1964 ( 昭和 39 年 ) ライシャワー大使、心神喪失の少年に右腿を刺され負傷。 日本、八条国に移行、為替制限できない先進国に。 ・囲日本、 ( 経済協力開発機構 ) 加盟国となる。 6 ・ 5 中国、現代化京劇の競演大会。文化革命運動高まる。 新潟地震・ 5 ) 、死者二十六名、原油タンク炎上。 8 ・ 2 北ベトナム魚雷艇が米駆逐艦を攻撃 ( トンキン湾事件 ) 。 ・義宮、津軽華子さんと結婚、常陸宮家創設。 国鉄、東海道新幹線開業。 第回東京オリンビック大会。日本は女子バレーなど 1 ーワ」 十六種目に優勝。女子バレー決勝戦はテレビ視聴率新 % 。 2 ・朽ソ連、フルシチョフ第一書記兼首相を解任。 ⅱ・ 9 池田勇人内閣総辞職。佐藤栄作内閣成立。 ⅱ・貶総同盟全労会議、全官公が全日本労働総同盟 ( 同盟 ) 結成。 米原子力潜水艦シードラゴン号が佐世保港に入港。 ⅱ・Ⅳ公明党結成大会。 この年キング牧師にノー・ヘル平和賞。「ウルトラ」が流行語に。
朝日文庫 < ・ 0 ・クックス / 岩崎俊夫訳一進一退の白兵戦の中ジュ 岡田英弘邪馬台国論争、騎馬民族説 倭国の時代を超える実証的日本建国史ノモン ン②ーコフの反撃が準備される ローアル・アムンセン / 中田修訳極点初到達′・人類史に輝 手塚治虫巨匠が描く名作文学の世界。 、苦難に満ちた探検記録 点 ファウスト表題作ほか「百物語」を収録南極 中村希明アルコール症は慢性の自殺 立花隆田中側がすべてを賭けた榎 人はなせ酒を飲むのかだ卩精神科隊の酒飲み診断ロッキード裁判とその時代本アリバイが次々と崩れる ィッセー尾形一人芝居の鬼才初の短篇小 立花隆総理大臣の「犯罪」を通し ロッキード裁判とその時代①て時代そのものを活写するイッセー尾形の人生カタログ説集。著者のイラスト付き < ・・クックス / 岩崎俊夫訳・九 : 元年満蒙国境の小競 平泉悦郎病める心が劇的に治った / ノモン ン ( ①リ合いから始まる車事衝突 ~ 豕族療キ脚光を浴びる治療法の報告 大原健士郎最愛の妻をガンで亡くすま < ・ 0 ・クックス / 岩崎・吉本訳怒濤のソ連軍機甲部隊の前 おれたちは家族での精神科医の看護の日々ノモン / ③に日本軍陣地は次々に壊滅 辻桃子 俳旬ェッセーあなたもき 立花隆判決が下る。「被告人田中角 - っと俳旬が好きになれる′ 俳句って、たのしい ロッキード裁判とその時代④栄を懲役四年に処する , こ 佐藤正英蓮如本と原本の差異を追求 石丸品子詠みびと知らすの歌に醸し し、親鸞の肉声を再現する 万葉の女たち男たちだされた愛の形と心の機徴〔新註〕歎異抄 立花隆五億円が田中側にわたった 」・ウォーレス / 池田比佐子訳アメリカの画家人が描く 班 5 亠黽。ホケッ , 「ガ・・恐竜種の最新カラー図鑑 ロッキード裁判とその時代にことが、ついに証された 朝日新聞学芸部男も射房に立っ時代。楽し 」野三嗣かし・運動・健康の関係を生 日曜シェフの腕まくり く料理を作る記者の体験記健康は「めー ) 」か、ら理学的にわかりやすく説明
まり国旗のひるがえるのを見なかった。軒並みに日の丸の出ない日本は長いお通夜のような、何 か気のはすまない国民感情を物語っていた。焼けて国旗をもたぬせいもあった。この旗の下に侵 略戦争が進められ、国を破り肉親を奪われた悪い思い出もあった。虚脱もたしかにあった。が国 旗はいま新憲法の上に丁重にのぜられて、民主日本のお誕生祝いにおくり返されたのだ。このさ い政府も、戦災の家々に新しい国旗をはなむけすべきである。 * - 6 ・ 4- 裸の新制中学 はたるの光に送られて小学校から中等学校に上がった時は、少年少女が希望に胸ふくらまして 一番楽しい年である。その大切な時期を無残に打ちくだいているのが、新制中学の現状である。 学校には机も腰掛けも黒板もない。生徒は男も女も、板の間にあぐらをかいて、ポール紙などを 机がわりにしての座学である。たいていは小学校の居候教室で、その結果小学校は二部教授、三 部教授になっている。備品も小学校の借り物が多く、そのため小学児童が前かがみの座学を余儀 なくされ、扁平胸がふえているところもある。新制中学の不備が、小学校教育を圧迫する結果を 昭 招いているのだ。 年 教科書も無いので、先生が文部省に出向いて写本をし、それを生徒に写させるところもあると いう。本も教室もそんな風だから、自習と遠足と見学をくり返すことにもなる。校舎が不足で二 カ村に分かれているため、先生が自転車で両校舎をかけまわる例もある。先生も不足だが、また
ハチンコ立国 * 5 ・ ハチンコの流行ぶりはただただあきれるばかりである。日本中が朝から夜中までガチャンジャ ーという雑然たる騒音に包まれているかのようだ。街の中で家の造作変えをやっているのはほと んどみな。ハチンコ屋への転業である。二、三十万円くらいの小資本でも商売ができ、開店即日か ら居ながらにして日銭が入り、資金の回転の速い商売となると、他にちょっと見当たらないだけ どんどんふえるのだろう。四戸当たり一台という地方都市もあるそうだし、東京には一軒で 五、六百台並べたのがあり、大阪には大キャパレーが転業して千五百台のパチンコ・センターが 年できた。椅子に腰かけ、茶や蒸しタオルのサービスもあるという。 和 ハチンコ屋にはさまれた商店はたいがい商売があがったりになるようだ。東京神田辺りの古本 昭 屋では学生の暇つぶしの本漁りがパチンコ屋に吸収された。文庫本を買う金が玉を買う方に回さ 年 れ、若い学生や工員も頭が空つばになりつつある。住宅街では買い物籠をさげた主婦がおかず代 を資本にガラガラ回している姿をよく見うける。うまく出れば夕飯に肉や刺し身がっき、すって たくあん しまうと晩めしの食卓が沢庵だけになる。子供のおやっ代ぐらい稼ごうという主婦もあるはど家 123 いま有史いらい初めて「独立の主権在民国」となったのである。ここのところをよくよく肝に 銘じて自覚し、ゆめゅめ旧い日本の " 元の木阿弥〃に逆もどりしてはなるまい。占領よ、さよう なら。
べてを失い、本州、九州、四国、北海道の四つの島に国土を限定されることとなった。海外に植 民地を持っことがいかに自国にとって利益であるにせよ、それが自由と民主主義の原則に反する 不当な利益であることを思えば、日本はいつまでも過去の夢に執着してはなるまい 千島と琉球とは共に、日本が侵略によって手に入れたものではなく、歴史的、民族的に昔から 日本の一部であった。それらを返還してもらいたいとは国民大多数の念願でもあったのだが、そ の念願はいれられなかった。琉球その他にしても、アメリカが軍事的に利用するのはとにかくと して、せめて主権は日本にというのが国民の希望であった。民主党は千島の領土権と琉球の期限 付き信託統治を主張しているが、これは国民多数の気持ちであろう。ともあれ、日本は今後、資 源に乏しい四つの島に閉じ込められ、八千四百万の過剰人口を擁して、生きなければならぬこと おおやしま となった。これが日本に与えられた運命である。「大八洲国」はいまや「小四洲国」にすぎない 条約は日本の将来の経済活動に制限を加えていないが、原料をすべて海外に仰がねばならぬ日 。これが日本の現実である。講和になって、 本にとっては自主権は与えられても、自主力はない 年これで日本の前途がいっぺんに明るくなるとでも考えたら、とんだ錯覚で、提灯行列で騒ぐよう 和な暢気な話ではないのだ。 年 首相の講和演説 * 8 ・四 8 二つの中国、二つの朝、二つのドイツ、二つの世界、二つの平和、二つの自由ーーーこの二つ のんき
んは明治三十八年に宣教師として来日し、東京女子大学創立者の一人。お母さんはロ話法による 聾唖学校を日本に創設した。が、兄さんは日華事変中の一九三七年、上海のホテルで爆撃の奇禍 にあい死んだ。ライシャワー氏は知日家として当代の第一人者である。その日本語は「読み書き 話し」の三拍子がそろい、『古事記』『万葉集』をはじめ和漢の古典に通じ『平治物語』などの訳 業もある。現代の日本とアジアについて多くの著作があり、極東問題に深い理解と高い識見を持 っている。 ・フロンティ 彼を駐日大使に任命したことは、ケネディ大統領の対日、対アジア政策のニュー アだといえよう。今まで米国は日本をよく知っていたとは言いきれない。アイク訪日阻止や安保 デモは米国民にとって理解し難いことであったらしい。政権の座にある保守政界や財界の限られ た情報で日本を判断する傾きがあった。このままでは「日本を見失う」とケネディ大統領は語っ たとい , つ。 職業外交官でないラ博士のような人物を日本に送ったのは、広く各階層との接触によって日米 年外交に新生面をひらこうとの意図にほかならない。が、日本も米国を真に理解しているかどうか、 和反省の要があろう。 新大使が日本を " 第二の故郷。と懐かしみ、春夫人が日本女性であるところから、 " 同国人。 の大使夫妻を迎えるかのような親しみを感ずる。が、ラ博士の学者としての立場と、米政府代表 としての立場とはおのずから異なる。それは米上院外交委における彼の証言を見てもわかる。ラ 大使夫妻に対する親愛の余り、見さかいもなく " ひいきの引き倒し。にならぬよう、公私のけじ
122 返ってみれば、国民生活は占領中にも低きより高きに登ってきた。食うや食わず、着る物も着な かった窮乏期は、いま立っている峠路からみればやはり脚下に望見される。 何といっても幸いだったことは「二つの日本」に分割占領されなかったことだ。二つのドイツ、 二つの朝における民族の悲劇と思いくらべるならば、「一つの日本」であり得たことは何物に も換え難い仕合わせであった。 占領下にわれわれは、幾つかの佳き伝統を失いもしたが、また多くの新しき佳きものを手にも 入れ学びもした。自由という知恵の実も、たとえ米国製セロファン包みのままだったにせよ、こ の味はもはや絶対に忘れられない。国際的感覚も、たとえ多少はかたよったものにせよ、貴重な 経験となって根を下ろしてくれた。 さて、占領よ、さようなら。これからが日本の本当に生きる道がはじまる。日本丸にはまだい くらかヒモが付いているようだが、エンジンもポイラーもカジを本当に日本人の手に握って、こ れから「二つの世界」の大荒海にこぎ出していかねばならぬ。 さて、独立とは何か。元の古い日本にかえることではない。全く新しい日本に生まれ変わるこ とだ。なぜなら、「主権在民の独立国」となるのは日本の歴史はじまっていらい初めてのことだ からである。旧日本は天皇主権国であった。主権は常に幕府か将軍か天皇か軍閥かの手に在り、 かって一度も国民に主権の在ったためしはなかった。それが、戦後の新憲法によって初めて主権 在民とはなった。とはいうものの、占領という枠の中での呼吸で、政府も国会も個人も占領当局 の意にはなはだしく反しては独り歩きはできなかった。
納得のいかぬ点があったことも否定できない。世界的に信者の多いカトリック教の神父に降りか かった " 受難〃だけに、もっと積極的に身の証しをたてるのが、宗教家としての義務といえよう。 着陸地ごとに待ち構えた新聞記者に語るくらいなら、地元の新聞人と快く会見して、すべての質 問に答えて一点の疑雲を残さす、さつばりした気持ちで故国に帰ってほしかった。 日本美女 日本女性がミス・ユニバ ースに選ばれた。児島明子さんという東京生まれ、二十二歳のファッ ション・モデル。六年前には伊東絹子さんが三位に入賞し、五位に入ったひともいるが、一等に なったのは初めて。それこそ " 神武いらい〃ならぬ″天照大神いらい〃である。 日本の女性が近年めきめき美しくなったのは確かだ。海外から来るお客様も、日本女性はきれ いだとほめそやす。外人でほめるのは主として男性だが、まんざらお世辞だけでもなさそうだ。 アメリカのアバートに住み、シナ料理を食い、日本の女を妻にしたら、人生最上だという″国際 的伝説〃がある。この場合の評価は、日本女性が美人だということではなさそうだ。女がいばる ように〃飼育〃した西欧男性のくやしさの告白とも見える。男性にかしずく日本女性の従順さ、 古風なしとやかさを言ったものらしい 今日の美人の判定はきわめて数字的である。児島さんの場合にしても身長一六八センチ、体重 五五キロ、 ハスト九三センチ、ウエスト五八センチ、ヒップ九七センチで、身体・ハランスの諸条
とするような恐いものを感する。 大岡昇平氏の小説「化粧』の中にも豊彦と夏子というアプレ少年少女が登場している。恐れを 知らぬこと、悪びれぬこと、世間の裏表のことを一応は知 0 ていること、しかも知り尽くしてい ると自負していること、そして思索なき大胆な行動性、などがこの型の特徴だ。その底に流れて いるものはニヒルであり虚無である。何か大きなものが抜け落ちている。「取り残された子供た ちの悲劇」と警視庁の少年課長は言ったが、これも戦争という魔物の落とし子にほかならぬ。 * 8 ・ 奄美大島の返還 ダレス米国務長官は朝からの帰途、日本に立ち寄 0 た手みやげに奄美大島群島の返還を約束 した。ダレスさんがバスケットから取り出してくれたプレゼントはもともと日本のものではある が、長い間の復帰の悲願が報いられたわけである。 ドイツのように日本は二つに分割されてはいないものの、奄美大島や琉球、小笠原諸島の住民 年 にと 0 ては、日本から切り離されて祖国を失った孤児同然の憂き目だった。日本国民でありなが ら " 琉球政府。なるものを米軍の軍政下に造り、母国の国会の選挙にも投票できなか 0 た。立法、 行政、司法の三権もなく、日本国民として主権者の仲間入りを妨げられていたのだ。民族感情と してたまらない気持ちであるに違いない。 この島の名産大島紬も戦前は三十数万反も生産されたが、内地が外国みたいにな 0 てからは生 147
北方領土 くなしりえとろふ しこたん これ 歯舞、色丹はもちろん、国後、択捉は日本固有の領土であるから返還してもらいたい は日本国民の声である。ソ連のいうような " 報復主義者の策謀。ではない。 返還を求めた愛知外相に対して、ソ連のコスイギン首相は「領土については第二次大戦後の現 状をそのままにしておくべきだ」と答え、「すでにきまっていることについては交渉に応じるこ とはできない」と領土交渉を拒否した。ソ連側の態度はほば予測されたことではあるが、この理 由は日本国民を納得させることはできぬ。 ソ連が突如、参戦したのは日本が降伏する約一週間前だ。それは日ソ中立条約をふみにじった ものであった。八月十五日以後もソ連は千島に軍隊をおくり、千島二万人の住民に二カ年の強制 労働を科し、その上に一方的に自国領土に編入している。北方領土問題はそもそもソ連の不信と ばうれい 年暴戻によって起こったものだ。 和日ソ間に平和条約ができれば歯舞、色丹は返すと、これまでソ連は言明してきたが、日本はソ 連に対して宣戦布告をしていない。日本の落ち目につけこんでソ連が勝手に戦争をしかけ、カず 年 くで占領し、そこに居すわっているのである。多くの日本人がソ連という国を心の底で信頼しえ ないのは、終戦時にソ連の示した血も涙もないやり方による。過去のことにこだわりたくないが、 4 北方領土の返還を要求する場合、このことは明らかにしておかなければならぬ。 はぼま、