女性 - みる会図書館


検索対象: フリーターズフリー 01号
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1. フリーターズフリー 01号

な気がする。 けないと痛切に感じた。社会的な立場としては「父の娘」な いし「母の娘」以外の何者でもなかった。この父母の資産を 食い尽くして生きていくしかない。それこそ今、父母が死ん 「結婚」は制度だと書いたがその制度を取り巻く環境は変貎 だらどうなるのだろうと。 したし、一握りとはいえ「キャリア」を打ち立てている女性 しかしこういう立場の人間は私だけなのだろうか。別に統 がいる以上、さすがに結婚だけが女性の生きるすべてと一言 計を確認したわけでも、調査をしたわけでもない。でも見よ えなくなった。そのような背景もまた一定数の女性がフリー うと思えば見えてくる。私と同じ、いやもっと厳しい立場で ターとして存在しうる理由だ。「仕事を続けたい」、「使い捨 働く女性たちが。パン屋で時給八〇〇円のアルバイトをしな てでなく、続けられる仕事をしたい」という欲求があるから がら親元で暮らす女性、単発の請負の仕事をしながら一人で こそ、山のような「資格」の取得に走る人も現われる。私も しくつかの資格を付け焼刃で 暮らす女性、一年ごとに契約を切られる公務員の立場で地方 現に派遣の仕事に就くために、、 から出て一人働く女性、工場のラインに立ってグローバリ身に付けた。その資格が実際にどれたけ役に立ったか、私に ゼーションを推進する企業で働く外国人の女性、ずっと企業は分からない。自分の能力に応じた仕事に就くのは運もある の正社員で働いてきたけれども激務の末に体を壊し、非常勤 と感じることが多かったから。 の仕事に就く女性 : そのような私の知人、友人ないしすれ違ってきた女性達こ それにしても私を含めた女性のフリーターはなにをより どころに日々を生きていけばよいのだろう。そう、たとえば そが、「フリーター」と呼ばれる働き方をしてきているのだ。 より正確に言えば、フリーターと呼ばれる働き方をしつつ、 ファーストフード ( それもマックよりもなぜかモスパーガー なおかっ社会的承認の欠如という困難を男性とは違う形でよ で ) で時々、ぼつんと一人で日曜の夜に本を読んでいる女性 り濃厚に抱えこまされている。酒井順子の『負け犬の遠吠え』 ( 私も同種なのですぐ気づく ) 。決して若い年ではないが老け という本があったが、「負け犬」、という一一 = ロ葉も遠い。なぜな ても見えない。しオし 、つこ、何者なのかと興味が湧く。最近は「文 ら女性のフリーターは競争という土俵すら遠いから。負け犬、 科系女子」という言葉があるようだけれど、その文科系女子 とは一度はなんらかの競争に乗った後に出てくる言葉のよう がそのまま年をとったような感じの女性。このような女性が

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〇 かし、そんなことをすれば、冗談抜きにそのうち「家族もろともあるようだ。その背景には、「社会で成功する女って、だいたい ホームレス」になりかねないのだ ( ここで触れるのは気が引ける孤独で不幸」「男と縁がないから仕事に打ち込むなんて、可哀想 2 が、女性野宿者のほとんとは夫ないし彼氏と野宿している。ちな なヒト」という 社会通念がおそらくある。その通念をテーマに書 みに、一一〇〇五年の内閣府「国民生活白書」では、四〇代の夫婦かれたのが、「負け犬」「勝ち犬」という一一一口葉を広めた酒井順子の がともにフルタイム労働の場合は平均年収一〇三六万円、夫婦と『負け犬の遠吠え』三〇〇三 ) だった ートタイムの場合は二六七万円である ) 。 * 材 『負け犬の遠吠え』では、「負け犬」は「三〇代以上・独身・子 この「勝ち目のない闘い」の結果として初婚年齢が上昇し続けなし女」、「勝ち犬」は「普通に結婚して子どもを生んでいる人た る一方で、「できちゃった婚」が近年急増している。現在、一〇ち」とされている。「負け犬」には、高学歴で総合職や専門職と 代で出産した女性の八割、二〇—二四歳で出産した女性の六割以して経済的に自立している女性が相対的に多い。それならこれは 上が「できちゃった婚」である。結婚の標準形がなくなる中、「やっ 普通に言う「勝ち組」のような気がするが、そうではなくて結婚 てから考える」 ( 「なんとかなるさ」 ) というタイプの結婚が増えた しない女は所詮「負け犬」であるという。 のだ。一〇代後半の「できちゃった婚」には低学歴のカップルが この本のいいところは、なぜ女性の「勝ち組」が「負け犬」な 多い。しかし、本当に「なんとかなる」かは、本人の努力ととものかを ( ぼくのような ) 鈍い男にもわかるように書いているとこ 、家族と労働をめぐる社会的条件にかかっている。 ろである。例えば、 もちろん、女性フリーターの多くが「典型的パラサイト・シン グル」であり「結婚願望」を持っているなどということはない。 「世の中には、相手を完膚なきまでに打ちのめすことができ しかし、男性フリーター以上に女性フリーターにとって「結婚」 る、「それを言っちゃあおしまいよ」的な罵倒のフレーズが の重みは大きい これは、男性にとって「仕事」「就職」がそう 存在します。たとえば女子高生がサラリーマンに、「オヤジ であるように、女性にとって「結婚」が自己の「存在証明」となっ は黙ってろ」と言ったとしたら、彼は黙るしかない。 また容 ているという社会状況を示している。言い換えれば、結婚できな 姿に自信の無い女性は、「プスのくせに」と言われると、ナ ( しない ) 女性には自分の「存在」を認められない社会環境が メクジに塩状態になってしまう」「同じように、三〇代以上

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の歴史を振り返ると、「景気の安全弁」「格安な ) トタイム賃金格差の国際統計によれば、男女を合わせたフルタイ 、パートタイム賃金は「ドイ人件費」「第三次産業への移行への対応」「雇用柔軟型の基幹労働 ) ム労働者の賃金を一〇〇としたとき といった多くの点で、それが「フリーター問 ッ八三・二」「デンマーク七七・八」「フランス七〇・六」「イ者化」「身分差別」 ーサル」と一一一日フにふさわしいとい , フことかわかる。しか タリア七二・五」「イギリス七三・九」「スペイン五二・四」等 ) 。題のリ これについて、何人かの論者は、これはパート労働者という「身分」し一方で、フリーターを代表とする「非正社員化とは、九〇年代 後半においても量的には女性に集中的に表れた問題であり、その への差別だとしている。木本喜美子が言うように「とりわけパ ート・アルバイ ート化であった」。これらの事実は、。、 ト労働者間題は、専業主婦から労働市場への再参入という条件を内実はパ トという不安定就労問題については、ジェンダー抜きに語ること 一律に低いキャリアとみたて、買、 したたいているところから発生 が不可能であることを示している。 しており、労働市場参入条件がその地位や処遇条件を決定してい ート労働のほとん 現在、フリーターの六割が女性で、さらにパ る典型例であるといえよう。日本におけるパート処遇をみると、 生活の軸足が主婦にあることを理由とした『身分』制が、労働市どが女性、一〇六万人三〇〇五年 ) の派遣社員についても女性 場内部にしかれているかのごとくである」 ( 「労働とジェンダー」・『大が六割という現実を考えれば、不安定就労問題はその多くが事実 上「ジェンダー問題」だと考えざるをえない。 原社会問題研究所雑誌』一一〇〇〇年七月号 ) そもそも、農業を除く女性労働のメインストリームは、明治大フリーター問題については、多くの論者が「男性のフリーター」 正の昔から「女中」「女ェ」だった。そして、その仕事は超長時を ( 無意識に ? ) 想定して語る。例えば、フリーター問題を扱っ 間労働、超低賃金の上、様々な点で「身分」としてさげずまれてて話題を呼んだ特集の二つの番組、「フリーター四一七万 ーし十′ ( 斉藤美奈子『モダンガール論』 ) 。教師や医師などの専門職は人の衝撃」 ( 〇四年三月七日放送 ) 「フリーター漂流」 ( 〇五年一一月 別として、女性労働者のマジョリティは当時からあからさまな「身五日 ) でも、女性フリーターは完全に無視された。つまり、今ま 分差別」の対象だった。そして、それは今「女性パート労働者」で不安定就労を女性に任せてきた男性社会が、不安定就労が自 の形で維持されていることになる。 分の身に降りかかってはじめてそれを「社会問題」として捉え 始めたのである。それに対して、女性労働のマジョリティは昔

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女性をマリリンが演じる。全体にハードな内容たが、その中 も自分を許してくれる」存在としてモンローを見ていた私。 でも申し訳 ( ? ) のように出てくるマリリン・モンローの水 これが男だったらいわゆる「マザコン」と即座に罵られるだ 着姿が一〇代の私には印象的たった。ビキニから出たおなか ろう。だがなんのことはない、私も完全なマザコンであった。 に目がいった。あんなにたぶたぶしたおなかなのに可愛いと 傍から見たら一〇代の「少女」といわれる立場の人間が、よ 思った。「ああなりたい」という憧れではなく、はっきりい もやマリリンをそんな眼で見ているとは思いもよらないだろ えば「恋」。映画とそしてマリリンへの恋の始まりとなって う。現実には母性や女性性を「求める」よりも、「求められる」 しまった。 側の性に属していることなど、「マザコン」である私は露ほ この映画の核は、マリリンが男たちに怒り叫ぶ場面であり、 ども思っていなかったのだ。 それまでのマリリンの演じてきた甘くカワイイ女の子とは違 しかしどう考えても当時の、そして現在も多分に私はマザ うところが魅力なのだ。しかし、それだからかこの映画はモ コンだ。後年 ( それほど経験としては多くないけど ) 「甘え ントゴメリー・クリフトそしてクラーク・ゲープルといった られる」という経験をしたときも、私は怒りよりも困惑が大 大物俳優が出演するにもかかわらず、今ひとつ人気がない。 きかった。「マザコン ! 」と怒鳴ることができればよかった マリリンを何故好きになったのか。美人女優が好き、とい のだけれど、幸か不幸か私も「マザコン」だった。その事実 うのとも少し違う気がする。弱さや脆さや甘さや優しさがあ は「マザコン ! 」と怒鳴るよりも、決定的な関係の破局に近 わさった何かが好きだったのかもしれない。また人間全般に い気がする。「マザコン」が「マザコン」に甘えられるわけ がないのだから。 優しい美人という設定が衝撃だった。特に『荒馬と女』は男 性だけではなく、女性の友人や馬や犬といった動物にも心優 後年、マリリンについてはフェミニズムの観点から考察さ しい女性をマリリンは演じている。男性しか眼中にない女性れていることを知った。田中美津も決して肯定的じゃないけ ではなく、男と女、人間と動物の間に分け隔てなく愛情を注 どマリリンを描き、あと驚くことに曽野綾子 ( リ ) までマリ ぐ美人の女性 : : : 私はマリリンのなかに完全にその手の優し リンを取り上げていた。田中美津と曽野綾子、こんなにも違 さ、いわば母性を求めてしまった。たぶたぶしたおなかとい うと思われるニ人が否定であれ肯定であれ描かざるを得ない うのは思えば象徴的だ。「繊細さをあわせ持ちながら甘えて マリリンの強烈さをあらためて認識させられた。 っゅ 168

5. フリーターズフリー 01号

女性 ( 独身 ) フリーターを考える際のミッシング・アク ターは「母」である。身近な存在でありながら、生き方が 徹底して違う同性としてフリーターの女性にとって存在す る「母」。わたしがこれから取り上げる小説『香華』はフリー ター問題を扱っているわけではないが、生き方の違う「母」 と「娘」の関係を考えるときに外せない作品としてとりあ この『香華』が趣き深いのは「母と娘」の葛藤を描いてい るからではない。「娘」の「母」に対する「母性」が存在す ることを描いた点だ。逆に、「母」が「娘」になってしまう という矛盾。母が子どもを受け入れたいと思う以上に、子ど 有吉佐和子『香華』 笙野頼子『母の発達』 母と娘の反発 / 受容の切ない 「物語」 もこそが母を受け入れたいと願っている事実がこの物語を 切なくする。少し前にメディアにのぼった「アダルト・チル ドレン」という概念は、子どもが親を受け入れたいといかに 願っているかが分からなければ、決して理解できないに違い ない。『香華』をアダルト・チルドレンの本と評する人はい ない。だがこの小説は、娘を捨て娼婦として生きるに至った 母を「お母さんは、美しい」そして「 ( 美しい ) だからお母 さんがどんなことをしても私 ( 娘 ) は悔しいけど許してしま う」というメッセージを手を代え、品を代え、言っているだ けの偉大な小説なのである。母を認めたいという切ない「娘」 こまされてこなかっただろうから。 の願いはなかなか小説 , , 繊細な女性 ( これは見かけとはまったく関係ないものだ、 ちなみに ) ほど、「母」を受容しようとし、あるいは受容し ようとしすぎて反発してしまうほど、受容しようとする。受 容できなければ、凝視する。なぜか ? 「仕事」も「結婚」 も遠い自分を生み出したのは、結婚し、場合によってはキャ リアも持っている母の生き様と関連があると感じるからだ。 ここになんらかのつながりを見いださなければ「専業主婦」 と「キャリアウーマン」「子どものいる女」と「子どものい ない女」という陳腐なニ項対立に陥るだけだろう、おそらく。 現在「母」になることだけが「幸せの道」と言い切れる人 はほとんどいないだろう。それは世論としてだけではなく、 いないものとされたもの " これくしよん ( 前篇 ) ー

6. フリーターズフリー 01号

、ヾートを・メージがあるけれど。 ですよというでしよう。そういう逃げ道まで・の男性社員が、女性の派遣社員とカノ . 仕。切っている けっこう思いをはせちゃいますよね。グロー 考えられている。 ・バリゼーションというか : ・・ : わたしがこれを でもかなりギリギリなことをやっている 「女工哀史」か : よね。 男性社員は、覇気がないというか、それこそ・五〇〇〇円でやっているというと、さらにそ これはスポーツ用品のアデイダスですけど、 三〇代女性・地味系フリーターと対になるよ】の前の工程をやっている途上国の人はもっと うな地味系な男子、正社員とかでも出世街道【低い賃金でやっているだろうと・ : すごい田舎町に工場があって、駅に送迎バス がくるんですけど、そのバスのなかの九割く・ には乗ってなさそうな覇気のない男性社員が 日本に帰ったら 指揮するんだけど、覇気がないのに唯一派遣 らいは女性でして。 矛盾だらけに感じた の人たちを指揮する時は生き生きしていると ーー集団就職のようですね。 い一つかギラギラしているとい一つか、「さっさ わたしは、『ジャマイカ楽園の真実』〔 5 〕 ところで、私とちろるさんが出会った という映画を思い出しました。ジャマイカ・と歩いてください」とか「もっと大きい声で・きっかけはさきほども話に出ました「寄せ場 国内にはフリーゾーンというのがあって、ア . 言ってください」とか言うんですよ。女性の】交流会」だったんですよね。その集まりとい デイダスとかナイキとか、そういう有名プラ】派遣の人もそこで慣れている人だと、「もう うのは日雇い労働者や野宿当事者、またそれ ンドの工場が立ち並んでいるところがあるん・おしゃべりしないでください」とかそちらを・にともなう支援者、活動家が参加をしている ですけど、そこはジャマイカ国内だけど、身・フォローする側になっている。 ものだったわけですが、ちろるさんが野宿者 分証明書みたいなのが必要な場所があると 駅からハスに乗っていくような郊外の広【に対する支援に関わったきっかけを教えてい ただけますか ? いう、それを思い出しました。バスを降りる し土地に、ヾ ーンと工場があって身分証の開 と身分証明書を見せて、工場内に入っていく・示によってしか入れない空間が日本にあるな たとえば、新宿の地下道とかで ( 野宿の人を ) と、広い空間に三〇〇人位いるんじゃないか・んて、ほとんどの人は知らないですよね。エ・見たりとか、そういうことをひとつひとっ挙 と。ほとんど女性です。それで現場には少数【場は中国やいわゆる第三世界にあるというイげると、それこそ誰でも考えたことがあるん 〔 3 〕日雇労働力の売買行為がまとまっておこなわれる場所、あるいはその場所を持っ地域。参照山谷福祉会館 h →→を、 www 一 ca. a を .0 「 g 、 nojukusha/san-ya/ 〔 4 〕全国地域奇せ場交流会の略。年に一回、全国各地域から日雇い労働者ないし路上生活者の当事者、活動家、ボランティア、ジャーナリスト 等々が集まり、分科会を開き、交流しあう集まりを指す。一一〇〇七年は大阪で開催予定。 〔 5 〕「ジャマイカ楽園の真実」、監督・製作ステファニー・プラック、一一〇〇一年 ( 日本公開 - 一〇〇五年 ) 175 ー私は日雇い派遣しかできません ( > △く )VIVA じふん ! ! ☆ー

7. フリーターズフリー 01号

夫または国から賃金をベイしても、女性を強いる構造的こから得られるものはどんなに貴重に思われても「間接〇 タラ・コスタはそうのべる。家事 な「関係」自体は消去されない。それを解消しなければ、的余裕」でしかない。・ 景気や生活水準の増減はあるにせよ、「女性に強いられ労働という交換形式は女性の無意識に深くセットされ た二つの道」は「男なみに競争するか、女性性を資源にている。意識で意識をねじ伏せるだけでは足りない。で は抵抗の線はどこに引かれるのか。端的に「出産の拒否 という困難もまた雪解け 生きるか」 ( 上野 ) しかない、 ) 」にある、とダラ・コスタはいう。出産を せずに残り続ける。では、家父長制的資本制の最大の「物 ( ポイコット 拒絶しない限り女性の個体としての自由は永久に来な 質的な基盤」とは何か。それを破砕するとは何か。 極端に聞こえるかもしれない。しかしこの出産 タラ・コスタはさつばりとしていた女性たちの自立 と自由の可能性を奪う「最大の物質的基盤」は《出産とポイコットの感覚は今や多くの女性たちにとってそれ ほど縁遠いものではないかもしれないのだ 子育て》にある、と。 それだけではない。 彼女の「もっとも戦闘的な」部分 実際例えば、妊娠・出産という再生産過程から生じる 、家事労 から、俺は次の戦慄すべき命令を聞き取る フランクは、資本・会社側にとってはデメリットとなり、 女性の就労自立を阻害するだろう。男性労働者と女性労働を無限に女性〈と強いる資本と社会構造があり続け る限り、 ( 消極的に ) 出産を拒否する権利ばかりか、 ( 積 働者の単純だが決定的な違いは、女性の身体と生理にま 極的に ) 胎児 / 子どもを殺す女性のアクションは断固擁 ずは根ざしている。まずこれが言える。 しかし水深はもっと暗く深い。国や企業の対策次第護されねばならない、 心から恐るべき欲動だ。そして彼女が家事労働と で、女性が働き出産しやすい環境は整備可能だろう。 う交換形式の中に、家事・保育・臨時労働・老人介護・ しかし、環境整備は可能な限り進めるべきだとしても、 小手先の改良や改善、「社会サービスの要求」だけでは、障害者介護・女性の余暇の空しさ、等をふくめていた 女性を強いる構造的現実の岩盤そのものは動かない。そ事実を思い返せば、殺意の対象は、胎児や子どもばか

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女性のフリーターはその時代の変化ゆえにフリーターとし に「主婦である」と言えども、「セプンーイレプンのパートを 4 て存在出来る部分がある。しかしその変わらないものゆえに、 しているフリーターです」というように、自分のアイデンティ ティとしてフリーターを g ることはほとんどない。そう、た 存在していても「ないもの」とされている。フリーターとい う言葉はやはり男性名詞である。「男なのに時給八〇〇円で とえ「結婚」したとしても、実際には男性が自分を養ってい 働いている。それじゃあ、女房子どもを養えないでしよう ? 」 ない場合もある。それでも「主婦」という自分を語る、ある という問題意識が根底にあってこそ、フリーターという問題 いは語らせられる。そこも変わらないもののひとつだ。 が語られている。以前 zru で『フリーター漂流』、『ワーキ ングプア』といったドキュメンタリー番組があった。しかし 妻や母といった「女性」としての生き方にも、キャリアを それはやはり男性を中心に描かれていたと感じる。女性も請 積み企業で働く「男性」としての生き方にもどちらにも馴染 みがたい、または馴染まないことを許されている贅沢で貧乏 負や派遣労働をしているし、現に『フリーター漂流』ではス な者達、それが女性のフリーターなのかもしれない。だから ポットを当てられた男性の周囲に、同じような制服を着て携 帯電話の工場で働く女性の姿がその背後に映っていても、決 こそ「女性」の問題からも「男性」の問題からも弾き飛ばさ して単独でスポットをあてられることはなかった。あの番組 れるが、それと同時に「女性」の問題も「男性」の問題もあ ぶりだすことの出来る贅沢な立場ともいえる。 でスポットをあてられた女性は、男性フリーターの「妻」と いう立場であったことは興味深い事実だ。その後、違う特集 たとえばわたしは親の名前がなければ決してアパートを借 で女性の「ワーキングプア」を取り上げていたが、それはシ りることが出来ない。しかし、 ングル・マザーであったり、病気の父を看取る女性であった。 薄情者が田舎の町にあと足で砂ばかけるって言われてさ 単身女性フリーターは「問題」にならない。「いずれ結婚する」 出てくならおまえの身内も住めんようにしちゃるって という理由なのか、「単身」であることと「女性」は結びつ けて語られることはない。 言われてさうつかり燃やしたことにして 既婚の女性の多くも実際には、非正規雇用形態で働いてい やつばり燃やせんかったこの切符あんたに送るけん るという事実はあるが、彼女達がたとえば自己紹介するとき持っとってよ滲んだ文字東京ゆき

9. フリーターズフリー 01号

にとっては「結婚・出産」と「就職」は一般にワンセットとみな 5 される。したがって、就職できないフリーターの未婚率が上昇す 2 る ( 厚生労働省の一一〇〇七年三月発表の調査によれば、非正社員 ところで、女性フリーターと女性パート労働者はそもそもどう ちがうのたろうか ? 男性が結婚する割合は「正社員の四割」である ) 。一方、女性フ リーター ( というか、一般に女性労働者 ) の多くにとって、「結婚・ 実は、「女性については未婚者に限定し」 ( 厚生労働省 ) 「ただし 学生と主婦を除く」 ( 内閣府 ) とあるように、フリーターはその「定出産」が逆に「離職」とセットになっている。すなわち、結婚・ 義」によって既婚女性を除外している。つまり、同じ仕事をし続育児期間の女性の多くが離職する、先進国の中でも未だ日本の際 けていても、 ( 学生ではない ) 未婚女性のアルバイトの身分は「フ だった特質である「年齢別女性労働力率の字型雇用」問題であ リーター」で、結婚したとたんに「パート労働者」になる。一方、る。結婚や出産が「仕事の終わり」というケースは、男性にはほ とんど存在しない。 男性フリーターは結婚に全く関係なくフリーターのままだ ( ただ 男性と女性とではその仕事の位置づけそのも ス し、男性も女性も三四歳までだが ) 。 のが全く異なっている。また、フリーターになる要因自体も男女レ ム これは、女性フリーターとパ ト労働者がある意味「同一」とでは相当にちがう。 いうことを示している。にもかかわらず、このような区別が行な本田由紀は「ジェンダーという観点から見たフリーター」 ( 小 われるのは、女性にとって労働の意味が結婚前後で大きく異なる杉礼子編『自由の代償フリーター現代若者の就業意識と行動』所収 ) からである で、「総合的に見ると、やはり男性フリーターになるかならない 『新しい家族』問題がい 「—」で、「若者も、結婚や出産という かは、階層的要因によって大きく左右されている。それに対し ざ差し迫ってくると、顔色を変えて『正規雇用』を求め始めるこて、女性がフリーターを選ぶ背景としては、階層要因よりもジェ とか多いようだ。これは、『家族のため』というインセンティヴ ンダー要因のほうが大きいといえる」と言う。そのジェンダー要タ の有無が、労働形態の選択に強く影響することを逆側からよく示因とは、「労働市場のジェンダー差別、保護者の期待のジェンダー す例になっている ( ただしこれは男性フリーターの場合で、女性バイアスと結婚圧力、そして本人の中に内面化されたジェンダー フリーターの場合は全く異なる ) 」と言った。事実、男性フリーター意識としての職業アス。ヒレーションの低さと、それと表裏一体を

10. フリーターズフリー 01号

度である ( この調査は「実数」については全くあてにならないが「家族のトラブル」は、「家族像の変容」に関わる問題である。 8 「比率」については比較的信頼できる ) 。 従来、家族は「子どもを育て」「老人を介護し」「困ったときはい 2 そして、これは欧米の数字とは相当にかけ離れている。例え つでも帰ることのできる」無条件の相互扶助の場たった。しかし、 ば「 FEANTSA 2003 Review of Statistics on HomeIessness in そうした家族像は徐々に変容していった。例えば、「子どもは家 Europe 」による報告では、「ヨーロッパのホームレス・サービスや地域で育てるもの」という常識は、「保育所」の普及に見られ るしょ , フに、 の利用者の二〇—二五 % が女性ホームレスであり、ストリート・ かなりの程度「たてまえ」となった。「老いた親は子 ホームレスの七—一〇 % が女性である」。例えば、ベルギーでは 常識は、介護保険の導入に見られるよう どもが介護する」という ホームレス・サービスの利用者の三分の一が女性であり、都市で 、やはり「たてまえ」となった。もちろん、保育所を使わず、 はザルップルクの若年ホームレスのうち五八 % が女性、など。韓介護業者も使わない家庭は今でも多いだろうが、それが一般的と 国でも、女性野宿者の比率は二〇〇四年で三一 % とされている ( 韓は言えなくなったということである。そして、この「子どもや老 国政府統計 ) 。では、なぜ日本では女性野宿者の比率がこれほど低人の世話」を従来、主に担っていたのは専業主婦だった。その家 いのたろうか。 族スタイルが、女性の総合職などのフルタイム労働の増加と関連 現在、北海道から沖縄まで様々な地域で女性野宿者に出会う機しながら変化している。離婚の増加がそうであるように、ドメス 会が増えている。その原因について、われわれは直接にも間接に ティック・バイオレンス、児童虐待、宗教の強要、家庭内離婚等々、 いろいろ聞いているが、主要な原因は二つ、「失業」と「家族の一口ではいえないほど様々なパターンで家族の破綻が進行してい トラブル」であるようだ。 る。こうした中で、女性が居場所を失い、野宿に至るというパター 「失業」は、女性のフルタイム労働の増加と明らかに関連してい ンが拡がりつつある。 る。つまり、専業主婦カノ ・ : 、ート・アルバイト労働をするのと、例 これは、日本の女性像の欧米化と言うこともできるだろう。し えば単身の三〇代、四〇代女性がフルタイム労働をするのとでは たがって、女性野宿者の増加をもたらしてきた「女性の失業」と 「失業」の意義が全く異なる。後者では、失業は ( 今まで男性が「家族像の変容」をいわば逆回しで考えれば、「なぜ今まで日本で そうだったように ) 野宿の危険へとつながりうるのである。 は女性野宿者が少なかったのか」が浮かび上がる。