月 - みる会図書館


検索対象: 起業バカ2 やってみたら地獄だった!
218件見つかりました。

1. 起業バカ2 やってみたら地獄だった!

Law of Fai1ure 0 Ⅱ t Start-up Business が思わしくなくなってきた。だが、 10 年くらい前に持ち直しはじめ、 「これは底を打ったな」 hitthebottom と思った森下は、新たな事業 を模索 seek していたのだ。 そのころちょうど、家庭用品のリサイクルをテレビでやってるの を見た。キョウドウそのものも、食器洗浄器の新品を売りながら中 古を引き上げてきて再生 ren 。 vate して売る、という半分メーカー 半分リサイクルのような業務だったこともあり、飲食店専門のリサ イクルが受けると直感 guess し、「テンポスパスターズ」という会 社を興した。 キョウドウは当時年商 10 億くらいで、中小企業としてはそこそ この規模 scale だった。そこで、リサイクルも「ちんまりやるんじ やしようがない」と、いきなり 500 坪の倉庫 storage を借りてしま った。 家賃が 150 万で、社員の給料が 120 万くらい。ビラ代や折込代 に 1 カ月 100 万くらい使うと、あわせて月に 350 万くらいの経費 expense を使う計算だ。ところが 3 カ月くらい 30 万くらいの売上 け revenue しかなかった。 1 日 30 件とか 50 件の営業電話をかけたが、効果 e 飛 ct はなかった。 ビラ配りもダメ、飛び込み営業もダメ、新聞広告もダイレクトメー ルも全部ダメだった。 「 4 カ月で 1300 万か 1400 万くらい使って、ほとんど赤字だった。 ところが、 ( 1997 年 ) 5 月に新聞記事に出て 6 月、 7 月には 500 坪 の倉庫が満杯になった。 7 月には初めて単月の黒字。 1500 万くら いの売上げで利益が 100 万とか 150 万くらいの数字で 7 月、 8 月、 ・・ 11 月にキョウドウの資金がつきて」 9 月とやってたんだけど・・ 123

2. 起業バカ2 やってみたら地獄だった!

Chapter 5 当時、キョウドウは 1 年間で 8000 万くらいの赤字 debt を膨ら ませていた。テンポスは月 100 万くらいの利益はあったが、もち ろん親会社 parentcompany のキョウドウを支える余裕はない。そこ で、森下はキョウドウの解散 breakup を決めた。 「当時 57 ~ 58 人いた社員を 12 月 28 日に集めて、もう 1 月に来 ても、 1 月末の倒産整理をするだけだから、仕事はないよと宣言し て。でも、解散宣言したけど 1 月に社員が 35 ~ 36 人出てきたん だよね。ヤル気のある社員じゃなく、解散を理解できないような社 員だったよ。ところが、 1 月末に不渡りが出る予定だったのが、 1 月 24 日に中小企業金融公庫が 2500 万円貸してくれたのでどうに か乗り切ってしまった。社員が半分に減ったけど、なぜか 3 月に それまでの 3 倍の 4500 万円の売上げが立った。 4 月には 6000 万 円くらいになった。なぜ、売上げが上がったのか、さつばりわから ないがね・・ 。それでなんとか助かったんですよ」 森下篤史の話を聞くと、まさに綱渡り経営 rope dance management だ。だが、中古厨房機器販売の成功は、運の良さもあるが、森下な りの計算が働いている。厨房機器リサイクルという新業態をつくり、 商品仕入れの囲い込み cl 。 sure を狙って素早く全国ネットワークを 完成させた点だ。中古は仕入れが命という点を知り抜いている。 テンポスパスターズは、現在、直営とフランチャイズあわせて 27 店ある。さらに資金 fund に困っている飲食店向けに、カネを融 資 finance するテンポスファイナンスも立ち上げた。キョウドウも 含め、今はかなり順調といっていいだろう。後は彼の手腕 skill で どれだけ業績 performance を伸ばせるか、人材育成がカギだ。 最後に彼に経営者として一番重要なことは何かと聞いた。 124

3. 起業バカ2 やってみたら地獄だった!

Franchise Business Hell Anywhere :lhis ls the Way 0fFraudulence 台の購入費などを入れると、亀井のフトコロに一体どれだけのカネ が入ったか想像もできない。このなりふり構わず暴利 unreas 。 nable payment をむさぼる亀井の姿には、ただただ呆れかえるほかない。 ちなみに、右腕の小瀬川義治取締役の 2004 年の年収 annual income は 800 万円、大田浩一取締役も 800 万円である。熊谷由美 子代表取締役は 650 万円だ。 ラゴラが設立 establish されたのは 2003 年 12 月 10 日、取締役会 で破産を決めたのが 2005 年 7 月 9 日のことだ。事業の活動期間は 1 年 7 カ月。 それでは、一体、ラゴラはどれだけ儲かったのか。 この間のラゴラの収益額を推 関係者の証言 testimony をもとに 定 estimate してみると、加盟金関係が 2 億 2200 万円、レセプトコ ンピュータ関係が 1 億 5000 万円、内装工事関係が 5000 万円となり、 少なく見積もっても 4 億 2200 万円ほどの収入 revenue を上げた計 こから事務所家賃、人件費 ( 亀井の報酬含む ) 、広告 算になる。 宣伝費などを差し引いても数千万円の純益 pr 。 fit が出ているはずで ある。会社破産などは考えられない。 それが、 6 月 30 日、亀井社長の失踪 disappearance 、 7 月 9 日、 社内会議室での破産決定、 7 月 25 日、東京地裁への破産申し立て とあまりに唐突 abruptly にコトが運んでいる。これは関係者や警察 の手から逃れるための急転直下の偽装倒産 fake bankruptcy ではない か。この幕引劇には、亀井と親しい司法関係者、会計関係者らがか らんでいる疑いが見えてくる。 東京地裁に提出したラゴラの破産申立書によると、負債総額 accumulateddebt は 2 億 8703 万円。このうち回収見込み額はたっ 89

4. 起業バカ2 やってみたら地獄だった!

How I Fe11 into the He11 「調剤薬局っていうのは、いろいろな規制があって自由に経営でき ないんですよ。チラシを作って撒く、患者の心を掴んで、とかのサ ービスが一切できないんですよ。なんだこりゃあ、って感じですよ ね。得意の攻めの営業ができないワケ。患者さんの自然増を待っし かないワケですよ。この商売のやり方の見込み違いもありましたよ ねえ」 PR も何もしないので患者 patient がいきなり来るわけもなかっ たが、それでも次第に処方箋 prescripti 。 n の数は増えていった。最 初のうちは処方箋が月に 30 枚くらい、それが月 100 枚、 150 枚、 180 枚と右肩上がりに増えていった。 「でも、 1 日当たりにすると 7 、 8 枚。予想では 65 枚のハズがですよ。 近くの薬局は ( 1 日で ) 70 ~ 90 枚、薬剤師会の薬局なんか 170 ~ 180 枚も出ているんですよ」 もちろんこの段階で、出資 invest した父親からも妻からも猛反対 こで木村は粘り腰になる。営業マン時代の " 強気 が続く。だが、 の虫 " が出てきたのだ。冬場の 1 月、 2 月はインフルエンザなどで 売上げ sales の数字が上がると期待 expect した。ところが最後の望 み thelasthope もそれほどではなく、次第に金策 finance が大変にな っていった しかも悪いときには、不幸 mis 応 rtune が重なるものだ。創業時の ドロ沼状態が続くなか、 82 歳の父親がガンで緊急人院し手術した。 父親の看病 care が重なったのだ。それで現場を見ることができな くなった。 「カミさんは昼間仕事なので、私とセガレしかいないんですよ。そ れでセガレと交替でオヤジの看病に茨城に戻ることになったんで 27

5. 起業バカ2 やってみたら地獄だった!

He11 of Rip-offVictim でも今回は初めてなので月末締めの翌月末払いでどうでしよう、 と条件を切り出すわけですね。それに乗ってしまったらもう " 大ガ モ " です。普通は現金取引にしたいというのが大半ですよ。しかし、 実はそこが企業のバカさ加減なんですね、まあ、僕もそのカラクリ に引っかかったんだけど それじゃあ、ヤツらはどう出るか。 1 月から取引がスタートした とすると、最初の月は 30 万とか、 50 万以上は絶対仕入れないんで す。現金払いだから。引き屋は仕入れた商品を買い屋に、 " 引きの 55 % " で売る。これが原則。そうすると 45 % の損。最初はそれで いいんですよ。次の 2 月から信用がついて " 締後 " でいくという話 になったら、彼らは勝負をかけるんですよ。あたかも大口が決まっ たかのような話をして 100 万ぐらいの取引をする。それはちゃん と 3 月末に支払うんです。その後 2 月中にとんでもない取引を持 ちかけるんですよ。 1000 万とか 2000 万とか ところが、みんな現金で払ってくれた、締後もきちんと約束日に 払ってくれたというので、信用してみんな喜んで商品を出しちゃう んですね。それに彼らは仕入れ値をあまりタタかない。常識の範囲 内でしかタタかない。多少、割高でも買ってくれるんで、みんなウ マ味を感じてどんどん取引額を増やしていくわけですよ」 ーー最初は時計をやられたんですよね。 「そう、最初の 1 社は腕時計から始まったんです。そこの会社に 行くと、家電が山積みになっていたんです。それを見て " オレ家電 もできるんですよ " と言ったワケ。そのとき相手は何の返事もしな かったね。すると 1 週間後、注文の電話が入ってきて。それから どんどん取引額が多くなっていったんですよ。そうこうするうち、 101

6. 起業バカ2 やってみたら地獄だった!

Chapter 3 を分けあう契約だった。 2004 年 12 月に薬局はオープン。しかし、 いつの間にかラゴラの直営店。 wnsh 。 p になっており、単なる出資 者に追いやられていた。 オープン後も、ラゴラは粗品 freegift を配り違法の客引き street solicitation を繰り返した。病院の反発 backlash を受けるからやめて くれと要求すると、亀井社長は「弁護士に確認したが、違法じゃな い。オレは政治家とつながりがあるので病院と話がつけられる」と 反発。だが、後日、社会保険庁 social lnsurance Agency より中止勧 告が出ていたことが判明した。 結局、病院側の反発をくらってわずか 2 カ月で閉鎖した。その ときも閉鎖の相談 meeting は一切なかった。閉店後、ラゴラはレセ プトコンピュータなど機器関係を 275 万円で買い取ると約束した が、その約束はいまだに実行 execute されておらず、 1500 万円を詐 取されたも同然となった。 堺市の男性 ( 38 歳 ) のケースは取り込み詐欺そのものだ。 彼は 2005 年 4 月に契約、 7 月に和歌山市内にオープンの予定で、 6 月から店舗の内装工事に入った。この頃になるとラゴラも金づま りになり、社員の給料 salary が払えるかどうかというギリギリの状 じゅうき 況に追い込まれていた。それでラゴラは、金集めのため什器備品の リース契約の保証金 dep 。 sit という名目で 977 万円を振り込むよう 要求してきた。これは店舗工事が終わり、什器関係を搬入した後す ぐ全額返すとの約束だった。 その後、工事が終わったので什器類の搬入 installation を要求した が実行されなかった。保証金の返金日も 10 日、 2 週間と引き延ば され、結局、全額ダマし取られてしまったのだ。もちろん、その後、 84

7. 起業バカ2 やってみたら地獄だった!

Column 4 ☆ C01umn4 中国ビジネスには手を出すな ! 脱サラ社長や体力のないべンチャーなど、絶対、中国ビジネスに手を 出してはならない。おいしい話にうつかり乗ると、屋台骨が揺らぐほど の痛手を負いかねない。半端な人脈で手を出すと、それこそ地獄を見る だろう。それはズバリ「ヒトとカネ」が理由である。私自身、 2004 年夏、 中国政府の広報 PR の仕事を請け負い、痛い目にあった。誤解のないよ う言っておくが、中国が悪いとか、中国人がズルいとかの問題じゃない。 日中間の政治・経済・社会体制の違いによるものだ。つまり、北京・上 海は自由経済だ、中国は WTO ( 世界貿易機関 ) に加盟したと言っても、 根っこのところは「共産党株式会社」ということである。 私が引き受けたのは、日本市場での中国産マッタケの広報プロモーシ ョンである。知人で中国ビジネスコンサルタント ( 帰化中国人 ) が窓口。 マッタケは世界広しといえども日本人だけが珍重する。中国人はもちろ ん、韓国人、ヨーロッパ人も喜ばない。そこで中国政府は残留農薬問題 の解消を狙って、 7 月末の 3 日間、マッタケ産地の雲南省シャングリラ で「世界初のマッタケサミット」を開くことになった。その広報プロモ ーションをやってほしい、という依頼だった。 このマッタケサミットは、雲南省政府・シャングリラ州政府・中国キ ノコ協会の共催。北京の中央政府も深くからんでいる。 当時、ドン底で現金収入がほしかった私は、この話に渡りに船とばか りに飛びついた。経験もありスタッフもいた。私は「 5 月、 6 月の 2 カ月 で新聞・雑誌にニュースリリースを打ち、最後に農水省で記者発表する」 という内容を考えた。 事務局を設置し、スタッフは 3 人、予算は 200 万円。これは費用も準 備もギリギリのお友達値段だ。電通に頼むと倍はかかるだろう。仕事を 受注したのが 5 月 20 日、 6 月 20 日広報団来日、 6 月 23 日記者発表。す べてがオセオセだったが、なんとか形を整えることができた。 ところが、フタを開けたらサミットの概要がまだ決まっていなかった。 日程も予算も未定。そもそも、「広報」の概念も実際もわかっていなかった。 中国の窓口も、北京政府、雲南省政府、シャングリラ州政府、キノコ協 会の寄り合い所帯。それそれの負担金も決まっておらず、利害が対立し、 予算は最後まで揉めにモメた。 187

8. 起業バカ2 やってみたら地獄だった!

References 畑村洋太郎『決定版失敗学の法則』文藝春秋、 2002 芳賀繁『失敗のメカニズム』角川文庫、 2003 夏目幸明『掟破りの成功法則』 PHP 研究所、 2005 玄秀盛『新宿歌舞伎町駆けこみ寺』角川春樹事務所、 2003 玄秀盛『一日一生、新宿歌舞伎町駆けこみ寺』角川春樹事務所、 2004 村田博文『どん底からはい上がれ』財界研究所、 1999 安田隆夫『ドン・キホーテ闘魂経営』徳間書店、 2005 堀内九一郎『どん底からの成功法則』サンマーク出版、 2004 藤田晋『渋谷ではたらく社長の告白』アメーバブックス、 2005 折ロ雅博『プロ経営者の条件』徳間書店、 2005 『日経ビジネス』 2005 年 9 月 26 日号「ユニクロ作り直し、柳井正、 無限成長への執念」 『月刊 B 〇 ss 』 2005 年 10 月号、「挫折を乗り越えた 10 人のサムライ」 『田原総一朗責任編集、オフレコ』 2005 年 8 月号「堀江貴文イン 215 このほか、多くの新聞、雑誌、ネット記事などを参考にさせてい タビュー、僕は " 本音 " しか話したくないんです」 ただいた

9. 起業バカ2 やってみたら地獄だった!

Chapter 4 品などありとあらゆるもの。要はカネに換金しやすいものですよね、 彼らが目をつけるのは・・ 時計はどんなものを ? 「上は 100 万円台のロレックスから下は 1 万円ぐらいのものまで いろいろですね」 10 万、 20 万のものも ? 「もちろん、そんな値段のものはいつばい。バッグもそう。それこ そ、 1000 円とか 2000 円台の雑貨バッグから、上はシャネル、工 ルメスとすべてのプランド。ヴィトンはやってなかったけど」 彼らは何を欲しがりましたか。 「一番お金になるのは家電製品と酒なんですよ。店でパッと売れる もの、たとえばパソコン、ラジカセ、デジカメ、ビデオカメラ、フ ァンヒーターなど。ビールや洋酒も狙ってましたね」 最終的な被害額はどのくらいですか ? 「納人額ベースでいうと 1 億 3000 万円ですね。パクリ屋 3 社にヤ ラれたんですよ。 1998 年の 9 月と 10 月、最後の 1 件は手形でひ き延ばされて最終的には翌年の 4 月になりましたけどね」 パクリ屋と見破ることはできなかったんですか。 「今の僕ならできるけど、あのときの僕はできなかったよねえ。な ぜなら、ヤツらは相手を納得させる舞台をキチッとつくってるんで すよ。僕が最初に引っかかったのは、『全国の農協や米穀関係の団 体にパイプがあって』という触れ込み。『地方のイベントやノベル ティで使う商品を探してる、会員が非常に多いから優待したり配っ たり、 1 回の商品の注文量が多いんですよね』と。 そういう人たちに喜ばれるのがお宅の商品だ、いうわけですよ。

10. 起業バカ2 やってみたら地獄だった!

Trapped IT Start-ups ワインを販売するためにはデータベースが必要だ。そのデータベ ースは第三者に見られないようにサーバー上に置かれ、独自のプロ グラムがそれを呼び出す仕組み mechanism になっている。 この仕組みを CGI (Common Gateway lnterface) や SSI (Server SideIncIude) というのだが、要はデータがネットの奥にしまわれて いるため、グーグルやヤフーといった検索では引っかからないのだ。 「検索に引っかからないから、最初のうちはぜんぜん売れないし、 たいしてそのあとも売上げは伸びなかった。楽天に出店し始めてか ら少しずっ伸びて。それで今年 (2005 年 ) の 4 月、もとのプログ ラムでつくったサイトを捨てちゃったわけです。それで自分でつく り直したわけです。プロに頼まず。そしたら、 200 万もかけてつく ったサイトより今のほうがよっぽどオーダーが人ってくる」 では、どうして楽天から撤退したのか ? 「楽天にはコンサルタントがいて、売上げを上げるには ( メール ) アドレスを集めましよう、広告を出しましようとか言うわけですよ。 最初のうちは広告をやったり、毎月毎月、懸賞をやってアドレス集 めをしてたんですが、いっこうに利益が出なかったですよ。懸賞の 商品もあるし、楽天に 1 回広告を出すと 5 万とか 10 万とかすごい 高くて、それをやっているとお金をすごい遣っちゃうんです」 楽天への出店は、当初、月 5 万円ぼっきりだったが、現在は出 店料に加え、売上げに応じて課金 charge される。余談ながら、現 在は 100 万円以下の売上げには課金されないが、 2006 年 1 月から は全額対象となる。 「今私が力を人れてるのは、検索で引っかかるべージをつくること です。 " ワイン " で検索する人はあまりいないですね、基本的には 59