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検索対象: 天声人語にみる戦後50年 上
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1. 天声人語にみる戦後50年 上

救護にも積極的措置を求められているのを警官も一般の人もいくらか取り違えているのではない それにしても釜ヶ崎の騒ぎはただごとでない。い わゆる " 吹きだまり〃の底辺で、平素わだか まっている欲求不満のうつぶんが、ちょっとしたはすみに爆発するのだろうが、二日目の群衆は 一万人にも達したという。警察への放火が民家にまで燃え移り、南海電車も止まる事態になると は、まったく無警察状態である。それというのも、署のまん前でバトカーや鑑識車が焼かれるの に、署内から一人の警官もあらわれぬという " 大阪警察。の無気力が暴徒になめられたのではな いか。スラム街解消には内科的な根本策が必要だが、ます警察にきりつとした筋金を望みたい。 柏鵬両横綱 大鵬、柏戸が抱き合わせで横綱に昇進した。横綱審議会もかなり点を甘くしたようで、ことに 柏戸の場合は " ゴッツアン横綱。の感がなくもない。「柏鵬時代」という名前がよいので、世間 のムードに対しても、切り離せなかったのだろう。二人の横綱実現については二通りの受け取り 方があるようだ。相撲評論家などの玄人筋と、世間一般のファンとである。前者は点数がからく、 後者は甘い。 新聞に出ている評論や解説では大体評判がわるい。たとえば、取り口が二人とも不安定で、相 撲内容がよくない。 ことに審議会が「二場所連続優勝に準ずる成績」という規定を拡大解釈して、

2. 天声人語にみる戦後50年 上

が、一年早く戦争が終われば三十万、五十万の人命が救われるとして製造を決意する場面がある。 これは一つの原爆哲学でもある。しかし第三発目の爆発はそれだけでは終わらない。無数の原 爆への政治的連鎖反応を誘発して第三次世界大戦に突入する危険がある。「原爆使用せず」とい うトルーマン大統領の真意は、最後の瞬間まで平和を見捨てないところにあるのだろう。 第二国歌 国歌、君が代を歌うべきかどうかの議論が、お正月を前にしてまた盛んになって来た。この賛 否両論は日本が完全な独立の姿を取りもどすまで繰り返されることだろう。辰野隆氏は「一番を 、日野草城氏や宮 君が代は、二番を民が代は」で歌えば象徴と民主との両建てでよかろうといし 沢俊義氏は「日の本は千代に八千代に」としたらどうだといっている。俳人山口誓子氏は、『古 今集』の「わが君は」なら天皇への賀歌として、天皇誕生日に歌うもよいが、『朗詠集』の「君 が代は」では天皇統治への祝歌で、新しい日本の国歌としては不可だといっている。 それぞれ面白い見解だが、歌詞だけの部分的改作では、今日の君が代問題への回答にはならな 。さりとて新国歌の制定といっても、今の日本に優れた歌詞作曲が生まれるとも思われぬし、 官製の国歌や懸賞募集の当選国歌を国民が歌うとも考えられぬ。新国歌が生まれるとすれば、そ れは自然発生の過程をとって国民の間に盛り上がって成るものであろう。天野文相が「君が代を 廃止しない」というのは一つの見識だが、「新しい国歌を作る場合は第二国歌にすればよい」と

3. 天声人語にみる戦後50年 上

三ナイ主義 * 幻 近ごろ、若い人たちのよく使う一一 = ロ葉に「ナイ」のついたものが三つある。「気ニシナイ」「関係 ナイ」「興味ナイ」と″ナイづくし〃だが、ある学生の説明によると、見ザル、言ワザル、聞カ さんえん ザルの旧三猿主義と違って、受け身オンリーの閉鎖的姿勢ではなく、主体性にもとづく拒否、と ある。 何か失敗をやったとき、うまくゆかぬとき、けろりとして「キニシナイ・キニシナイ」という。 友人の失敗、失意をなぐさめる場合も「ナアニ、キニシナイ・キニシナイ」、軽くいう。試験の 出来が悪くても、失恋した場合でも″キニシナイ〃をとなえるが、この呪文はなかなか効能があ る。 なんといわれても気にしないことは、精神衛生からもよろし い。だいたい日本人のおとなは、 感性がデリケートすぎ、他人の思惑をすこぶる気にし、ちょっとした言葉にも傷つきやすい。人 和間関係のむずかしさを思い悩んでノイローゼ気味になったりするが、くよくよするのはやめて ″キニシナイ〃方が得だろう。たとえば政治家諸氏のごとく。 年 「関係ナイ」。この文句も突っ放してさつばりすること妙である。社会でも職場でもややこしす ぎる関係がはなはだ多い。つきあいでさえも複雑怪奇な関係がっきまとうが、いちいちそれを顧 慮して、あちらにもこちらにも、悪くいわれないようにそっなくすます″生活の知恵〃なるもの

4. 天声人語にみる戦後50年 上

と述べている。しかし国民としても目先の安楽だけを追っていては、昭和初年の水準まではとて もこぎつけないだろう。 * 00 ・ 各国寿命経 ドレーパー陸軍次官を羽田飛行場に迎えたマッカーサー元帥の写真を見た人は、その若々しさ に目をみはったであろう。元帥は日本流にいって六十九歳だが、日本人の七十歳前後の老人とい った感じは全く見られない。 アメリカ人はいったいに非常に若々しい。カリフォルニア辺りにいる日本人でも、七十歳ぐら いの人が赤いネクタイをして自動車を自分でドライプしている。アメリカの太陽は若いのかも知 しではら れない。日本の老人でも幣原氏などは七十七歳で火の気なしで暮らしているというから元気なも のだ。 各国の平均寿命をみると日本人男四六・九二 ( 女四九・六三 ) 、米国五九・一二 ( 女六二・六 年 ・二二 ( 六五・三三 ) である。米人の場合これは一九二九ー三一年の平 七 ) 、スウェーデン六三 昭 均で、十年後の一九三九ー四一年の調査によると男六二・ ノ一、女六七・二九歳に大幅に寿命が 年 のびている。 日本の場合はどうか。死亡率は戦前の最低線昭和十三ー十七年の一六・五〇よりも下回って昨 年度は一五・四三に減少している。一歳未満の乳幼児の死亡も減っているが、これは死亡率の高か

5. 天声人語にみる戦後50年 上

庭まで巻きこんでいる。 南方諸国から来たバイヤーは輸入したがっているそうだが、箱は出せても玉は鉄なので輸出す るわけにいかぬのが悩み。この玉が全国どこにも通用するのだから一種の通貨みたいになってい るわけで、日銀の手の届かぬ二円硬貨の感がある。 電車待つまの暇つぶしや一時の気晴らしくらいがよいとこで、勉強盛り、働き盛りの人間が、 何の生産にもならぬことに国を挙げて昼夜を問わずガチャンガチャンと時間と金とを慢性的に費 消しているのは、どう見ても国家興隆の前兆とは思えぬ。わびしい国民風景である。 筆をサヤに納めるなかれ * 7 ・ 5 あれほど広範囲に強い世論の反対があったのに、破壊活動防止法はついに成立した。ここにも 現在の国会勢力分布が、国民の心持ちを真に代表しているかどうかを疑わしめるものがある。法 律として決まってしまえば、これに従うのが法治国の建前である。悪法として廃止するにしても、 また根本的改正を加えるにしても、来るべき総選挙でそれにふさわしい政権を選ぶよりほかない。 そうするのが議会主義の建前である。 世論はむだだったようにも見えるが、そうではない。すらすらと通過成立させた場合と、あれ だけの反対と警告を尽くした場合とでは、今後の運用の上で相当の開きがある。プレーキはかな 一部の知識人では「もうこ り強くかかっているはずだ。世論の監視はここで第二段階に入った。

6. 天声人語にみる戦後50年 上

な意見の交換が行われたそうだが、「いくら芸術作品でも性的に露骨な描写をしていれば高等な、、、ーー \ 、、 判断力のない者は春本と同一視するものであり、チャタレーは何人も試み得なかった大胆な愛欲 描写である」という見解は変えていない。 裁判所の判決が有罪になるか無罪になるかはわからないが、どちらにころんでも困った問題が 予測されるところに、この裁判の重大性がある。無罪になれば、文芸作品でない純然たるワイセ ッ文書まで取り締まりがむつかしくなりそうだし、有罪になった場合には、広く文芸作品一般を もワイセッ罪の取り締まり対象とする判例視される危険がある。 ことに訳者が共犯とされた点に今後の色々な問題がふくまれている。ローレンスの陸道徳に関 する考え方なり思想なりを、わが国にもまじめに紹介するに価すると思って為した仕事が、破廉 恥の罪としてそこらのワイセッ漢と同列に扱われるところに、文芸思想の上で見のがせない侮辱 がある。パン・デ・ベルデのように医学的に扱われた場合は構わないが、思想上の表現をとった 時には犯罪視されるということは、今後の文学活動や思想の成長に大きなプレーキをかけられる 危険が十分にあるのだ。 和それらの意味でチャタレー問題に公訴を提起したこと自体が、文化的には不幸な出来事であっ た。職務柄とはいえ検事の豪語も心なし空しい響きをもつ。判決はいずれにせよ、その結果をあ 年 まり広範囲に適用してもって回られたくはないのである。 115

7. 天声人語にみる戦後50年 上

科辞典でもある。収載した語は二十万を超え、ゆきとどいた説明がつけられている。 ″わからぬときは、ます新村博士に聞け〃と『広辞苑』をひらく人は多い。筆者も毎日のように お世話になっている。きのうもこの欄でユニバ ーシアード東京大会について書いているうち、 「ドタン場」は正しくは「ドダン場」ではあるまいかと、ふと迷った。そこで新村先生に″聞、 て〃みた。 「広辞苑』をひくと「土壇」はどだんと読み、①土で築いた壇、②特に、斬罪を執行するために 築いた壇、とある。そして「土壇場」はどたんばと読み、①斬罪の刑場、しおきば、②せつばっ まった場合、進退きわまった場合、と書かれている。これを読むと日ごろなにげなく使っている 言葉の出典や意味がはっきりしてくる。 結婚祝いに『広辞苑』をおくられた人がいて、便利でためになると喜んでいた。テレビが家の 中の映画館なら、この辞典はさしずめ " 小さな図書館。ともいえよう。『広辞苑』の末尾に新村 博士は後記を書き、苦心の一端を述べ、専門項目について執筆、修訂を委ねた主な人々の名をつ らねているが、巻頭の自序にも後記にも「四恩」という一言葉が出てくる。 四恩とは これも『広辞苑』をひけば、仏教の語で、衆生がこの世でうける四種の恩で、天 地 ( または三宝 ) ・国王・父母・衆生の恩とある。四恩に感謝しつつ新村博士は九十歳の生涯を 終わった。昭和の文化遺産ともいうべき『広辞苑』をひきつつ浮かぶのは、この辞書の与えてく ( 6 ・ 8 ・ 没歳 ) れる恩恵もまた、四恩の中の衆生の恩か、という思いである。

8. 天声人語にみる戦後50年 上

関夫妻は雅樹ちゃんを無事に救うためなら、犯人の要求通りに金を出してもよいと、警察に手を かばん 引いてほしい口ぶりだったという。富裕な鞄屋さんで、三百万円という身の代金も愛児の生命こ はかえられぬ気持ちだったろう。 犯人は最後の電話で「警察に知らせたな。もう金はいらない。雅樹のいのちはもらった」と言 ったそうだ。誘拐魔のこわいのはそこで、警察介入への報復に人質を血祭りにあげる例はよくあ る。リンドバーグ大佐の愛児誘拐事件もそうだった。 こんどの事件では、警察はもつばらオトリ捜査で、犯人を捕えることを先にしていたようだ。 容疑者の歯科医本山茂久の家に " 見なれない子供。がいるとの知らせが近所の人からあったのに、 その子を確かめて救い出すことよりも、犯人逮捕の内偵でモタモタしていたらしい 幼少年の誘拐事件では、何よりもます人質を無事に取りもどすことだ。いくら犯人を捕えてみ ても、その前に人質が殺されていてはなんにもならない。生命の安全保護が一番大切である。子 供を取りもどしてからでも、犯人は逮捕できるのだ。この事件の場合、親は金を出してもよいと 年 いうのだから、とにかく雅樹ちゃんの救出を先決にすべきだった。犯人をとり逃がしてもいっか 和は捕らえられるが、失われた生命は帰ってこない。 それには警察とマスコミの協力が必要である。新聞やラジオ・テレビでどんどん報道すること 年 によって、発見や逮捕を早める例も少なくない。逆にマスコミによって警察の手の内を犯人に知 らせ、警戒して姿を現さす、あげくの果てに人質を殺すという場合もある。警察が秘密一点張り で捜査していると、それを知った新聞がスクープする。初めから警察が報道関係に打ち明けて、

9. 天声人語にみる戦後50年 上

納得のいかぬ点があったことも否定できない。世界的に信者の多いカトリック教の神父に降りか かった " 受難〃だけに、もっと積極的に身の証しをたてるのが、宗教家としての義務といえよう。 着陸地ごとに待ち構えた新聞記者に語るくらいなら、地元の新聞人と快く会見して、すべての質 問に答えて一点の疑雲を残さす、さつばりした気持ちで故国に帰ってほしかった。 日本美女 日本女性がミス・ユニバ ースに選ばれた。児島明子さんという東京生まれ、二十二歳のファッ ション・モデル。六年前には伊東絹子さんが三位に入賞し、五位に入ったひともいるが、一等に なったのは初めて。それこそ " 神武いらい〃ならぬ″天照大神いらい〃である。 日本の女性が近年めきめき美しくなったのは確かだ。海外から来るお客様も、日本女性はきれ いだとほめそやす。外人でほめるのは主として男性だが、まんざらお世辞だけでもなさそうだ。 アメリカのアバートに住み、シナ料理を食い、日本の女を妻にしたら、人生最上だという″国際 的伝説〃がある。この場合の評価は、日本女性が美人だということではなさそうだ。女がいばる ように〃飼育〃した西欧男性のくやしさの告白とも見える。男性にかしずく日本女性の従順さ、 古風なしとやかさを言ったものらしい 今日の美人の判定はきわめて数字的である。児島さんの場合にしても身長一六八センチ、体重 五五キロ、 ハスト九三センチ、ウエスト五八センチ、ヒップ九七センチで、身体・ハランスの諸条

10. 天声人語にみる戦後50年 上

この冬は凶作地や水害地で、若い娘や幼い子供の人身売買が多いだろうと心配されている。身 売りといえば東北六県や北海道の貧農地帯ときまっていたが、こんどは九州や四国の風水害地帯 もその懸念が濃い。 人買い部隊のプローカー達は行商などに化けて入りこむ。貧しい農家を戸毎に訪ねて、華やか な都会の話や収入の多い勤めロの話をして、結局は赤線区域に沈めて売春行為をさせる。美しく 着飾ったオトリ娘を使って " 故郷に錦をかざらせ。誘惑する手も使うようだ。根雪が村里を被っ て食う物にも困るようになると、もう人買いを追い返す気力もなくなる。一時金もほしいし一家 のロ減らしのためにも、ついわずかな身代金をつかまされて、娘を手放すことになる。 こうした村では長い間の習慣で娘を売るのを悪いこととも思わず、子もまたそれが親孝行だと 思いこんでいる場合も多い。そして農耕に必要な牛や馬を売る前に娘を売る。泣く泣く売られて 行くという愁嘆場さえ演じぬことも少なくない。それを悲しいと思うことは、すでに人間的自覚 なのだが、その自覚以前の場合さえ多いようである。人間としての啓発がまだまだ必要な段階で ある。 和そればかりではない。貧しい凶作地の生活そのものが、物質的にはどんな苦界の生活よりもひ どいのである。人間の生活というにはあまりにも低いのだ。そこに " 身売り以前。の問題が暗く 年 根深く横たわっている。ここにメスを入れなければ、身売り防止運動も上すべりに終わってしま う恐れがある。 。ドしオカ一家が食えなくなった、ということにもなる。極端な言い方をすれば 娘の身売りま方、、、こ。、、