と考えられる。 さて、ここまで見てきたように、わが国では、中国におけるしとぎ、餅麹による醴、カ ビ酒製造法をうまく習熟した朝鮮 ( 高句麗、百済 ) からの渡来人により、紀元二—四世紀 頃、酒づくり法を習ったのであろう。しかし、その日本人がなぜ、餅麹による酒づくりを 導入したのにもかかわらす習熟せず、米バラ麹による酒づくりに入ったのであろうか。 その原因を追求するために、第 5 章では、芽米を用いて実際に酒をつくり、芽米によっ 麹て酒づくりが可能であることを示し、かっ芽米による醴酒づくりからカビ汚染芽米、つい る にでカビ汚染蒸米、すなわち、米。 ( ラ麹を用いた酒づくりへと変化していった可能性を示し 餅た。 章 米餅麹による酒づくりを行なった。また、前述のイ ここでは、米餅麹を実際につくり、 第 ンドネシアのくものす力ビと黄麹菌での醸造結果の比較からわかるように、米餅麹の場合 には、くものす力ビを使えば、品質のよいカビ酒ができることがわかる。しかしながら、 わが国には米餅麹づくりに適した微生物が少ない。そのため、良質の米餅麹づくりがむず かしく、むしろ、米バラ麹づくりに適した麹菌が日本には多い。このような理由から、米 ハラ麹によるカビ酒が日本に定着したのであろう。 141
第 5 章蘖と餅麭 中国における蘗と餅麭の歴史 古代朝鮮の酒づくり 芽米を用いて醴酒をつくる ロ噛み酒から芽米酒、そして麭酒 ~ 米バラ麭の誕生を追って 第 6 章餅麭による麭酒づくり・ 古代にすたれた米餅麭の酒 しとぎを用いて甘酒をつくる 日本の酒はなぜ米バラ麭を使うのか 120 120
その後の調査で、彼らはこの製法を三〇—四〇年前に、同じサ。 ( ンナ地帯に住むクス族 から習い、また、クス族の人たちも、もともとはトウモロコシを使って芽米酒をつくって ついで稲籾に いたが、約一〇〇年前に稲が伝えられた後に、稲を使っての芽米酒づく カビを生やしたカビ酒づくりを考え出したというのである。これは、私たちが提唱した日 本のカビ酒 ( 日本酒 ) における麹の変遷、つまり芽米、さらにカビの生えた芽米、ついで カビの生えた蒸米、すなわち、米バラ麹へと移行したという推察に、たいへんよく似てお り、この一致に驚かされるのである。 では、なぜ芽米から米バラ麹への変遷が起こったのであろうか。その原因としては、私 たちが先の実験で示したように、芽米は一般にアミラーゼ力が弱く、カビによる汚染を受 けた芽米のアミラーゼ力の方がより強いため、酒ができやすかったからだと考えている。 ロ噛み酒の本場、南アメリカのカビ酒 南アメリカのインディオは南方モンゴロイドの系の種族であるといわれているためか、
仕込んでいる。 この方式が日本における蒸米のバラ麹の源ではないかという考えが、加藤百一博士をは じめ多くの日本の研究者の見解である。 また、福建省を中心に、もち米を主原料にして、麹には紅麹菌による米バラ麹、さらに アミロ法でつくった米酒を酒母にしてつくる紅酒がある。 の そ また、江南地方には紅麹菌の繁殖を手助けするためか、蒸米にまず黒麹菌を繁殖させ、 その上から紅麹菌を繁殖させた烏衣紅曲を麹にした紅酒がある。 の伝統的な麦麹は小麦の全粒ないし粗割砕粒を稲わらのっとにくるんで製麹するので、草 包麦麹と呼ばれている。 世 古代、江南地方には非漢民族によるロ噛み酒づくりがあったが、漢民族の江南地方への 章 南下とともに、彼らがもたらしたカビ酒によって、ロ噛み酒はしだいに淘汰された。すな 第 わち、米粉 ( しとぎ ) を口噛みしてつくる酒から、米粉 ( しとぎ ) にカビを生やしてつく る酒にかわってきたことになる。 アンチュー 149
おわりに まりそこからは、日本列島の先住民、ロ噛み酒をたしなむ南方モンゴロイドである縄文人 による、中国江南地方からの陸稲、ついで水稲、水稲耕作技術などの導入とともにロ噛み 酒の渡来がまずあり、それらの文化の上に、北方モンゴロイドである弥生人がもたらした 穀芽を用いた醴、餅麹を用いたカビ酒がわが国に入ったのではないたろうか、そして、ロ 噛み酒はいっしか日本列島の辺境に押しやられていったのであろうという図式が思い描か れるのである。 ところが、弥生人によって持ち込まれた新しい酒づくりの手法、すなわち餅麹を用いた カビ酒づくりは、なぜかわが国では発達せず、紀元一〇世紀頃には、現在見られるような 米。ハラ麹による酒づくりが行なわれるようになった。それはなにが原因しているのだろう カ 私たちは、この疑問に対して、稲籾を用いた芽米酒づくりが、麹菌汚染の芽米を用いた カビ酒、ついで、麹菌汚染の蒸米 ( 米バラ麹 ) の酒へと変遷したものと推理し、実際に芽 米酒の試醸により、この可能性を探ることができたのである。 また、全国の神社におけるしとぎの調査から、わが国でも餅麹を用いてのカビ酒づくり が存在したことを示す片鱗が得られた。
蘖 ( げつ ) による醴づく 醴酒 ( こざけ ) , 〃 穀芽を用いた醴ー 穀芽酒去 169 麹を使用する神酒づくり 麹酒 89 , 9 。卩 46 麹菌。 麹 89 , 90 卩れ , 46 毛カビア 2 , リ 9 蘖 ( げつ ) , - “ 9 卩 46 の一 64 り 8 索 ー 20 ー 122 引 9 卩 しとぎからのロ噛み酒 24 , , 76- 〃 , 9 49 しとぎからの麹づくりリ 9 しとぎからの米餅麹 24 , , 69 , しとぎからのバラ麹によるカビ酒づく りリ 4 ーリ 6 しとぎからの神酒づくり刀ー 88 しとぎからの餅麹によるカビ酒づくり 古代朝鮮の酒づくり 92 古代の神酒づ。 小麦の起源 99 小麦麹 48 小麦餅麹ア。 , 巧。卩 米麹による酒づくり 22 , 米 / くラ麹 ( 米散麹 ) , 49 ー 94 32 , 48 米ラ麹による酒づくり一四 , 米ラ麹による甘酒巧ー 米もち麹 ( 米餅麹 ) 12 去 48 , 巧 2 , 巧 8 米餅麹の酒。 - ) , 混成酒丿 【サ行】 研 , 戸フ 2 , 82 , リ 4 ーリ 6 卩 68 粢酒 , 107 しとぎの調製法 6 しとぎの分布ー 88 酒母ーれ 酒葯 48 小麹 ( しようきよく ) 紹興酒 8 醸造酒 43 ー 上棟式の撒餅 8 / 縄文人と弥生人の二重構造 縄文人の南方起源説 2 / 蒸留酒 43 白麹菌の米ノくラ麹 神饌づ 6 , 刀 , 巧 9 水稲尹 , 32 卩 水陸未分化の熱帯ジャポニカ 2 2 / 29 ザイモモナス・サッカロフィラ サッカロミコプシス属 72 , 巧 3 - ナッカロミセス・セレビジェ巧 須須許理ち , ァ ストレプトコッカス属 巧 6 スラ ソテッ味噌の麹づくり 大豆の起源ヮ 大麹 ( だいきよく ) 【夕行】 109 しと 49 , , 巧 9 しとぎづ 6 , 66 ー 88 卩 24 しとぎからの甘酒づくり しとぎからのカビ酒づく り 129 ーリ 6 ,
古代にすたれた米餅麹の酒 第 5 章で触れたように、中国には古来より蘖 ( 芽米 ) による醴づくりと、餅麹を用いて の麹酒づくりがあり、この二つの酒づくりの方法は、朝鮮経由でわが国に紀元三世紀から 四世紀頃に伝わったのであろう。そのうち、蘗による酒づくりについては、古代の日本で は、蘖づくりから、カビ汚染蘖、ついでカビ汚染蒸米 ( 米バラ麹 ) への変遷が、紀元一〇 世紀頃までの間に起こったと推定し、実際に芽米を用いて酒を醸造する実験を行なってそ の可能性を示すことができた。 第 6 章餅麭による麭酒づくり ー 2 0
表から明らかなように、エタノールの生成量はグリコアミラーゼ製剤を用いた場合がい ちばん多かったが、きき酒の結果は、Ⅱの籾に黄麹菌を接種してつくったカビ汚染の芽米 粉を糖化剤にした場合がもっとも酒らしい酒質を示し、それにつぐのが—の芽米粉であり、 蒸米に黄麹菌を接種してつくった米。 ( ラ麹を使用した酒が、三者のうちでは若干、苦みが あり、味、香りともに劣っていたのは意外であった。これは、少容量実験の影響が大きく 響いたためではなかろうか。しかし、糖化剤としては、芽米よりは米バラ麹の方が大量生 産に適しているのは明らかで、そのことも芽米から米バラ麹への変遷をうながす一因と なったものと思われる。 以上のように、中国には四〇〇〇—三〇〇〇年前の商の時代から蘖 ( 穀芽 ) を使用した 醴と、餅麹を使用した麹酒があって、漢や呉による朝鮮半島への侵入、植民地政策により、 これらの酒づくりが朝鮮に入り、高句麗、新羅、百済では、中国に勝るとも劣らぬ酒、醴 がつくられるようになったのであろう。ついで、崇神天皇ー応神天皇の御代、朝鮮から、 活日らの渡来人により蘖による醴、餅麹による穀酒づくりが日本に渡来したものと私は推 理している。 ロ 8
由で日本に入ってきたものであろう。 一方、約二四〇〇年前、会稽 ( 現在の浙江省紹興市 ) に都をおいていた越国の宮廷には 漢民族にならったカビ酒があり、道士徐福が秦の始皇帝の命で、不老長寿の薬を求め、 三〇〇〇人の配下とともに来日したとすゑいわゆる徐福伝説が事実であれば、餅麹を用 いたカビ酒が彼らによって日本に導入された可能性が考えられ、これは、江南から米麹利 用の酒づくりが入ってきたとする加藤百一博士の説にとって、有力な証拠となるだろう。 さて、南下してきた漢民族により麦餅麹を用いた酒づくり技術が江南地方に導入された が、江南地方は稲作地帯であるため、主原料にはキビのかわりにもち米が、麹には小麦麹 のほか、米粉をかためた米餅麹、ときにはそれに植物の粉末、あるいは搾汁を加えた草麹 ( 別名、酒葯 ) を用いた。この餅麹は、直径が二—三センチの銭型であることから「小 麹ーともいわれ、東南アジアのカビ酒づくりに広く利用されている。この起源は、おそら く、中国の米餅麹を用いた酒づくりが東南アジアに伝播したものであろう。 江南地方産の有名な紹興酒はもち米を主原料に、昔とは少しちがって、現在は酒母用麹 には、稲田の畦に野生するヤナギタデの茎を乾燥した粉と米粉、または玄米粉でつくった 酒葯 ( 米餅麹 ) を使用し、もろみの仕込みには蒸小麦に黄麹菌を生やしたバラ麹を用いて 48
穀芽は用いない ( 注【この場合は、女の人の唾液アミラーゼが糖化剤となっている ) 。た くさん飲むとほのかに酔う。 この記録から察すると、与那国島のロ噛み酒が朝鮮ではめずらしく、朝鮮での当時の酒、 すなわち麹 ( 餅麹 ) や蘖 ( 穀芽 ) を糖化剤とした酒が与那国島では見られなかったことが わかる。また、沖縄本島などには朝鮮の酒に似たものがあったと報告している。明の陳継 みき 儒も『偃曝談餘』の中で、琉球にロ噛み酒があることを紹介し、「米奇」というと述べて いる。朝鮮における餅麹や蘖を糖化剤にした酒づくりの起源については、次の章で詳しく 述べることにする。 さらに、一七一三年に琉球王府が編纂した『琉球国由来記』の「神酒の項、にも、 其制、米粉熨、以」水漬」米、令下婦女ロ嚼中所」熨米粉上、手搓交、制二其醇一用。或 不レ噛、有二以麹造一。以二米・粟・稷・麦一制レ之。 ) 一方では、水に漬けた米を婦女にロ ( 大意 ) 神酒の製法は米粉を煮て ( 粥をつくり 噛みさせ、それを煮た米粉に入れて手でよく混ぜ、醇 ( うすざけ ) をつくって用いた。 あるいは、ロ噛み法を用いず、麹で酒をつくることがある。 ( でん粉質原料として ) きび 米・粟・稷・麦で神酒をつくる。 げつ