Law of Fai1ure 0 Ⅱ t Start-up Business が思わしくなくなってきた。だが、 10 年くらい前に持ち直しはじめ、 「これは底を打ったな」 hitthebottom と思った森下は、新たな事業 を模索 seek していたのだ。 そのころちょうど、家庭用品のリサイクルをテレビでやってるの を見た。キョウドウそのものも、食器洗浄器の新品を売りながら中 古を引き上げてきて再生 ren 。 vate して売る、という半分メーカー 半分リサイクルのような業務だったこともあり、飲食店専門のリサ イクルが受けると直感 guess し、「テンポスパスターズ」という会 社を興した。 キョウドウは当時年商 10 億くらいで、中小企業としてはそこそ この規模 scale だった。そこで、リサイクルも「ちんまりやるんじ やしようがない」と、いきなり 500 坪の倉庫 storage を借りてしま った。 家賃が 150 万で、社員の給料が 120 万くらい。ビラ代や折込代 に 1 カ月 100 万くらい使うと、あわせて月に 350 万くらいの経費 expense を使う計算だ。ところが 3 カ月くらい 30 万くらいの売上 け revenue しかなかった。 1 日 30 件とか 50 件の営業電話をかけたが、効果 e 飛 ct はなかった。 ビラ配りもダメ、飛び込み営業もダメ、新聞広告もダイレクトメー ルも全部ダメだった。 「 4 カ月で 1300 万か 1400 万くらい使って、ほとんど赤字だった。 ところが、 ( 1997 年 ) 5 月に新聞記事に出て 6 月、 7 月には 500 坪 の倉庫が満杯になった。 7 月には初めて単月の黒字。 1500 万くら いの売上げで利益が 100 万とか 150 万くらいの数字で 7 月、 8 月、 ・・ 11 月にキョウドウの資金がつきて」 9 月とやってたんだけど・・ 123
Chapter 5 当時、キョウドウは 1 年間で 8000 万くらいの赤字 debt を膨ら ませていた。テンポスは月 100 万くらいの利益はあったが、もち ろん親会社 parentcompany のキョウドウを支える余裕はない。そこ で、森下はキョウドウの解散 breakup を決めた。 「当時 57 ~ 58 人いた社員を 12 月 28 日に集めて、もう 1 月に来 ても、 1 月末の倒産整理をするだけだから、仕事はないよと宣言し て。でも、解散宣言したけど 1 月に社員が 35 ~ 36 人出てきたん だよね。ヤル気のある社員じゃなく、解散を理解できないような社 員だったよ。ところが、 1 月末に不渡りが出る予定だったのが、 1 月 24 日に中小企業金融公庫が 2500 万円貸してくれたのでどうに か乗り切ってしまった。社員が半分に減ったけど、なぜか 3 月に それまでの 3 倍の 4500 万円の売上げが立った。 4 月には 6000 万 円くらいになった。なぜ、売上げが上がったのか、さつばりわから ないがね・・ 。それでなんとか助かったんですよ」 森下篤史の話を聞くと、まさに綱渡り経営 rope dance management だ。だが、中古厨房機器販売の成功は、運の良さもあるが、森下な りの計算が働いている。厨房機器リサイクルという新業態をつくり、 商品仕入れの囲い込み cl 。 sure を狙って素早く全国ネットワークを 完成させた点だ。中古は仕入れが命という点を知り抜いている。 テンポスパスターズは、現在、直営とフランチャイズあわせて 27 店ある。さらに資金 fund に困っている飲食店向けに、カネを融 資 finance するテンポスファイナンスも立ち上げた。キョウドウも 含め、今はかなり順調といっていいだろう。後は彼の手腕 skill で どれだけ業績 performance を伸ばせるか、人材育成がカギだ。 最後に彼に経営者として一番重要なことは何かと聞いた。 124
Franchise Business Hell Anywhere :lhis ls the Way 0fFraudulence 台の購入費などを入れると、亀井のフトコロに一体どれだけのカネ が入ったか想像もできない。このなりふり構わず暴利 unreas 。 nable payment をむさぼる亀井の姿には、ただただ呆れかえるほかない。 ちなみに、右腕の小瀬川義治取締役の 2004 年の年収 annual income は 800 万円、大田浩一取締役も 800 万円である。熊谷由美 子代表取締役は 650 万円だ。 ラゴラが設立 establish されたのは 2003 年 12 月 10 日、取締役会 で破産を決めたのが 2005 年 7 月 9 日のことだ。事業の活動期間は 1 年 7 カ月。 それでは、一体、ラゴラはどれだけ儲かったのか。 この間のラゴラの収益額を推 関係者の証言 testimony をもとに 定 estimate してみると、加盟金関係が 2 億 2200 万円、レセプトコ ンピュータ関係が 1 億 5000 万円、内装工事関係が 5000 万円となり、 少なく見積もっても 4 億 2200 万円ほどの収入 revenue を上げた計 こから事務所家賃、人件費 ( 亀井の報酬含む ) 、広告 算になる。 宣伝費などを差し引いても数千万円の純益 pr 。 fit が出ているはずで ある。会社破産などは考えられない。 それが、 6 月 30 日、亀井社長の失踪 disappearance 、 7 月 9 日、 社内会議室での破産決定、 7 月 25 日、東京地裁への破産申し立て とあまりに唐突 abruptly にコトが運んでいる。これは関係者や警察 の手から逃れるための急転直下の偽装倒産 fake bankruptcy ではない か。この幕引劇には、亀井と親しい司法関係者、会計関係者らがか らんでいる疑いが見えてくる。 東京地裁に提出したラゴラの破産申立書によると、負債総額 accumulateddebt は 2 億 8703 万円。このうち回収見込み額はたっ 89
How I Fe11 into the He11 「調剤薬局っていうのは、いろいろな規制があって自由に経営でき ないんですよ。チラシを作って撒く、患者の心を掴んで、とかのサ ービスが一切できないんですよ。なんだこりゃあ、って感じですよ ね。得意の攻めの営業ができないワケ。患者さんの自然増を待っし かないワケですよ。この商売のやり方の見込み違いもありましたよ ねえ」 PR も何もしないので患者 patient がいきなり来るわけもなかっ たが、それでも次第に処方箋 prescripti 。 n の数は増えていった。最 初のうちは処方箋が月に 30 枚くらい、それが月 100 枚、 150 枚、 180 枚と右肩上がりに増えていった。 「でも、 1 日当たりにすると 7 、 8 枚。予想では 65 枚のハズがですよ。 近くの薬局は ( 1 日で ) 70 ~ 90 枚、薬剤師会の薬局なんか 170 ~ 180 枚も出ているんですよ」 もちろんこの段階で、出資 invest した父親からも妻からも猛反対 こで木村は粘り腰になる。営業マン時代の " 強気 が続く。だが、 の虫 " が出てきたのだ。冬場の 1 月、 2 月はインフルエンザなどで 売上げ sales の数字が上がると期待 expect した。ところが最後の望 み thelasthope もそれほどではなく、次第に金策 finance が大変にな っていった しかも悪いときには、不幸 mis 応 rtune が重なるものだ。創業時の ドロ沼状態が続くなか、 82 歳の父親がガンで緊急人院し手術した。 父親の看病 care が重なったのだ。それで現場を見ることができな くなった。 「カミさんは昼間仕事なので、私とセガレしかいないんですよ。そ れでセガレと交替でオヤジの看病に茨城に戻ることになったんで 27
He11 of Rip-offVictim でも今回は初めてなので月末締めの翌月末払いでどうでしよう、 と条件を切り出すわけですね。それに乗ってしまったらもう " 大ガ モ " です。普通は現金取引にしたいというのが大半ですよ。しかし、 実はそこが企業のバカさ加減なんですね、まあ、僕もそのカラクリ に引っかかったんだけど それじゃあ、ヤツらはどう出るか。 1 月から取引がスタートした とすると、最初の月は 30 万とか、 50 万以上は絶対仕入れないんで す。現金払いだから。引き屋は仕入れた商品を買い屋に、 " 引きの 55 % " で売る。これが原則。そうすると 45 % の損。最初はそれで いいんですよ。次の 2 月から信用がついて " 締後 " でいくという話 になったら、彼らは勝負をかけるんですよ。あたかも大口が決まっ たかのような話をして 100 万ぐらいの取引をする。それはちゃん と 3 月末に支払うんです。その後 2 月中にとんでもない取引を持 ちかけるんですよ。 1000 万とか 2000 万とか ところが、みんな現金で払ってくれた、締後もきちんと約束日に 払ってくれたというので、信用してみんな喜んで商品を出しちゃう んですね。それに彼らは仕入れ値をあまりタタかない。常識の範囲 内でしかタタかない。多少、割高でも買ってくれるんで、みんなウ マ味を感じてどんどん取引額を増やしていくわけですよ」 ーー最初は時計をやられたんですよね。 「そう、最初の 1 社は腕時計から始まったんです。そこの会社に 行くと、家電が山積みになっていたんです。それを見て " オレ家電 もできるんですよ " と言ったワケ。そのとき相手は何の返事もしな かったね。すると 1 週間後、注文の電話が入ってきて。それから どんどん取引額が多くなっていったんですよ。そうこうするうち、 101
Chapter 3 を分けあう契約だった。 2004 年 12 月に薬局はオープン。しかし、 いつの間にかラゴラの直営店。 wnsh 。 p になっており、単なる出資 者に追いやられていた。 オープン後も、ラゴラは粗品 freegift を配り違法の客引き street solicitation を繰り返した。病院の反発 backlash を受けるからやめて くれと要求すると、亀井社長は「弁護士に確認したが、違法じゃな い。オレは政治家とつながりがあるので病院と話がつけられる」と 反発。だが、後日、社会保険庁 social lnsurance Agency より中止勧 告が出ていたことが判明した。 結局、病院側の反発をくらってわずか 2 カ月で閉鎖した。その ときも閉鎖の相談 meeting は一切なかった。閉店後、ラゴラはレセ プトコンピュータなど機器関係を 275 万円で買い取ると約束した が、その約束はいまだに実行 execute されておらず、 1500 万円を詐 取されたも同然となった。 堺市の男性 ( 38 歳 ) のケースは取り込み詐欺そのものだ。 彼は 2005 年 4 月に契約、 7 月に和歌山市内にオープンの予定で、 6 月から店舗の内装工事に入った。この頃になるとラゴラも金づま りになり、社員の給料 salary が払えるかどうかというギリギリの状 じゅうき 況に追い込まれていた。それでラゴラは、金集めのため什器備品の リース契約の保証金 dep 。 sit という名目で 977 万円を振り込むよう 要求してきた。これは店舗工事が終わり、什器関係を搬入した後す ぐ全額返すとの約束だった。 その後、工事が終わったので什器類の搬入 installation を要求した が実行されなかった。保証金の返金日も 10 日、 2 週間と引き延ば され、結局、全額ダマし取られてしまったのだ。もちろん、その後、 84
Column 4 ☆ C01umn4 中国ビジネスには手を出すな ! 脱サラ社長や体力のないべンチャーなど、絶対、中国ビジネスに手を 出してはならない。おいしい話にうつかり乗ると、屋台骨が揺らぐほど の痛手を負いかねない。半端な人脈で手を出すと、それこそ地獄を見る だろう。それはズバリ「ヒトとカネ」が理由である。私自身、 2004 年夏、 中国政府の広報 PR の仕事を請け負い、痛い目にあった。誤解のないよ う言っておくが、中国が悪いとか、中国人がズルいとかの問題じゃない。 日中間の政治・経済・社会体制の違いによるものだ。つまり、北京・上 海は自由経済だ、中国は WTO ( 世界貿易機関 ) に加盟したと言っても、 根っこのところは「共産党株式会社」ということである。 私が引き受けたのは、日本市場での中国産マッタケの広報プロモーシ ョンである。知人で中国ビジネスコンサルタント ( 帰化中国人 ) が窓口。 マッタケは世界広しといえども日本人だけが珍重する。中国人はもちろ ん、韓国人、ヨーロッパ人も喜ばない。そこで中国政府は残留農薬問題 の解消を狙って、 7 月末の 3 日間、マッタケ産地の雲南省シャングリラ で「世界初のマッタケサミット」を開くことになった。その広報プロモ ーションをやってほしい、という依頼だった。 このマッタケサミットは、雲南省政府・シャングリラ州政府・中国キ ノコ協会の共催。北京の中央政府も深くからんでいる。 当時、ドン底で現金収入がほしかった私は、この話に渡りに船とばか りに飛びついた。経験もありスタッフもいた。私は「 5 月、 6 月の 2 カ月 で新聞・雑誌にニュースリリースを打ち、最後に農水省で記者発表する」 という内容を考えた。 事務局を設置し、スタッフは 3 人、予算は 200 万円。これは費用も準 備もギリギリのお友達値段だ。電通に頼むと倍はかかるだろう。仕事を 受注したのが 5 月 20 日、 6 月 20 日広報団来日、 6 月 23 日記者発表。す べてがオセオセだったが、なんとか形を整えることができた。 ところが、フタを開けたらサミットの概要がまだ決まっていなかった。 日程も予算も未定。そもそも、「広報」の概念も実際もわかっていなかった。 中国の窓口も、北京政府、雲南省政府、シャングリラ州政府、キノコ協 会の寄り合い所帯。それそれの負担金も決まっておらず、利害が対立し、 予算は最後まで揉めにモメた。 187
References 畑村洋太郎『決定版失敗学の法則』文藝春秋、 2002 芳賀繁『失敗のメカニズム』角川文庫、 2003 夏目幸明『掟破りの成功法則』 PHP 研究所、 2005 玄秀盛『新宿歌舞伎町駆けこみ寺』角川春樹事務所、 2003 玄秀盛『一日一生、新宿歌舞伎町駆けこみ寺』角川春樹事務所、 2004 村田博文『どん底からはい上がれ』財界研究所、 1999 安田隆夫『ドン・キホーテ闘魂経営』徳間書店、 2005 堀内九一郎『どん底からの成功法則』サンマーク出版、 2004 藤田晋『渋谷ではたらく社長の告白』アメーバブックス、 2005 折ロ雅博『プロ経営者の条件』徳間書店、 2005 『日経ビジネス』 2005 年 9 月 26 日号「ユニクロ作り直し、柳井正、 無限成長への執念」 『月刊 B 〇 ss 』 2005 年 10 月号、「挫折を乗り越えた 10 人のサムライ」 『田原総一朗責任編集、オフレコ』 2005 年 8 月号「堀江貴文イン 215 このほか、多くの新聞、雑誌、ネット記事などを参考にさせてい タビュー、僕は " 本音 " しか話したくないんです」 ただいた
Chapter 4 品などありとあらゆるもの。要はカネに換金しやすいものですよね、 彼らが目をつけるのは・・ 時計はどんなものを ? 「上は 100 万円台のロレックスから下は 1 万円ぐらいのものまで いろいろですね」 10 万、 20 万のものも ? 「もちろん、そんな値段のものはいつばい。バッグもそう。それこ そ、 1000 円とか 2000 円台の雑貨バッグから、上はシャネル、工 ルメスとすべてのプランド。ヴィトンはやってなかったけど」 彼らは何を欲しがりましたか。 「一番お金になるのは家電製品と酒なんですよ。店でパッと売れる もの、たとえばパソコン、ラジカセ、デジカメ、ビデオカメラ、フ ァンヒーターなど。ビールや洋酒も狙ってましたね」 最終的な被害額はどのくらいですか ? 「納人額ベースでいうと 1 億 3000 万円ですね。パクリ屋 3 社にヤ ラれたんですよ。 1998 年の 9 月と 10 月、最後の 1 件は手形でひ き延ばされて最終的には翌年の 4 月になりましたけどね」 パクリ屋と見破ることはできなかったんですか。 「今の僕ならできるけど、あのときの僕はできなかったよねえ。な ぜなら、ヤツらは相手を納得させる舞台をキチッとつくってるんで すよ。僕が最初に引っかかったのは、『全国の農協や米穀関係の団 体にパイプがあって』という触れ込み。『地方のイベントやノベル ティで使う商品を探してる、会員が非常に多いから優待したり配っ たり、 1 回の商品の注文量が多いんですよね』と。 そういう人たちに喜ばれるのがお宅の商品だ、いうわけですよ。
Trapped IT Start-ups ワインを販売するためにはデータベースが必要だ。そのデータベ ースは第三者に見られないようにサーバー上に置かれ、独自のプロ グラムがそれを呼び出す仕組み mechanism になっている。 この仕組みを CGI (Common Gateway lnterface) や SSI (Server SideIncIude) というのだが、要はデータがネットの奥にしまわれて いるため、グーグルやヤフーといった検索では引っかからないのだ。 「検索に引っかからないから、最初のうちはぜんぜん売れないし、 たいしてそのあとも売上げは伸びなかった。楽天に出店し始めてか ら少しずっ伸びて。それで今年 (2005 年 ) の 4 月、もとのプログ ラムでつくったサイトを捨てちゃったわけです。それで自分でつく り直したわけです。プロに頼まず。そしたら、 200 万もかけてつく ったサイトより今のほうがよっぽどオーダーが人ってくる」 では、どうして楽天から撤退したのか ? 「楽天にはコンサルタントがいて、売上げを上げるには ( メール ) アドレスを集めましよう、広告を出しましようとか言うわけですよ。 最初のうちは広告をやったり、毎月毎月、懸賞をやってアドレス集 めをしてたんですが、いっこうに利益が出なかったですよ。懸賞の 商品もあるし、楽天に 1 回広告を出すと 5 万とか 10 万とかすごい 高くて、それをやっているとお金をすごい遣っちゃうんです」 楽天への出店は、当初、月 5 万円ぼっきりだったが、現在は出 店料に加え、売上げに応じて課金 charge される。余談ながら、現 在は 100 万円以下の売上げには課金されないが、 2006 年 1 月から は全額対象となる。 「今私が力を人れてるのは、検索で引っかかるべージをつくること です。 " ワイン " で検索する人はあまりいないですね、基本的には 59