点がより大きくはっきりと顕わになってくることになる。 なんといっても先進国に住む人びとの生活を全世界の人びとがするためには、地球が二つあっ ても足らない、三つも四つも必要だというのだから。そして、中国やインドといった大人口を抱 かえた国が猛烈な勢いで経済発展しようとしているのだ。そういうことを考えると、とてもこれか る らの世界が調和するとは思えない。 あ これからの世界は、石油をはじめとする資源や食糧の価格が、少しずつじりじりと値上がりし 道 まわた き て、真綿で首を絞められるように人びとを苦しめるのかもしれない。そして弱い人びと、貧しい む 弓い人びとが脱落することによって、あるいは不況になる 人びとがまず脱落していくのだろう。 進 ことによって、市場価格は調整されていく。そういう世界では人はみな不安になり、焦燥に駆ら ど れて生き残ろうと突っ走ることになる。その苦しみは発展途上国に住む人びとのほうが大きいの 国 上だろう。 展そして、先進国に住むわれわれも、一人一人がハイウェイを、どこへ向かって走って行くのか ともわからずに、猛烈なスピードで突っ走ることを強いられている。生き残るために : 進 先 このようにわれわれを鞭打ち、駆り立てているのは科学技術である。われわれの上に君臨し、 くびき われわれに覆い被さり、われわれに重荷を負わせ、軛にかけるのは科学技術である。 科学技術社会でも、人びとは苛酷な戦いを強いられる。まず自分自身との戦いがある。自分を べ
近代は失敗したのではないか ? 私はひとつの疑いに囚われました。人類が科学と科学技術という道具を使 うことによって、人びとが幸福に生きる世界になるのではなく、人びとを苦 しめる世界になるのではないかと。かって人類は近代という時代に、大きな 夢と希望を託すことができました。しかし、その夢と希望は、無残にも打ち 砕かれてしまうことになるのではないでしようか。 近代社会、科学技術社会に対する疑いと批判を、ひとつの著作にまとめて みました。 風 谷 渉 近代社会は、人びとが生き残っていくために最大の努力を払わなければな らない社会になっていく。それでも人びとがそのように生きていて、この世 界が調和に向かっていくのならまだ良いのだろう。だが、現実は最悪である。 人びとは生き残るために最大の努力を払わなければならないように強制され ているが、そうやって人びとが生きていくと、この世界はますます不調和な 悪い世界になっていく。これは一体何なんだ、ということになる。 近代社会は足掻けば足掻くほど、努力すれば努力するほど、生きようとす れば生きようとするほど、ますます人間たちの首を絞めていくことになる。 まさに蟻地獄のような世界。そういう段階に、近代社会は入っていくことに なる。 ( 本文より )
近代という時代は、この世界にある問題を解決してきただけではなく、新たな問題を、それも 人間のカではどうにも解決できそうにない大きな問題を生み出してきた時代でもある。また、近 代は、人びとに解放をもたらしただけではなく、新たな抑圧、隷属、運命に翻弄される生活を生 み出した。 ゅ ここで産業 ( 工業 ) 社会がどういう新たな抑圧と隷属を人びとにもたらしたのか少し触れ、次 て しに資本主義市場経済の問題点を列挙して、どういう問題に人びとは苦しめられ続けることになる 判 批のか考えてみる。それを取り上げるのも、これからの時代も永遠に、産業社会や資本主義市場経 済済のもたらした問題に、人びとは苦しめられ続けることになるからだ。そこから逃れようとして 場も絶対に逃れることはできない。そしてこれは、近代という時代がもたらした新たな苦しみなの 主 本 こういった問題については私より O さんのほうが良くわかっているのだろう。だから、君が書 資 くべきことだが、まあ批判するなり付け加えるなりしてくれ。 社 業 産 産業社会の危険で苛酷な仕事と人びとの隷属 産業 ( 工業 ) 社会は人びとに豊かさと便利さをもたらす一方で、苛酷で危険な労働や人びとの 労苦を生んだ。 産業革命における工場労働の人たち。とりわけ子供や女性の酷使。石炭の爆発的需要による炭 月 9
価値観、近代人の心性 ( マンタリテ ) で生きている「私自身とは何か」を書いてゆきます。 下巻の内容紹介 下巻の目次は次のようになっています。 インテルメッツォ 前近代における価値観、心性 ( マンタリテ ) の大変化 人間とは何なのか ? 昔の人の「人間観」および思想を探ってみる 昔の人びとの心性 ( マンタリテ ) を探ってみる 最後の言葉たち 下巻では、前近代の人びとの価値観、前近代の人びとの心性 ( マンタリテ ) 、前近代の人びと に共有されているものの感じ方や思考様式について書いてゆきます。 まず、プラトンの描くソクラテスを取り上げます。ソクラテスとプラトンは極めて混乱した苦 300
それに、現在の世界にしても不調和ではないか。地獄のような世界で生きている人びとは世界 中に大勢いるではないか。貧困や飢餓や戦争 ( 内戦 ) や社会の混乱に苦しめられている人びとは、 世界中に大勢いるではないか。そしてその不調和が、人間の力によって改善されていくとは思わ れない こうした人間社会の原罪性、科学技術社会の原罪性と、世界で起きている犯罪やテロや戦争と、 どこまでつながりがあるのだろうか。世界にある貧困や飢餓や社会の混乱と、どこまで関係があ るのだろうか いずれ人間は、問題解決の方法として暴力を使うようになるのではないか ( * ) 。それとも貧 困者や負け組の人たちに、「おまえたちは絶望するならするがよい。けれどもおまえたちは静か に絶望すべきだ」 ( エンゲルス、『イギリスにおける労働者階級の状態』、前掲書、下巻、二一七 頁 ) とでもいうのだろうか。 科学技術社会の生み出した「原罪」。その罪の重さは先進国に住む人間、金持ちのほうが重く、 発展途上国に住む人間、貧しい人びとのほうが軽いのだろう。勤勉な人間のほうが重く、怠け者 のほうが軽いと私は思うが、どうだろうか * 企業も国も人びとも、プラック化してゆく。暴力や強制力、パワーハラスメントを使って 問題を解決しようとし、人びとを抑圧し苦しみを与えていく。そうしなければ生き残ってい
飢餓、病気で苦しめられている人びとは大勢いるが、将来はそういう人びとがもっと増えていく のかもしれない。先進国でも以前の豊かさから脱落して、貧しくなる人びとが大勢出てくるのか もしれない。現在でも先進国では失業や就職難、ワーキングプアや負け組の問題があり、中流か ら脱落してしまう人びとが多くいるが、これからはもっと増えていくことになるのではないか。 もちろん、修羅場になるのかもしれない。現在も修羅場のような世界で生きている人びとは大 勢いるだろう。しかしだからといって、すぐにでもこの世界が破局をするように思い、 今してい る仕事も投げ出してしまうというのは行き過ぎというものではないか 自給自足コミュニティー ・エコビレッジについて、近代人の確実なものを求める態度 「自給自足的なコミュニティー ・エコビレッジを作っていこうと考えている」とあるけれど、自 給自足ということは石油を使わないのだろうし、温室効果ガスも出さないし、そういう意味では 素晴らしいと思う。しかし、完全に自給自足することはできないだろう。それに、そういった生 き方をすることができるのは、あくまでも少数者・例外者であると思う。他の大多数の人たちは 都市に住み都市で働き、世界中を人・モノ・カネ・情報が行き交う世界に生き、相も変わらず石 油をはじめとする化石燃料資源を使い、温室効果ガスを出し続けて生きていくのさ。 O さんは完全で確実な問題の解決を考えているのかもしれないが、そんなことは不可能なこと だよ。
資本主義市場経済批判 盲目の意志 この経済は誰がコントロールしているのかわからない。 一人一人の人間の自分の幸福を追求す る態度、人びとの欲望、生きんとする意志、産まんとする意志といった本能。企業の生きんとす る意志、大きくなろうとする意志。これらの集積がこの経済を動かしているのだろう。これは人 類をどこに連れて行くのかわからない。 悪徳によって栄える この経済は人びとの悪徳によって栄える。 しやしぜいたく 一人一人の人間の欲望が、奢侈 ( 贅沢 ) が増えれば増えるほどこの経済は繁栄する。一人一人 の人間が有徳になり、節約し必要なもの以外は買わないようになると、この経済は停滞しさまざ まな問題を生み出す。不景気、失業、貧困化といった悪循環に陥ることになる。 だからこの経済は、我欲、浪費等の個人の悪徳が仕事、雇用を生み社会の繁栄に導くとしたマ ンドヴィル ( * ) の言うとおりのものである。人びとが有徳になると不景気になり、人びとは失 730
ら、そうしているのだろうが。それは何のためか ? 母なる地球を虐待するためか。地球をあり とあらゆる生物が住めない場所にするためか。子供を虐待し、殺すためであるのか。 君も苦しんで医学を学び、苦しんで医者の仕事をしているのだろう。それは何のためか ? 苦 しみの果てに豊かに実を結ぶのなら、苦しみにも意味があるだろう。しかしその苦しみの結果が 実を結ばずに、かえってすべてを枯らしてしまうことになるならば、何のために苦しむのだ。 そして、君は人を助けたいという。人に役立っ仕事がしたいという。しかし、人は助けられて、 罪を赦されて、また悪事を繰り返していくならば、一体何のために助けるのだ。 近代社会は、人びとが生き残っていくために最大の努力を払わなければならない社会になって刀 いく。それでも人びとがそのように生きていて、この世界が調和に向かっていくのならまだ良い のだろう。だが、現実は最悪である。人びとは生き残るために最大の努力を払わなければならな いように強制されているが、そうやって人びとが生きていくと、この世界はますます不調和な悪 い世界になっていく。これは一体何なんだ、ということになる。 近代社会は足掻けば足掻くほど、努力すれば努力するほど、生きようとすれば生きようとする ほど、ますます人間たちの首を絞めていくことになる。まさに蟻地獄のような世界。そういう段 階に、近代社会は入っていくことになる。
そして、産業社会が成熟してきた現代では、国家に匹敵するほどの経済規模を持つ大企業、多 国籍企業が現れてきた。これは怪物であり、利益の最大化を求めて活動していく。人びとの生活 をときに隷属化し、ときに破壊する。それは、ある人びとにとっては「悪魔のような支配者」 ( 工 ンゲルス ) と思わせるものだろう。冷戦が終わって、その横暴と傍若無人ぶり、弱肉強食と搾取、 ゅ労働者の酷使と使い捨ては際立ってきている。 て しやりたい放題のマネーゲームをする金融業者たち。アジアや中南米の搾取工場で製品を作る大 判 批プランド。食品関連の大ブランドは、農産物や畜産物といった食材のコストをできるだけ下げよ 済うと努力する。その結果、中小の農民や発展途上国の農民の貧困化を招き、場合によっては廃業 たど 場に追い込まれる。農業や畜産業は大規模化の一途を辿り、それは深刻な環境破壊や汚染を招いたた 義りする。そういった場で賃労働する人びとにとって労働する喜びなど何もない。そして自由貿易、 本自由市場経済は発展途上国の農業や産業を壊滅させたりもする ( * ) 。現代では近代化から取り 残される人びと、脱落してしまう人びとが大勢現れてくることになる。それから、この経済はと 社 きには大不況といった機能不全を起こしてしまう。先進国でも失業や就業できずに苦しんでいる 業 産 人が大勢出てくることになる。 自由主義経済への不信感は一九世紀に言われるようになったが、それは冷戦が終わった現在で も有効であり、説得力を持っている。
難の時代を生きなければなりませんでした。それで、人間が動物として持っているごく自然な感 清にも、否が突きつけられるような価値観が現れることになったのかもしれません。そこに、 の混乱と苦難の原因を見たのでしようか。ソクラテスは、当時のギリシア世界の人びとに共有さ れている常識に反するような価値観を提出しました。それを取り上げます。 そして、こういった価値観の逆転ともいえる現象は、ソクラテスだけにあるのではありません。 仏教やキリスト教といった宗教にもあると思われます。 次に、昔の人の「人間観」、思想を少し探ってみます。それは、近代のポジテイプな「人間観」 とは違うもの、まるで正反対ともいえるほどの違いがあります。それを紹介します。 そして最後に、昔の人びとの心性 ( マンタリテ ) 、昔の人びとに共有されているものの感じ方引 や思考様式を取り上げます。それは、近代人の心性 ( マンタリテ ) とは全く正反対とも思われる ものです。一つ一つの物事に対して、近代人と前近代人は、全く別の判断を下しているところが あります。それを皆さんに提出します。 こういうものを取り上げることによって、近代人の価値観・心性 ( マンタリテ ) と、前近代の 人びとのそれとはどのように違うのか、くつきりと浮かび上がらせようと試みました。 さて、皆さんはどちらが優れていると思われるでしようか。 近代は大変化、大激動の時代でありました。われわれの生活は前近代の生活とは大きく変わり