それまでにあまり例のないような、はっきりした大きな変化だといいます。さらに、その とき何度かこの状態に入ったり出たりをくりかえしてもらいましたが、何度くりかえして も同じ変化が再現されました。 血流の急激な変化は、何か非日常的な現象と関係があるのかもしれませんが、この日の 測定の範囲では、梅若さんが考える「てんかん」のようなものと結びつけられるかどうか は判断できませんでした。それにしても、この大きな変化をどうとらえたらいいのでしょ うか。前頭葉の前方 ( 前頭前野 ) の血流が急激に低下したということは、その部分のはたら きが強く抑えられたと考えられます。前頭前野は思考や企画・判断など、もっとも人間的 な心を生み出す領域だといわれます。そのはたらきが強く抑えられるとは、どういうこと なのでしようか 日本の精神文化の伝統では、この前頭前野のはたらきはかならずしも無条件に歓迎され てはいないようです。前頭前野は、現在の目の前の状況だけには振りまわされないで、過 去の失敗なども振り返りながら、将来どのような結果につながるかを考えたうえで、いま 取るべき行動を選択する思考や決断にかかわっています。つまり、未来や過去をイメージ することが大事なはたらきだといえます。しかしこうした先読みは、一方では分別臭さ、 利害打算に振りまわされたり、策略を弄することにもつながります。道一兀は、過去と未来 184
ずです。逆に十分習熟した内部モデルにしたがって行動するとき、前頭前野はあまりはた らかずにすむのかもしれません。考えてみれば、本舞台で前頭前野をフルに使って ( 頭で 考えて ) いるようでは、見応えのある演技ができるはずはありません。前頭前野などまっ く動員する必要がなくなっていることが、理想の境地なのではないでしようか。 前にも書きましたように、一般に能では自らの表情をあえて使いません。顔以外の身体 表現を通して、ある意味で抽象的な能面に熱い血潮を通わせなければなりません。そのた めに、オー 、皀ま也の芸能にもまして、行為の内部モデ ーな身体表現をするのではなくム月 ( イ ルをきびしく純化していく道をめざしたのではないでしようか。梅若さんが特別の状態に 入るとき、前頭前野で血流が低下する一方で、運動をおこす運動野と、自分の身体がどの ような状態にあり、いまどんな動きをしているかをモニターする体性感覚野でいちじるし く血流が増加するということは、研ぎすまされた内部モデルを不純物なしに行為に移せる ような、最高の凖備状態ができていることをしめしているのではないでしようか。心と身 体がすきまなく一体化した「心身一如」の状態といえるかもしれません。 もちろんすぐれたスポーツマンも、連動の内部モデルを鍛えているはずですが、能がス ポーツとちがうのは、もとより、人間の心を表現することでしよう。梅若猶彦さんは、 ( います。しかしその内面性は、おそらく意識を使ってあれこ 「能は内面性が大事だ」と、 186
梅若猶彦を読む に引き裂かれた時間をもういちど現在に取りもどせ、と言っていたように記億します。雑 念からの解放をめざす坐禅は、前頭前野の無制限なはたらきをしずめる手つづきともいえ るのではないでしようか。梅若さんの前頭前野の血流の急激な低下は、そうした修養の見 事な成果のようにも受けとれます。 日本の芸道や武術の修業では、頭で覚えるより身体で覚えろ、とよくいわれます。身体 で覚えるといっても、もちろん脳で覚えるわけですが、「頭で覚える」のとは、脳の少し ちがう場所を使っているようです。脳科学の世界では、このところ「内部モデル」という 理論が注目されています。私たちは、状況の変化に応じて行動をおこしますが、そのとき 数多くの筋肉が動員され、しかもそれぞれちがったはたらき方をします。にもかかわらず その行動が瞬時にスムーズに遂行されるのは、その運動を引きおこす「内部モデル」 ( 神経 回路 ) が、あらかじめ脳の中に用意されているからだ、というのです。さらに運動だけで なく、イメージ、自分の外の世界のイメージも、それぞれ脳の中にモデルが用意されてい るのだ、という説があります。たとえば木を木と認めるのは、すでに脳の中に木の内部モ デルがあるからなのです。 何かをはじめて体験するとき、つまり新しい内部モデルをつくるとき、あるいはすでに 脳の中にある内部モデルを新しい組み合わせで考えるとき、前頭前野が活発にはたらくは からだ 185
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楽という伝統の世界で使うということは、逆の話かもしれませんが実際にそうなのです。よく 考えてみると、私は現在得たものを昔の場 ( 能楽 ) で使っていることになります。 コーヒーカップの身体性 ここでふたたび、冒頭のコーヒーカップの身体性にもどってきました。 能楽の達人と。ハントマイムの達人が、コーヒーを飲むとしたら : : : という一風変わったゲー ムの話でした。 一一人の主人公がいて、コーヒーを飮もうとしている。しかし彼らはけっして文学上の人物で 亠のってはな「ら、よい。 また特別の人物であってもならない。 つまり、演劇のコンテキスト ( 脈絡 ) を彼らは与えられていない。 体安易に感情移入をしてコーヒーを飲むことはできないという制限がついています。「ただの のコーヒーを飮むしぐさ」なのですが、かといって「ありきたりな日常でもない」ということで と 体 ここでの議論は、能楽師が能楽堂で型を演ずるようにコーヒーを飲むということが主眼では 現 表 ありません。型自体に疑問を投げかけるためにしくんだゲームです。 それでは、私なりに考えるコーヒーの飲み方を述べてみましよう。 107
変更することはひかえなければなりません。 このように書いてしまうと、なにやら能における制限のみが耳について、芸術にもっとも重 要な「創造性と自由」という問題を阻んでいる、と思われるかもしれません。しかし、考え方 によってはそうでもないのです。ただ「型を変更する」という、現代演劇にはスッとあてはま る概念そのものが、能楽にはそのままあてはめにくいのかもしれません。能ではあるていど型 を固定する必要があります。現代劇では冒頭のコーヒーを飲むという所作に、冫淵が顔をのぞか せたとしても、つぎの公演ではそれとは変わった演出のことを考える傾向があるかもしれませ ん。コーヒー飮みをオレンジジース飲みに変えることはそれなりに意義のあることですが、 能の場合、内面の変化を探ることが主であり、コーヒーはコーヒーとして固定しておくことが 内面を選択するうえでの固定された参照点として重要なのです。 また構造上のことですが、先ほどふれた文学の世界の想定された動きと、それを翻訳して舞 台に乗せる振付の、不思議な乖離が能の型をひんばんに変換できない原因になっているように 思えます。 能の振付の矛盾 たとえば、能のテキストに「義経が歩いた」と書いてあったとします。
ヒーを飮むしぐさから探ってみたいと思います。 型の文化論の発展 芸能は独自の身体性を所有し、それらを発展させてきました。古典芸能史や武術史は、身体 性の系譜ともいえるでしよう。 昔の芸能者が専門性を増すにつれて、修練によって身体の動きを学習する必要上、動きを再 生産するシステムを考えなければなりませんでした。そのもっともてっとり早い方法が、動き に「名前をつける作業」でした。 能楽も例外ではなく、そのシステムが強固に確立したのは江戸時代だったといわれています。 型のシステムの利益は、鑑賞する側つまり能を評価する側にとっても、能楽師自身にとって も、合理的な環境設定であったことは事実です。こうして型は、観る側にとっても、演ずる側 にとっても、何らかの「参照点」となりえたのだと思います。参照点とは、動きに定型を求め ることで確保できます。定型をもとに、初心者は修業をおこない、定型は何らかの評価基準の 確立にも貢献することになります。 こうして名前のついた身体の動きのパターンである「型」は、身体が描く軌道の最小単位と して、ある意味で「有形化された無形のもの」であったといえるでしよう。これが本章冒頭で
もの ) を型と呼べなくはないでしようが、それは現在使われている意味での型とはかけ離れた ものでした。まして彼自身、この二曲三体論に信仰、いをもっているわけではありません。彼の 信仰心はつねに「無」や「妙」に向いていました。 ところが、私たちが現在、「型」と言った場合、ある種の信仰心を含み、ときにその信仰は 能の舞台上の動きだけではなく、楽屋での礼儀作法にまでおよぶ場合もあるのです。 型と内面性の関係を整理することが、あの深い世阿弥の芸術論に近づく道ではないかと ます。 くりかえしますが、問題なのは型そのものではなく、それへの信仰心なのです。それはある システムの賜物であることも事実です。 でま、、 しつごろから、「型」が日本文化の「規範」として信仰されるようになったのでしょ 体うか。 身 の 、、よ、でしよう。そして型が確実に安 少なくとも江戸時代にその土台ができたことはまちが ( オし て 定期に入るのは、昭和だと思います。明治維新から昭和のはじめまでは、徳川幕府の保護を失 と 体つた能楽は弱肉強食の時代であり、型に信仰心をもっ余裕はなかったでしよう。 表 さて、いまから型がどのようなプロセスで発生していったかを書くことにしましよう。つぎ 、型が生みだした弊害にふれます。そのうえで、そもそも能楽の型とは何かを、冒頭のコー
はつおもて の役を卒業する一種の儀式に「初面」というものがあります。室町時代から大きさがほば決ま っている能面は、子どもには大きすぎることから、子どもが成長し、思春期を迎える前後、つ まり体が能面に合うようになるころ、はじめて能面を舞台でつけるのです。これが「初面」で しやっきよう 私自身も一四歳のときに、『石橋』という能で初面をすませました。そのときに、父が打っ た面をプレゼントしてもらったことを覚えています。はじめて自分で所有する能面でした ( 図 1 ・ 7 右上 ) 。 能面を大きく分類すると、つぎのようになります。 まず、尉という老人系の面があります ( 図 1 ・ 7 ) 。小尉、朝倉尉、三光尉、笑尉などです。 しゆら これらは脇能や修羅能のシテが、能の前半の化身のときにつける場合が多いものです。悪尉と うものもあります。小尉などとくらべると、はるかにおどろおどろしい表情をしています。 こおもてわかおんなぞうまごじろう つぎに、女面の系統があります。小面、若女、増、孫次郎はすべて気品にちた若く美しい おうみおんな 女性です。近江女だけは例外で、わざと庶民的になっているように思われます。 深井という面は同じく気品に満ちた女性ではありますが、中年の女性をあらわしています。 その深井と表情が類似している面に、曲見という面があります。これは深井よりも表情が強い でいがん のが特徴です。泥眼という面は、目が金色であり、これは現実の女性ではないことを表現して しやくみ あさくら さんこう