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検索対象: 日本酒の起源 : カビ・麹・酒の系譜
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1. 日本酒の起源 : カビ・麹・酒の系譜

南方から伝えられたロ噛み酒 紀元前五—四世紀頃、北方モンゴロイド ( 漢民族 ) の南下にともなって、江南地方から、 長頭、低身の縄文人の特徴をそなえた東南アジアの非漢民族 ( 南方モンゴロイド ) の越や 呉の難民が東シナ海を渡ってわが国、特に北九州地区に上陸し、稲作をもたらしたことは 神 すでに述べたが、彼らは華南の海岸地帯、浙江省、福建省、広西省、ベトナムにかけての の 古原住民で、半農半漁で生計をたて、入れ墨の風習をもち、古くから航海に通じていたとさ びん 章 れる。一方、山崎百治氏は『東亜発酵化学論攷』 ( 一九四五 ) の中で、閊 ( 現在の福建省 ) 、 第しんろう 眞臘 ( 現在のカンポジア ) の原住民にロ噛み酒をつくる風習があったことを報告している。 ちんじゅ また、三世紀の史家、陳寿 ( 二三三—二九七 ) があらわした『三国志』の「魏書 . 凍倭伝」 ( 魏志倭人伝 ) にある倭人の記事を見ると、入れ墨、貫頭衣などの越人の風習が倭人に受 けつがれていることがわかる。 それゆえ、渡来して来た越人から縄文人が焼畑農業による陸稲栽培、さらに、水稲栽培 技術のほかにロ噛み酒のつくり方も習ったのではないかと推察される。その結果、水稲栽

2. 日本酒の起源 : カビ・麹・酒の系譜

とも、アルコール濃度がうすいためか、明代 ( 紀元一四—一七世紀 ) には消失してしまい カビを生やした餅麹を用いた酒づくりだけが残されて現在にいたっている。 なお、餅麹でつくられた酒 ( 黄酒 ) については花井氏の著書『黄土に生まれた酒』 ( 東 方書店、一九九一 l) に詳しく紹介されている。それによると、餅麹の発生は黄河流域であ ると推定され、その地域におけるおもな栽培作物である小麦を原料にして餅麹がつくられ 起 そた。そこで見られる餅麹は、粗く砕いた小麦を用いた麦餅麹で、直径が一メートル近くも ある円盤状のものや煉瓦状のものなどがあり、大きいことから「大麹ーと呼ばれている。 の山東省から華北にかけては、小粒のキビを主原料にして、麹には麦餅麹を用い、北方型の ホワンチュー 各 黄酒がつくられている。 界 世 先に述べたように蘖による醴づくりと餅麹によるカビ酒づくりは、朝鮮半島経由で日本 章 に紀元三—四世紀頃、酒造技術者によって移入されたものと考えられる。 第 一方、中国南部、江南地方では、非漢民族 ( 南方モンゴロイド ) により口噛み酒がつく られていた。紀元前四〇〇—三〇〇年頃、彼らは漢民族 ( 北方モンゴロイド ) の南下にと もなって、難民として、日本に波状的に渡来して先住民と合流し、縄文人として、陸稲、 ついで水稲、水稲耕作技術を日本に導入した。そのとき、彼らの酒「ロ噛み酒」も沖縄経

3. 日本酒の起源 : カビ・麹・酒の系譜

る。最近、宮崎県えびの市の桑田遺跡では、縄文期の地層から、現在の日本で栽培されて いる温帯ジャポニカとは異なる熱帯ジャポニカの炭化米が出土しており、このことから、 北部九州に上陸した稲作とは別に、南方から「海上の道」を経由して渡来した稲作の存在 を認めようとする意見も出ている。前述の佐藤洋一郎氏は『稲のきた道』の中で、縄文人 渡が江南から熱帯ジャポ = 力、あるいは熱帯ジャポ = 力の遺伝子が組み込まれた温帯ジャポ 作ニカの陸稲を焼畑農業とともに日本へ移入したのではないかと述べ、その時代を縄文後期 としている。 立 成 の また、菜畑遺跡から出土した温帯ジャポニカの由来については次のように推定されてい 族 民 る。すなわち、紀元前五世紀頃、漢民族 ( 秦など北方モンゴロイド ) に追われた非漢民族 本 ( 江南の越など南方モンゴロイド ) が温帯ジャポニカ ( 水稲と陸稲の非分化株 ) と水稲栽培技 章 術をもって、九州の北部地区 ( 福岡市板付、唐津市菜畑など ) に上陸した。そして、先住の 第 縄文人 ( 南方モンゴロイド ) と一体となり、日本民族の第一層が形成された。 ついで、紀元前四ないし一世紀頃、大陸より朝鮮経由で寒冷地適応型の北方モンゴロイ トの体質をそなえた人々が、温帯ジャポニカ ( 水稲 ) と金属器具を用いた水稲農耕技術を 携えて、日本に移住してきた。彼らがいわゆる弥生人である。彼らは日本民族の二重構造

4. 日本酒の起源 : カビ・麹・酒の系譜

天津神はツングース系の人か 弥生人系の天津神である応神天皇が国栖人 ( 国津神ー縄文人系 ) のロ噛み酒を受け入れ たことから、ロ噛み酒受け入れの経路について、二つの可能性が考えられる。その一つは、 ロ噛み酒の風習をもっ南方モンゴロイド ( 江南人を含む ) が南朝鮮に上陸しているので ( 鳥越憲三郎、一九九一 l) 、その人たちが反転して、九州に上陸した可能性である。しかし、 古弥生人の骨格が南方モンゴロイド ( 江南人、縄文人 ) のそれと異なることから、この可能 章 性は否定される。それゆえ、天津神は中国、朝鮮から来た北方モンゴロイドに限られるの 第 であろう。一般に北方モンゴロイド系住民である漢民族にはロ噛み酒の風習は見られない。 しかし、古代、中国東北部にロ噛み酒の風習をもっツングース族の粛慎がいて、その血を 引く減族の高句麗、ツングース族とモンゴル族の混血によった扶余国、支配階級にツン グース族の血が混じっている百済などの国々が朝鮮半島にあった。 このように北方モンゴロイド系にも口噛み酒の風習が見られること、さらに、日本語と 朝鮮語が四〇〇〇—五〇〇〇年前に、アルタイ語から分派したと推定されること、建国神

5. 日本酒の起源 : カビ・麹・酒の系譜

日本の形態人類学者の多くは、化石の特徴を形態学的に比較して、沖縄の港川人は上洞 、このことが縄文人の南方起源説を支持する一つの根拠と 人より柳江人に似ているといし なっている。 ハリン ) や北海道を経由して北からも人類が渡 日本本土には、それとは別に、樺太 ( サ 来 来した形跡があるが、その人類の人骨も遺跡も今のところ発見されていない。 渡 の 作 一方、シベリアの。 ( イカル湖付近では、約二万—一万五〇〇〇年前に、寒冷地に適応し 稲 彼らは、約一万—五〇〇〇年前頃か た北方モンゴロイド ( 新モンゴ。イド ) が出現した。 , のら急速に拡大していったことが推定されている。その特徴は、多毛で、彫りが深く、筋肉 民 質な南方モンゴロイドとは違って、彼らは扁平な顔で、体毛が少なかった。また、寒冷地 本 で生き抜くために必要な技術、たとえば、狩猟に必要な細石刃の製作技術などを獲得し、 章 文化的にも進歩した人種であった。彼らは大陸で、在来の古モンゴロイドを駆逐していく 第 過程で原始的な農耕技術を獲得し、急速に東アジア全域に広がっていったようである。そ して、約二〇〇〇年前頃、ついに、日本にもやってきた。この北方モンゴロイドが弥生人 の原型となったといわれている。

6. 日本酒の起源 : カビ・麹・酒の系譜

がある佐賀県武雄市、佐賀市、秋田県男鹿市、青森県小泊村、福岡県八女市、鹿児島県串 木野市、和歌山県新宮市、三重県熊野市に一様に長粒系品種、または混合型品種の炭化米 が見出されていることを報告し ( 一九九八 ) 、徐福が中国大陸から東渡したことは中国古 代史では事実となっていて、日本における徐福伝説と稲の長粒系品種分布の一致が偶然の 渡一致であろうかと述べて、徐福の来日が史実であったたろうことを示唆している。 の 作 以上見てきたように、古代の日本列島には、南方に起源をもっ南方モンゴロイド ( 縄文 稲 人 ) が渡来し、そのあと朝鮮経由で北方モンゴロイド ( 弥生人 ) が渡来し、それそれの 立 の人々が、陸稲、水稲、水稲栽培技術を日本にもたらしたことが明らかにされつつある。 民 本 章 第

7. 日本酒の起源 : カビ・麹・酒の系譜

在しているのである。 一方、植物相に目をうっすと、寒冷期にあたる縄文早期の福井県鳥浜貝塚からは南方に 起源をもっヒョウタン、緑豆類などの栽培作物の種子がたくさん見つかっており、縄文人 が南方から南方的栽培植物や文化をともなって日本にやって来た可能性があると安田氏は 述べている。 作縄文海進期についで、縄文時代の後期、すなわち四〇〇〇—三〇〇〇年前になると、日 本列島はふたたび寒冷期を迎えた。当時のものと思われる植物質の遺物として、ソバが」 立 の海道から九州まで一様に出土することから、ソバの栽培技術、あるいは、畑作技術を持っ た人々が大陸からや 0 て来たことを示唆している。 一方、佐賀県唐津市の菜畑遺跡から見出された稲の花粉は、花粉分析の結果から、二八 章 〇〇年前 ( 縄文時代 ) のものとされており、同時に、そこからは畑の雑草の種子が出るこ 第 とからも、その頃までには、南方モンゴロイドによって、熱帯ジャポニカ ( 陸稲 ) が焼畑 農業とともにやって来たものと推察される ( 佐藤洋一郎、一九九一 l) 。さらに、その地層の 上部からは、稲の花粉と同時に水田雑草の種子が出土することから、時代が下がると、温 帯ジャポニカ、または、水陸未分化の熱帯ジャポニカによる水田稲作があったと考えられ

8. 日本酒の起源 : カビ・麹・酒の系譜

おわりに まりそこからは、日本列島の先住民、ロ噛み酒をたしなむ南方モンゴロイドである縄文人 による、中国江南地方からの陸稲、ついで水稲、水稲耕作技術などの導入とともにロ噛み 酒の渡来がまずあり、それらの文化の上に、北方モンゴロイドである弥生人がもたらした 穀芽を用いた醴、餅麹を用いたカビ酒がわが国に入ったのではないたろうか、そして、ロ 噛み酒はいっしか日本列島の辺境に押しやられていったのであろうという図式が思い描か れるのである。 ところが、弥生人によって持ち込まれた新しい酒づくりの手法、すなわち餅麹を用いた カビ酒づくりは、なぜかわが国では発達せず、紀元一〇世紀頃には、現在見られるような 米。ハラ麹による酒づくりが行なわれるようになった。それはなにが原因しているのだろう カ 私たちは、この疑問に対して、稲籾を用いた芽米酒づくりが、麹菌汚染の芽米を用いた カビ酒、ついで、麹菌汚染の蒸米 ( 米バラ麹 ) の酒へと変遷したものと推理し、実際に芽 米酒の試醸により、この可能性を探ることができたのである。 また、全国の神社におけるしとぎの調査から、わが国でも餅麹を用いてのカビ酒づくり が存在したことを示す片鱗が得られた。

9. 日本酒の起源 : カビ・麹・酒の系譜

話の天孫降臨説には日朝の間に多くの共通点があること、また、弥生人と朝鮮人とが骨格 的に共通していることなどから、このように若干とも口噛み酒受け入れ可能なツングース 系の人々が弥生人として紀元前四—二世紀頃、わが国に入ってきたのではないかと考えら れないだろうか。そうであれば、先住民の縄文人のロ噛み酒もあまり抵抗なく弥生人に受 け入れられたことであろう。一方、日本語の中にはインドネシアやインド南部など南方系 の言語が多く見られるが ( 大野晋、一九九四 ) 、これは南方由来の先住民である縄文人の言 語のなごりではなかろうか。 果汁や雑穀類などによる神酒 日本の酒の主流は、縄文晩期に大陸から稲作が伝来し、米の酒へと移行していったが、 それ以前は、おそらく山野でとれる果実や樹液などを数日間、貯蔵するだけで自然に発酵 させて酒をつくり、 神に供えたのではなかろうか。たとえば、長野県諏訪郡富士見町の縄 文中期の竪穴住居跡からヤマブドウの種子の入った有孔鍔付土器が見つかっていて、紀元

10. 日本酒の起源 : カビ・麹・酒の系譜

第 1 章日本民族の成立と稲作の渡来・ 縄文人と弥生人 稲作はい」こか、ら 第 2 章古代の神酒・ 神饌ーしとぎと神酒ー 南方から伝えられたロ噛み酒 風土記にみるロ噛み酒 神社にみるロ噛み酒のなごり 天津神はツングース系の人か 果汁や雑穀類などによる神酒