おわりに まりそこからは、日本列島の先住民、ロ噛み酒をたしなむ南方モンゴロイドである縄文人 による、中国江南地方からの陸稲、ついで水稲、水稲耕作技術などの導入とともにロ噛み 酒の渡来がまずあり、それらの文化の上に、北方モンゴロイドである弥生人がもたらした 穀芽を用いた醴、餅麹を用いたカビ酒がわが国に入ったのではないたろうか、そして、ロ 噛み酒はいっしか日本列島の辺境に押しやられていったのであろうという図式が思い描か れるのである。 ところが、弥生人によって持ち込まれた新しい酒づくりの手法、すなわち餅麹を用いた カビ酒づくりは、なぜかわが国では発達せず、紀元一〇世紀頃には、現在見られるような 米。ハラ麹による酒づくりが行なわれるようになった。それはなにが原因しているのだろう カ 私たちは、この疑問に対して、稲籾を用いた芽米酒づくりが、麹菌汚染の芽米を用いた カビ酒、ついで、麹菌汚染の蒸米 ( 米バラ麹 ) の酒へと変遷したものと推理し、実際に芽 米酒の試醸により、この可能性を探ることができたのである。 また、全国の神社におけるしとぎの調査から、わが国でも餅麹を用いてのカビ酒づくり が存在したことを示す片鱗が得られた。
ン わが国でも、しとぎは昔から伝統的な神への供え物で チ あったが、おそらく、前章で述べたように中国の江南地方称 ルチト から、紀元前五世紀頃、呉、越などの非漢民族 ( 南方モンの名酒一ム・サイイ 麹の興ャレイ、プ ゴロイド ) が戦禍を逃れてわが国の北九州地区に数次にわ餅酒紹ジプアウタタ たって渡来したとき、稲作とともに、しとぎ、ロ噛み酒な 米 料 カ どの製法を伝授したのではないかと考えられる。このほ か、しとぎが古代に、中国から朝鮮経由でわが国にもたらけ 粉米ク米米米米米 おんちコちちちちち されたという説もある。 でもシももももも ア ジ ア 名麹 南 ア の 東 、餅葯ルギギパプギ用 しとぎから米餅麹へ、ーー中国・朝鮮の場合 方 米酒ムララルプラ併 地 と 南 江 方ア 粢 ( 餐 ) の文字が見出される最も古い記録は約三〇〇〇国 ンア餅 南ルネオピシ 年前に栄えた中国の周朝廟に捧げられた神饌品の中に出て 江一ドネリ一 ト域国パンルイイレ麹 表地中ネイボタフマ吠
るロ噛み酒がわが国の酒づくりの尖兵として入ってきたからだろうと考えられる。 また、しとぎで餅麹をつくっている神社が数社あるのは、おそらく、二—四世紀頃、朝 鮮からもたらされた餅麹を用いた酒づくりのなごりであろう。
まがり まがりもち 成形し、油や湯で加熱したものを環、または環餅といし 、もう一つ、生シトギの団子を 、それそれ男女の性器 扁平にし、二つにたたんでから油や湯で加熱したものをプトといし を意味し、人類の繁栄を祈願して奉納するといわれている。おそらく、生シトギ、焼きシ トギ、煮シトギ、マガリ、プトの順に近代化されたものと思われる。 一方、神酒は神の創造物と考えられている。先に述べたように、日本民族の第一層は南 方モンゴロイドの非漢民族である越や呉の江南人で、太古の神酒は彼らが愛好したしとぎ でつくったロ噛み酒であったにちがいない。 ロ噛み酒とは、人間がでん粉原料ーーたとえば米粉ーーーを噛んで、自分自身の唾液アミ ラーゼを利用してでん粉を糖分にかえ、生成された糖分を空気中から入ってきた酵母によ りエチルアルコールにかえて酒にしたもので、わが国では八世紀に著わされた『大隅国風 土記』に記載されたロ噛み酒が初見である。 ロ噛み酒は東南アジア、南北アメリカなど環太平洋地域に広く分布し、わが国へは漁労 文化をもった南方モンゴロイドの中国江南地方の非漢民族である越人により、稲作などと ともにロ噛み酒の技法がもたらされたものと思われる。
と考えられる。 さて、ここまで見てきたように、わが国では、中国におけるしとぎ、餅麹による醴、カ ビ酒製造法をうまく習熟した朝鮮 ( 高句麗、百済 ) からの渡来人により、紀元二—四世紀 頃、酒づくり法を習ったのであろう。しかし、その日本人がなぜ、餅麹による酒づくりを 導入したのにもかかわらす習熟せず、米バラ麹による酒づくりに入ったのであろうか。 その原因を追求するために、第 5 章では、芽米を用いて実際に酒をつくり、芽米によっ 麹て酒づくりが可能であることを示し、かっ芽米による醴酒づくりからカビ汚染芽米、つい る にでカビ汚染蒸米、すなわち、米。 ( ラ麹を用いた酒づくりへと変化していった可能性を示し 餅た。 章 米餅麹による酒づくりを行なった。また、前述のイ ここでは、米餅麹を実際につくり、 第 ンドネシアのくものす力ビと黄麹菌での醸造結果の比較からわかるように、米餅麹の場合 には、くものす力ビを使えば、品質のよいカビ酒ができることがわかる。しかしながら、 わが国には米餅麹づくりに適した微生物が少ない。そのため、良質の米餅麹づくりがむず かしく、むしろ、米バラ麹づくりに適した麹菌が日本には多い。このような理由から、米 ハラ麹によるカビ酒が日本に定着したのであろう。 141
このように古代からの酒づくりの変化をたどることができるような例は、わが国のほか の地域には見られない。 これも琉球弧に生活する人々が、今日まで民間祭祀を熱心に継承 とされてきた賜物であろう。 球 章 第 琉球弧における神酒のつくり方を詳しく調べると、しとぎ ( 米粉 ) を用いたロ噛みの酒 に始まり、ついには米汁にいたる変遷が古代から現代にいたるまでに起こっていることは 明らかである。
これまで見てきたように、しとぎは、おもに白米を水に浸して穀粒の組織を柔らかくし たものを木臼で粉砕 ( これを湿式粉砕という ) して米粉にし、それを固めたものであり、 古代から神饌として神に捧げられ、また、神酒として神前に供されるロ噛み酒の素材で あったことがわかる。 そこで、しとぎの地球規模での分布と、わが国での詳細な分布、さらに、しとぎからっ くられた古代酒の分布をみてみることにしよう。 第 4 章しとぎと神酒
古代にすたれた米餅麹の酒 第 5 章で触れたように、中国には古来より蘖 ( 芽米 ) による醴づくりと、餅麹を用いて の麹酒づくりがあり、この二つの酒づくりの方法は、朝鮮経由でわが国に紀元三世紀から 四世紀頃に伝わったのであろう。そのうち、蘗による酒づくりについては、古代の日本で は、蘖づくりから、カビ汚染蘖、ついでカビ汚染蒸米 ( 米バラ麹 ) への変遷が、紀元一〇 世紀頃までの間に起こったと推定し、実際に芽米を用いて酒を醸造する実験を行なってそ の可能性を示すことができた。 第 6 章餅麭による麭酒づくり ー 2 0
近年、考古学・民族学の分野を中心に、日本民族形成の流れがしだいに明らかにされつ つある。そこから導き出されつつある日本民族の二重構造を、私の専門分野である応用微 生物学の立場からながめたとき、わが国の民族固有のカビ酒ーー日本酒づくりがたどって きた変遷について、一つの示唆が与えられているようにも思えるのである。 この研究のそもそもの糸口は、糸引き納豆を食する文化と、プラスミドの大きさの比較 から得られた納豆菌の不思議な分布様式にあった。納豆づくりの起源は、稲の栽培と切っ ても切れない関係にある。したがって、納豆をともなう食文化の伝播は、当然ながら稲作 の伝播とともに行なわれたと考えられるのであるが、糸引き納豆を利用する食文化が日本 列島の北と南にかたよって存在することは、一つの傍証を与えているようにも思える。っ おわりにーー日本古代の酒づくりに思いを馳せて ー 66
話の天孫降臨説には日朝の間に多くの共通点があること、また、弥生人と朝鮮人とが骨格 的に共通していることなどから、このように若干とも口噛み酒受け入れ可能なツングース 系の人々が弥生人として紀元前四—二世紀頃、わが国に入ってきたのではないかと考えら れないだろうか。そうであれば、先住民の縄文人のロ噛み酒もあまり抵抗なく弥生人に受 け入れられたことであろう。一方、日本語の中にはインドネシアやインド南部など南方系 の言語が多く見られるが ( 大野晋、一九九四 ) 、これは南方由来の先住民である縄文人の言 語のなごりではなかろうか。 果汁や雑穀類などによる神酒 日本の酒の主流は、縄文晩期に大陸から稲作が伝来し、米の酒へと移行していったが、 それ以前は、おそらく山野でとれる果実や樹液などを数日間、貯蔵するだけで自然に発酵 させて酒をつくり、 神に供えたのではなかろうか。たとえば、長野県諏訪郡富士見町の縄 文中期の竪穴住居跡からヤマブドウの種子の入った有孔鍔付土器が見つかっていて、紀元