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検索対象: 天声人語にみる戦後50年 下
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1. 天声人語にみる戦後50年 下

「私は泣いてます」になり、そして今年はついに「ちかれたびー」である。「モーレッ」から「ち かれたびー」を結ぶ線に私たちの暮らしの軌跡がある。 来年の経済もたそがれの状態が続くという。もっとも、同じタ闇でもいくらかは薄い灰色にな る、との予測もある。

2. 天声人語にみる戦後50年 下

230 親に対する反発がある。「生き甲斐はお前だけだと父と母劣性遺伝を無視しておっしやる」「う ちの子がうちの子がと言うけれどどれだけ私を知るや父母」。夫婦げんかに傷つく歌も多い。「何 事が昨夜あったか知らないが父母黙って飯を食うだけ」。 「母を慕う / わが心すなおなり / 母にそむく / わが心いがむなり / このふたっ / いつも母の姿に つながり / からみあいてこの年までつづきぬ / あわれにしておかし」 ( サトウハチロー ) 。母と子 とは、そのようなものであろうか。 高校生の母に向けられたうめき声は、時に残酷な響きをもつ。「母さんよ俺も暴力振いたい俺 はあんたのペットじゃないよ」「子供にはわかるものかといつも言う母の言葉に私傷つく」。 規則ずくめの体制や偏差値がものをいう体制の中で、生徒たちは、大勢に流され、しらけて行 く自分にいらだっている。「高校にどうして行くと聞かれれば皆行くからと私答える」「あれも駄 目これも駄目ではやる気なしこれでいいのか青春時代」。歌をつくることには自分を見つめ直す 効用がある。 全国のどこにでもいる高校生たちの、灰色の部分をやや誇張した心象風景が、ここにはある。 その心象風景は私たち大人にさまざまのことを問いかけている。 * のち、生徒たちの歌を集めた『現代はいすくーる短歌』 ( 猪狩三郎著・朝日文庫 ) が出 版された。

3. 天声人語にみる戦後50年 下

として登場されることになりました。お三方とも金銭欲とはあまり関係がない「品性純潔」の士 とお見受けしますが、感想をおきかせ下さい。 漱石「お札の顔に、といわれてこう考えました。いやだといえば角が立つ。合点すれば手あか 拒みにくき、がこ , つじ にまみれる。返事をのばせば窮屈だ。とかくに役所からの話は拒みにくい。 ると、えい、なんで福沢さんが一万円でワガハイが千円なのかと思いたくなる。千円が一万円の 十分の一だと悟った時、詩がしばみ、くしやみがでる、そんな心境です」。 諭吉「天は札の上に札を造らす札の下に札を造らす、です。一万円札と千円札とでは雲と泥と の相違があるようだが、お札一枚一枚の大切なることはいかにも同等にして一厘一毛の軽重ある ことなし」。 稲造「私は、願わくはわれ太平洋のかけ橋とならん、と念じて生涯を送 0 た男ですから、これ からは一万円札と千円札のかけ橋になります。私が『武士道』で指摘したように、昔はよくも悪 くも金銭欲をつとめて無視するという武士道が生きていた。それがいっか崩れて、今や拝金思想 の世の中です。そういう時代に札の中でよみがえるのをあまり喜ぶわけにはいきませんが」。 漱石「福沢さんは生涯、絶対に借金をしなかったそうですね」。 諭吉「暗殺は別にして借金ぐらい怖いものはない。借金して返すことができないときの心配は、 白刃で後ろから追われるような心地がするだろうと思います。私は人の金を一銭でも借りたこと がありません」。 漱石「ご立派です。私も借りるのがきらいでね。山嵐という男に氷水の代一銭五厘を突 0 返し

4. 天声人語にみる戦後50年 下

291 選挙公約をどう思っているか ? いえ、反省はしておりません。閻魔様の前ですが、選挙でだ ますなんて大したことではありません。だまされるほうの知識水準に問題があるのでございます。 閻魔に問われたる党税調の主の話。さようでございます。「しがねえ恋の情けがあだ、つらい 幕引きをさせられるのかなあ」とロ走りましたのは、わたしに違いございません。 大型間接税を日本型付加価値税といいくるめるほどいやな役目はありません。悪いのは選挙中 にうそをついたカザミドリでございます。私めは、身の不運を嘆きつつ、あえて国家百年の計の ために泥をかぶろうとしているだけでございます。このこと、うそ偽りはございません。 閻魔に問われたる選挙中の党の大番頭の話。さようでございます。「政策問題で国民にうそを つくことがあってはならぬ。その時は私が首相と刺し違える」と申しましたのはわたしに違いご ざいません。どう刺し違えたのか、とおっしゃいますが、それこそハラ芸というものでございま す。 閻魔に問われたる党内批判派の話。さようでございます。「公約がある以上、大型間接税を導 年入するな」と訴えているのは私どもに違いございません。もし導入されれば、選挙公約は大うそ、 和あの方は二枚舌どころか、何枚舌をお持ちか、差し出がましゅうございますが、それもご詮議下 、いまし。 年 閻魔様はだれの舌を抜く ?

5. 天声人語にみる戦後50年 下

の子と取っ組み合いのけんかをし、先生にしかられた。自慢話になるような内容を、カラッと明 るく書いているのは人柄だろうか。以来、強きをくじくくせがついたらしい 委員長公選の時、土井さんの演説をきいて、時々、教壇からしかりつけられているような感じ がした。正直いって、話のおもしろさでは上田哲さんが勝っている、と思った。肩に力が入りす ぎていたのだろうか。 クライクライといわれる社会党をどう変えるか、リクッばかりといわれる社会党をどう変える か。委員長が指導力を発揮できる党内の環境がない、 といわれる社会党をどう変えるか。「信じ たこの道」は難所だらけだ。 点差の開いた中で、突如、マウンドに立つ。追加点を許すわけには、か しかも肩ならし 不十分の新人投手である。「やるつきゃないと思います。肩の力を抜いて、マイベースでやりま す。私自身の球の投げ方をします」と新委員長はいい、 ニコッとしてつけ加えた。「私のはくせ 球でしようけど」。 年土井さんは「ここで逃げたら女がすたる」という状態に追いつめられて委員長選に立った。初 和の女性党首をもり立てられす、早々に降板、ということになれば社会党がすたる。 年 生活の根にある南の文化 私ごとで恐縮だが、夏休みが大幅にすれて、今ごろになってのこのこと南太平洋の島へ行って

6. 天声人語にみる戦後50年 下

* っ 0 ・ ワシントン条約締約国会議 人間の、人間のための、人間による動植物会議がきよう閉幕する。正式名称は、絶滅のおそれ のある野生動植物の種の国際取引に関する条約 ( ワシントン条約 ) の締約国会議。初めて日本で 開かれていた。取引される側の生物たちの声に耳を傾けてみよう。 ます規制緩和案が撤回されたアフリカゾウの話。「南部アフリカ諸国や日本のそうげ加工業者 のみなさんには、お気の毒ですが、命がつながりました。私たちも、生息地の人々には迷惑をか けていますので、死んで残した牙くらいは役立ててもらいたいものです。でも、ぞうげ取引を再 開すると、密猟が激増するようではね」。 規制案が撤回されたクロマグロの話。「トロの好きな人は、ほっとしたでしようね。私の水揚 げの六割が日本人のロに入ると聞きますが、公海の資源ということを忘れないで。捕鯨の二の舞 いを演じることになりかねませんよ」。 ヒグマの話。「今回、旧ソ連などで条件付きの取引規制の対象に加わり、世界的に保護される のはうれしいのですが、日本国内では狩猟が野放し。北海道の観光牧場で数が増えたからといっ て処分されるのは、たまりません」。 飛行機旅行を免れたインコの話。「私たちペット野鳥の仲間は、航空輸送でばたばた死んでい ました。日本の航空会社も先月、空輸を禁止してくれました。この会議のおかげです。。ヘットは

7. 天声人語にみる戦後50年 下

326 日本にきたときに覚えた「赤い靴」を、ドクちゃんが口ずさんだ。・ヘトちゃんに便がでた。一 つの命を二人でわかちあうことができた。二重体児は七万回から十万回の出産に一回の割合でお こるという。各国で手術の成功も失敗もある。だが、これほど一部始終が伝えられた例はない。 さらしものにしている、という批判もある。米軍の枯れ葉剤との関連で、「政治宣伝」のにお いをかぎとる人もいよう。しかし、死と闘う生命はそれを見守る者に黙って何かを語りかける。 鋭敏な胎児に起こった不幸と私たちの未来のこと。生と死と、過去と現在と、戦争と平和と。 このところ、私たちは哲学者になったり、歴史家になったりしながら日々のニュースを見てい るような気がする。 リクルート・ラブソ一丁イ このところ、耳をすましてリクルート・ラブソディーを聴いている。いままでに、三曲聴いた。 第一曲の「法にふれてはおりません」は、七月から八月にかけてさかんに演奏された。「違法 性のない民間の取引」 ( 渡辺自民党政調会長 ) や「何回おっしやっても私の調査で違法性はない と開き と確認している」 ( 竹下首相 ) などのリフレーン。法にふれなければ問題ではあるまい 直っているような、つよい曲想に聴衆はゆさぶられた。 この曲が得意なのは政治家だけではない。未公開株を譲渡された前労働事務次官について「法 をまげるような行為はない」と労働省職業安定局長。みごとな合唱である。ああ、政治家や公務

8. 天声人語にみる戦後50年 下

特要隊と呼ばれる慰安婦だった城田さんがそう訴えたことがある。私は女の地獄を見た、と。 深津さんは答える一一 = ロ葉がなかった。考えぬいたあげくの、第一の歩みがこの日の集いになった。 六十をすぎた城田さんに会った。話はパラオ諸島での特要隊のことになった。「台湾の娘さん がカエリタイカエリタイといっていた。朝鮮半島の娘さんも、カエリタイヨオッカサンオッカサ ンといっていた。何人もの仲間が爆撃で死んだ」 「外地」から戦地へだまされて連れて行かれた女性の数はわからない。日本の女性を含め、彼女 たちは軍需物資なみに扱われた。軍馬と共に船底に押しこまれて運ばれることもあった ( 千田夏 光『従軍慰安婦・慶子し。軍隊の暗部を今さら、という人もいるだろう。だが軍需物資として消 耗品のように捨てられた女性たちの存在はやはり、戦争史に刻まれねばならぬ。 「心の奥の奥にかたまっていたものを吐きだすことができた」。鎮魂の柱を建てた後で城田さん がいった。「こんな体になっても私が生かされてきたのは、仲間のことを証明するためではなか ったかと : 。語っているうちに涙が噴きだした。 木の柱は、いずれは石碑に変えられる。 和 昭 年 残留孤児来日 飢餓と困窮の中で、うどんを食べるために背中の子を売ろうか、と一瞬考えたことがあったと いう。旧満州からの引き揚げ体験をもっ作家、宮尾登美子さんの回想である。「私だって今、孤

9. 天声人語にみる戦後50年 下

収容所列島 * 1 一人の偉大な作家は、一つの強大な政府に匹敵する。ただ一人、ロシアの大地にそびえ立っ作 家ソルジ、ニーツインの姿に、この言葉が決して形容のアヤでないことを知る。彼は、人間の勇 気が何をなし得るかを私たちに教えてくれた。 ソルジェニーツインが死ぬ覚悟をしていることは疑いない。「私が何者かに殺されたら、秘密 警察の手の届かぬ場所で私の作品は公表されるだろう」と公言してきた。秘密警察は躍起になっ てその原稿をさがし、極秘に保管していたレニングラードの婦人を逮捕した。彼女は百二十時間 一睡も許されぬ尋問をうけ、ついに保管場所を自白したあと自殺した。この知らせをうけたソル ジェニーツインは、用心のため国外に出した別のコビーによる二十六万語の『収容所列島』を、 リで出版することを承諾した。 それは各国語に訳され、やがてソ連といくつかの国をのぞく世界中の人々に読まれることにな るだろう。彼を投獄できるあらゆる理由を持ちながら、秘密警察はまだ手を下せずにいる。成り 行き次第では、ソ連の国際的な立場を苦境に陥れるほど、世界の良識の目が彼の一管の筆をじっ と見据えているからである。 『収容所列島』は、半世紀にわたるソ連の恐怖体制を克明に描き出したものだ。レーニンは革命 第一日に秘密警察をスタートさせ、それは国家存立の基礎となって今日までつづき、犠牲者数は

10. 天声人語にみる戦後50年 下

176 き、かっ戦う私たちの意志のあかしだ」。 * LO ・マー チトーの死 チトー大統領の死で、十九世紀生まれの世界の指導者は地球上から姿を消した。年表をくりな がら前世紀に生まれた世界的政治家の名を数えてみる。チトー氏と共にナチスと戦ったルーズベ ルト、チャーチル、スターリン、共に非同盟路線を歩んだネールの諸氏はすでにいない。 トルーマン、アイゼンハワー フルシチョフ、アトリー 毛沢東、ドゴール、ホー・チ・ミン、 といった十九世紀生まれの巨星たちは、第二次大戦後の歴史にそれぞれの個性的な光彩を放ち、 そして国際政治の舞台から消えていった。チトー氏は、その最後の星だった。 インタビューに答える生前の顔をテレビで見ながら、なんというがんじようそうな顔かと思っ ふき た。孤立無援の中でナチスと戦い抜いた顔だ。独立不羈の面魂である。 さすがのスターリンも、この反逆児には手を焼いた。裏切り者だ、ファシストの犬だと非難さ れながらも、この小国の指導者はついにソ連に屈することを拒んだ。「私は、別の道、スターリ ンへの譲歩の道を選ぶこともできた。そうしていたならば、私はさらに ( ソ連から ) 評価され、 光栄を与えられただろう。、、こが、 オその時こそ本当に魂を売ったと感じただろう」。ソ連の集中攻 撃をあびていたころのことばである。 ューゴの独立と解放をめざす指導者にとっては、ソ連の衛星国になることはまさに「魂を売 ( 8 ・ 4 ・没料歳 )