というわけで、電子メ】ル、インスタント・メッセージ、携帯メールを通り抜けて、ついにわたした ちはツィッターの世界へとたどり着いた。この林のなかでは小鳥たちがさえすり、それは映画『。フル ベルべット 』の終わりに現れるあのコマドリにも似て、澄み切った大気のなかにいると、自分の姿 がくつきりと見えてくる。 ツィッターは、ウ = ブにおける電報である。モールス信号装置同様、メッセージはごく短い文に限 られる。電報は市場の意向ーー文字ごとに課金されるため、すぐに高額になるーーにより制限があった のに対し、ツィッターはコード化の鉄則による制限が課される。一回のメッセージあたり一四〇文字ま でである。ツィッターのメッセージボックス内に文字を人力しはしめる ツィッター用語で「つぶや く」ーーー・とカウンターが動き出し、残りの文字数を教えてくれる ( この文は一四一文字あった。収まりき らなかった。フォークナーや。フルーストは、ツィッタラーとしてはさそかし苦労しただろう ) 。 とはいえ、限定されるのは個々のメッセージの長さだけである。メッセージ送信は無料のうえに、投 稿の頻度に制限はないので、思う存分っぷやける。電報はいったん立ち止まって自問する必要があった。 「これで送っていいか ? 」。一方ツィッターはつぶやきかける。「なんだって送りや、 しいのさ ! 」。加えて、 ツィッタ ー・ドット・タッノュ ニ〇〇七年三月一八日 ドット・ダッシュ 63 ツィッター
なんてこった、ダブル・スタッフ・オレオを一四個も食っちまうなんて ( 三分前 ) 「ツィッターは自分の意識の流れを表すもの」とあるユーザーは書く。かっては精神の私的領域で起こ っていたものが、し 、まではポツ。フコーンのように大衆という器のなかに放り込まれる。自分を見世物に してつぶやき実況することが本職となっている。君の研究もここまでだ、さようならジャン・ポードリ ャール〔フランスの哲学者、思想家。著書に『シミュラークルとシミ = レーション』などがある。 ウ = ブのその他多くのサ ] ビス同様、ツィッターは子どもしみた言葉でそれ自体と = ーザーとをす っぽり包み込む。わたしたちは会話する成人でもなければメッセ】ジの送り手ですらない。わたしたち はツィーート つぶやく高音用スビーカー 。ビーチクさえするツィッター。さえすりツィートする大まぬけ。 ード、なのである。 舌っ足らすのトウィーティー 見にゃんだー ニャーちゃん見にゃんだ ! ( 三〇秒前 ) 見にや、ニャーちゃん見にやー ( 一分前 ) ナルシズムはニヒリズムのユーザーインタ ] フェイスである。ツィッターのような技巧的で俗受けす るサービスのおかげで、わたしたちは自己陶酔に浸りながらも、文末に顔文字をつけて発言の無意味さ をほのめかし、自満げな自分と距離を置くことができる。「俺は俺が大好ぎだー ま、冗談だけどさ ! 」 ドット・ダッシュ 65 ツィッター
いくらでも多くの読者にツィートを送れる。ツィッターは、プログを分断し、さらにそれをばらして断 片にする。携帯メー ルがメディアになったのだ。 それを通してわたしたちはいったい何を発信している ? 日々のたわいない出来事や思いつぎ。ツィ ッターランドのなによりも重要な問い 「あなたはいま何をしていますか ? 」、あるいは文字数をは しよって「何してる ? 」 に対するその瞬間ごとの答えだ。ツィッターはナルシズムの媒体と一一 = ロえる。 自分がショーの花形スターであるばかりでなく、身の回りで起きた出来事すべてが、いかにそれがささ いなことでも、どれもが大見出しとなり、メディアイベントとなり、注目を集めるニュース速報となる。 水銀が琥珀になるのである。 もううんざりだって ? ディヴ・ウイナーは、「ニュ 尊敬すべきプロガー ードを作り、新聞 ヨーク・タイムズ」紙のフィ のヘッドラインをツィッター経由で流している。まるで物事がことごとく、その一四〇文字に収まる軽 薄さと同等であると証明しようとするかのようである。「ツィートにびったりのあらゆるニュース」を ディヴはつぶやく。 飼い犬がラグにおしつこした ! し ( 一〇秒前 ) 、ハグダッドで起きた自爆テロで一七人が死亡三分前 )
物質世界のほうが模倣の様を呈しているので、わたしたちは模倣の世界で現実感を追い求める。少な くともそこでは、その模倣自体が現実に存在するものだと確信できる。少なくともそこでは、現実と非 現実の境界がわからなくなる心配はない。少なくともそこでは、何かしらすがりつくものが見つけられ る、たとえそれがまったくの虚構であったにしても。 ドット・ダッシュ 67 ツィッター
ける推進力というより、テレビの補足版、自分たちのメッセージやイメージを補強する手段だとみなし ている。 これはとりわけ、当初の本命ヒラリー・ クリントンとジェブ・ブッシュに当てはまる。ふたりともネ ソト上では安全策をとっていて、テレビで論争となるような地雷を踏むのを避け、信頼できる公僕とい うイメージを押し出そうとしている。ブッシ = のさまざまなソーシャルメディアのフィードは付け足し のような印象を受ける。動向を紹介し、支持者へ賞賛の言葉を送り、自分のショッ。フへのリンクを張っ ている。やっていないのはニースを発信することだ。ヒラリ ーの投稿も同様に味気ないものだ。彼女 のフ = イスブックのフィードとツィッターのフィードはほぼ同しで、両方とも目的はフォロワーたちに 彼女に対してほんわかと温かい気持ちを持たせることのようだ。ヒラリ ーの苦境は見ていて痛ましい 彼女は何年もかけて自身の刺々しい性格をやわらげようとしていたが、まだ荒い部分があることに気づ いたようだ。アツ。フビートで軽央なヒラリ ーの。フレイリストは、ポツ。フスよりもパンクに近い選挙戦の なかでは時代錯誤なものに聞こえる。 報道機関も新しいメディアの到来に馴染むのに手こすっているようだ。日々の「 = = ースサイクル」 を持っているテレビは選挙戦に芝居がかったリズムを与えている。毎日が争いから危機、解決へと変化 していくドラマの一幕だ。選挙戦は「物語」で、そこには「筋書き」がある。だがソーシャルメディア は違う。断片化されたメッセ】ジや会話では、ほとんど。フロットにはならない。文学的スタイルで言え ば意識の流れで、ウィリアム・サッカレーというよりウィリアム ロウズに近い。しかし、テレビの 時代に取り残された記者や評論家は、ツィッターやフ = イスブックにあがっている雑多な情報を筋の通 428
目次 序早シリコンヴァレーに生きる 9 第一部ベスト・オブ・ラフ・タイプ 倫理のないウ = ブ 0 2 マイスペースの空虚さ セレンディビティを生み出す機械 カリフォルニアの王者たち ウイキペディアンの分裂 プログ中につきご勘弁 代謝する存在 「セカンドライフ」の抱える大問題 あなたを見てー デジタル式小作制卵 スティーヴのデヴァイス ツィッタ ーー・ドット・タッノュ 3 コ ] ドのなかのゴースト
実利主義者は、オンライン上の文化的興行主役にひどく適している。 視聴料を払うようになってから、テレビはすっと面白くなった。 インスタグラムは、芸術のない世界がどういうものかを教えてくれる。 第ニシリーズ三〇一三年 ) レコメンデーション機能は自信過剰の特効薬である。 ヴァインは一秒短いほうがもっと、、。 地獄とは他人の自撮り写真のことだ。 幻ツィッターは、簡潔と冗長が必すしも対義語となるわけではないことを明らかにした。 個人用広告は、人工知能への批判を与え続けている。 引 0
第一シリーズ ( 二〇一二年 ) 1 メディアの複雑さはそのメッセージの雄弁さに反比例する。 ーテキストはテキストよりも保守的なメディアである。 3 直線的でない物語に最も適しているメディアは、直線的な文章である。 4 ツィッターのほうがフェイスブックよりも思考的なメディアである。 5 デジタルツールの登場によって芸術形式が向上したことは、 いまだかってない。 6 双方向性の利益はあっという間に負債に変わる。 7 現実の世界では行動することは知ることだが、メディアの世界ではその逆だ。 8 ネットワークの知性が向上するにつれ、そこに接続する者たちの知性は低下する。 308
ツィッターでもアクティヴなオンラインマガジン The New lnquiry の「リアルへの執着」という記 事で、ネーザン・ジャーゲンソンは現実世界と仮想世界、「オフライン」と「オンライン」を区別する 者たちを非難している。その冗長な記事で、社会学を専攻する大学院生のジャーゲンソンはます、デジ タルメディアの「侵人」がわたしたちの日常にまで及んでいることを認めることからはじめた。 友達や家族と過ごすということが、自分たちのテクノロジーと過ごすという意味にもなってきて いる。食事中も、排便中も、べッドでくつろいでいるときも、わたしたちは光を放っ長方形をこす りながら、情報の流れに夢中になっているようだ。 汚いなあ。 とジャー しかし、問題は、わたしたちがいつもデヴァイスに触れているという点にはとどまらない、 ゲンソンは言う。ソーシャルネットワークなどのウ = ブサイトやオンラインサービスの「論理」が、 「わたしたちの意識の深いところまで潜り込んできている」。コンビュータのソフトウェアや関連するメ オンライン、オフライン、そのあいだのライン ニ〇一ニ年七月ニ日 184
二ロもがマイクロセレブリティ〔ネット上の有名人〕となったいま、誰もがマイクロバブリシスト〔ネッ ト上の広報担当者〔を必要としている。ツィッター フェイスブック、インスタグラム、タンブラー リンクトトイン、スナツ。フチャットを、うんざりするほど、すべて自分で追える人間はいよ、。 現実的 に、間が足りない。 親切なグーグルはいつものように、わたしたちを支援しようと急いでいる。ソ】シャルメディア上で わたしたちの存在を維持する、という大変な仕事をこなすソフトウェア。フログラムを開発しているので ある。同社は今週、「ソーシャルネットワーク上でパーソナライズされた反応を自動生成して提案する という特許を得た。待望のサービスの紹介文はめまいがするようなものだ。 提案生成モジ = ールには多数のコレクタモジ = ールと、認証モジ = ール、提案分析モジ = ール、 ューザーインターフェイスモジ = ール、および決定樹が含まれる。多数のコレクタモジュールは、 ューザーがアクセスできる情報やユーザーにとって重要な情報を、メ イクロプロギングなどから収集する各システムと結びついている。これらのコレクタモジ = ール、 わたしのコン。ヒュータ、わたしのドッペルツィッター ニ 0 一三年一一月ニニ日 234