390 付録 大 A すべての M は P である 小 E すべての S は M でない 結 E すべての S は P でない という形の論証である。そしてこれは第 1 格だから , 第 1 格 AEE 式である。これは妥当ではない。 ( 2 ) ヨ x(GxALax) ( 3 ) 49 ( 1 ) LabA •Lba ( 5 ) ヨ x(GxALxb) ( 6 ) ヨ x(LxaA¯lLxb) 50 ( 3 ) が異なる。 ( 8 ) Vx()x → Lbx) ( 7 ) Yx(Lbx → Gx) ( 4 ) Vx()x → Lxa) ヨ x(GxALxb) 51 ( 5 ) すべての人の親であるような人がいる ( 6 ) どんな人にも親がいる の人の親であるような人がいる⑧どんな人にも子どもがいる この解釈では ( 6 ) のみが正しい。 ( 7 ) すべての人がそ 52 ( 1 ) どの友達をとってみても , それぞれの友達からそれぞれ大切なことを学んだ ( つまり友達に よって教えてくれたことが異なってもよい ) という意味と , すべての友達が教えてくれた同じ教訓が あるという意味との両方にとれる。前者は「応じて存在」であり Vx(Fxa →ヨ y(IyALaxy)), 後者 は「端的な存在」でありヨ x(IxAVy(Fya → Layx)) と記号化できる。ただし , Fxy は「 x は y の友 達である」 , lx は「 x は大切である」 , Lxyz は「 x は y から z を学んだ」 , a は「ばく」を表す。 ( 2 ) 前者は「いかなる実数よりも大きな実数がある」っまり最大の実数の存在を述べており偽。後 者は「どんな実数にもそれより大きな実数がそれぞれある」ということを述べており真。 ( 3 ) (a) 誰にも愛する人がいない ( 愛の砂漠 ) (b) 誰にも愛してくれる人がいない しもあらゆる人を愛しているわけではない (d) どんな人も , みんなに愛されるわけではない (e) 愛する人がいない人もいる ( = 誰にも愛情をもたない人がいる = 人間ぎらいの存在 ) (f) 愛 してくれる人がいない人もいる ( きらわれものの存在 , あるいは集団的いじめの構造 ) (g) お互 いに愛し合っている人たちがいる (h) お互いに愛し合っているひとなどいない ( 愛はいつでもす ( i ) どんな人たちも , 互いに愛し合うことがない ((h) と同じ ) れちがい ) ( j ) 誰にでも互いに 愛し合う人がいる (k) すべての人を愛しているのにすべての人から嫌われるような人がいる ( き らわれものの博愛主義者の存在 ? ) ①すべての人から愛されているのにすべての人を嫌ってい る人がいる ( 人間ぎらいのアイドルの存在 ? ) ⑩人を愛すればかならずその人からも愛される (n) 人を愛するとかならずその人からは嫌われる ( 。 ) どんな人にも , 愛すればその思いが通じる 相手が必ずいる (p) すべての人を愛しているのにすべての人から嫌われる人などいない ( 4 ) (a) すべての人を知っている人がいる (b) アルフレッドを知っている人をみんな知ってい る人がいる (c) 自分じしんを愛している人をすべて知っている人がいる (d) アルフレッドが 知っているのは自分じしんを愛している人だけだ (e) アルフレッドは自分じしんを愛している人 すべてを知っている (f) V x (x はアルフレッドが知っている人をみな知っている→ x はアル フレッドを知っている ) アルフレッドが知っている人をすべて知っている人はみなアルフレッドを 知っている (g) ヨ x (x はアルフレッドに愛されている△ x はアルフレッドが知っている人 をみんな知っている ) アルフレッドが知っている人をみんな知っていて , なおかつアルフレッドに 愛されているような人はいない ( 5 ) (a) ヨ xHxa (b) Vx ヨ yHyx (c) VxFbx (d) ヨ x VyFxy ノヾットマン を憎むすべての人はバットマンに恐れられるæVx(Hxa → Fax) ヨ x(x は x を憎む人をす べて恐れる ) ヨ x(x を憎むあらゆる人は x に恐れられる ) ヨ x ▽ y(Hyx → Fxy) (g) ▽ x V y (Hyx → Fxy) (h) ロビンが恐れているすべての人はロビンを憎んでいるæVx(Fbx → Hxb)
170 ( 1 ) ( 2 ) ( 3 ) ( 4 ) 第Ⅱ部論理学をひろげる ▽ x V yLxy VyVxLxy ヨ x ヨ yLxy ヨ y ヨ xLxy ( 5 ) ( 6 ) ( 7 ) ⑧ ヨ x V yLxy Vy ヨ xLxy ヨ yVxLxy V x ヨ yLxy 同種の量化子のみ含む場合 これらがどのような意味を持っかを考えていく。まず , 1 種類の量化子しか含まない最 すべての人はすべての人を愛する VyVxLxy Vy ( すべての人は y を愛する ) 次のように日本語に直せる。 という具合になる。ようするに ( 1 ) は愛のバラダイスを述べたものだということだ。同様に ( 2 ) も すべての人はすべての人を愛する (Everybody loves everybody) VxVyLxy Vx (x はすべての人を愛する ) Vx(VyLxy) 初の 4 つから始めよう。 ( 1 ) を徐々に日本語にしてみることにすると・・ という , 割れ鍋閉じ蓋というか , もてない人への福音を述べていたことが分かる。同様に ( 7 ) は , どんな人にもその人を愛してくれる人がいる (Everyone is loved by somebody) Vy (y を愛する人がいる ) Vy ヨ xLxy うなるだろう。 となって , 博愛主義者が存在するといった意味だ。では , ( 5 ) の量化子の順序を入れ替えた ( 6 ) はど すべての人を愛するような人がいる (Someone loves everyone) ヨ xVyLxy ヨ x ( x はすべての人を愛している ) になるとそうはいかない。まず ( 5 ) を見てみよう。これを順に日本語になおしていく。 ところが , 2 種類の量化子が混ざって出てくるようなケース (mixed multiple quantification) 2 種類の量化子が混ざって出てくる場合 けれどそれは別の理由による。 ターンがおなじだからではない。 ( 1 ) と ( 2 ) の束縛パターンは異なっている。だから , 論理的同値だ り , ( 1 ) と ( 2 ) , ( 3 ) と ( 4 ) はそれぞれ互いに論理的同値なのだ。ただ , それは先に見たように束縛バ るときはそんなに神経質にならないでもよい。そのような場合 , 量化子の順序は関係ない。つま している (Somebody loves somebody) 」になる。一般に , 同じ種類の量化子が重なって出てく ( 1 ) と ( 2 ) は同じ意味になった。 ( 3 ) ( 4 ) も日本語に書き換えると , どちらも「ある人はある人を愛
第 11 章めくるめく非古典論理の世界にようこそ ! て受け人れなければならない。 287 ところで , この論理式はヨ n(B(n)A•B(n 十 l)) と論理的に同値だ。ということは , ( c ) を偽だ と思う人はヨ n ( B ( n ) △ B ( n 十 1 ) ) を真だと認めなければならない。ところでこの論理式は , n 本の人はハゲだが , n 十 1 本の人はハゲではなくなるような , そんな n がある , ということを意 味している。そのようなハゲと非ハゲの境目になるような本数があるだろうか。昨日まではハゲ でなかった男が , たった 1 本抜けただけでその瞬間からハゲになるというようなそんな大切な毛 があるのだろうか ? そんなことはないだろう。というわけで , ヨ n ( B ( n ) △ B ( n 十 1 ) ) は偽で ある。これが偽である以上 , ( c ) は真である。 ところが , (a) (b) (c) の 3 つを真だと認めてしまうと困ったことになる。次の推論を見てみよ 頭髪が 0 本の人はハゲである 頭髪が 0 本の人はハゲである→頭髪が 1 本の人はハゲである 頭髪が 1 本の人はハゲである→頭髪が 2 本の人はハゲである ( 1000000 ) 頭髪が 999999 本の人はハゲである→頭髪が 1000000 本の人はハゲである ( 1000001 ) 頭髪が 1000000 本の人はハゲである この推論は妥当である。そしてすべての前提は真である。なぜなら , 前提 ( 0 ) はさっきの命題 ( a ) に他ならないし , その他の前提もすべて ( c ) を普遍例化したものだから真になる。だとすると , 結論も正しいことになるが , これは ( b ) と矛盾する。これは伝統的に連鎖推論のバラドクス (sor- ites paradox) とか曖昧性のバラドクス (paradox of vagueness) と呼ばれてきた。 フアジーな述語とクリスプな述語 こうしたパラドクスは「ハゲである」のようないわゆるフアジーな述語 (fuzzy predicate) を 含んでいる。英語の「フアジー」は , そもそもは綿毛のように毛羽立った , というような意味 だ。そこから , ばやけた写真や絵 , はっきりしない考えなどに「フアジー」という形容詞が使わ こで言うフアジーな述語はしばしば曖昧な述語 (vague predicate) と言われることもあ こでの「曖昧」というのは意味がいくつもあってどの意味で使っているのか分か る。しかし , らない , つまり「多義的」ということではない。「心が重い」のような比喩的な言い回しを除け ば「重い」という述語の意味ははっきりしているが , それでも体重〇 kg の人までは重くなく , それを超えると重い人になるというような境目があるわけではない。 また , フアジーな述語は , 人によって境目をどこにおくかが異なるので , 全体として境目が はっきりしていないということとも違う。ある教師は 50 点以上が合格点であるとし , 別の教師 は 60 点以上が合格としている , また別の教師は・・ ・・という具合になっているので , 全体として はこの学校では何点以上が合格点なのかはっきりしない , ということではないのである。「重い」 という述語はそれを使う一人一人の人もはっきりとした境目を置けないという特徴がある。
206 8.2 第Ⅱ部論理学をひろげる 個数の表現と同一性記号 8.2.1 「 ~ 個ある」を表現する 同一性記号を使うと , 任意の有限数 n について「少なくとも n 個の P がある」とか「ちょう ど n 個の p がある」という言い回しを記号化することができるようになる。これが同一性を導 」 ust one ヨ xPxo one at least 入する最大のメリットだ。 ( 1 ) 「少なくとも 1 つの P がある」は同一性記号を使わなくとも表現できる。つまり , コンピュータ見合いで , ( 2 ) 「あなたの希望に当てはまる人はちょうど 1 人います」 と言われ た。これを記号化してみよう。 Px を「 x はあなたの希望にあてはまる」とする。何らかの人の 存在が主張されているのだから , ともかくヨ x ( ・・・・・ ) の形をしているはずである。こで存在す るとされる x さんはどのような人だろう。 ( a ) まず , P である。 (b) 彼 ( 彼女 ? ) 以外に P であるような人はいない , そんな人である。 したがって , ヨ x ()x △ x 以外に p であるような人はいない ) と書けるはずだ。問題は , 「 x 以外に p であるような人はいない」の部分だが , これはもう簡単だろう。ヨ y(PyAy*x), つ まり , P であって x と別人であるような y さんはいないという具合にやればよい。あるいは , これと論理的に同値な式を使って VY ( PY → Y = x ) と書いてもよい。これは「 P な人はすべて x と同一人物である」と読める。これは「 p なのは x だけ」と同じことだ。じっさいヨ Y()Y △ y*x) と Vy ( Py → y = x ) は論理的同値である。私は前者の方が直観的にわかりやすいと思うけ れど , 否定記号が 2 つも含まれていて複雑な式なので , 一般には後者が好まれているみたいだ。 at most one これが求めていた翻訳だ。この表現は一意的存在 (unique existence) と言われる。 ヨ x(PxA•ヨ y(PyAy*x)) もしくはヨ x(PxAVy(Py → y=x)) ともかく , この部分を全体に代入して , ないかもしれない。ということは ( 3 ) は存在命題ではないらしい。いるかいないかについては何も る。 ( 2 ) はとにかく該当者がいるのは確かであるのに対し , ( 3 ) では該当者はもしかしたら 1 人もい う。これと ( 2 ) は , 該当者が 2 人以上はいないという点では一致しているけれども重要な違いがあ あまり高望みすると , ( 3 ) 「あなたの希望に当てはまる人はせいぜい 1 人です」と言われちゃ
第 7 章さらに論理言語を拡張する 171 「誰からも愛される人がいる (There is someone whom everyone loves) 」というアイドルの存在 を , ( 8 ) は「誰にでも好きな人がいる (Everybody loves somebody) 」というディーン・マーチン のヒット曲 ( 1964 年 ) のタイトルのようなことがらを表現している。ともかく , これら 4 つの論 理式が表現していることがらはすべて異なる。というわけで , 2 種類の量化子が混ざって出てく るときは , その順序がとても重要であることがわかった。 というわけで , 「パンプキンがハニー・バニーを愛している」と , その受身形「ハニ ーがパンプキンに愛されている」はどちらも Lab と記号化できるので論理的に同値だが , そ れと文法的形式は同じに見える「だれもがだれかを愛している」と「だれかがだれもに愛されて いる」は▽ x ヨ yLxy とヨ y Y xLxy という具合に論理形式が異なるために論理的に同値ではな 「端的に存在」と「応じて存在」 はずである。それはどれか。 練習問題 51 い。こうして難問 1 は片づいた。 ⑧の論理式を日本語に翻訳せよ。そうすると , これら 4 つの論理式の中で真なものは 1 つしかない 今度は , 論議領域を人間の集合とし , 2 項述語 Lxy を「 x は y の親である」と解釈して , ( 5 ) から 量化子が混在する 4 つのケースを整理して並べてみよう。 ( 5 ) ( 7 ) ( 6 ) ⑧ ヨ xVyLxy ヨ yVxLxy Vy3 xLxy Vx ヨ yLxy すべての人を愛するような人がいる 誰からも愛される人がいる どんな人にもその人を愛してくれる人がいる 誰にでも好きな人がいる これらの 4 つはどれも , ある意味で何かの存在に言及している。しかし , その存在の仕方は奇 数番号のものと偶数番号のものとではずいぶん異なっている。 ( 6 ) ⑧のように V ヨの順番で量化 子が出てくる論理式が述べている存在は , ロミオにはジュリエットが , 玄宗には楊貴妃が , ヴェ ルレー . ヌにはランポーがいる , という具合に , どの人にもその人に応じてそれぞれ愛してくれる ( 愛している ) 人が存在する , という存在の仕方だ。これを「応じて存在」と言うことにしよう。 これに対し , ( 5 ) ( 7 ) のようにヨ▽の順番で量化子が出てくる論理式が述べているのは , 「端的な 存在」だ。これらはしばしば混同されてしまう。 練習問題 52 ( 1 ) 日常言語では「応じて存在」と「端的な存在」の区別はしばしば曖昧になっている。例えば , 「ばくはすべての友だちから何か大切なものを学んだ」も 2 つの意味にとることができる。その 違いを説明し , その違いがうまく現れるように , この命題を 2 通りに記号化してみよう。
208 第Ⅱ部論理学をひろげる ヨ x ヨ y(PxAPyAy*xA¯l ヨ z(PzAz*xAz*y)) ヨ x ヨ y(PxAPyAy*xAVz(Pz → (z=xvz=y))) もしくは , この調子で , 「少なくとも 3 つの P がある」 , 「ちょうど 3 つの P がある」・ きることがわかっただろう。 練習問題 63 ・・などの記号化もで (a) 「 P なものは多くて 2 つである」 , (b) 「少なくとも 3 つの P がある」 , (c) 「ちょうど 3 つの P がある」をそれぞれ記号化せよ。 ( 2 ) 「少なくとも 3 つの P がある」は発想を変えると次のようにも書ける。 V x V y ヨ z()z △ x z △ y 半 z) 。これがどうしてなのかを説明せよ。 ( 3 ) 「ちょうど 2 つの P がある」は , 「少なくとも 2 つの P がある」と「 P なものは多くとも 2 つで ある」とを単純に連言にしても表現できるはずである。そうするとヨ x ヨ y()x △ Py △ y 手 x) と問 題 ( l)(a ) の答えを連言にした形の論理式ができる。これがヨ x ヨ y(PxAPyAy*xAVz(Pz → (z=x vz=y))) と論理的同値であることを確かめよ。 ( 4 ) 次の論証が妥当かどうかタブローでチェックしてみよう。 (a) 「ヨ x()x △ Qx △ Vy((Py △ (y) → x=y)), ヨ x()x △ -•Qx △ Vy((Py △•Qy) → x=y)), し たがって , ヨ x ヨ y(PxAPyAx*yAVz(Pz → (z=xvz=y))) 」 (b) この町には法律家は多くて 1 人しかいない。この町には少なくとも 1 人の弁護士がいる。 そして , 弁護士はみな法律家である。したがって , この町にはちょうど 1 人の法律家がい (c) ウッディは少なくとも 2 人を愛している。そして , ウッディはミア・ファーロウを愛して いる。だから , ウッディはミア・ファーロウでない人を愛している。 (d) ウッディは少なくとも 2 人を愛している。なぜなら , ウッディはミア・ファーロウを愛し ている。そして , ウッディはダイアン・キートンも愛しているが , ダイアン・キートンとミ ア・ファーロウは同一人物ではないからだ。 (e) ウッディが愛しているのはたかだか 1 人である。そしてウッディは自分自身を愛してい る。したがって , ウッディは他人を愛していない。 (f) 少なくとも 1 つの神が存在する。そして 2 つの別の神が存在するということはない。した がって , 神はただ 1 っ存在する。 (g) あの事故では少なくとも 2 人の生存者がいた。そして生存者はすべて老人か子どもかのど ちらかじゃった ( V を使うべし ) 。また , 子どもの生存者は多くて 1 人だったはずじゃ。と 「月面を最初に歩いた人 (the first person who walked on the Moon) 」とか「太陽系で最も重い 確定記述句とは何か 8.2.2 確定記述句の理論 いうことは , 少なくとも 1 人の老人の生存者がいるってこった。
第 7 章さらに論理言語を拡張する 187 ( 7 ) プルースなら何でも好きだというへビメタファンもいる。ヘビメタファンはみんな演歌という ものを一切好まない。したがって , 演歌はすべてプルースではない。 ⑧すべての人は誰かを愛している人すべてを愛する。そしてルークは自分自身を愛している。し たがって , レイアはルークを愛している。 ⑨すべての人は誰かを愛している人すべてを愛する。そしてオビ = ワンは自分自身を愛している。 したがって , アナキンはオビ = ワンに愛されている。 ( 10 ) 自分よりフォースの弱い騎士がいる者はみな騎士である。ョーダは誰よりも強いフォースを もっている。したがって , もし騎士がいるなら , ヨーダは騎士である。 ( 11 ) 幻に終わった愛の宗教 : 自分で自分のことが愛せない人は悲しい人である。そういう人でも誰 かから愛されたなら自分のことを愛するようになるかもしれない。そのような考えから , 次のよ うな教義をもつ「愛の教団」が生まれた。その教義とは , (i) 愛の教団のすべての教徒は , 自分を愛さない者すべてを愛する (ii) 愛の教団のすべての教徒は , 自分を愛さない者だけを愛する ところが , あるとき 1 人の教徒が教祖に尋ねた。「教祖様。私は自分自身を愛するべきなのか 愛さざるべきなのかお教え下さい。もし , 私が自分自身を愛していないのなら , 教義により愛の 教団の教徒はすべて私を愛することになります。ということは私は自分自身を愛することになり ます。一方 , 私が自分自身を愛しているなら , 教義により愛の教団の教徒は私を愛さないことに なります。したがって , 私は自分自身を愛さないということになるでしよう。教祖様 , これは いったいどういうことでしよう ? 」 この教徒が悩むのも無理はない。答えは , このような教義をもつ教団は存在できないというも のなのである。本当にそうなのかを次のようにして調べよう。 px を「 x は愛の教団の教徒であ る」 , Lxy を「 x は y を愛す」とすると , この教団の教義は , (i) Vx()x → Vy(—nLyy → Lxy)) まりヨ xPx が論理的に帰結する。 このことをタブローを使って確認しよう。 という具合に記号化できる。実はこのふたつの前提からは , そんな教団はないということ , (ii) Vx()x → Vy(Lxy →•Lyy)) つ 7.3.2 タブローを活用して関係を科学する 関係を分類する 例えば「親である」という関係と「年上である」という関係は似ているところもあるし , 似て Vxy, VxVyVz を▽ xyz と簡略化して書く表記法を使ってあるので注意して読んでほしい。 次に挙げるものは関係についての基本的な分類だ。ただし , スペースの節約のため▽ x ▽ y を つかどうかで食い違っている。このような観点から , 2 項関係を様々に分類することができる。 はともに▽ x Rxx が成り立っという点で似ており , VxVyVz((RxyARyz) → Rxz) が成り立 上の人はやつばり自分の年上の人である。この点では両者は似ていない。論理式で書けば , 両者 は似ている。しかし , 親の親は親ではない ( 祖父母である ) のに対し , 年上の人よりももっと年 いないところもある。 a は a 自身の親ではないし , a は a 自身より年上でもない。この点で両者
第 8 章さらにさらに論理言語を拡張する 場合 , の 3 通りある。前ページで悩みの種だった (ii) と (iiD は (a) と同種の理由で偽になる。 2 1 1 また , 「微積分の発見者はイギリス人である」は ( b ) と同種の理由で偽になる。なぜなら , 微積分を発見 した人はライプニツツとニュートンの 2 人であって 1 人ではないからだ。さらに , 「月面を最初 に歩いた人は中国国籍をもつ」は ( c ) と同種の理由で偽になる。なぜなら , アームストロング船長 は中国国籍をもっていないからだ。 ( 3 ) (ii) と圃は両方とも偽になるが , これは困ったことにはならない。これらは記号化するとそ れぞれ , ヨ x(WxARxAVy(Wy → y=x)) と 3x(WxA•RxAVy(Wy → y=x)) となり , ある式 とその否定形の形になっていないから , 両方同時に偽になってもいっこうにかまわない。
240 第Ⅲ部論理をもう 1 つの目で見る 【導入規則 (Y intro) 】ただし , A / 刳 ▽ EA ( 1 ) は規則を適用する段階でまだキャンセルされていない前提には現れ ないものとする。 ( 2 ) は▽ EA の中に残っていてはいけない。 ようするに , V 導入で一般化できる個体定項は , 「任意のものについてしかじかのことが言え ますよ」という情報だけを伝えて , その「任意のもの」を「すべてのもの」に置き換えた ( つま りそれが▽導入ということだ ) 暁には , 表舞台からひっそりと消えてもらいたい替え玉 ( ダミー ) なのである。 【攻略法 : を目指すには】 V EA にいたるためには , A / 引を導き , それに V 導入規則 を適用せよ。ただし , は V €A のなかにある個体定項と , ▽ EA が得られる導出において キャンセルされていない前提に出てくる個体定項以外の個体定項から選ばなくてはならな 練習問題 73 ( 1 ) 次の演繹を構成せよ。 (b) VxLxx と VyPy から Vx(LxxAPx) (a) VxPx から VyPy ( 2 ) 「人を憎んでいる人は醜いなあと思う。みんなもそう思うでしよ。だからみんなは人を憎んで いる人を憎んでいるんだよね」。ところが , この「人はみな人を憎んでいる人を憎んでいる」っ てのは誰かが誰かを憎んでいるということ , 例えばヒラリーがモニカを憎んでいるということと 組み合わさると , 「すべての人はすべての人を憎んでいる」という恐ろしく強いことが導けてし まうのだ。このことを確認しよう。つまり , V x V y( ヨ zHyz → Hxy) と Hab という前提から ▽ x ▽ yHxy への演繹が構成できることを示せ。 9.4.3 ヨ除去規則はさらに面倒 AVB という不特定の情報からは A と B について確定的な情報はもう引き出せない。 同様に , どれかはわからないがとにかくしかじかなものがあるという不特定の情報から , これと それ以 上何か確定的な情報が引き出せるのだろうかという気がする。 V の除去規則の場合 , この問題 は次のようにして回避された。 AVB であるとき , A と B のどちらが成り立っているかはわか らないにしても , もし A であれ B であれいずれにせよ C と言うことが言えるのだったら , 我々 は C という確定的なことがらを主張してよいはずだ。これと同じことがヨについても言えるだ ろう。つまり , 「 P なものがあると言う。どれが P なのかはわからないにしても , どれがその P なものであろうといずれにせよ C ということが言えるのであれば , C だと主張してかまわな い」。このようにして , ヨ除去は次のような推論規則になる。
172 ( 2 ) 第Ⅱ部論理学をひろげる いま , 論議領域は実数の集合とする。そのとき , ヨ xVY(x>y) と▽ Y ヨ x ( x > Y ) はそれぞれど のような意味になるか。またこれらの真偽はどうなるか。 ( 3 ) 次の論理式を日常言語に翻訳せよ。ただし , 論議領域は人間の集合とし , 2 項述語 Lxy は「 x は y を愛する」と解釈されるものとする。 (n) ▽ x Vy(Lxy →•Lyx) (p) -- ー 1 ヨ xVy(LxyA¯lLyx) ( 0 ) Vx ヨ y(Lxy → Lyx) ⑩ VxVy(Lxy → Lyx) (1) ヨ yVx(LxyA¯nLyx) (k) ヨ xVy(LxyA¯1Lyx) (j) Vx ヨ y(LxyALyx) (i) VxVy•(LxyALyx) (h) ー 1 ヨ x ヨ y(LxyALyx) (e) ヨ x ーーコヨ yLxy (f) ヨ y ヨ xLxy (g) ヨ x ヨ y(LxyALyx) (a) Vx ーー 1 ヨ yLxy (b) Vy ヨ xLxy (d) Vy •VxLxy (c) Vx •VyLxy ( 4 ) ( 5 ) 次の式を日本語に翻訳しよう。 (b) ヨ xVy(Kya → Kxy) (a) ヨ xVyKxy (d) Vx(Kax → Lxx) (e) Vx(Lxx → Kax) (g) ーーー 1 ヨ x(Lax △ Vy(Kay → Kxy)) [Domain] 人間 [lnterpretation] a : アルフレッド (c) ヨ xVy(Lyy → Kxy) (f) Vx(Vy(Kay → Kxy) → Kxa) Lxy : x は y を愛している Kxy : x は Y を知っている 次の日本語を論理式に書き換えてみよう。 (a) (b) (c) (d) (f) (g) (h) (i) (j) (k) ① ⑩ (n) バットマンには彼を憎んでいる人がいる だれにでもその人を憎んでいるものがいる ロビンはあらゆる人を恐れている あらゆる人を恐れているような人がいる バットマンは彼を憎んでいるすべての人間を恐れている 自分を憎んでいるすべての人間を恐れているような人がいる 人はみな , 自分を憎んでいるすべての人間を恐れるものだ ロビンが恐れているのは彼を憎んでいる人間だけだ バットマンはあらゆる悪人を憎む正義の味方だ あらゆる悪人を憎む正義の味方がいる 正義の味方はみなあらゆる悪人を憎む どの悪人もロビンに憎まれている どの悪人もだれかに憎まれている すべての人を憎むような人はすべての人から憎まれる Fxy : x は y を恐れる Hxy : x は Y を憎んでいる Rx : x は正義の味方である Bx : x は悪人である a : ノヾットマン b : ロビン [lnterpretation] [Domain] 人間