中曽根 - みる会図書館


検索対象: 天声人語にみる戦後50年 下
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1. 天声人語にみる戦後50年 下

の争いの中で、ユネスコは積極的な支援をすることができずにいる。 しかしだからといって、崩壊の危機を見すごすわけには、かよい。どうしたら人類の宝を守る ことができるか 田中曽根体制 中曽根新総裁は記者会見でしきりに「わかりやすい政治」を口にしていた。「わかりやすい政 治を志し、新しい政治のやり方を開いてゆきたい」という発言もあった。これは大賛成だ。わか 。、、、こきまってしる りにくい政治よりはわかりやすい政ムロのは , っ力しし。 かって、自民党の長老椎名悦三郎氏は、この血の気の多い後輩党員を評して「なんにでも夢中 になれる人」といった。なかばは揶揄だろうが、行革といえば行革に夢中になる、行革三昧にな る、という感じはたしかにある。これからは「わかりやすい政治」の実現に夢中になることだろ , っ 政治をわかりやすくする一番てっとりばやい方法は、田中派と中曽根派を一緒にして田中曽根 派をつくることではないか。思いっきでいっているのではない。 中曽根派の山中貞則氏らが田中角栄のところに予備選のお礼に行った。「両派が一緒になろう」 っこ。「こっちで拒否します」と笑う山中氏のことばをさえぎるように、角栄がい と元首相がいオ った。「それなら、こっちが中曽根派へ入って行くよ」 1 ワ」

2. 天声人語にみる戦後50年 下

221 1982 年 ( 昭和 57 年 ) さすがはヤミ将軍、政治をわかりやすくするツポを心得ている。中曽根人事の角影色の濃さも ここまでくれば、両派はもう一緒になったほうがはるかにわかりやすい 中曽根新首相・二階堂幹事長の実現で、かなめは押さえた。来年の求刑、判決に備える体制は 整った。この田中曽根体制の実態をかくして、ロでは角影を否定するということが続けば、政治 はますますわかりにくい存在になってしまう。 それにしても、あの予備選中の、非主流派の「反角運動」はどこへ消えてしまったのだろう。 「党員でない人の支配を排除しなければならない」「田中元首相の支配力を断ち切れ」といった角 影批判の声はどこへ消えてしまったのか。フジ三太郎君ならすとも、これでは集団カザミドリ化 力、といいたくなる。

3. 天声人語にみる戦後50年 下

79 1974 年 ( 昭和 49 年 ) 出す可能性をつぶした。実力者たちがこれに反対する理由がないのは当然だった。そこで残る候 補は大平、福田、三木、中曽根の四氏にしばられることになる。 四者会談で中曽根氏に進行役を頼んだのは、「次の次」の総裁候補の一人とみられていたから ししししかない。残る三人で「党を割ら だそうだ。進行役になれば「オレが、オレが」というわナこま、 ない人」といえば、ライバル同士の大平氏でも福田氏でもないというのが論理だろうが、いま えば結果論になる。 こうして話し合い路線をすすめたが、大平派は「大福どちらも引きさがるはすはないから公選 だ」と考えたに違いない。公選では分が悪い福田派は「話し合い」に期待をかけた。双方に期待 とちらにもお鉢がまわってこなかった。 をもたせながら、結局、・ このやり方で思い出すのは、アルジェリアを独立させたドゴール将軍だ。「フランスのアルジ エリア」を叫ぶ右翼や軍部はドゴールを味方とみた。将軍も握手をしては「分かった、分かっ た」を連発した。アルジェリア人たちは「フランス支配の時間延ばしだ」と、彼を非難した。そ のドゴールがアルジェリア独立を仕上げてしまう。「分かった」とうなずくのは「賛成」ではな く、「あなたの言い分は分かります」という意味だった。

4. 天声人語にみる戦後50年 下

224 不沈空母構想 中曽根首相は、防衛庁長官時代に「ヘリ空母構想」をとなえたことがある。ヘリ六機搭載の八 千トンの空母を出動させて航路帯を防衛する。「敵潜水艦の跳梁は絶対に許さない」という勇ま しい発言があった。 国防会議の元事務局長、海原治氏はこの案を「 " 誇大妄想。的な構想」とたしなめていたが、 それほど非現実的な案で、結局は流れた。 こんどは「不沈空母構想」である。「ワシントン・ポスト」紙首脳 ヘリ空母構想は消えたが、 や記者との会見で、首相は「全日本列島を不沈空母のようにし、ソ連の・ハックファイアー爆撃機 の侵入に対する巨大な防壁を築くこと」を説いたという。 不沈空母ときくと、そこに住む人間やあらゆる生物が死に絶え、荒れ果てた国土だけが沈ます に存在する、といったぶきみな姿をつい想像してしまう。もっとも首相は「不沈空母とはいって ない」と否定しているから話がややこしい。あれは「ポスト」紙のつくり話、とでもいうのだろ 首相はさらに航路帯の防衛を説き、海峡封鎖を行うことを明言した。アメリカ側がより重んじ たのは「海峡封鎖」についての中曽根発言だろう。「この戦略はアメリカにとっては都合がよく ても、日本にとってははなはだ危険」という指摘があるほど、慎重を要する戦略なのに、首相は

5. 天声人語にみる戦後50年 下

副総裁辞任を「潔い身の処し方だと一般の人は評価している」などと竹下派の議員は金丸氏に 報告したそうだ。事情聴取に応じるのが本当の潔さだ、と進言すべきだった。事清聴取がないの は何とも納得できない。 だが、略式の手続きは、本人が容疑事実を認めてのことだという意味で重要である。罰金刑が 確定すれば、政治資金規正法違反で初めて国会議員が処罰されることになる。二十万円以下の罰 金という規定が面白い 五億円もらっても、その金は返さすに二十万円払えばすむ。この法律のばかばかしさがよくわ かる。二十万円の罰金を科す犯罪は、ほかにどんなものがあるか。「 x 年以下の懲役又は」など の次に、例えば信号機を操作したり道路標識を壊したりすると二十万円以下。 貨幣を損傷したり鋳つぶしたりしても二十万円以下。「公然猥褻の行為をなしたる者」は、こ れより重くて三十万円以下である。金丸氏は、政道の道路標識を壊したということか。政治家た ちは、なお彼を派閥の会長に仰ぎ続けるつもりだろうか。 ほめ杁ー ) いわゆる中曽根裁定は、五年前の今月二十日のことだった。当時の中曽根首相が自民党の竹下 幹事長、安倍総務会長、宮沢蔵相の三人の中から竹下氏を次の自民党総裁に選び出した。 、ま、内外の人々を そうして竹下政権が誕生する。その時に暴力団が関係したらしいことが、し

6. 天声人語にみる戦後50年 下

1982 ( 昭和 57 年 ) ・東京地裁、ロッキード全日空ルートで若狭被告ら有罪判決。 CN ・ 8 千代田区のホテル・ニュージャパンで火災。死者三十二名。 2 ・ 9 日航機、羽田で機長の異常操縦で墜落。死者二十四名。 ・衵中国残留孤児三十人が肉親搜しに来日。 4 ・ 2 アルゼンチン、英植民地フォークランド諸島占領。 産業スパイ事件。が日立などの社員六名逮捕。 6 ・東北新幹線が開業。 米ソ戦略兵器削減交渉開始。 7 ・国連捕鯨委員会が商業捕鯨全面禁止案可決。 三越「古代ベルシャ秘宝展」事件。 北炭タ張炭鉱が閉山。 ⅱ・プレジネフ・ソ連共産党書記長死去。後任にアンドロポフ。 1 ー L.n 上越新幹線が開業。 ⅱ・舛中曽根康弘内閣成立。 この年七月に西日本で豪雨。「北」公開。観客動員一千万の大ヒ ットに。「ネアカ、ネクラ」「逆噴射」流行語に。

7. 天声人語にみる戦後50年 下

ってのことだ。 対ノートン戦ではさすがに三十四歳のカの衰えはかくせなかったが、今回の引退表明は「カの 限界」によるものではなく、彼の信する宗教団体プラック・モスレムの事情がからんでいるらし モスレムは規律のきびしい黒人回教徒の組織で、暗殺されたマルコム X が指導者だったこと もある。 アリ自身「これからの人生を信仰にかける」ともらしており、組織もまたアリが布教活動に精 をだすよう求めているそうだ。しかし、一試合でアリ側に入る収入は二十億円を超えるといわれ ているだけに、残されている対フォアマン戦を捨て去ることができるかどうか。 にせ電話事件 布施検事総長の名前をかたった三木首相への「にせ電話」は、実に奇怪きわまる事件、という 年ほかない。電話のやりとりを録音したテープを読売新聞社にもちこんだのは京都地裁の鬼頭判事 和補だった。 判事補はにせ電話の主は別人だと主張しているが、その「別人」がだれであるかは明らかにし 年 ていない。現職の裁判官がなぜこのような奇妙な事件にかかわっているのか。いかにも軽率な、 常識はすれの行動である。 にせ電話は、当時の中曽根幹事長に収賄の容疑があると架空の情報を伝え、これにつられ指揮 111 0 . 4 ・ 1 ー - っム

8. 天声人語にみる戦後50年 下

殺する犯行が可能かどうか。なぜもっと有力な物証がないのか。 「新刑事訴訟法の手続きを踏んで捜査が行われ、裁判が行われていたのならば、はたして死刑の 判決を受けただろうかという疑いがある」。記者時代にこの事件を取材したことのある社民連の 田英夫さんがそう語っていた。死刑執行がなく、再審もなく、釈放もなく、という灰色のもやの 中で、平沢は世界に例をみないはどの高齢の死刑囚になった。 「浦島太郎」を歌いながら、平沢は獄中の三十九年間が夢の中であればと祈ったことだろう。そ れとも般若心経の「一切の苦厄を度したまえり」の境地に達していたのかどうか。それはわから 遺体はきのう「平沢貞通氏を救う会」が釈放に備えて借りていた都内のマンションに運ばれた。 「しやばで一杯」の希望通り、茶わん酒が供えられた。穏やかな顔だったが、これ以上やせられ ないと思えるほどほおがくばんでいた。玉手箱の煙をあびたように、白髪と白いあごひげがのび ていたそうだ。 ( 8 ・ 5 ・ 川没 % 歳 ) * LO ・ 快刀乱麻的苦言 土光敏夫さんたちが代表になっている「行革国民会議」が民間版・行革白書を発表した。央刀 乱麻を断つおもむきがあって、おもしろい 中曽根首相の行革は減点が多く、総括すると「点」だという。「国民の期待した水準からす

9. 天声人語にみる戦後50年 下

1983 ( 昭和 58 年 ) 中曽根首相が「日本列島を不沈空母とする」発言。 3 ・レーガン米大統領、戦略防衛構想宣一言。 4 ・ 4 「おしん」放送開始。おしんプーム起こる。 東京ディズニーランド開園。 日本海中部地震・ 7 ) 。死者百四名。 愛知県警、戸塚ョットスクール校長を傷害致死容疑で逮捕。 フィリビンで野党指導者のアキノ元上院議員暗殺。 ソ連機、領空侵犯の大韓航空機を撃墜。死者一一百六十九名。 石橋政嗣社会党委員長誕生。 ・ 5 ポーランドのワレサ氏にノーベル平和賞決定。 ・ 9 ビルマのラングーン爆弾テロ事件。韓国・徐副首相ら死亡。 0 . ワ」 東京地裁、ロッキード事件で田中角栄被告に有罪判決。 ⅱ・ 9 レーガン米大統領が来日。 この年男女とも平均寿命世界一 ( 女四・爲歳、男・ 2 歳 ) 。パソ コン、ワープロ急速に普及。年度高校中退者十一万人超す。 『積み木くずし』ベストセラーに。「軽薄短小」流行語に。

10. 天声人語にみる戦後50年 下

七六年の流行語 師走もなかばをすぎたことだし、ここらでこの一年、マスコミをにぎわしてくれた流行語の主、 話題の主に感謝状でも贈りましようか。感謝状の筆頭は何といっても三木さん、貴殿の他はあり ません。 「はしゃぎすぎ」「総論ババ」「三木おろし」「なめくじ」「三枚腰」など、たえず流行語屋を喜ば せてくれた貴殿の努力こそ絶大でした。そこへゆくと福田さんの「ガバナビリティ」「出直し改 革」、大平さんの「みそぎ論」などはどうも地味すぎて面白味がありません。 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれのせりふを残して去った中曽根さんは三木後については「ゆれ るまなざし」でもって「どっちがトクかよーく考えてみよう」の心境だったのでしようが、この 一年、準悪役の話題をたやさす、とくにテレフォン・サービス普及にはたした功績はやはり感謝 状ものです。 和「記憶にございません」「限りなく不透明に近い灰色高官」などの数あるロッキード語録の中で も、とりわけ光ったのが、例の稲葉節です。秀逸は「時の人、時をすぎればタダの人」ですが 年 嘱「選挙に落ちればタダの人」にならずにすんだのは幸いでした。 クエックエッとかチョンワチャンワとかの奇声をはやらせた『嗚呼 / 花の応援団』の青田赤 道君、単行本が三百数十万冊も売れ、映画があたって歌があたってとなればもう感謝状の必要も