考え - みる会図書館


検索対象: 知的生活習慣
19件見つかりました。

1. 知的生活習慣

ぶらしていて、夜になると、机に向かって、原稿用紙を埋めるのをえらいことのよう に考える文士、文士志望者が、病に倒れると、名誉の勲章のように見る常識が生まれ て、あたら才能を失った人があらわれる。 学間や芸術を志すものは、モノやカネのことを考えるのは不純であるーー・そういう 通念にしばられて、破減型の人間を美化する。文学青年がそうして霞を食うような生 き方を考える。堅実な生活をする人たちは内心、おかしいとは考えながらも、知識信 仰に遠慮してその害に思い及ばない。 よりよく生きるためにある程度の知識、技 人間は知識のために生きるのではない。 術が必要なのである。知識追求、知識尊重の考えにとりつかれていると、人はそのこ とを忘れるらしい。生きるために知る必要があることを無視して、知るために生きる のが高等だという、おかしな考えにとりつかれ、それが死に至る病になることも知ら ぬかのようである。 役に立つかどうかも考えない。知識は、もともと、そんなにありがたいものではな いくら知識が多くても、充実した人生を生きることができるという保証はない。 176

2. 知的生活習慣

シェイクスビアの中に so swift as thought ( 考えのように疾く ) とい、つことばがあるが せいぜい二、三分の間に、原稿にすれば、十枚分もの思考が流れる。うつかりしてい れば、どこともなく流れ去って消える。そうなると、もう二度とお目にかかれなくな る。 枕もとの大きなメモ用紙に、キーワードだけでも書き人れる。体はまだ半ば寝ばけ 状態だから、書いたことが、文字になっていなくて、あとから見ると、判じもののよ うで、わからないこともすくなくないが、そういうのは去るものは追わず、とあっさ りあきらめる。 はや 1 2 2

3. 知的生活習慣

若いときは四六時中、目をさましているときは、いつでもメモしようと心構えてい たが、年をとるにつれて、それが、いかにも浅ましい、幼稚な遊戯のように思われる いくら何でも、一日に、百も百五十もアイディアが出るのは正常では ない。アプク、ウタカタのようなものを、アイディアと思って書きつけるのは滑稽で あると反省するようになった。 もうびとつ、アイディアをとらえるのは朝の時間に限るようになった。それまで、 常になにかおもしろい考えはないかと見張っていたが、少し欲ばりすぎると自省した のであろう。街角でメモを書き人れていて、お巡りに目をつけられたことがあって、 交通事故などにあったらコトだとこわくなったこともある。 るきぬるものかな、と一種の感慨にふけることもある。自分の考えたことの大半は、 この百十六冊の中に納まっていると思うと、なんとなくたのしい。やはりメモ魔なの であろう。 ク朝どりの思考 % 071 メモをつける

4. 知的生活習慣

経験を重んじて、独特の人間形成に成功していることが多いのも、これらの学校生活 と無関係ではない。イギリスの教育には、生活がある。さらに、スポーツが学科に劣 らず重視されていて、知識偏重を避ける。 それはイギリスの中流階級の教育である。ほかの国においては、だいたいにおいて、 知識と生活が分離した教育が行われていて、日本だけがそうであるわけではない。 そういう教育を受けた人間が、生活軽視になるのは是非もないが、生活から遊離し た知識は人間にとって本当に有用であるかどうかという反省はしなくてはならないだ ろ、つ 私自身、昔の中学校五年間を校内にあった寄宿舎で過ごした。そこで生活について いろいろを学ぶことができたらしい。それには中年になるまで気づかなかったが、年 をとるにつれて寄宿生活が自分の人間形成にたいへん大きな影響を及ばしていること を自覚するようになり、教育そのものの考えも変った。しかし、同時に寄宿舎生活だ けでは充分でないということも考える。

5. 知的生活習慣

不分別なこどもや若者が、徹夜で勉強して得意になるのはとんでもないことなのであ る。 寝て生命力をつける ウシやウマは立って寝られるからいいが、人間はべッドに人って横にならないと眠 れない。夢遊病者は歩きながら眠るのだろうが、異常である。 夜になったら、何はさておき、横になって寝ることである。これをバカにする近代 生活は自然の理に反している、という考えがすくなくとも知識人に欠けている。恥ず かしいことだと言わなくてはならない。電灯のない昔から、夜になって本を読むのを ありがたがったらしいのは、蛍雪の功、蛍の光、窓の雪といった、夜学を称揚するこ とばがあったことからも察せられるが、本当は暗くなったら、さっさと寝た方がい イギリスの詩人ウィリアム・プレイクは「朝は考え、昼は働き、タベに食し、夜は寝 るべし」という短詩を残している。多忙な現代人はこういう素朴な生活を笑うかもし れないが、浅慮である。 ぃ 6

6. 知的生活習慣

もこわれやすいんです。日本のメーカーは、もうからないから、というので、どこも つくるのをやめてしまって : : : などということを言った。医者は器械はなおったと一言 たが、またすぐダメになる。 ハラが立つ。もう病院へ行きたくない。そこで考えた のだが、日本の老いた職人をあつめて優秀な補聴器をつくるべンチャー企業ができな いものかね、もう少しぼくが若かったら、起業したいくらいだ。年金をもらって若者 ンレヾ からきらわれているのは、いかにも不甲斐ない。 ・ビジネスで世界をあっと 言わせたらおもしろい。キミ、そう思わんか : : : 」 彼は半分、本気である。よほど病院にハラを立てているらしく、訴えるにはどうし たらいいか、など物騒なことも書いてあるが、一読して、老友健康なりと思って愉快 になる。 アイディアを公表 書 昔の人は、手紙の中で自分の考えを半ば公表するように書いた。石川啄木は長文の手 手紙を書くことで有名だが、ある知人あてに書いた手紙の中で、雑誌発刊の計画につ

7. 知的生活習慣

込むのである。 コンビ、ーター社会では、知識と生活についてこれまでのような考えは許されなく なるはずである。人間は生活があるから人間なのであって、知識がいくらあっても、 生活のない人は価値が小さいのである。 本を読み、知識をふやす、勉強をする はいずれも、生活の一部であるけれども、 知識中心に考えると、生活から遊離したことをありがたがる傾向がつよい 知識そのものは無力で、生活の中で、仕事の中で、使用したときにはじめて力を出 す。生活の乏しい知識人間は、知識のもちぐされになるおそれがある。生活あってこ その知識であるが、長い間、学校教育を受けていると、知識のための知識になること がすくなくない。 学校も通学でなく、寄宿舎、寮で共同生活を経験すれば生活について学ぶところが 多い。イギリスのパプリック・スクールは原則、全寮制であり、大学もオックスフォ ード、ケンプリッジとも寮である。さらに、。、プリック・スクールの前のプレバラト 丿ー・スクールも、親もとを離れた共同生活をする。イギリス人が、観念的でなく、 181 生活を大事にする

8. 知的生活習慣

な仕事のために人間的生活をないがしろにすることをむしろ誇りにしたところがある。 仕事さえできれば人間としての力が不足していても高く評価する。生活から縁が遠け れば遠いほど価値が高いという専門尊重の思想を生む。一芸に秀でていれば、人間と しての欠点があっても、ク天才的クとなることができる。 人間的価値は生活から 生活はだれでもしている、といってバカにされる。 人間的価値は生活から生まれる、という考えが否定されている。生活を破壊するよ うなことも仕事のためなら、美しいことのような錯覚をするようになる。 学校は、生徒、学生の生活を停止して、知識の注人を教育だと勝手に決めて、勉学 専一を目ざす。学校で生活と言えば、昼の食事と授業の間の休み時間くらいである。 それと放課後の部活動はいくらか生活的であるが、一般に運動は勉強と両立しないと きめつけられている。学習はもともとは生活の一部として行われる。へきものであるが、 知識信仰にとりつかれた社会では、学習を生活と切り離せば、学習も進むように思い

9. 知的生活習慣

こどもたちは、生活を停止して、学習に全力を注ぐことを求められる。まっとうな こどもにとって、それが、おもしろいわけがない。なにかこどもらしい生活をしたい と思っても、学校も家庭も許してくれない。それで反発して非行に走るこどももある。 このこと 学校はそれをク落ちこばれりのように考え、それを非人間的とも思わない。 を、近代の教育は反省することがない。 明治の話だが、日露戦争のあったことも知らず、勉強、研究した学者がいて、世人 はそれを学問の権化のようにたたえた。象牙の塔では、そういう人たちによって守ら れると誤解した。生活がすくなければすくないほど人間として価値があるという考え 方である。象牙の塔には生活がなくて、ただ知識の残骸あるのみ、ということを啓蒙 期の社会は知らない。おくれているのである。 徹夜で勉強するのは、体によくない、 とか勉強の効率がよくない、などとは考えな いで美化する。わけもわからず、こどもや若者が、必要もない徹夜の勉強をして得意大 になり、まわりはそれを悪いとは考えない。 生 大人も生活を否定することが、知的であるような錯覚をもっている。昼の間、ぶら

10. 知的生活習慣

風邪の効用 さんざん風邪に苦しめられてきて、新しい考えに達した。われわれはときどき風邪 をひかないといけない。風邪をびくことがより厄介な病気にかからない予防になる、 風邪で健康が守られているのだと思ったのである。 風邪など一度もびいたことがない、と威張っていたのが、かりそめの病気で、あっ という間に亡くなってしまうということがある。医者にかかったことがないのを自慢 にしていた友人が、四十代で亡くなった。たえず風邪や喘息に苦しめられている弱虫 のこちらが、いつまでたってもくたばらない。ひょっとすると風邪のおかげかもしれ ない。だとすれば、適当に風邪をびいた方が健康的だということになる。 風邪もひかず、クスリものまないという人は、たとえていうと、高速道路をクルマ で飛ばしているようなもの。プレーキなどかけることを忘れるかもしれない。それに 引きかえ、風邪ひきは信号の多い一般道を行くクルマに似ている。走ろうとしてもす 事 ぐ赤信号、走り出したと思うと、また信号、出したくてもスビードを出せないが、 166