関連年表 昭和 4 47 46 4 4 月 1 日関東学協・都学協合同結成大会に日学同が乱人。生学連と日学同の対立強ま る 1969 5 月 4 日全国学生自治体連絡協議会 ( 全国学協、鈴木邦男委員長 ) 結成 ( 0 月・つ乙・・ ) っ 4 8 9 日全国学協の役員会で鈴木邦男委員長と安東巌書記長が意見対立。鈴木委 員長、吉村和裕副委員長 ( 関西大 ) が辞任 材月 8 日神道政治連盟結成 1970 5 月 4 日全国学協の民族派全学連の結成延期される 7 月全国学協、生学連から離脱し独自路線へ ⅱ月 3 日全国学協が日本青年協議会を結成 ⅱ月日東京・市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地で三島事件起こる 1971 2 月囲日楯の会解散 1972 5 月日一水会 ( 鈴木邦男代表 ) 結成 7 月全国学生自治体連絡協議会が全国学生協議会連合 ( 全国学協 ) と改称 1973 9 月全国学協が日本青年協議会と訣別 ⅱ月日本青年協議会、 " 学協連動の正統なる継承団体。を主張 1974 3 月 1 日反憲法学生委員会全国連合 ( 反憲学連、宮崎正治議長。上部団体は日本青年 協議会 ) 結成 4 月 2 日日本を守る会結成 ⅱ月「昭和年を祝う国民の集い」開催 259
ういう運動たったのだが、自民党元参院議員の村上正邦によれば、「守る会」の結成前か らこれに熱心に取り組んでいたのが生学連に加え、日本青年協議会 ( 青協 ) という組織で あったという。 この日本青年協議会は 1970 年、前述した全国学協のらによって結成された。長 崎大での運動の流れを受けてつくられた全国学協は、基本的に生長の家系の生学連出身者 で占められていた。また、日本青年協議会が改組されるような形で発足した日本協議会も いまなお存続していて、実をいうと両組織の本部は日本会議と同し東京・目黒区内のビル に置かれている。すなわち、日本青年協議会・日本協議会とは日本会議の活動を支える実 務部隊なのである。 村上の話を続けよう。 「当初、青協の委員長を務めていたのが衛藤晟一さんでした。書記長が椛島有三さん、政 策部長が伊藤哲夫さんでね」 いすれも生学連の中核メイ 、パーだった面々ばかりですね。 「ええ。なかでも椛島さんはもともと長崎大で学生運動をやっていて、全共闘から自治会 の主導権を奪還した経歴を持っていた。彼は、谷口先生の教えに心底傾倒していました。 ただ、生学連の出身者は大学を出ると教団本部で働くんですが、彼はそうしませんでした。 100
動き出した。これを日本を守る国民会議や日本を守る会、日本青年協議会などは「謝罪決 議」と捉えて猛烈に反発、右派の総力を挙げた「国民運動」的な反対活動を繰り広げた。 ます 1994 年 4 月、日本を守る国民会議と日本を守る会が中心となって「終戦五十周 年国民委員会」 ( 会長・加瀬俊一 ) を立ち上げた。これに連動する形で日本を守る国民会議、 日本青年協議会、神道政治連盟、明治神宮の関係者らが参加して「青年キャラバン隊」を 結成し、全国各地で「謝罪決議反対」の署名を集める活動をスタートさせる。 同時に政界では自民党衆院議員・奥野誠亮を会長とする国会議員連盟もっくられた。中 央に「国民委員会」を結成し、全国各地に「キャラバン隊。を送って署名集めなどを行い 国会にも意を通した議員たちの組織をつくって政界を突きあげる・ーーお得意の手法がここ でも全面展開されたことになる。 最終的に「国民委員会」は″キャラバン隊。などが集めた 506 万人分もの「謝罪決議 反対署名」を提出して国会に請願し、「不戦・謝罪決議反対の国会議員を激励する国民集 会」 ( 1995 年 2 月日 ) や「謝罪・不戦決議を阻止する緊急集会」 ( 同 3 月川日 ) といっ た集会も波状的に開催した。『祖国と青年』誌も毎号のように特集を掲載し、「自社政権は 『革命』政権」「謝罪病をいかに治療するか」「終戦年の運動は、思想決戦に突人した」 といったアジ調の記事や論文が掲載されている。
教団に人ると幅広い大衆運動ができなくなると考えたのでしよう。そういう意味で彼は、 生粋の大衆運動家、天性のオルガナイザーでした。 しかも彼は名誉栄達やカネを求めない。面倒見もよかったから学生たちから尊敬され、 彼が一声かければ動き出す若い人たちが全国各地にたくさんいた。『守る会』が元号法制 化に取り組み始めた時も、椛島さんが事務局に加わってくれたんです。『守る会』が元号 法制化を求める地方議会の決議運動をスタートさせ、 1 年弱ほどで全国 1632 市町村の 議会決議を達成するんですが、この『地方から中央へ』という戦略を考えたのも椛島さん のでした。 生 一方、『守る会』には明治神宮からも宮司の外山勝志さんらが出てきて実務を担当して 蝣くれました。たから『守る会』の実務は事実上、生長の家と明治神宮の二本柱で構成され 1 ていたんです」 の っ 2 生長の家と明治神宮の二本柱で支えられたと村上がいう「日本を守る会」の運営。この 「守る会」が「日本を守る国民会議」と合流して日本会議が結成されたことを考えれば、 日本会議は人脈的にも、組織運営面でも、生長の家という新興宗教団体と明治神宮を主軸 とする神道界こそが源流であり、本質であると評して構わないだろう。 10 ー
元号 ( 年 ) 西暦 ( 年 ) 事項 和 3 1964 8 月囲日生長の家政治連盟 ( 生政連 ) 結成 昭 1966 5 月 1 日生長の家学生会全国総連合 ( 生学連 ) 結成 月日長崎大学で生学連が教養部自治会を手中に収める 材月日早稲田大学を中心に日本学生同盟 ( 日学同 ) 結成 1967 7 月 5 日長崎大学学生協議会結成 ⅱ月日総選挙での自民党支援をめぐって日学同が分裂。自民党系の反主流派は後に 消滅 月生学連、日学同が提携して原子力空母エンター。フライズの佐世保人港賛成の統一 行動 3 月日九州学生自治体連絡協議会 ( 九州学協、安東巌委員長 ) 結成。同年中に全国 9 、、フロックに地域学協を順次結成。 5 月日日学同、生学連などが参加して全国学生団体協議会 ( 全学協 ) を結成 月 5 日作家・三島由紀夫が民間防衛組織「楯の会」を結成 関連年表 4 4 1 ー 8 4 ー 2 5 8
和 昭 57 56 55 54 62 61 60 59 58 1976 6 月日靖国神社国家護持貫徹国民協議会が「英霊にこたえる会」と改称 ⅱ月 2 日天皇陛下在位年奉祝中央パレードを開催 ( 山岡荘八奉祝委員会会長 ) 1977 9 月元号法制化を求める地方議会決議運動が始まる 月日本青年協議会が元号法制化要求全国縦断キャラバン 1978 7 月衵日元号法制化実現国民会議 ( 石田和外議長 ) 結成 月 3 日元号法制化実現総決起国民大会開催 1979 6 月 6 日元号法制定 1980 8 月元号法制化運動以降の「国民運動」を訴え、全国縦断キャラバンを実施 1 ・ O - 8 月日日本を守る国民会議結成 ( 加瀬俊一議長、黛敏郎運営委員長 ) 1982 7 月領土領海の防衛規定を盛り込む自衛隊法改正運動開始 ⅱ月憲法改正草案作成に向けた政策委員会 ( 清水幾太郎委員長 ) が発足 1983 8 月日生長の家政治連合、活動停止を宣言 1984 3 月歴史教科書編纂委員会 ( 村尾次郎代表 ) が発足 1985 5 月昭和天皇在位年奉祝委員会 ( 稲山嘉寛会長 ) 結成 8 月歴史教科書編纂委員会、高校日本史教科書を文部省に検定申請 月憲法改正の運動方針を削除した自民党に立党の精神に戻るよう要請書を提出 材月日昭和天皇在位年奉祝運動の集いを開催 1986 7 月高校教科書「新編日本史」検定合格 1987 8 月日靖国神社で戦没者追悼中央国民集会を開始 ( 以後毎年開催 ) 260
" 成功体験。を得たという右派の政治運動とは、具体的にどのようなものなのか。また、 そうした「テクニック」を取り入れつつ、日本会議やその母体となった右派組織はいった いどのような運動に取り組んできたのか。 それを知ることは、日本会議の活動の原点と、そして実態を知ることにつながり、同時 に日本会議の目指すところを知ることにもつながる。逆に、日本会議や戦後日本の右派に きんせん とって " 最も琴線に触れるテーマ。とは何かをあらためて知ることにもつながるだろう。 さかのぼ したがって本章では、元号法制化に成功した 1970 年代にまで遡り、日本会議や、そ の母体となった日本を守る会と日本を守る国民会議が取り組んできた運動の具体的な中身 と経過を検証していくことにしたい。 主な参考文献とするのは、日本青年協議会・日本協議会の機関誌『祖国と青年』である。 すでに幾度か記したが、両会のトツ。フを務めてきた椛島有三は現在、日本会議の組織的な 要といえる事務総長に就いている。また、椛島自身もそうだが、両会はもともと生長の家 に出自を持つ者たちが結成し、現在は日本会議と同し場所に本部事務所を置いている。っ まり、実質的に日本会議の事務局的な役割を担ってもいるのである。 その機関誌である『祖国と青年』は 1970 年、日本青年協議会の結成と同時に創刊さ れ、その時々に取り組んだ政治運動の概略や中身がかなり詳細に記されていて、日本会議 160
第 1 章日本会議の現在 名誉会長 三好達 ( 元最高裁判所長官 ) 顧問 石井公一郎 ( フ・リヂストンサイクル元社長 ) 北白川道久 ( 神社本庁統理 ) 田久保忠衛 ( 杏林大学名誉教授 ) 副会長 安西愛子 ( 声楽家 ) 小田村四郎 ( 元拓殖大学総長 ) 代表委員 秋本協徳 ( 新生佛教教団最高顧問 ) 石原慎太郎 ( 作家 ) 板垣正 ( 元参議院議員 ) 市川晋松 ( 元日本相撲協会相談役 ) 伊藤憲一 ( 青山学院大学名誉教授 ) 稲山霊芳 ( 念法直教燈主 ) 今林賢郁 ( 国民文化研究会理事長 ) 人江隆則 ( 明治大学名誉教授 ) 宇都宮鐵彦 ( 日華代表取締役会長 ) 佐藤和男 ( 青山学院大学名誉教授 ) 佐伯彰一 ( 文芸評論家 ) 慶野義雄 ( 日本教師会会長 ) 黒住宗晴 ( 黒住教教主 ) 城内康光 ( 元ギリシャ大使 ) 加瀬英明 ( 外交評論家 ) 尾辻秀久 ( 日本遺族会前会長 ) 小串和夫 ( 熱田神宮宮司 ) 岡野聖法 ( 解脱会法主 ) 岡田光央 ( 崇教真光教え主 ) 大石泰彦 ( 東京大学名誉教授 ) 澁木正幸 志摩篤 ( 偕行社理事長 ) ( 日本会議経済人同志会会長 ) 4 5 椛島有三 ( 日本協議会会長 ) 事務総長 澁木正幸 加瀬英明 監事 小堀桂一郎 ( 東京大学名誉教授 ) 田中恆清 ( 神社本庁総長 ) 志摩淑子 ( 朝日写真ニ = ,. ース社会長 ) 住母家岩夫 ( 持続型環境実践研究会会長 ) 関口慶一 ( 佛所護念会教団会長 ) 千玄室 ( 茶道裏千家前家元 ) 髙城治延 ( 神宮少宮司 ) 武覚超 ( 比叡山延暦寺代表役員 ) 竹本忠雄 ( 筑波大学名誉教授 ) 長曽我部延昭 ( 神道政治連盟会長 ) 寺島泰三 ( 日本郷友連盟会長、英霊にこたえ る会会長 ) 徳川康久 ( 靖国神社宮司 ) 中島精太郎 ( 明治神宮宮司 ) 中野良子 ( オイスカインターナショナル総裁 ) 長谷川三千子 ( 埼玉大学名誉教授 ) 鷹司尚武 ( 神宮大宮司 ) 服部貞弘 ( 神道政治連盟常任顧問 ) 渡邊惠進 ( 前天台座主 ) 松村俊明 ( 日本会議常任理事 ) 男成洋三 ( 明治神宮崇敬会理事長 ) 横倉義武 ( 日本医師会会長 ) 村松英子 ( 女優・詩人 ) 丸山敏秋 ( 倫理研究所理事長 ) 松山文彦 ( 東京都神社庁庁長 ) 保積秀胤 ( 大和教団教主 ) 廣池幹堂 ( モラロジー研究所理事長 ) 事務局長 理事長
成 平 4 1999 8 月日国旗国歌法成立 2001 9 月日日本女性の会結成 ⅱ月 3 日「幻世紀の日本と憲法」有識者懇談会 ( 民間憲法臨調、三浦朱門代表 ) 設立 2002 3 月夫婦別姓に反対する国会議員署名が 117 名、国民請願署名が 170 万に達する 6 月材日国立追悼施設に反対する国民集会 2 。 03 1 月日「日本の教育改革」有識者懇談会 ( 民間教育臨調、西澤潤一会長 ) 設立 8 月教育基本法改正を訴え全国縦断キャラバン っ 4 0 0 4- 1 月小泉内閣が国立追悼施設建設を断念 4 月日日本会議経済人同志会設立 材月教育基本法改正を求める国民署名 350 万人を突破、教育基本法改正を求める中 央国民大会を開催 2005 3 月 6 日日本会議首都圏地方議員懇談会が設立 7 月終戦 8 年にあたり靖国神社幻万参拝運動を提唱 8 月日日本会議などの主催で「終戦年国民の集い」開催 2006 3 月 7 日「皇室の伝統を守る一万人大会」開催、「皇室の伝統を守る国民の会」設立 6 月教育基本法改正を求める国民署名 362 万名 月日「皇室の伝統を守る国会議員の会」 ( 島村宜伸会長 ) 設立 ⅱ月日安倍晋三首相に教育基本法の修正を要望 怩月日教育基本法が全面改正 262
昭和天皇在位年奉祝運動ーー 1985S 新年 昭和天皇在位年にあたる 1975 年にも奉祝運動や提灯パレードなどは執り行われ たが、在位 2 年に際しても、日本を守る会や日本を守る国民会議、日本青年協議会などが 中心となって奉祝運動や奉祝パレードが熱心に繰り広げられた。 いなやまよしひろ ここでも椛島は、経団連名誉会長の稲山嘉寛をトツ。フに据えた「天皇陛下御在位六十年 奉祝委員会」で事務局長という役職に就いている。また、国会にも奉祝国会議員連盟がっ くられ、東京都議会などでも同様の議員連盟がつくられた。 この「奉祝委員会」が主催し、日本武道館で「天皇陛下御在位六十年奉祝国民の集い」 が開かれたのは 1985 年Ⅱ月日。『祖国と青年』誌によれば、「全国津々浦々から馳せ 参した」という参加者は 1 万 2000 人に達したといい 、会場の情景を同誌はこう熱狂的 に綴っている。 〈切々たる天皇陛下への感謝の念は、会場を埋め尽くす参加者の胸にもしみ渡り、聖寿万 歳の際には、参加者一人一人が万感の思いを込めて叫ぶ「天皇陛下万歳 ! 」の声が一つと なり会場を揺り動かしたのであった〉 ( 19 8 6 年 1 月号より ) また、この翌 1986 年Ⅱ月には、同し「奉祝委員会」が主導し、東京・上野と新橋の 間を結ぶ奉祝パレードが開かれた。警視庁調べで 2 万 5000 人の群衆が最終的に皇居前 ちょうちん 172