農耕 - みる会図書館


検索対象: 近代の失敗について : O氏への手紙一通目
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1. 近代の失敗について : O氏への手紙一通目

は饒かにみのりをもたらした。幸福な世を煩わす戦いの音も不和もなかった。よこしまな物 欲が勤勉で満ち足りた農民の血の中に毒液のような作用をすることもなかった。奴隷も財産 の私有も共に知られていなかった。万人がすべての物を共有していた。ところがこの善き神、 の 仁慈の王は突如として消え去ったのである。 る れ なぜこれを引用したのか。農耕という技術は最初のころは人間にとって「善い」ものだったろ 福 幸う。なんて素晴らしい技術を人間は獲得したのだ。人びとは豊かになり人口も増えたことだろう。 とこの善い技術を持ってすれば、人間たちは繁栄した素晴らしい世界を自らのカで実現することが 砒できる。人間は平和と調和した世界に永遠に生きることができる。 旧粁 農耕という技術は広い世界に普及した。 獲 を ところが、ある時からおかしくなり始めたのではないか。善き神、仁慈の王が、突如として消 術 技 え去ったとしか思えないような社会が到来したのではないか。 人口の過剰に悩まされ始めたのかもしれない。農耕に適した土地というものも限りがあるから。 新 驪蓄えられた食糧、富に対する、あるいは農耕可能な土地に対する争奪が行われるようになったの 人 かもしれない また、農耕が人びとの食糧生産の中心になると、農耕社会特有の問題も生まれてきたのだろう。 農作物の病虫害・鳥獣害、天候不順による不作。つまり、計画通り食糧生産が上げられない事態。 ノ 75

2. 近代の失敗について : O氏への手紙一通目

な社会に行き着くことになる。一昔前までの、科学が人間を解放し楽園に連れて行くという超楽 観的な世界観とは、まるで正反対の世界に行き着くことになると思っている。だから、これら古 代世界の苛酷な現実の証言は、未来世界の証言でもあるのだ。 農耕という技術を知った最初のころの人類は、この技術そのものに驚嘆の目を見張ったのかも しれない。しかし、世代を重ねると、その技術は日常のものとなり驚くこともなくなるだろう。 科学技術も、最初のころにその成果を目にした人たちは驚嘆の目を見張ったことだろう。その 驚きは、人間の価値観・世界観をも変革するものだった。その驚きが、啓蒙思想やマルクス主義 に代表される、近代の超楽観的進歩思想を生んだのだ。つい最近までは科学の驚異を目の当たり にすることができたのだ。しかし、現代の子供たちは、科学技術は日常ものであり、とくに驚くル こともないのだろう。 ( それどころか、この科学技術社会で、生きることに不安や非常なストレスと苦しみを感じてい る子供たちも多いのではないか ) 前近代の実質的な生産を担っていた下層の農民や奴隷、農奴といった人たちは、一つの土地や 一人の領主に一生縛り付けられ、そこで農産物を生産し続ける間は生きていくことが許されたの だろう。科学技術時代には、一人の人間は一つの専門や一つの企業に縛り付けられ、そこで有用 である間は生きていける。こうした人びとにとって、どうして技術そのものに感激することがあ

3. 近代の失敗について : O氏への手紙一通目

私は、 ( 私見だが ) 旧約聖書に書かれている知恵の実とは、農耕ではないかと思う。聖書の成 立年代からいってそうではないかと思う。この実 ( 農耕という技術 ) を食べなかったほうが良か ったのではないかと。 農耕という技術を知った人類も、最初のころはこんな良い技術はないと思ったのではないか。 この技術によって人間はどんなに幸福になれるだろうと。科学技術を知った最初のころの人類と 同じように ( 「知はカなり」と言ったフランシス・べーコンのように ) 。 農耕社会は苛酷な現実に行き着いた フレイザーの著作『金枝篇』 ( 永橋卓介訳、岩波文庫、一九六七年改版、第四巻、一九六頁 ) から引用しよう。農耕起源神話の一つだと思う。 ローマのサートウルナーリア祭。種播きと農耕の神サートウルヌス ( サトウルヌス ) の幸福な 治世を記念するもの。 サートウルヌスはイタリアの義にして仁慈の王として太古この地上に住んでいた者で、 知で分散していた民を山の上に引き上げて一緒に集め、彼等に農耕の術を教え、律法を与え、 これを平和のうちに統治したのである。彼の治世は「黄金時代」といわれた。すなわち大地 ノ 74

4. 近代の失敗について : O氏への手紙一通目

そして、当然のことながら、下下の一般庶民も重荷と苦しみを押し付けられる。苛酷な専制支 酉に服さなければならな、 最初は「善い」ものだと思われた農耕という技術は、人間をこのような現実に追い込んでいく。 の農耕社会にも「盲目の意志」が生まれ存在する。「盲目の意志」が社会を動かし、社会の形を作 れっていく。そして、その意志に人びとは隷属させられ操られ、翻弄されるようになる。この意志 が大帝国という怪物を生み出していく。しかし、大帝国が存在しなければ、農耕社会が安定した 倖秩序を保てなかったのも事実なのだろう。 農耕社会の苛酷さの証言 農耕社会は苛酷な専制支配の世界であり、また、ときとしてどうしようもないまでの乱世、混 を乱、無秩序状態に陥ることもあった。そして戦争によって滅ぼされた人びともあった。 そうした古代社会の苛酷な現実の証言を、いくつか引用してみよう。 驪苛酷な専制支配の現実について、 わたしはまた、日の下に行われるすべてのしえたげを見た。見よ、しえたげられる者の涙 を。彼らを慰める者はない。しえたげる者の手には権力がある。しかし彼らを慰める者はい しもじも ノ 77

5. 近代の失敗について : O氏への手紙一通目

るだろうか もう、技術そのものに驚嘆すること、感激すること。技術の力を信頼する時代は終わったと思 一つか、し J 一つたろ一つか の れ人類は農耕という技術を知ったために、古代ローマ帝国や、先に引用した言葉に描かれている ような道を歩まされなければならなかった。農耕社会は苛酷な社会に行き着いた。恒常的な戦争、 幸専制支配と身分制度、奴隷制、大多数を占める貧民、弱肉強食の世界。健康の面でも、労働の面 とでも、食糧採集民のほうが良かった面があると歴史書には書かれている ( * ) 。農耕社会という たシステムが人間の手を離れて自立し、今度は自立した農耕社会システムが人間を捕らえ、隷属さル 得 せ、生き残っていくために苛酷な生活を強いることになる。 獲 を 術 技 * 参考として、集英社『日本の歴史①日本史誕生』 ( 佐々木高明、一九九一年 ) から引 用しょ一つ。 新 北アメリカの北西海岸に住むインディアンたちは、「食糧の獲得とその貯蔵のための活動 類 人 が、月間の経済活動時間の過半 ( 六〇パーセント以上 ) を占めるのは、春の三月、四月、五 月と夏から秋にかけての八月と九月のみだということ」。「『食べるため』に一所懸命働くの は年間に四 5 五カ月程度にすぎない」 ( 一五一頁 )

6. 近代の失敗について : O氏への手紙一通目

略奪的方法 現代の科学技術社会は、一面では略奪的方法に頼っている。ありとあらゆる天然資源を一方的 に略奪することによって成り立っている側面がある。その最たるものが化石燃料資源だろう。一 方的に略奪できている間は、略奪できない状態よりも豊かであることは間違いない。しかし略奪 できなくなる時が来る。その時期は資源によって異なってくるのだろうが。 現代の豊かさは、化石燃料資源を大量に消費することで成り立っているところがある。だから それは一時的なバブルな豊かさではないのか ? 現代に生きる人間が豊かであること、幸福を追 求する権利が満たされること、そして人権が守られること。しかしそれは、未来の人間の犠牲の 上に成り立っているのではないのか。例えば石油にしろ石炭にしろ、極めて長い歳月の経過のす え、人間から見たら天文学的とも思える長い歳月の経過の間に形成されたものを、今のたった八 7 十年しか生きない人間の満足のために、幸福のために、生きるために使われるのだ ( ここにも 責任性があるのではないか ) 。 真の科学技術時代とは、この地球の資源を略奪できるものはすべて略奪し尽くした時から始ま るのだろう。現在の科学技術社会は、そういう意味ではまだ幼年時代であり、農耕でいえば略奪 農法の段階の一面を持っている。つまり焼き畑の段階ということであるが。あるいは、開拓可能 な土地がまだ存在する時代ということになるのだろうか。

7. 近代の失敗について : O氏への手紙一通目

そして、それによる飢饉。 歴史書を読んでみると、農耕が始まってしばらくして、人びとは争い戦ったことが書かれてい る。人びとは集落を作り、集落を囲むように濠が巡らされ、外壁を築いて、いっ攻めてくるかわ からない敵に備えた。農耕社会は終わることのない戦争状態の世界になっていった。 蓄えられた富や食糧、農耕可能な土地を巡る争奪が行われるようになり、戦争が始まる。戦争 に勝っための方法が追求され、組織の統治の方法や戦術、スケールメリットが求められる。強い ものが生き残るのだから。 戦士階級や祭司階級、統治者や官僚というものが生まれ、その特権階級による統治、つまり国 家というものが生まれたのだろう。群小の国家から、アッシリア、バビロニア、ベルシャ、エジ プト、ローマといった大帝国への道を歩むことになる。農耕という技術が大帝国という存在を生 み出したのだ。 現代の大企業、多国籍企業というものが怪物であるように、当時の大帝国というものも怪物だ。 大帝国という怪物を維持していくために、人間はあらゆる重荷を、苦しみを押し付けられること になる。それは第一人者、皇帝といえども例外ではない。 一人の皇帝の肩に重責がずしりと重く じようがんせいよ - っ たいそう のしかかる ( マルクス・アウレリウスの『自省録』や『貞観政要』に描かれている唐の太宗の 事績を見よ ) 。皇帝の義務を果たそうとしないで権力を濫用して自分の快楽に利用し、やりたい 放題する者は破滅する。非業の死を遂げる ( ネロやカリグラのように ) 。 ノ 76

8. 近代の失敗について : O氏への手紙一通目

ことだけが無条件に真理であるとすれば。つまり、人間にとっては生きるより死ぬほうが善 いということには、ほかのこととはちがって、あるとき、ある人には、といった制限がけっ してつかないとすれば。 ( プラトン、『パイドン』〔 62 〕『世界の名著 6 プラトン—』、田 の 中美知太郎編、池田美恵訳、中央公論社、一九六六年、四九九頁 ) る れ 古代社会は「生きるより死ぬほうがよい」と思わせるほど苛酷な世界であったのか。 福 幸 で 古代社会の一つの極点、ローマ帝国について 古代社会の帝国同士の覇権争いの勝者であるローマ帝国について、少し書こう。古代農耕社会 し 日付 が行き着いた一つの形であると思われるから。 獲 を ローマ帝国も、パクスローマーナ ( ローマの平和 ) と言っているが、その内実は苛酷なものだ 術 技 ったのだろう。大多数を占める下層民や奴隷が、実質的な生産を担っていたのだろうが、奴隷の 反乱も起こった。スパルタクスの反乱のときには、奴隷たちや下層の農民が多く集まったという くびき 驪ことだ。反抗することが可能であるのならば、その軛を放り出したかったのだろう。 人 ローマは、奴隷や下層民の反抗に対しては残虐な刑罰で臨んだ。イエス・キリストも科せられ た十字架刑というものも、現在では想像を絶する残酷な刑罰であったようだ。当時の政治家・哲 学者のキケロが、「最も怖るべき、最も屈辱的な責苦、最高の奴隷の刑罰」と言っているが、こ ノ 85

9. 近代の失敗について : O氏への手紙一通目

人類が新たな技術を獲得したことで幸福になれるのか ? の る れ狩猟採集生活から農耕社会へ、農耕社会から科学技術社会へ、その対比を試みる 私はこのように考えてしまう。科学を、科学技術を知ったことは、人類にとって本当に幸福な 幸のだろうか。長期的には人類にどうしようもない不幸、不調和をもたらすのではないかと。 近代の歩みは、人類が科学と科学技術を知ったことは、人類史上の画期的な、革命的な出来事 だったと思う。これは実生活の上でも、価値観・世界観の上でも人類に大変化をもたらした。人 し 旧付 類は新たな知、新たな技術、新たな力を獲得したのだ。このような大変化をもし比較するとした 獲 ら、かっての狩猟採集生活から人類が農耕という技術を発見したときの大転換と、比較しうるの 技ではないか。 第私は人類が新たな力を獲得したことが、そのまま人類に役立ち、人類を幸福にするのか疑問を この技術を持っ 驪持っている。最初のころはその技術の圧倒的な成果に驚嘆したのかもしれない。 人 てすれば人類は永遠の幸福に至ることができる、と思えたのかもしれない。しかし歳月が過ぎ、 最初のころの驚きも薄れ当たり前になってくると、ありがたみも薄れてくることだろう。そして、 歳月の経過はその新たな社会特有の問題、かっての社会にはなかった問題を生み出すのではない

10. 近代の失敗について : O氏への手紙一通目

人類はかって農耕という技術を獲得したが、それはそれ以前の狩猟採集生活の時代に比べて人 間は幸福になったのだろうか。たしかに農耕社会になることによってそれまでより人口は増え、 寿命も延びたのかもしれない。高度な文明を持つようになったのかもしれない。しかし、歴史書 を読んでみたり、残された昔の人びとの言葉を読んでみると、その社会は必ずしも幸福であった とはいえないような気がする。歴史書を読めば、そこには戦争、征服、略奪、殺し合い等々とい った残虐な事件に満ちている。またその社会は、苛酷な専制支配と身分制度、奴隷制、抑圧等々 うめ といったものが見られる。残された言葉には、不幸な、虐げられた人びとの呻き、嘆きといった ものが見られる。 べつに狩猟採集民の生活が楽園だとは思わないが、彼らの送った生活と農耕社会で生きた人び との生活とどちらが幸福なのだろうか。狩猟採集民の生活のほうがまだ良いのではないか、とい う疑問が湧き上がる ( もちろん私はそういった生活に戻ることはできないが ) 。 ひるがえって人類は近代になって、また新たな技術、科学技術を知った。この技術の圧倒的な 成果にも人類は驚嘆の目を見張ってきたことだろう。この技術を持ってすればありとあらゆる問 題は解決できる、人類は楽園に至ることができる、と思えたのかもしれない。私が子供のころ読 んだ本のように。 人類はそれまで苦しんできたこと、貧困、病気、自然災害、苦しい労働から解放され、運命に 772