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検索対象: 日本酒の起源 : カビ・麹・酒の系譜
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1. 日本酒の起源 : カビ・麹・酒の系譜

天津神はツングース系の人か 弥生人系の天津神である応神天皇が国栖人 ( 国津神ー縄文人系 ) のロ噛み酒を受け入れ たことから、ロ噛み酒受け入れの経路について、二つの可能性が考えられる。その一つは、 ロ噛み酒の風習をもっ南方モンゴロイド ( 江南人を含む ) が南朝鮮に上陸しているので ( 鳥越憲三郎、一九九一 l) 、その人たちが反転して、九州に上陸した可能性である。しかし、 古弥生人の骨格が南方モンゴロイド ( 江南人、縄文人 ) のそれと異なることから、この可能 章 性は否定される。それゆえ、天津神は中国、朝鮮から来た北方モンゴロイドに限られるの 第 であろう。一般に北方モンゴロイド系住民である漢民族にはロ噛み酒の風習は見られない。 しかし、古代、中国東北部にロ噛み酒の風習をもっツングース族の粛慎がいて、その血を 引く減族の高句麗、ツングース族とモンゴル族の混血によった扶余国、支配階級にツン グース族の血が混じっている百済などの国々が朝鮮半島にあった。 このように北方モンゴロイド系にも口噛み酒の風習が見られること、さらに、日本語と 朝鮮語が四〇〇〇—五〇〇〇年前に、アルタイ語から分派したと推定されること、建国神

2. 日本酒の起源 : カビ・麹・酒の系譜

培技術とロ噛み酒の風習とが、沖縄、九州、本州、さらに北海道に伝播した可能性が考え られる。 また、ロ噛み酒の風習が、南は沖縄、九州の大隅地方に、北は北海道のアイヌの人々の 間にあったという記録もある。しかし、北方では沿海州からサハリン ( 樺太 ) を通り、 海道にロ噛み酒の風習が伝播された可能性も否定できない。たた、北海道で稲作が始めら れたのは明治時代になってから後のことであり、おそらく、ほかの穀類でロ噛み酒がつく られたのであろう。 先に述べたように、私たちの糸引き納豆の研究では、野生の納豆菌が太古より日本にい たことが考えられ、しかも糸引き納豆の消費が、北は東北地方から関東地方に、南は熊本 地方に局在するのも、糸引き納豆の起源を口噛み酒と同じように縄文人の食物に由来する と考えると、その分布のかたよりが納得されるのである。

3. 日本酒の起源 : カビ・麹・酒の系譜

ロ噛み酒から芽米酒、そして麹酒へ 崇神天皇の御代に大神の掌酒であった渡来人の活日についで、応神天皇に美味しい酒を 献げた須須許理も百済からの渡来人であり、仁徳天皇時代の酒人の兄曽曽保利、弟曽曽保 利 ( 一説には須須許理と同一人物 ) も渡来人であ 0 たことからして、皇室の祭祀用の酒は、 餅蘖 ( 芽米 ) を用いて醴をつくっていた可能性が高いのではないだろうか。 しかし、渡来人による醴酒づくりより以前の醴酒づくりを見てみると、たとえば、酒の 章 神社として知られる京都市の松尾大社のすぐ横にある井戸の水は「醴泉」と呼ばれ、 おおやまくいのかみ 第 「醴」に「ひとよざけ、の振りがながある。遠い昔、この社の祭神である大山咋神がこの 井戸水を用いて、一夜酒をつくったと伝えられ、これが神々に供された醴酒であるという。 ほなしのきょざけしとぎざけ また、古い伝統をもっ伊勢神宮外宮の火無浄酒・粢酒などは縄文人 ( 国津神 ) や弥生人 ( 天津神 ) によるロ噛み酒であった可能性が考えられることはすでに述べたとおりである。 特に火無浄酒の酒づくりでは少女たちが主役で、その父親が手助けすると伝えられ、少女 たちによるしとぎ ( 米粉 ) のロ噛みが推測される。 ー 07

4. 日本酒の起源 : カビ・麹・酒の系譜

と考えられる。 さて、ここまで見てきたように、わが国では、中国におけるしとぎ、餅麹による醴、カ ビ酒製造法をうまく習熟した朝鮮 ( 高句麗、百済 ) からの渡来人により、紀元二—四世紀 頃、酒づくり法を習ったのであろう。しかし、その日本人がなぜ、餅麹による酒づくりを 導入したのにもかかわらす習熟せず、米バラ麹による酒づくりに入ったのであろうか。 その原因を追求するために、第 5 章では、芽米を用いて実際に酒をつくり、芽米によっ 麹て酒づくりが可能であることを示し、かっ芽米による醴酒づくりからカビ汚染芽米、つい る にでカビ汚染蒸米、すなわち、米。 ( ラ麹を用いた酒づくりへと変化していった可能性を示し 餅た。 章 米餅麹による酒づくりを行なった。また、前述のイ ここでは、米餅麹を実際につくり、 第 ンドネシアのくものす力ビと黄麹菌での醸造結果の比較からわかるように、米餅麹の場合 には、くものす力ビを使えば、品質のよいカビ酒ができることがわかる。しかしながら、 わが国には米餅麹づくりに適した微生物が少ない。そのため、良質の米餅麹づくりがむず かしく、むしろ、米バラ麹づくりに適した麹菌が日本には多い。このような理由から、米 ハラ麹によるカビ酒が日本に定着したのであろう。 141

5. 日本酒の起源 : カビ・麹・酒の系譜

そこで、私は神社における酒づくりに日本の古代の酒づくりの原点が残されているので はないかと考え、特に、酒づくりの原料米、中でも米粉 ( しとぎ ) に注目することにした のである。それというのも、縄文人によるしとぎからのロ噛み酒づくり、弥生人によるし とぎからの米餅麹の製造と、それを用いての酒づくりという道筋が充分に考えられ得るか らであり、それらの可能性を探りながら、日本古代の酒づくりがどのようなものであった のかを考えてみたいのである。 た。ーと述べている。

6. 日本酒の起源 : カビ・麹・酒の系譜

ヒ工酒ができ、神前に供される。これは、米を用いての生シトギ酒に相当する。明治生ま れの古老の話によると、麹は部落によっては、熊本県球磨郡より購入したり、蒸した大麦 をミソキバ ( アオキの葉 ) に包んで麹にするとのことであった。奈良県吉野郡大塔村に住 む明治生まれの古老の話として、アワ・ヒ工のドプロクがつくられていたが、山の醸み酒 も古くはロ噛み酒の可能性があると推論している ( 野本寛一、一九八五・一九九六 ) 。

7. 日本酒の起源 : カビ・麹・酒の系譜

古代にすたれた米餅麹の酒 第 5 章で触れたように、中国には古来より蘖 ( 芽米 ) による醴づくりと、餅麹を用いて の麹酒づくりがあり、この二つの酒づくりの方法は、朝鮮経由でわが国に紀元三世紀から 四世紀頃に伝わったのであろう。そのうち、蘗による酒づくりについては、古代の日本で は、蘖づくりから、カビ汚染蘖、ついでカビ汚染蒸米 ( 米バラ麹 ) への変遷が、紀元一〇 世紀頃までの間に起こったと推定し、実際に芽米を用いて酒を醸造する実験を行なってそ の可能性を示すことができた。 第 6 章餅麭による麭酒づくり ー 2 0

8. 日本酒の起源 : カビ・麹・酒の系譜

俣氏のしとぎ調査では今のところ、東インドやネノ 。、、ールでは、その存在が知られておらす、 インドのアンドラ・プラデシュ ル・ナドウ州からスリランカ、ミャンマ ルネオ、台湾、中国南部、そして日本へと関連がありそうで、これは、海洋ルートでの伝 播の可能性を示唆している。 ル・ナドウ また、大野晋氏は『日本語の起源』 ( 一九九四 ) において、インドのタミー 丿の言語であるタミー ル語が文法的にも、語源的にもハ日本語や朝鮮語にも近いことを発 表しているが、このこととも関連し、興味深い。 しかしながら、東インドやブータンには餅麹を用いた酒があり、餅麹をつくるためには 生穀類からまず生シトギをつくるはずで、それらの地方でしとぎが神々の供物になってい るかどうかの調査も必要である。 中央アフリカに見出されたカビ酒 アフリカの酒づくりを見ると、ビール醸造の発祥の地メソボタミアおよびエジプトの影

9. 日本酒の起源 : カビ・麹・酒の系譜

ラーゼ剤である米粉または生甘蔗を加えて、一夜発酵させた後、飲用に供するという報告 がある。ただし、これについて平敷氏は、甘蔗 ( サトウキビ ) がアミラーゼを含んでいな いので、アミラーゼ活性の強い甘藷 ( サツマイモ ) の誤字であろうと指摘しており、その 可能性は大きい いずれにしても、沖永良部島から報告されているこの方法は、両諸島の中間的方法のよ うである。また、平敷氏が推察しているように、糖化剤に唾液アミラーゼのかわりに植物 性のものを使用する方法は琉球王朝時代に始まったものであろう。 このように唾液アミラーゼにかわる糖化剤が、さまざまに考案されるとともに、ロ噛み を用いる神酒づくりは昭和のはじめには姿を消した、と自らのロ噛み酒づくりの経験を手 記にされた宮城文さんは述べている。 古代の神酒であるロ噛み酒の調製に使用されている唾液アミラーゼにかわって、現在で は甘藷や大麦などの植物由来のものにアミラーゼ給源を求めた、琉球弧に生活する人々の 英知に感服するのであるが、一方では、どのようにして、このような発見、発明がなされ たのか、その経緯を知りたいものである。 ちなみに世界ではじめて発見された結晶のアミラーゼは甘藷 ( サツマイモ ) に含まれる

10. 日本酒の起源 : カビ・麹・酒の系譜

前三〇〇〇—二〇〇〇年の頃、ここに住んでいた縄文人は、この土器に山で採集したヤマ ブドウを入れ、貯蔵の間に発酵してできたと思われるワインを飲んだのだろう。また最近、 青森の縄文時代の遺跡である三内丸山遺跡からは、注ロ土器、ニワトコ、ヤマブドウ、さ らに発酵液につきやすいミ = バイが大量に出土していて、これらの遺物からも、果実でつ くられた酒が注ロ土器で飲まれた可能性が考えられている。 北海道にその例をさがすと、アイヌの人たちが、「 トーノト」と呼んでいる濁酒は植物 神 の浸出液、または果汁にシラカノ。 の 、 ( 、イタヤカエデの樹液からっくった酒を入れてできた 古もので、これもおそらく、古代からの伝統酒だろうといわれている。 章 さらに稲の渡来以前や稲の生育できない山間部では、アワやヒ工による酒づくりが行な 第 われたと思われる。たとえば、アイヌの人々のつくる「しと ( しとぎ ) 」はアワやキビの もち性の雑穀粒を主体にヒ工 ( うるち性 ) などを混合した餅で、それを神々にお供えする という ( 木俣美樹男他、一九八六 ) 。 また、静岡県磐田郡の青崩峠南麓の集落では、脱殻したヒ工の粉に水を加えて、ヒ工だ んご ( 生シトギ ) をつくり、 ハレの日に神供し、その後、焼いて食べた。また、ヒ工の粥 をつくり、麹を入れ、さらに、もろみに「抱き湯、 ( 暖気樽に相当 ) をすると、三—四日で