのように記憶力が強い。そのもっとも目ざましい」ゞ 伊カ江戸時代の はなわほきいち 大学者塙保己一である。幼くして失明したが、学を志して鋭意努力して、和学をきわ め、『群書類従』千百五十巻千百八十五冊をはじめ、きわめて多くの書物を出した。 ほとんど信じられないほどの偉業である。目が見えていたら、できなかったに違いな . し 大事なことは頭にメモする ある教師が朝、学校へ行く道路を歩いていると、向こうから白い杖をついた青年が 。 21 日記をつける
行した有名な英和小辞典である。それを使って近視になったのである。 私は二十代の後半から、月刊の英文学雑誌の編集をした。いまはない「英語青年」 という雑誌で、雑誌の格上、横組みである。大判六十四ページの校正を毎月、二度す る。ところによっては三校をとる。一ペ ージ一段で百行のページと百四行のページが あった。全行で二十六文字だから、二千七百字強、全体で十七万三千字 ( 四百字詰め 原稿用紙で四百三十枚 ) にもなる。 もともと近視だったが、月ごとに悪化した。横組みがいけないのだ。校正している と、下の行へずれそうになるから、モノ差しで行の下をおさえて読む。目が横一線に 走るのではなく、まるで大根を庖丁で刻んでいくように進んで いく。日本語の横組み はたしかに目に悪い、目が疲れるということを、十二年の編集で、身をもって確信し 黙っていられなくなって、「日本語は立つ。へし、寝るべきではない」という趣旨の ェッセイを何度もくりかえし書いた。 文字というものは、読むときの視線の流れの方向と直角に交わる字画、線を主軸と 1 1 2
よほど社会的な影響力の大きな人でない限り、日記がのちのち史料にな「たりする 気づかいはない。平々凡々の人間が、いつどこどこでだれだれと会。て用談した、な 日記の一ページは小 どと書くのは、日記のスペースを埋めるくらいしか効用がない。 さいから、少しこみ人ったことを書けばページからあふれる。要約すると、こんどは あとで自分が読んでもわからない文章になる。一般に、日記の文字は、その人のふだ ん書く字よりずっときたなく崩れて、文字通り、乱筆乱文であることが多い。 いちばん便利なのは贈答関係の心覚えで、親戚のものの祝いごと、不幸などに、 三ゝ、はっきり覚えていないとき、日記は助けになる。ただ、インフレの日 くら包んオカ 本、十年も前のことは参考にならず、却って迷うことにもなりかねない。 つまり日記の実用価値はきわめて乏しい。それでも人はせっせと日記をつける。何 この点、 かモラルを高める力があるように錯覚することができるからかもしれない。 日本人は世界でもっとも熱心な日記信者が多いのかもしれない。 さらした 6 歴史的に見ても、『土佐日記』とか『更級日記』とか、文学作品に日記の文字が使 ッパではずっとあとにならないと日記をつける習慣は見られない われている。ヨーロ 018
シェイクスビアの中に so swift as thought ( 考えのように疾く ) とい、つことばがあるが せいぜい二、三分の間に、原稿にすれば、十枚分もの思考が流れる。うつかりしてい れば、どこともなく流れ去って消える。そうなると、もう二度とお目にかかれなくな る。 枕もとの大きなメモ用紙に、キーワードだけでも書き人れる。体はまだ半ば寝ばけ 状態だから、書いたことが、文字になっていなくて、あとから見ると、判じもののよ うで、わからないこともすくなくないが、そういうのは去るものは追わず、とあっさ りあきらめる。 はや 1 2 2
新しい論語 入門老荘思想 日本思想全史 ま江戸の教育カ ち 幕末史 吉田松陰 「日本」を発見した思想家 日本近代史 1043 1079 1101 「論語」はすっと誤読されてきた。それは孔子をシャー 〈層紀 ~ 減マンとして捉えてきたからだ。アニミズム的世界観に基 づく新解釈を展開。東アジアの伝統思想の秘密に迫る。 俗世の常識や価値観から我々を解き放とうとする「老子」 田浅邦弘と「荘子」の思想。新発見の資料を踏まえてその教えを じっくり読み、謎に包まれた思想をいま解き明かす。 外来の宗教や哲学を受け入れ続けてきた日本人。その根 生冂水正之底に流れる思想とは何か。古代から現代まで、この国の ものの考え方のすべてがわかる、初めての本格的通史。 江戸の教育は社会に出て困らないための、「一人前」に 青回橋敏なるための教育だった ! 文字教育と非文字教育が一体 化した寺子屋教育の実像を第一人者が掘り起こす。 日本が大きく揺らいだ激動の幕末。そのとき何が起き、 佐々木克何が変わったのか。黒船来航から明治維新まで、日本の 生まれ変わる軌跡をダイナミックに一望する決定版。 2015 年大河ドラマに登場する吉田松陰。維新の精神 桐原健百【的支柱でありながら、これまで紹介されてこなかった思 想家としての側面に初めて迫る、画期的入門書。 この国が革命に成功し、わすか数十年でめざましい近代 坂野潤旧化を実現しながら、やがて崩壊へと突き進まざるをえな かったのはなせか。激動の八〇年を通観し、捉えなおす。
あるとき、 4 の鉛筆をもらった。書いてみると、何とも言えないなめらかさであ る。ただ、すれると文字がよごれる。画家の友人に話したら、デッサンにかけるスプ 、とすすめられたが、 レイがある、フィクサチーフとか言ったが、それを使ったらい とうとう試みることもなく終わった。しかし、 4 の鉛筆はいまも気になる。 もと新聞社にいたさんが、おもしろいものをやると言って川の鉛筆をくれた。 4 CQ でおどろいていたくらいだから、川に目を見張る。机の上に置いてあるが、出 番がすくない。やわらかくて何とも言えない感触である。 二年前、出版社から記念だといってペリカンをもらった。これまでもっているのと 違うタイプで、たいへん書き具合がよい。ひところ、そのペリカンを見ると、文章が 書きたくなって困った。万年筆病はなおっていないようである。 2 2 ラ万年筆にこだわる
直立歩行は不自然 人間は文字とは違い、立っているだけではいけない。しかるべきときに横になる必 要がある。そういうことに気がついたのは、ずっと後年のことである。 きっかけは、人間が直立歩行であることを考えるようになったことである。動物に は窒息ということがないと知ってびどくおどろいた。人間が声を出して話すようにな り、気管支がだんだん食道より下がってしまった。食。へたものが気管支に人りやすく なり、窒息がおこるようになった。動物は持続音の声を出さないから気管支をつまら せる危険がないというのである。そして私はそれだけではないと考えた。 動物は横になってものを食。へるから誤飲誤嚥がおこりにくいのに対して、人間は直 立歩行、ものを食。へるときも、座った姿勢である。誤飲、窒息がおこるのはそのため だと考えた。ある有名な作家は寿司をほおばりながら歓談していて、窒息死した。イ ヌのようなかっこうで寿司を食べるのは人間としてできることではないが、窒息がい やだったら、イヌ・ネコのまねをするのも分別であろう。そんなこともたわむれに考
いっか夏目漱石が愛用したというオノト万年筆の写真を見たことがあるが、ペン先 の右半片がすりへってチビていてあわれなかっこうであった。日本の文字を書けば、 漱石のオノトでなくとも、右半片がすりへるにきまっている。それなのに、文句も言 わずに愛用していたのは、おかしいのである。いまでもなお、ペンは日本語を書くの に適していない、 ということを知らない人がほとんどである。 万年筆の楽しみ それはそうとして、ペリカンを使いはじめて何年かして、やはりドイツ製のモン。フ ランを手に人れた。そのころもの書きの間で、モンプランの太書きに人気があるとい うゴシップに動かされたらしい。ついで、スイスのカランダッシュを手に人れてい 気になった。使わない万年筆が何本もあるのがなんとなく豊かな感じがする。万年筆 病にかかっていたのだろう。これがまわりの若い友人に感染して、万年筆ばなしを楽 しむようになった。 その一方で、ポールペンにも凝った。終戦後間もなくのころ、はじめてポールペン 223 万年筆にこだわる