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検索対象: 天声人語にみる戦後50年 下
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1. 天声人語にみる戦後50年 下

ことを若い世代に伝え続ける、それはロでいうほどたやすいことではないが、生きて、敗戦を迎 えたものの義務でもあるだろう。 しかしいま、政府が検討している「戦没者追悼の日」ははたしてそういう種類のものなのだろ うか。それは、首相や閣僚の靖国神社公式参拝と結びついたものであり、さらにいえば、靖国神 社の国家護持を射程にいれたものなのではないか。 首相をはじめほとんどの閣僚が参拝する行事をいまさら「公式ではない」と強弁しても、通用 しにくい。公式参拝はしだいに定着しつつあり、公式参拝が定着するにつれて、靖国神社を宗教 法人のわくからはずす法律の実現が時間の問題になるだろう。 そうなれば、八月十五日の戦没者追悼式は公式の行事として靖国神社で行われ、政府関係者が そろって公式に出席するものになるだろう。それは「英霊に対する国民の尊崇の念を表すため、 その遺徳をしのび、その事績をたたえる」ような儀式になり、国防意識の高揚と結びついたもの になる。 年しかも、靖国神社にまつられているのは兵士だけではない。東条首相はじめ、破局へのかじと 和りをした責任者たちがまつられている。戦没者追悼のための国の公式行事は、戦争遂行責任者に 尊崇の念を表し、その事績をたたえ、結局は前大戦そのものを美化することになる。 年 そのことがはたして無念の死をとげた無数の戦没者たちの鎮魂になるだろうか。

2. 天声人語にみる戦後50年 下

ていた。 金主席の父親の生誕百周年には記念切手を発行した。ある記念日の朝の好天を報じた新聞は 「天気を含むすべてのことを、決心通りに操れる道術に通じた我々の親愛なる指導者、金正日同 志」と、礼賛して書いた。 何とも独特の精神主義、社会の仕組みである。だが、カリスマ的な指導者の死去は、一つの時 代の終わりを意味する。閉鎖社会を開く開明派の人々が登場して、ただちに次の時代を担うかど うかはわからないが : ・ 7 ・ 8 没歳 ) * 8 ・ 原爆犠牲者五十回忌 広島で、長崎で、全国の各地で、人々は頭を垂れた。原子爆弾の投下から四十九年、この夏は 原爆で亡くなった人々の五十回忌である。 きのうの長崎での「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」で、本島等市長は「平和宣言」を読み上げ 成た。核兵器が非人道的な絶対悪であり、その使用は国際法違反であると強調し、被爆者援護法を ただちに制定し、外国人被爆者にも同等の援護をするようにと求めた。 年 式典に集まった人々の中には、五十回忌まで何とか生きることができました、と述懐する人が いた。「家族の分も生きなければならぬ」と思い続けてきた人がいることだろう。大変な日々だ ったに違いない。時は過ぎてゆく。被爆者援護法の制定は急がなければならない。

3. 天声人語にみる戦後50年 下

118 おもろい会社 松下電器の社長に五十七歳の山下俊彦氏が内定した。年功序列を無視して平取締役を一気に昇 進させたこと、学歴より実力を重んじたことなどから、松下幸之助氏ごのみの「異例の人事」だ と評判になっている。 山下氏は工業学校卒で入社したたたきあげの人で、「理屈よりも決断と開き直り」が信条だと いう。しかし社内的には実績があっても対外的には無名だった。それほどの人材ならなぜもっと 早くから常務や副社長の経験をさせておかなかったのか、どうも不自然な人事だ、といぶかしむ 声もあるが、幹部の若返りは悪いことではない。 本田技研の創業者本田宗一郎氏が後継者に選んだ河島喜好社長は浜松工専出身で、今年まだ四 十八歳である。ついこの前、日本楽器のワンマン川上源一氏が社長に選んだのは四十七歳、名古 屋経専卒の河島博氏、つまり喜好氏の弟だった。ホンダ、ヤマハの競争会社の社長になった河島 兄弟は有名大学の出身者ではなく、実力だけでその地位をかちとった。ソニーの副社長、大賀典 雄氏もまだ四十代で、芸大出身である。 松下、本田、ソニー、日本楽器などはみな、卓越した創業者や実力者のカで戦後急速にのびた 企業だが、これらの企業が思い切った若返りを競いあっている風潮には目をみはる思いだ。そこ には学歴よりも実力を重んずる新風が吹いていることも見逃せない。受験地獄の解消も、結局は

4. 天声人語にみる戦後50年 下

212 惨劇を生んだもの 小さな容器にたくさんのハッカネズミをいれておくと、共食いがはじまる。ネズミたちは子を 食い、仲間にかみつく。傷口から血が流れるとみなで寄ってたかって骨までしゃぶるそうだ。 密室内のハッカネズミに起こることが、群馬山中、酷寒の「密室」で起こった。いや、ハッカ ネズミのばあいはまだ「個体数調節」というぬきさしならぬ本能の働きがある。連合赤軍事件の ばあいは、革命ごっこや加虐性がからんでの惨劇だった。首謀者たちには、あのネクロフィリア ( 死体愛好症 ) 的な衝動さえ隠されていたように思う。 永田洋子と坂口弘に死刑をいい渡した判決公判で、中野裁判長は永田の自己顕示欲や攻撃性を 重視した。しかし首謀者の異常さだけでは、この事件は説明できない。 十四人の粛清は集団のカで行われた。「兵士」たちはなぜ、首謀者の幼稚な理屈、冷酷な命令 に屈従し続けたのか、なぜ、むごたらしい私刑に進んで加担したのか、なぜ批判する勇気をもた なかったのか。彼らは鎖でつながれていたわけではなかった。それなのに脱走者はごく少数だっ 彼らを目に見えない鎖でしばりつけていたものはなにか。 ナチズム批判の書『破壊・人間性の解剖』の中で、エー リッヒ・フロムは書いている。「サデ イスティック ( 加虐的 ) な性格を持った人物も、反サディズム的な社会では本質的に無害であ る」と。加虐的な人間を指導者にまつりあげ、破壊的行動をとらせるのは、それを許す「サディ

5. 天声人語にみる戦後50年 下

二つの天皇 ( 当時 の鳥」が、焼け跡の街を流れていた。しかも震災から婚儀までの五カ月間に、 は摂政宮 ) 暗殺未遂事件が起きている。難波大助は死刑に、朴烈は特赦で死一等を減じられた。 その二年後、摂政宮は山口県に行かれたとき「難波の一家はどうしているか」と聞かれた。自 分の命をねらった者の家族のその後を心配されるという、心の広さをお持ちの方のようである。 御成婚で思い出されるのは「宮中某重大事件」だ。良子女王の母親の島津家に色盲の血統がある というので、山県有朋らが反対し、一時は破談寸前までいった。 良子女王は健眼だが、色盲因子をもっているかどうかの確率は半々。もし因子があれば、その 男子は健眼と色盲が半々、女子は健眼と因子保持者が半々。東大の五博士がこう結論したが、結 果的には、七人のお子さまに色盲は現れなかった。半世紀の幾山河に、多々、ご感懐もおありだ ろう。御慶を申しあげる。 公電漏洩判決 外務省公電漏洩事件の一審判決は、なかなか配慮のゆき届いた内容だと思われた。政府がポン ポンと「極秘」のハンコを押して、都合の悪いことは知らしむべからずでは、政治も行政も腐敗 する。主権者の国民は「知る権利」をもっている。 といって外交上の秘密を公開すれば、国益を損なう場合もある。政府は秘密主義のカラにこも るし、新聞は真実を明らかにすることが国益だと信じている。秘密を守る者と暴露する者との戦 ろうえい * 0 乙・ 4 ー

6. 天声人語にみる戦後50年 下

いがつづき、そのバランスの上に民主主義が成り立っている。 記者が政府のかくそうとする真実に迫るためには、安易な取材方法では厚い壁にはね返されて しまう。その点に判決が理解を示しているのは、われわれにとってありがたいことである。しか し記者無罪、女性有罪という結果に、後味の悪さが残るのはなぜだろうか。 一に、これほど報道と取材の自由が主張されながら、西山記者の取材が必すしも報道目的だ けに使われなかったことである。彼が記者活動として入手した電文は社会党代議士に渡され、政 府攻撃という党派的目的に利用された。もし新聞に報道されたことの是非でこの事件が争われた ら、後味の悪さはずいぶん救われたであろう。 第二に、情報提供者が逮捕されたことである。報道は情報提供者の信頼と支持を得て成り立ち、 たとえ裁判になっても、自分の口からは決してニュースソースを明かさないことが鉄則とされて いるが、その責任をつらぬくことができなかった。 第三に、取材に男女関係を利用したこともモラルとしてすっきりしない。 第四に、政府は法廷で「外交に重大な支障をきたす秘密文書だった」と主張してきたが、それ 眸 稲ほどの秘密漏洩ならば、責任者たちがほどなくつぎつぎと大使に栄転したのはどう解すべきなの か。他の者はすべて免れ、ただ一人うなだれて有罪の判決を聞く女があわれである。 年

7. 天声人語にみる戦後50年 下

民衆が怒り、王の首をはねた革命の歴史がこの発表に重なって思い出される。人々の恨みを買 った指導者の末路は無残だ。チャウシェスク夫妻は危険をさとり国外に逃げようとした。人々に 背を向け、逃げ出した指導者を思い出す。イランのパーレビ国王、ウガンダのアミン大統領、フ ィリピンのマルコス大統領 : 本来ならばチャウシェスク前大統領と実力者だったエレナ夫人とを公開の裁判にかけ、圧政を ただすのが法治国のやり方だろう。プカレストで市民の考えを取材した北山特派員によると、 人々の反応は「殺人者なのだから、当然だ」「なぜもっと民主的な裁判をしなかったのか」との 二つの意見に分かれているという。 逃亡が二十二日、処刑発表が二十五日。この早さには、それなりの理由があるに違いない。い まなお抵抗を続けるチャウシェスク支持派の治安警察部隊に親玉が死んだことを知らせ、士気を くじくという計算。あるいは人々の憤怒が私刑をも辞さぬほどの激しさで、それを発散させる措 置。 こんな推測もある。チャウシェスク氏は、強権をほしいままにした時代に秘密警察を使い、あ らゆることを知っていた。公開裁判になると彼の証言により不利益をこうむる人が出る : : : 。処 刑までの真相は不明だが、無血の東欧改革でここだけが「血の革命」になった ( ・肥・役ハ歳 )

8. 天声人語にみる戦後50年 下

因はカドミウムだ」と認めた。 どういうことかといえば、たとえば、なぜ風邪をひくのか。こんな簡単そうな病気でさえ、 と まの科学は百バーセントの厳密さでは説明できない。科学に百バーセントということはない、 もいえる。イタイイタイ病とカドミウムの因果関係にしても、百パーセントの解明を待っていた ら、何年かかるかわからない。 純学問的なむすかしさに加えて、真犯人の追及にはいろんな障害がある。企業秘密だからと会 社はよくエ場への立ち入り調査を拒否する。あるいは国や県が公害資料をだしたがらない場合だ ってある。裁判はますます長期化する。 それに公害の被害者は、多くは農民か漁民か、環境のいいところには住めない貧しい人々かだ。 お金はない。知識はない。長い裁判の費用が払えなくなって泣く泣く訴訟を取り下げるか、不満 ながら和解するのが通例だった。それが一般の加害者側の作戦でもあった。 そうではなくて、カドミウムと病気との因果関係を推定できる根拠があれば、それ以上百パ セントの厳密さを要しない。少なくとも、この推定をくつがえして身の潔白を証明するだけの証 拠は鉱山側にはない。だったら難病に泣いている被害者に早く慰謝料を支払いなさい 、と裁判所 はいうのである。 ごくごく常識的で、当たり前な考え方だと思って判決文を読んだ。これが明治いらい大規模な 訴訟では最初の被害者側の勝利だといい 、画期的な判決だともいうのが、むしろ不思議でならな

9. 天声人語にみる戦後50年 下

7 ような、やむを得ないとき以外には行使すべきではない、と信じている」と言う。官僚による規 制をできる限り撤廃、緩和し、意欲的な市民の創意を汲み上げる時だ。定数是正や政治改革は一一 = 〔 うに及ばぬ。 宮沢さんは早くから戦後の政治に携わり、これまでの全過程を見てきた。日本を新しい時代に 向けて改革し、一つの時代の幕を引くのも歴史的な役回りか。 筋を通し、説得する政治。新しい様式の実現を望みたい。 世界ェイズデー ェイズ ( 後天性免疫不全症候群 ) による死が相次ぐ。英国のロックバンド、「クイーン」のフ ー・リチャードソンさん。感染している、と引退を レディ・マーキュリーさん。映画監督のトニ ハスケットボールの花形選手マジック・ジョンソンさんだ。 発表したのは米国プロ・ 名を知られた人は目立つ。目立たぬ、おびただしい数の人がエイズに侵されている。世界保健 機関の推計では、全世界のエイズ発病患者は約百五十万人でその三分の一が子供、エ イズウイルス感染者は九百万人から千百万人という。 感染者の四分の三は異性間の性的交渉によると分析し、同性愛や麻薬使用者の病気といわれた ェイズが性病化した現実を指摘している。感染者は増加中で、今世紀末の予想は四千万人、とい うから大変な勢いだ。

10. 天声人語にみる戦後50年 下

在任わすか一年一カ月でチルネンコ書記長が亡くな 0 たあと、ゴルバチョフ氏が後継者に選 ばれた。就任演説に「情報公開」のくだりがあって、おやと思 0 た。ソ連もやはり、情報の公開 を説かざるをえない時代を迎えつつあるのか。 たとえば一昨年、ポルガ川航行中の客船が事故を起こし、多くの死傷者がでた。死者は百人を 超すという説もあった。だが、ソ連国内の報道は「事故があって犠牲者がでた : : 」とい , っそっ けないものだった。そのためにさまざまなデマが飛んだ。 機撃墜事件のときも詳細な情報の公開がなか 0 た。「機は無人スパイ機だ 0 た」。 軍関係者がモスクワの学校を回 0 てそう説明した、という話さえある。こういう極端な秘密主義、 情報独占に大衆が満足しなくなったことも事実らしい ( 高山智『モスクワ一八〇〇日し。 ゴルバチョフ氏の情報公開策がどのていどのものになるかは未知数だが、党や国家機関の活動 についての情報を適切に流すことで、大衆の自発的な社会参加を促す、デマを防ぐ、さらに高度 情報化社会に対応する、という政策は次第に形をなしてゆくだろう。 年テレビでソ連のフィギュアスケート選手の活躍を見ていて驚くのは、競技に使う音楽にジャズ 和やロックがふえてきたことだ。クラシックやロシア民謡にかわって、マイケル・ジャクソンの音 年 楽が飛びだす。欧米調のものをすべて「プルジョア退廃文化の所産」とい 0 て切り捨てるのが難 しい時代になっている。 人ひとは、、」 月荘を求め、マイカーを求め、情報公開を求める。そういう社会の変動に対応す るためにも、五十四歳という「若さ」は意味があるのだろう。農政の専門家としては、成績次第