Chapter 2 「お金がないのに人を雇うのはもう懲りたんで、手堅く収入になる ものを目指しています。今売上げが伸びているんで人は募集してま すけど、最初のうちお金に苦労したことがあって、雇える範囲でし か雇わないですね。結果的にそれでチャンスを逃しているとしても、 あんな経験は 2 度としたくないですね。結局、潰れるところって いうのは単純にお金がなくて潰れていきますよ。 ともかくお金を借りて何かをやるとダメです。お金を借りて広告 打って、それによってこれくらい仕事が人るだろうと推測して打つ わけですが、絶対 ( 予測どおりの広告は ) 入んないですからね ( 笑 ) 。 持ってる分でやるならいいですけど、最初に借金してやるか、持っ ててやるかっていうのは大きな違いですね」 【実例 4 】ワインのオンライン販売 注文が人らない「無能サイト地獄」 サッポロビールを 45 歳で脱サラ spin 。 ut した加納忠幸 ( 51 歳 ) は、 20 年以上のサラリーマン生活で小さな不満が溜まっていた。仕事 はバリバリこなしたが、逆に勝手放題の仕事ぶりに周囲の風当たり criticism も強かったのだ。仕事に自信 confidence はあった。だが、 大企業ではやりたいことの半分もできない。それじゃあ、ひとつ、 実力勝負に賭けてみるか、そう意を決して独立した。 加納が選んだのは、勤めながらやっていた店舗コンサルタントだ。 辞める前から仕事の約束 pr 。 mise があった。ところが、独立した途 端、当てにしていた仕事 j 。 b が入らず、いきなり壁にぶつかった。 コンサルの仕事は「サッポロビール」の看板 title で取れていたのだ。 その後は、見込み違いカン違いの連続。 1 年後、サッポロビール時
Trapped IT Start-ups っている人たちが多かったんです。その人たちが仕事あげるよって ことで。あとは知人の会社へ行って、やらせてくれないかって営業 したり。実績をつくるために安くもやっています。赤字覚悟で。実 績をつくってようやく、最近は単価も 3 倍ぐらい上げてますしね。 昔と同じ仕事でも、今は " その単価じやできない " って言いますね。 2002 年から 2004 年までは、やれどもやれども赤字でした。だか ら個人で借りれるところまで ( カネを ) 借りて。これで浮上しなか ったらおしまいだというような気持ちでやってましたけどね」 実際のところ、仕事はコンスタントに取れたのか ? 「ホームページの制作の仕事って仕事を取り続けるしかないですよ ね。楽天さんみたいに安定した収人が人るビジネスモデルがあれば いいですが、つくっては納めてつくっては納めて、なんですよね。 そんなタイミングよく仕事があるわけじゃないですから、どうして も空いてしまう月もあるし。この仕事は実績勝負ですから、いきな り 1 人でやってる会社につくって、っていうことはないですよね。 だからどうしても最初は知人を頼ったり。 でも、おかげさまで取引先とトラブルらしいトラブルって今まで 1 度もないですよ。最初から強気でやってきましたんで、契約が違 えばこっちも黙ってませんし ( 笑 ) 。イメージしたよりもやり直し が多くて手間がかかってしまったってことはありましたが」 考えてみれば、ホリエモンの会社も最初はホームページ制作から 始まっている。これが IT 起業の「基本のキ」 meatandpotato とい うわけだ。だが、ホームページの制作 pr 。 ducti 。 n は、短いものだと 1 カ月かからないものもあるが、長いものだと最初に話があってか ら半年ほどかかるという。当然完成するまで支払い payment はな 51
Chapter 6 が、近い将来、停滞 ( 成熟 ) するという恐怖心が、逆に M & A へ の異常な執念に突っ走らせているのではないかと思われる。 この「過剰な執念」があるか ? だが、一般のサラリーマンに、 ないのなら、少なくとも起業する資格 qualificati 。 n もないと思った 方がいい。 失敗学を提唱している畑村洋太郎東大名誉教授は、何か新しいこ せんみつ とをやろうとする前には、「千三つの法則」が立ちはだかっている、 と警告 warn する。起業でも商品開発でも、成功の確率 probability はズバリ言って 0.3 % 、残りの 99.7 % は失敗するというのだ。 《新規事業には少なくとも 10 個ぐらいの要素が必要です。企画内 容、技術、事業を興す本人の資質、資金、設備、場所、人材、流行、 社会の経済状況、人脈といったものです。これらがすべてうまくい って初めて、事業が成功するのではないでしようか。しかし、ゼロ からのスタートなので、これら 10 個の要素がそれそれうまくいく か否かは、始まってみないとわかりません。吉と出るか凶と出るか の確率は 2 分の 1 です。成功率 2 分の 1 の要素が 10 個必要だとす ると、その成功率は 2 の 10 乗分の 1 、つまり、 1024 分の 1 になる のです。これは千三つよりもさらに低い確率です》 ( 『決定版失敗 学の法則』を要約 ) 現実には起業の 10 要素がすべて揃うなど不可能 impossible だ。 特に脱サラ起業家など、ほとんど見切り発車 snapdecisi 。 n でスター トしており、キケン度はもっと高い。畑村理論を採用すると「 100 % 地獄行き」が待っていると考えた方が正しいだろう。 180
Law of F ん代 0 Ⅱ t Start-up Business れ、トレンド・・・・・・そういうものがうまく噛み合って初めて成功でき るのだと思いますね。どれ 1 つ欠けてもダメだと思うのです。 今ふり返ってみれば、本部の方にもっとノウハウがあれば、別の 解決策もあったと思います。当時、本部自体にノウハウの蓄積がな かったんですよ。良くも悪くも、日本での実験店というと言いすぎ ですが、とにかく一緒にやってみましよう、というレベルだったん ですね。イギリスから上陸したばかりで日本市場で試行錯誤の時代 だったんです。うまくいかないオーナーを救える余力が、本部には なかった。どんなフランチャイズビジネスでも、参加した全員が儲 かるビジネスではないと思うんです。成功した人もいれば失敗した 人もいる。その中で一番大きな要素はやはり立地でしたねえ。 自分で何ができるかというのを証明したかったから独立したわけ ですが、その意気込みだけで。実は裏には、資金も知識も経験もな い。ないないづくしで無謀にも始めてしまったんですよ。その結果、 案の定失敗した。失敗すべくして失敗した典型的なパターンですよ ね、今思えば」 「楽になりたい」と思ったらゲームオーバー だが、借金を背負った小池は、これで起業家 entrepreneur をギ プアップしたわけじゃない。むしろ、こからが彼の本領発揮 genuinevalue といっていいかもしれない。 1999 年 1 月、小池はア ルバイト生活をしながらコンサルタントの旗を掲げる。失敗体験を 武器 weap 。 n にして次の事業テーマの模索に入るのである。それと 並行して今度は起業家支援のボランティア活動に乗り出していく。 157
Chapter 5 から店舗運営、マーケティング、販促サービス、店員教育と手探り gr 。 pe のまま必死で取り組んでいた。ザ・ボディショップの日本で の FC 展開の草創期 pi 。 neerda メ s の中核メンバーだったわけだ。そ して念願の一国一城の主になり、起業家のタマゴとして夢一杯、使 命感 senseofdu に燃えに燃えていた まず最初に疑問なのは、なぜショップを成田に出したのかという ことだろう。 「自分の家がたまたま成田にあったことと、当時 ( 1992 年 ) 、ニュ ータウンにお店を開きたいと思っていたとき、ちょうど『ポンベル タ』というイオン系 ( 当時ジャスコ ) の百貨店がオープンする話が あったんですよ。どうせならそこに出さないか、となってその話に 乗ったんです。しかし、成田が十分な商圏を持っていなかったこと と、バブル崩壊後の大きな経済の波を読む力が自分になかったこと が、失敗の大きな原因でしようね」 立地選定 siteselecti 。 n のミスは店舗ビジネスではよくあることだ。 だが、それに対して、小池は意外 unexpected なことを言った。 「イギリスのボディショップは、ひなびたところにもあるんですよ。 田舎のローカルな町にも、いたるところにあるんです。だから当然、 僕は成田でも成功するものと思っていたんです」 立地選定ミスと同時に、小池はイギリスと日本の市場性 ( 消費者 ) の違いに気づいていなかったのだ。商品やビジネスは、その市場が 生み、育てるモノだ。それに気づかないと、大きな見込み違いを起 「当時は自信満々でしたよ。ボディショップは俺が日本に広めるん だ、俺がやらないで誰がやる、そんな感じでしたねえ。実際、女性 154
Chapter 5 社の方が、先行投資がないぶん、かなりの確率で儲かるのだ。 現に武田と同じビジネスを始めた会社は数多いが、武田はそれほ ど心配はしていない。なぜなら、手間暇かかる薄利ビジネスだから、 大きな会社ではとても採算 c 。 stacc 。 unting が合わないし、バカバカ しくて熱心にやらないからだ。 最後に武田に今の気持ちを聞いてみた。 「最初の 3 年間は収入がなかったわけですけどね。もし起業しな くてそのまま会社を続けていたときの収人と、今のトータルの 10 年間の収支バランスを見たら、そんなに大して変わってないですよ。 この先どうなるかわからないですけどね。 サラリーマンのときは、もう終電ないから先に帰るよってそうい う仕事をしてましたからね。今、自宅で子供といつも一緒にいられ て、 3 食家族と食事ができて、それだけとったって、僕はすごくい いことだと思うんですね」 40 過ぎの脱サラの場合、大儲けを狙っていたら必ず失敗する。ム リもするし、背伸びもする。経験もない。場合によってはホラも吹 くし、ダマしたりもする。 だから、後は武田のようにひたすら。地道路線 " を狙うしかない。 それでも 2 、 3 年は女房に喰わせてもらうぐらいの覚悟がいる。そ れがイヤだったら何がなんでも会社にしがみつくことだ。 【実例 1 0 】インテリア・テザイン すべての収人が給料へ消える「人件費地獄」 企画力、営業力、実績バッグンのインテリア・店舗デザイナーの 服部玲子 ( 47 歳 ) は、肝心 ke メの経営がおろそかになり、借金返 140
Law of F ⅲん代 about Start-up Business 失敗、立ち上げちや失敗・・・・・・」 まさに「倒産地獄」にハマってしまう。 採用しても、無能な人間しか集まらない 森下が手を出したのは、食器洗浄器と関連のない英会話学校、 回転ずし、環境調査の会社、外人向け簡易ホテルと、まるで脈絡 train of thought がなかった 事業を始めるにあたり、やる気のある連中を集めてプロジェクト ところが、企画段階 planning stage チームをつくったまではいい。 では徹夜でガンばっていた人間も、実際始めてみると企画どおりに いかなくてやる気をなくしていった。売上げが予測 anticipation の 60 % しかなく、そのうえ経費 expense だけはキッチリ落ちていって、 利益が見込みの 3 分の 1 しか出ないような状態が、毎日続いたか らだ。 「食器洗浄器も、東京でやったときにツテとかなくて、それでやっ てても社員が 50 人とか 60 人とか増えてたし。まあどんな商売で も気合が入ってやりゃあうまくいくだろうみたいな、そんな考えが あったもんで・・・・・・脈絡もないし、ああこれからよさそうだな、とい うふうに取り組んでみただけで。バリバリやればできるという経験 上からの楽観的な考えだったから、これが失敗のモトだろうね」 森下は、質の低い社員 incapableemployee にも悩まされた。キョ ウドウのオフィスに、 3 回も連続して泥棒に人られたことがある。 犯人は誰だろうと思っていたら、社内の人間だった。 「社員は鍵を持ってるから、なかに入れちゃうわけだから。それで、 121
Law of Fai1ure about S tart-up Business みはなかった。だが、業界の伸びは期待 expect できなくても、自分 たちが食っていける見込み estimate はあったという。 それは、元いた会社でのノウハウがあったからだ。ただし、元の 会社は名古屋で、独立 start-up したのは東京。つまり人脈ゼロから のスタートだった。 外注先を信用するヤツはバカ 当初、元の会社から商品を買って転売 resell するというビジネス モデルだったが、 1 年くらい経ったら、 5 割ほどの値上げを通達さ れた。あまりにも理不尽 irrati 。 nal な話だったが、商品がなければ 商売もできない。そこで、やむなく自分たちで外注 outsource する ことになった。 最初に頼んだところは、商品の開発 devel 。 pment が非常に甘いメ ーカーだった。モノは不完全 inc 。 mplete で、お客のところで火事に なりかけたり、水がびしやびしやになったりと散々だった。 それが 1 年くらいあって、次の 1 年は別の取引先と契約 contract した。ところが、モーターは中古品 usedparts を使っているは、途 中から契約価格より 10 万円高い請求が来るは、こちらも散々だっ た。請求書 invoice に関しては、先方にクレームを出すと「イヤな らやめろ」と言われてしまったという。中小企業では、契約書なん か意味をなさないことがわかるだろう。 3 年目の取引 deal のところは、最初、つくってもらう日数がだい たい 45 日かかった。ところがどうやら採算 profit がよくないらし く、その後はいつまで経っても商品 pr 。 duct ができあがってこなか 119
He11 of Rip-offVictim パクリ屋と何ら変わらないウラの顔 another face を持っているもの ビジネスの本質、いや、商売の醍醐味 wh 。 lep 。 int は、この法律 をかいくぐったところにうまみがある。大企業のサクセスストーリ ーにも、社史 c 。 mpanyhist 。 ry に書けないエピソードの 1 つや 2 つ あるものだ。それは戦後の混乱期のことじゃない。今、現在のビジ ネス戦争の真っ只中で起こっている。 トイチ、トサンの借金地獄 コンサルタントの 1 枚のペーバーだけじゃ、当然、収まりませ んよね。警察も動くでしよう ? 「当然ですよ。みんな、お金もらえないので黙っちゃいない。サギ じゃないか、と騒ぎ出します。警察にも行くし、告訴なんかも準備 する。そこで幕引き役の顧問弁護士が登場してくるんですよ。悪徳 弁護士が。彼らはその弁護士に和解金を預けているんです。 1 つの 仕事で大体 2000 万ぐらい。弁護士もグルですからねえ。だから弁 護士は『もう、あの会社資産ゼロだから、金は取れない。社長だっ てポロアパート住まいだから、あきらめた方がいいよ』とか必死に 説得してくるんですよ。そんなとき、あの雇われ社長が生きてくる んです。実は、この和解金の 2000 万、成功報酬で全部弁護士が取 っていいんですよ。一件落着 500 万だとすると、弁護士のフトコ こうだ、と理由 口に 1500 万入るワケ。だから弁護士は、ああだ、 つけて和解話を持ちだすんですよ。弁護士も必死だよね。法律知識 を総動員して。まあ、大体、和解に持っていかれますけどね」 107
He11 of Rip-offVictim 商売の本質は " 法律をかいくぐって一人前 " ダマしの手口Ⅱが巧妙なら、パクリ屋の引き際も手が込んで いる。 事件が発覚 discovered したら、早朝 3 時から 5 時ごろ、つまり夜 と朝の隙間の時刻にトンズラするのだ。この時間帯にまさか追い込 みはないだろう、と彼らなりの経験上の読み anticipati 。 n がある。机、 椅子、電話、応接セットと事務所セットを一式トラックに満載応Ⅱ y loaded して、茨城県の某市に構えた倉庫にパクった商品を運び込む のである。 後は総仕上げを受け持つ、財務コンサルタントと弁護士の登場 である。パクリ屋専門のコンサルタントが都内に 5 ~ 6 人開業 operate しており、対応もマニュアル化しているという。 最初、引っかかったときはまさかパクリ屋だとわかりませんよ ね。支払い悪いな、ぐらいで。 「そう。支払いが止まりますよね。どうしたんですか、とこっちは 聞くじゃないですか。すると " ある事故が起きたので、 1 週間待っ てください " というんです。それから、あともう 1 週間、 1 週間と 引き延ばしにかかるんですよ。それはなぜか ? 実は 1 社をピン ポイントで狙ったんじゃなく、 20 ~ 30 社を同時に喰いものにして るんですよ。だから、 1 月支払いのところもあれば、 2 月支払いも ある。相手によって納品と支払いの時期がバラバラなんですよ。そ れで最後は時間稼ぎになるんですね、トンズラの。こっちはれ ) い 加減にしろ " と怒鳴るよね。『じゃあ、わかりました』と相手も観 105