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検索対象: 論理学がわかる事典 : 読みこなし使いこなし活用自在
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1. 論理学がわかる事典 : 読みこなし使いこなし活用自在

3.10 通はそれでいいのですが、厳密には、「日本の首都は東 京でなしー 、は論理的な否定とは言えません。なぜなら、 偽なる文の否定は必ず真 ? 「でないーが「東京である」という述語だけを修飾して ▽文否定と述語否定 いて、文全体にかかっていないように読めるからです。 つまり、「日本の首都は東京でない」は、「日本の首都 論理学できわめて重要な概念として、「否定ーがあり は東京以外のところである」とも読めてしまう。これは、 ます。否定は、日常一一一一口語では「 5 でないーという語で表日本の首都があること、日本というものがあること、 わされますが、あくまで文を修飾する語であることに注等々を暗に意味しています。しかし、日本や、日本の首 意してください。「金属でないもの , とか「非人間的ー都なるものの存在を保証しているようでは、「日本の首 などと言うときの「でないもの。「非」は、日常言語的都は東京である」の本当の否定になっていません。きち には「金属」「人間的」を否定する語と見られますが、んと完膚なきまでに否定するには、「日本の首都は東京 論理学では、そうした語は否定とは呼びません。否定は、である」が成り立たないすべての場合を無条件に含めね あくまで文全体にくつついて、真なる文を偽なる文に、 ばなりません。すなわち、日本などというものが実在し 偽なる文を真なる文に変換する副詞なのです。 ない場合、日本が実在しても首都などない場合、等々を たとえば、「日本の首都は東京である」の否定は、「日も視野に入れなければならないのです。 本の首都は東京である、でない」。なんだか不恰好な日 こうして、「日本の首都は東京である」の論理的な否 本語です。もうちょっとスマートに「日本の首都は東京定は、「日本の首都は東京である、でない。となります。 でない。と書いてもよさそうなものですね。たしかに普通常は、主語が指すものが存在していることは暗黙の了 IIO

2. 論理学がわかる事典 : 読みこなし使いこなし活用自在

= = カ必要になるだろ、つ いつまで 前提 1 存在するものには必ず原因がある。 同じ説明が続くのか ? 前提 2 神は存在する。 マ無限後退 結論神の原因が存在する ( それを < と呼ぶ ) 。 世界の原因は神。神の原因は < 。 < の原因は。の 循環論法と似た詭弁に「無限後退」があります。根拠原因は : 、キリがありません。話は無限に後退してゆ がないままいつまでも説明がっかない点は循環論法と同きます。 じですが、無限後退は閉じたループをグルグル回るので これは、論証として間違いではありませんが、得られ はなく、根拠がどんどん先送りされて本当の説明がはるた結論がなんとも納得しがたいものである ( 同じ論証が か彼方へ消え去ってしまうような詭弁です。 自然に蒸し返される性質の文である ) という点で、ます 伝統的な神の存在証明を考えてみましよう。 い論証です。先ほどの第一の論証で満足して神の存在が 前提 1 存在するものには必す原因がある。 証明できたと主張する人がいたら、いっこうに前進して 前提 2 世界は存在する。 いないのに前進したかのように装う詭弁だ、と苦情を申 結論世界の原因が存在する ( それを神と呼ぶ ) 。 し立てねばなりません。 この論証について直ちに疑問が思い浮かぶでしよう。 しかし、神を信ずる人は次のよ、つに一一一口、つでしよ、つ。 結論は「神は存在する」と述べている。ならば、神も前 「二番目以降の論証は必要ない。神には原因はないか 提 1 の述べる「存在するもの」の一つなのだから、神のらだ。神は第一原因なのであり、神の原因を問うことに 原因がなければならないではないか。つまりこ、ついう論は意味がない 0 222

3. 論理学がわかる事典 : 読みこなし使いこなし活用自在

5.10 次に「存在例化は、こういう推論です。 具体例と一般論を往復する 前提ある爬虫類は草食である。 推論とは ? 結論適当な爬虫類について、それは草食である。 ▽全称汎化、存在例化 これも妥当な推論です。草食であるような少なくとも 一つの爬虫類が「存在する」のだから、何か特定の爬虫 文まるごとではなく、文の構造を考慮しながら行な、つ類を、草食の具体例として挙げる ( 例化する ) ことがで 推論の例として、「全称汎化」「存在例化」という二つのきるはず、ということで、「存在例化」と呼ぶのです。 特定といっても正確にどれなのかわからない場合は、 推論を学びましよう。 といったかりの名を与え、適当な爬虫類について「 まず、「全称汎化」は次のような推論です。 は草食である」と述べておくわけです。 前提任意のカマキリについて、それは肉食である。 なんだか当り前のような、役に立ちそうもない規則だ 結論すべてのカマキリは肉食である。 これは妥当な推論です。任意の、つまり個々のどの力と思われますか ? たしかに「全称汎化」も「存在例化」 マキリを持ってきてもそれについて肉食ということが成も単独ではつまらない推論ですが、しばしば複数の推論 り立つのだから、一言で「すべてのカマキリは肉食であの間を繋ぐ糊のような役割を果たして、大いに役立って いる推論規則です。その作用を垣間見るために、全称汎 る」と一一一口える。そ、ついう推論です。前提で不特定の個々 化と存在例化を意識することが実際の議論でどう働く のものについて称し ( 全称し ) 、結論ですべての例へと 話を一般化している ( 汎化している ) ため、この推論をか、単純な例を挙げましよう。 カマキリであることだけがわかっており他の情報が何 「全称汎化」と呼ぶのです。 196

4. 論理学がわかる事典 : 読みこなし使いこなし活用自在

「もの」を具体物に限れば前提 2 が偽だし、「もの」に抽ものについて成り立つに決まっている。そして「あるも 象物も含めるなら前提 1 が偽ですが、前提が偽であるこの」とは「少なくとも一つのもの」という意味だからで とは論証の正しさを損ないません。〈前提が真ならば結す。前提で具体例の「存在ーを示し、結論で不特定の例 論も必ず真〉と保証されていれば、論証の正しさにとつの存在へと話を一般化 ( 汎化 ) しているため、この推論 て十分です。「もの」という語が同じ意味で使われてい を「存在汎化」と呼ぶわけです。 るかぎり、全称例化の推論は正しいのです。 る 媒介する概念は「もの」である必要はありません。 あ 前提 1 すべての人間は宇宙に憬れる。 で 前提 2 タマちゃんは人間である。 結論タマちゃんは宇宙に景れる。 二つの前提はともかく、この形をした推論はどれも正 しい推論です。 全称例化の姉妹版に、「存在汎化ーがあります。 前提このシャボン玉には重さがある。 結論あるものには重さがある。 ( 重さのあるものが ある。 ) この推論も正しいことは直観的におわかりでしよう。 特定のものについて成り立つ事柄は、少なくとも一つの すべての☆は ~ * は☆である * は ~ ~ である 全称例化 ~ である * は ~ * は☆である ある☆は ~ 第 5 章論理学の原理明 存在汎化 ~ である

5. 論理学がわかる事典 : 読みこなし使いこなし活用自在

リは肉食である」ことに同意するはすだと ( 全称汎化に もないある個体について、氏が自動的に「その個体は 肉食である」という判断に頼る傾向があるとします。すより ) 判断できます。逆に言えば、「すべてのカマキリ は肉食である」ことを氏が否定するようなら、私たち ると ()n 氏は、任意のカマキリについて、それは肉食だと は氏を批判すべきなのです。 い、つ前提に立っていることになるでしよ、つ。ここから私 また、氏が「ある爬虫類は草食である」ことを認め たちは、氏が合理的ならば、氏は「すべてのカマキ るならば、草食である爬虫類の一つを、かりに < と名づ るる る る けることが必ずできるはずです ( 存在例化により ) 。逆 ああ ああ に一一一口うと、もし co 氏が、草食爬虫類である特定の < を主 題に据えることを拒むなら、氏は「草食爬虫類がいる」 ことを否定せねばなりません。 ま ま さて、草食生物はみな体内に酵素を持っという法則 が発見されたとしましよう。すると、爬虫類 < は酵素 る の を持つはずです。ここから、存在汎化 ( 前節参照 ) によ あ て べ り「ある爬虫類は酵素を持つ」ことが結論できます。 す しかし、爬虫類 < の特定を拒む co 氏は、「酵素を持っ 爬虫類がいる」とは結論できません ( 存在例化が使えな いため ) 。もし氏がそう結論したら、私たちは氏を 批判すべきなのです。 意 任 全称汎化 存在例化 適当に名づける 第 5 章論理学の原理

6. 論理学がわかる事典 : 読みこなし使いこなし活用自在

第一原因というものは、前提 1 の「存在するもの」のう、一番目の論証すら必要なかったのでは ? 中の唯一の例外であり、自らは原因を持たないというわ世界は存在している。存在するあらゆるものを含んだ けです。 全体の名称が「世界」です。ならば、世界そのものが第 しかし「第一原因ーが認められてよいのだとすると、一原因でなぜいけないのか。神を要請する根拠がどこに そもそも始めから論証の必要はなかったのでは ? そあるのか。それ以原因のない存在として「神」を持っ てくるくらいなら、世界そのもので話を済ませてもよか ったのでは。世界全体が第一原因であって、その内部に 個々の出来事どうしで原因ー結果の関係が成り立ってい ると、そう一一一一口うほうが簡単ではないでしよ、つか 世界のさらに向こうに「神ーという名の何かを置いて そこで終わらせるよりも、どうせどこかで終わらせねば ならないものなら「世界」のところで終わらせる。たし かにこちらのほうが「オッカムの剃刀ー ( 5 章Ⅱ節 ) の 原則に合っています。無限後退にも陥らなくてすみます。 無限後退は、このように、不必要な説明を設けたとき に起こりがちです。逆に言えば、無限後退が生じてしま ったときは、論証そのものが必要なかったのではないか、 と反省するきっかけになるわけですね。 第 6 章誤謬と詭弁 : なぜ P3 ? なぜ P2 ? なぜ PI ? なぜ ? p ゎ′ オッカムの剃刀 = ・論理学の反省

7. 論理学がわかる事典 : 読みこなし使いこなし活用自在

そこで、論理のアルゴリズムの一つ、「背理法」とい うのを用います。証明したい命題 < をあえて否定したも 論理と直観を併用すると ? のを仮定として置き、そこから矛盾を導き、やつばり命 マ非存在証明 題 < を否定すると不合理なんだな、つまり < は真なのだ、 と証明する方法です ( 5 章肥節参照 ) 。そこで、最大の アルゴリズム ( 論理 ) とヒューリスティクス ( 発見法 ) 素数は無いのではと当たりをつけて、それを否定した命 は、単に、一一者択一的に競うだけではありません。一つ題「最大の素数は存在する」を仮定として置いてみます。 の証明の中に、アルゴリズムとヒューリスティクスがと その最大の素数を Z と表記しましよう。それともう一 もに使われるのが普通です。代表的な例として、「最大つ、次のような数を考えてみます。 M " ( 1 >< 2 >< 3 x 4 x : : x N) + 1 の素数は存在しない」ことの証明を見てみましよう。 素数とは、 1 とそれ自身以外の自然数では割り切れな は、その作り方からして、 Z より大きい。 Z は最大 い自然数のことです。では、素数のうち一番大きなものの素数なのだから、は素数ではないはずです。素数で は存在するのか。つまり、無限にある自然数をどんどんないからにはは素因数分解でき、次のように表わせま 大きいほうへたどってゆくと、もう素数は現われない、 す ( 素因数分解とは、 x をはさんだ個々の数が素数にな という限界はあるのか。これは単純な問いではありまするまで掛け算を分解することです ) 。 M = a x b x c x d x e x ・ ・ X z が、個人の脳の性能を超えた問題でしよう。どんなに賢 い人でも、直観で考えていたのでは絶対に正解を思いっ は、その形からして、 Z 以下の自然数で割ると必す くことができません。 1 余るのでしたから、からまでの素数はどれも z よ 064

8. 論理学がわかる事典 : 読みこなし使いこなし活用自在

らどうでしようか。気象学の諸仮説だけ認めたときより天気予報では、神への言及を省略したほうが、声と時間 の節約になることは間違いありません。 も、説明力がアップするでしようか ? 「神の思召し」は削ぎ落とされるべき仮説なのです。 たぶん、ダメでしよう。神は、気圧や気温や雲の動き に関する気象学的説明の後に単にいつも「そしてそれは神は無用であり、「神はないものと見なす」のが物理科 神の思召しなのです。と付加されるだけの存在でしよう。学に関するかぎり正しい。こうしてオッカムの剃刀は、 次のように述べられることもあります。 「同じ事実を説明できるかぎり、認められる存在の数 は少ないほどよい な 少 ただしこの表現には注意が必要でしよう。「存在の数 を 提 が多いか少ないかの違いは、事実の違いでしよう。「同 じ事実を説明できるかぎりーという条件句が成り立たな べ る くなってしまいます。神のいる世界といない世界はすで かよ ら に事実として違うので、神による説明は気象学だけに頼 る る説明より劣っているという比較はできない。そう反論 導されかねないでしよう。 < O LL (5 N したがって、説明されるべき「事実」としては、比較 じ対象となる諸理論からは独立した、公認の事実だけを考 えなければなりません。 オッカの 第 5 章論理学の原理

9. 論理学がわかる事典 : 読みこなし使いこなし活用自在

そのラッキーな一人が必然的に選び出されます。当選者こう問わねばならないでしよう。 でない人について「なぜあの人が ? 」と問われることは 「私はなぜそもそも誰かとして存在できているのか ? ないからです。当選という事件に合わせて人物 ( 当選者 ) 私は存在しないこともありえたのに、なぜ存在してし を選択しているのです。したがって、その当選者 < が当まったのか。これこそが、何らかの答えを要求している 選者であることに、何ら偶然の一致はない。当選したか「正し、、 し卩し」なのです。 らこそ、結果的に疑問の対象になりえたのですから。よ って、ここにはそれ以上問、つべきことはありません。 択謝 選 : 果 第二の状況は違いますね。特定の人が 3 回続けて当 たるというのは確率的に低いだけでなく、それが誰か ( にかぎらず ) の身に起きたこと自体が驚くべき謎で す。 3 回続けて同一人物に当たることが起こるとは決ま っていなかったからです。だからここでは、「なぜ 3 回 続けて当たるという偶然の一致が起きたのか ? 」という 疑問への答えが追究されるべきでしよう。 先ほどの質問に戻ると、「なせ私は他の誰でもなく三 浦俊彦なのか」は、たまたま私である「三浦俊彦」が自 己選択によって必然的に選ばれたため、何の偶然の一致 、もなノ v' 日怛 、リいにはなりません。正しい問いにするには、 なぜこれが ? なぜ何かが ? ( 52 頁コラムも参照 ) 「他ならぬこれ」に「何か」以上の意義はあるか ? 0 第 6 章誤謬と詭弁 : ・ : 論理学の反省 2

10. 論理学がわかる事典 : 読みこなし使いこなし活用自在

矛盾が生じてしまった。どう解決しよう ? 」 議論に自作自演が これは、全能の神を信じない人にとっては、マッチボ ありはしないか ? ンプ論法としか思えないでしよう。全能の神などいない ママッチボンプ論法 ことがこれで証明される、と片づければすむところを、 あえて「全能の神の存在を擁護せねばならないーという への問題を設定したがために、要らぬ問いと悩みを発生させ 詭弁、すなわち非論理的な論法というのは、問い 問いを提一小ているだけだからです。 答え方として現われるだけではありません。 しかし、全知全能の唯一神を崇める文脈では切実な問 する仕方そのものに詭弁が含まれることもあります。っ まり、いになりえない「擬似問題」を立てて、もとも題になるのでしよう。一神教では「全知全能の神が存在 と問題などなかったところに問題を捏造して答えようとする」ことが前提なので、「石のパラドクス」は正面か する。いわゆる自作自演ですが、自分でマッチを擦ってら解決せねばならないように感じられるのです。 その他にも、「地層のパラドクス」 ( 地質学的な証拠に 火事にして放水ポンプで消しまわるという喩えから、よ よると、地球は何十億年も前に誕生した。しかるに聖書 く「マッチボンプ」と呼ばれます。 によれば、たかだか 6000 年余り前に神が世界を創り 「石のパラドクス」というのがあります。 たもうたはずだ ) や「悪のパラドクス」 ( 全知全能なる 「全能の神は、全能なのだから何でもできる。だから、 自分で持ち上げられない石を作り出すということもでき神は善でもあるので、悪や苦痛の存在を許すはずがない。 るはずだ。しかしそうすると、全能の神は、その石を持しかるに世の中を見るに、理由のない苦痛があふれ、悪 ち上げることができないことになる。はて。全能の神にが野放しになっている ) など、キリスト教には多くのパ 226