近代社会 - みる会図書館


検索対象: 近代の失敗について : O氏への手紙一通目
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1. 近代の失敗について : O氏への手紙一通目

近代の、啓蒙の希望を語り、人びとを導いて行こうとした人たちは、結局、われわれを悪い世 界 ( 連れて行ったのだ。どうにも抜けることができない泥沼のようなところに。彼らは何も見え ていなかったし、悪い案内人だったのだ。それで、われわれは穴のなかに落ちてしまった。彼ら は自分たちの営みと努力で、この世界を善くしていける、次の世代に善い世界を残していけると る考えていたのだろうが、その結果は逆である。 でそして近代は、啓蒙は過去を断罪した。前近代の神々を葬り去った。その代わりに近代の希望、 学近代の問題解決の方法を置いた。しかし、近代の問題解決の方法では解決できない問題が現前と 叫してあり、また科学技術社会が新たなそういった問題を生んだとしたら、どうすればいいのか。 のそれは、近代の希望が力を持たなくなるということではないか。近代信仰が力を持たなくなる乃 たということではないか。私には力を持っていない 賢 の 代 O さんは、この世界は修羅場になると言う。救命ボートの建設が必要だと言う。生き延びるた 近 と言う。要するに、この世界は地獄になる、ということだろう。 O さ 前めの準備をしてください、 んは、この近代社会が、科学技術社会が、人びとをそういった世界に連れて行くと、今は考えて いるわけだ。私もそれに同意する。私も、この社会は将来、地獄 ( 修羅場 ) に行き着くことにな ると思っている。先に古代社会の苛酷さの証言を引用したが、これからの世界もそういった世界 に ( 別の形だろうが ) なっていってもおかしくないと私は考えている。

2. 近代の失敗について : O氏への手紙一通目

現代社会も、古代社会と同じように、頂点に立つものから下下の者まで苦しみを強いられるこ とになる。解放をもたらしたといわれている近代世界で、古代ローマの奴隷よりも苛酷な労働を ? 強いられている人は大勢いるのだろう。 のそしてこの社会も、「悪事の奥義を極めた者を尊び、盗人が富の所有者で、金持ちは略奪者と れなっていて、地は不正をなす者に委ねられている」世界なのかもしれない。手つ取り早く手段を 選ばずに、マネーゲームでも何でもやって、金 ( 富 ) を手にする人間が尊ばれ、義とされる社会 福 幸ではないか。金が金を生む世界ではないか。あるいは、この世界の正義のこととか調和のことと か、地球環境の問題や将来の資源の枯渇のこととか、未来の世代のこととか何も考えずに、この 世界に富・実利をもたらす者が尊重され、賞賛される世界ではないのか。 し そして、慎み深く弱い者、才覚のない者は搾取され、貧困がもたらされ、卑しめられるのだろ 獲 を 術 技 どこに厳しい労苦からの解放、貧困からの解放、運命に翻弄される生活からの解放があるだろ 新うか。どこに抑圧からの解放、隷属からの解放、不条理の克服があるだろうか。どこに正義と調 驪和の実現、自由・平等・友愛があるだろうか。ありはしないだろう。近代社会の、科学技術社会 人 の行き着く先はそういうところになる。農耕社会が終わりのない戦争の世界だったように、科学 技術社会も終わりのない戦いの世界である。 かって人類は、農耕という輝かしい技術を獲得したが、それは必ずしも人類の幸福と調和、福 かね しもじも 2 似

3. 近代の失敗について : O氏への手紙一通目

プロログ ていたのだから。 それで、彼のこの手紙に私は驚いてしまったのだ。彼はどうしてしまったのだろうかと。この 手紙はかっての彼が信じていた近代信仰に反するもののように思われた。彼はもはや近代に対す る信仰を失ってしまったのだろうか。科学技術社会が人類に調和と繁栄をもたらす、という信仰 を放棄してしまったのかと。 それに反して私のほうは、十代のころから科学技術社会の調和を信じていなかった。それで私 はこの手紙に鋭く反応したのだ。私にとってピークオイルの問題などわからないしどうでもよい しかし近代が、科学技術社会がいかに失敗した社会であるかを述べることができる、そういった 一機会があるのなら、これに飛びつかざるを得ないのだ。なぜなら科学技術社会のどうしようもなノ さ、失敗について、十代のころからずっと考えてきたからだ。このことを考えずにはおれなかっ たからだ。 そして、聞き手が頭の良い O 氏であるというのも、私にはうれしい、やりがいのあることだっ た。かって二人が若いときに、私が近代社会の問題点、失敗を語ろうとしても、彼はその強固な 近代信仰でもって私を撥ねつけてきたものだが、今なら彼も私の言うことに耳を傾けてくれるの ではなかろうかと。 私はこう考えた。一つ強烈なやつをぶちかまして、彼の近代信仰を根底から葬り去ってやろう と。この機会に私がこれまで考えてきた近代社会の失敗について、あらゆる面からありとあらゆ

4. 近代の失敗について : O氏への手紙一通目

* この手紙の背景について、少し説明しておこう。一九九〇年代後半には一バレル一〇—二 〇ドル程度だった石油価格は、二〇〇七年一月には五〇ドル台、この手紙を受け取った〇八 年三月には九〇ドル台の値を付けていた。そして、七月の一三〇ドル超えまで高くなってい く。一体どこまで高くなっていくのか、と思われた時期だった。 私はこの手紙を読んで、 O 氏はどうしてしまったのだろうか、と思わずにはおれなかった。そ れは、かっての彼にはふさわしくない内容であるように思われた。そして、彼はこれから一体何 をしようとしているのかと。 私と親しく交際していたころの O 氏は近代を信じていた。科学を信じ、科学技術の進歩発展を 信じ、未来を信じていた。また、人間の理性と人間の力を信じていた。政治による問題の解決を 信じ、近代社会の調和を信じていた。 そして、頭のいい人であり、自分自身を理性的にコントロールしてきた人にありがちなように、 資本主義市場経済の無秩序、無政府状態を嫌い、人間の理性によってコントロールされた生活、 経済活動を望んだ。 O 氏はノープレス・オプリージにふさわしいがゆえに、社会主義を信じたの だろう。われわれの世代 ( 一九六 x 年生まれ ) には、もはや社会主義思想が力を持たなくなって きていたのに、彼はそれを信じていたのだ。なぜなら彼は近代を信じ、人間の力を信じ、未来を 信じていたのだから。あらゆることを人間の理性によって確実にコントロールできることを信じ

5. 近代の失敗について : O氏への手紙一通目

に由来している。だから、科学と科学技術の限界、そして科学技術社会がもたらす問題点が明ら かになってくれば、こういった近代の希望もその力を失っていくだろう。 近代の限界、人間の限界、科学と科学技術の限界。そういったものが明らかになってくること によって近代のポジテイプな思想、近代の理想を掲げた価値観、近代の楽観的な世界観はすべて 力を失っていく。近代の理想主義、近代の倫理規範、近代の体系 ( 近代人が近代思想・近代的価 値観で作り上げてきた理念や、それに基づいて実践され形作られてきた社会の構造。例えば、啓 蒙主義思想によってフランス革命が実践され、フランス革命を契機として民主主義社会が形作ら れていく、といったこと ) はすべて崩壊していく。近代人が善かれと思って作り上げてきた世界 は、立ち行かなくなっていく。 近代信仰に対する疑い。近代信仰を否定することが私の仕事である。 まず最初に、科学と科学技術の限界、科学技術社会のもたらした問題点について、今まで書い てきた。これからは、今、引用した近代の希望の言説、啓蒙主義や社会主義といった近代のポジ テイプな思想は、これからの時代には全く通用しない、全く力を持たない、全く馬鹿げたもので あるということを明らかにしてゆきたい。そして、近代という時代が、近代の理想とはまるで正 反対の一面を持っていること、暴力や抑圧や隷属や残酷な出来事を生んだ時代であったことにも 少し触れよう。 システム 704

6. 近代の失敗について : O氏への手紙一通目

近代は失敗したのではないか ? 私はひとつの疑いに囚われました。人類が科学と科学技術という道具を使 うことによって、人びとが幸福に生きる世界になるのではなく、人びとを苦 しめる世界になるのではないかと。かって人類は近代という時代に、大きな 夢と希望を託すことができました。しかし、その夢と希望は、無残にも打ち 砕かれてしまうことになるのではないでしようか。 近代社会、科学技術社会に対する疑いと批判を、ひとつの著作にまとめて みました。 風 谷 渉 近代社会は、人びとが生き残っていくために最大の努力を払わなければな らない社会になっていく。それでも人びとがそのように生きていて、この世 界が調和に向かっていくのならまだ良いのだろう。だが、現実は最悪である。 人びとは生き残るために最大の努力を払わなければならないように強制され ているが、そうやって人びとが生きていくと、この世界はますます不調和な 悪い世界になっていく。これは一体何なんだ、ということになる。 近代社会は足掻けば足掻くほど、努力すれば努力するほど、生きようとす れば生きようとするほど、ますます人間たちの首を絞めていくことになる。 まさに蟻地獄のような世界。そういう段階に、近代社会は入っていくことに なる。 ( 本文より )

7. 近代の失敗について : O氏への手紙一通目

君にしても、近代が生み出したノープレス・オプリージに富んだ優れた人たちも、啓蒙主義者 たちも、社会主義者たちも、近代を信じ、近代の救済を信じていたのだろう。 それは一人一人の人権が満たされることであり、一人一人の幸福を追求する権利が満たされる ことではないか。すべての人がこの世で幸福になることを目指したのではないか。近代の希望、 近代の優れた人びとがしてきた努力とは、そういったものだろう。 近代は理想を語る思想が花開いた時代だった。啓蒙主義、社会主義、マルクス主義はそういっ 説た思想だ。理想とは、今の現実の世界に比べてより良い世界を描き、それを人間のカで実現させ のようとする思想だろう。そして、近代という時代は人びとの希望を掻き立てる要素のあった時代 希であり、人びとは未来の明るさを信じることができた時代だった。近代人は希望を語り、進歩を 代信じ、理想を語り、人間の力を信じ、未来を語り合った。そういった近代の希望の言説、啓蒙主 近 義者や社会主義者たちが語った近代の希望の言説を、いくつか引用紹介してみよう。 O さんもか ってはこういった言説を信じていただろう。 コンドルセ フランス革命の時代を生きた啓蒙主義者コンドルセは、人類が理性のカで合理的な社会技術を 作り上げようと努力してきたことによって、しだいに運命を効果的に制御できる能力を持つに至 ったと確信していた。人類は真理と幸福に向かって一歩一歩前進してきたのだと。

8. 近代の失敗について : O氏への手紙一通目

れに比べて現在では、かっての勢いが衰えてきたように思えるのだが ) 。 人間は自然の脅威と闘い、飢えと物の欠乏と病気と闘ってきた。人口の過剰にも悩まされてき たのだろう。そうした問題に科学が解決を与えてくれると思えたのだ。実際に圧倒的な成果があ ったのも事実だ。しかし、私は科学技術の万能を信じない。科学がこの世界にあるありとあらゆ る問題に解決を与えてくれるとは思わない。そして、人間の果てしない欲望に、科学が応え続け ることができるとは思わないし、応えないほうが良い欲望もあるだろう ( 老いるなんてたまらな 死ぬなんてたまらない、欲しいものはすべて欲しい * こういったたぐいの本が現在でもあるかどうか調べてみたが、案外見当たらない。かろう じて一冊見つけることができた。アイリック・ニュート著『未来のたねこれからの科学、 これからの人間』、 ( 猪苗代英徳訳 ) 日本放送出版協会、二〇〇一年 ( 原著は一九九九年 ) 。 この著者は一九六四年生まれということで、われわれと同世代である。ここでも科学の進歩 による未来の夢物語が語られている。まだこういった本があるんだな。 時代の大きなうねり、上昇から下降へ、信頼から疑惑へ O さんは「人類史上、文明論的転回点に今あると考えている」と書いているけれど、それは科 学技術社会、近代社会に対するかって人びとが抱いていた希望、信仰といったものが、打ち砕か

9. 近代の失敗について : O氏への手紙一通目

学技術社会で生きていくのだから、科学は必要であり、科学の勉強をし、科学技術の仕事をする ことになる。私が言いたかったのは、信仰としての科学信仰、科学技術社会を信頼すること、近 代思想、近代的価値観で生きていくことは終わっただろう、ということだ。 ( 科学に、近代に、近代の方法に希望を託す、託さないかは本人の自由だが、私は科学に、近代 に、近代の方法に希望を託さない、 ということだ ) われわれは、そして未来の人びとは、科学を勉強しなければならない。しかしそれは、強いら れてするのであって、希望を持ってするのではない。 希望、信頼、信仰というものは、別のところに求めなければならないだろう。 それはなんであるのか ? 地獄のような世界に生きつづける人びとが、見いだすことになるの だろう。その ( カイロス ) が来なければ、見いだすことはできないだろう。 追伸 科学技術社会の行く末 この社会の行く末については、誰も正確なところはわからないだろう。 科学と科学技術はどうなっていくのか。科学と科学技術はどこまで進歩し、何が実現でき、何 284

10. 近代の失敗について : O氏への手紙一通目

いうものだが ) で、この世の中には社会と人びとを富ませる労働と、逆に貧しくする労働がある と言っている。人間の生活必需品と便益品を生産する労働は富ませるものであるが、その一方で サービス業に属するものは貧しくすると言う。その一つの例として、社会は多くの召使いを抱え ることはできない、召使いの労働は社会を貧しくすると言う。 そのほかに貧しくする労働として、スミスは政治家や官吏、全陸海軍、聖職者、法律家、医師、 文筆家、俳優、音楽家、歌手、ダンサーなどを挙げている。これらの仕事が多くなり、大きくな ればなるほど社会は貧しくなると言っている ( アダム・スミスは小さな政府の信奉者でもあるの だろう。『諸国民の富』、第二編、第三章、参照 ) 。 ごらんのように、医師もその中に入っている。だからアダム・スミスは、医療が巨大なものに なると社会は貧しくなると言っているのだ。 近代は進歩を望んだが、その進歩が社会に問題を生むこともあるのではないか。ここにも近代 の成功と、その成功ゆえの失敗があるのではないか。 人道主義で進んできた近代医療、人を助け病気を克服し寿命を延ばそうと努力してきた近代医 療は、何かとんでもなくおかしなものに、怪物とでもいうべきものになってしまったのだ。病気 を克服すると言っておきながら、この巨大なものを維持していくためには病気が必要なのだ。そ の一方で、「老い」と「死」を受け入れられず生きることに執着する近代人は、この巨大なもの 230