とすると、企業は一般労働者を減らしてパート労働者で代用し 4 程度自分たちでー >- でできる。ずっとバイトしながら修行し ようとするから、一般労働者は六一万人減り、パート労働者は ) て、金稼ぐのはこれだなって」 三四六万人増えるというシミュレーション結果になっている」 「やつばり貧乏人の友達を作ることじゃないですか。仲間がい ればなんとかなりますからね。知り合いとかいても、みんな職 ( 樋口美雄『雇用と失業の経済学』ニ〇〇一 ) 。 場の上司だったり雇われている関係だったり。それだと普通に 「いすを分け合う」ワークシェアリングは、雇用に伴う「競争ゲー 人間関係築きにくいじゃないですか。だから店を作ったりして 孤独な連中がつながっていけば面白いと思う。やつばり仕事のム」を「協力ゲーム」へと転換させる。それは、われわれの問題 にとっての一つの可能な「解」なのである。 愚痴をいいにくる人もいつばいいますからね。俺はそんな人に 一般に言 しかし、一方で疑問もある。今まで見てきたように、 は『辞めたほうがいい』ってニ言目にはいうんですけど。『店、 うワークシェアリングは「正規雇用・フルタイム労働」と「非正 開いたほうがいいよ』とか。」 ( 雨宮処凛「生きさせろ ! 難民化 規雇用・不安定労働」 ( あるいは雇用と失業 ) の対立を「正規雇 する若者たち」・松本哉 ( はじめ ) のインタビュー ) 用」内の労働時間の程度差に解消するものだった。しかし、それ * 祐樋口美雄らは就業形態を一般労働者とパートタイム労働は資本の内部にフリーター層 ( そして失業者 ) が新たな、よりマ 者に分け、それぞれの労働時間の削減が雇用にどのような影響シな形で取り込まれることをも意味している。つまり、この譬え をおよぼすかモデル分析している。 にある「いす」自体、「会社」内部のものでしかない。だとすれば、 「一般労働者の労働時間が五 % 削減され、これに比例して月その中で「分かち合い」をいくらしても、現実に「会社のために 当たり給与も五 % 減らされたとすると、一般労働者の雇用は働く」ことでは原理的に何も変わらない。それは会社に代わる就 一六八万人増え 、パート労働者の雇用も四六万人増え、雇用者労の形態ではなく、その内部での「分かち合いⅱ協力」でしかな いカ、ら 4 」 0 全体ではニ一五万人の増加が見込まれる。その一方、同じよう に一般労働者の労働時間が五 % 減らされても、月当たり給与は「会社のために働く」ことを忌避する若者の増加は、いわば若者 一定の額を維持し、時間給に換算すれば五 % 引き上げられたの「会社 = 資本からの心理的な自由」を示していた。確かに、フリー
れわれはここで日本における「家族」について考えなければな らない。 * 4 ニ〇〇一年の日本労働研究機構の調査によれば、「夢追 求型」一四 % 、「モラトリアム型」四七 % 、「やむをえず型」 三九 % だった。つまり、ニ〇〇一年からニ〇〇六年の五年間で、 「夢追求型」が一四 % からニ五 % へ増加し、「モラトリアム型」 が四七 % から四四 % にやや減少、「やむをえず型」が三九 % か ら三一 % へ減少した。「より詳しくみてみると、ニ〇〇一年調 査では、男女とも年齢が上がると夢追求型が減少していたが、 ニ〇〇六年調査では、男性の夢追求型は年齢が上がるほど増加 し、女性においても減少しなくなった」 ( 堀有喜衣編『フリーター に滞留する若者たち』ニ〇〇七 ) * 5 ただし、「賃金構造基本統計調査」 ( 一九九ニ年 ) によれば、 従業員一〇〇〇人以上の大企業について五五 5 六〇歳の従業員 のうち高卒後ずっとその企業に勤めていたのは一四 % 、大卒で は三ニ % となっており、一般に思われているほど「終身雇用」 は一般的だったわけではない。 一方、玄田有史の『仕事のなかの曖昧な不安』 ( 一一〇〇一 ) に よれば、「『終身雇用』とよばれた長期雇用の仕組みも、中高年 にはむしろ強化されつつあるのが実情である。統計を見ても、 中高年の同一企業内平均勤続年数は増えている。 ( : : : ) 男性 ) も女性も、ニ〇代から三〇代前半の正社員の同一企業内での平 均勤続年数は九〇年代を通じてほとんど変わっていない。五〇 代以上の男性ではむしろ上昇している。それは長期雇用や終身 雇用の弱まりという世論とは正反対の動きである」。また「長 中高年雇用者の賃金決定のうち、年功的な要素は徐々にしか変 化していない」。 要するに、「かって日本の企業は終身雇用を維持していたが、 それは九〇年代に入って崩壊してきた」というよく聞く話はあ ス レ まり信用してはいけない。確かに、会社もろとも、工場もろと ム もに破綻し失業するというパターンは増加したが、「運命共同 体」である会社そのものが消えるのだから、それを「終身雇用ホ の破綻」と一言えるかどうか。 『仕事のなかの曖昧な不安』が強調するように、進行している のはフリーターの増大、若年正社員の長時間・過重労働化、フ ルタイムと パートタイムの賃金格差の増大などである。 * 6 同様のことを、最初のひきこもり当事者の本『ひきこも りカレンダー』を書いた勝山実が言っている。 「だいたい世間も医者もひきこもりを社会不適合者として治そ ーフリーター
一 / 一大澤減少 0 て、絶対嘘だよね ( 笑 ) 。「 , ちゃんねる」レベルで暴かれてる。 ま言われた通り、フリーターの定義って 十五歳以上三十四歳以下でしよう。子ど もの人口は年々減ってるから、当然、年 を追うごとにフリーターの数も減ってい ′、一」し」に宀はつつ 栗田私は三十四歳で、団塊で最も 人数が多い年とされているから、来年も 減ったというなら確実に少子化でフリー ターが減っているという論が正しいと思 大澤フリーター問題は解決しつつあ 三三・〇 % となり、〇二年の調査開始以は「五〇〇—六九九万円」が二一・二 % る、みたいな空気が作られてるよね。フ 来、最高を更新した。雇用者のほぼ三人と最も多く、非正規は「一九九万円以下」 リーターの数は減ってる、景気もいし に一人が非正規雇用となっている。非正が五六・八 % と過半数を占めた。厚生労少子化で仕事は増えてくる、とかさ。実 規雇用の割合は、男性が一七・九 % 、女働省によると、「フリーター」と呼ばれ際は非正規雇用は増えてるし、フリー 性が五二・八 % だった」そうです。 る十五歳—三十四歳のパ ート・アルバイターだって定義とカウント方法で減った 栗田女性は五二・八 % ですか : トらに限定すると、〇六年は一八七万人ように見せてるだけで、現実は変わっ ヒークのていないはずなのに、なんとなくフリー 生田もう少し引用すると、「正規と非で前年比十四万人減だった。。 正規の年収をみると、男性の場合、正規〇三年の二一七万人から三年連続で減少ター問題はなくしたいのかなって感じに ( 左より ) 杉田俊介、大澤信亮、生田武志、栗田隆子 〇 11 ー巻頭セッション、・生 " を切り崩さない「仕事」を考える一
限りで俺は、いつの日か、『バガポンド』や『ジョジョ』決定的なのは次の認識だった 内なる優生思想健 7 の〈友日敵〉 という「たたかい」の空間からさえ淋しく 全者幻想には「物質的基盤」がある、様々なる交換と 3 立ち去っていく他ないのかもしれない。 いう現実が 個人と個人の生活の質を数字で比べることはで きない。 : そもそも資本制の原風景が強いる恐怖はどこか この世にが存在することは偶然だ。が存 ら来ていたのか 在するのも偶然だ。とが出会うのも偶然だ。リヾ 心理ではない。社会構造が強いる物質的な恐怖。自タリアンはこんな関係の偶然性から出発していた。し 分という労働力商品を他人 ( 使用者 ) が買ってくれない かし、この出遭いは、真の偶然とは言い切れなかった。 と か、もしれない、 というだけではない。かりに安定的正なぜか。見知らぬ他人同士の関係にも常に既に商品交さ る 規雇用を掌中に収めても、資本制の原風景が強いる恐換という形式が染み込んでいるからだ。そこでは絶対 の 怖は、俺達の精神のコアに空洞日痕跡として残り続け的偶然性が「飼い慣らされた偶然性」へと転化している。 る。なぜ怖いのか。俺の存在が労働力として売れない そもそも物と物はもともと質的に全く違う。それら 文 と 時、自分の所有物だけじゃなく、存在のコア日個体性が等価に交換され、同じ価値があると見なされるのは、 自体が破壊されるからだ ( 本誌の共同会議でもしゃべっ本来不思議なことだ。 金Ⅱ貨幣への信用があるために、 たか、俺が特にこわかったのは、ヾ ノイト募集先への電その不思議さは普段は見えなくなっている。俺が働く。 話という第一歩だった。 一日中黒電話の前で動けない賃労働の対価として賃金をもらう。俺という労働力が金 でいたこともある。なんでか、よくわからん ) 。たんに に亦夂わる。見かけは要もか′、 、その時俺は、労働時間や批 カ というたけなら、 生活費を稼がないと生きていけない、 能力に応じた賃金をもらっているのではない。使用者に ぬ目 これ程の激痛に打ち抜かれはしない。ではこの恐怖を俺という労働力商品の二日の使用権」を与えている ( 時無 打ち砕くには何が必要なのか。の水準を通過する時、給制であっても、そうなのだ ) 。だから剰余価値が生じ ニ = ロ
なので、仕事を始めた時期は高度経済成長のまっただ中だった。〇 後でも触れるだろう。 これは、現在の日雇労働者・野宿者の労働に関する意識が、国家・ 2 * 3 集団就職世代の生活の様子は、残された彼 ( 女 ) たちの企業・家族が一体となって高度経済成長を実現した一九五〇年代 次のような声からうかがうことができる。「勤務時間が終わっ後半から七〇年代始めに形成されたということを意味している。 てからも、経営主家族の家事のための仕事をさせられ、自分のこのことは、この世代の労働観に大きな影響を及ぼした。ぼくは、 自由になる時間が少ない」「経営主の家族 ( とくに子どもたち ) 一九八八年から日雇労働者として数え切れないほど多くの労働者 一緒に仕事をしてきたが、一九六四年生まれのぼくにとっても、 が自分を家事使用人のように見下している」「自分の私的生活と に干渉される。たとえば、本を読んでいると、電気代が無駄だ この世代の労働観にはほとんど理解できないような面があったと といって電気を切られてしまう」「無駄使いをするからという思う。 その一つの特徴は、「人間は働いてなんぼのもんや」、つまり「働 口実で賃金を全額渡してくれない」「食事が与えられるものだ くことはよいことだ」「怠け者はだめな人間だ」という明快さで けなので、量が少ない」「食事代 ( および部屋代 ) の差し引き 額が高く、支給される現金がわずかである」 ( 加瀬和俊『集団就ある。一般に思われている日雇労働者像とは逆に、多くの日雇労 職の時代』一九九七 ) 。 働者は現場では「クソ真面目」「馬鹿正直」な労働者だった。そ の多くは、手を抜くということを知らず、どんなキツィ現場で 日雇労働者とフリーターとの違いとして、まず平均年齢を挙げも汗水たらして働いていた。日雇労働者の場合、「日雇雇用保険」 た。しかし、この年齢の問題は、日雇労働者とフリーターとの間制度があって、一月に一四日 ( 当時 ) 以上働けば仕事がなくても 、格差継承と同時に、労働に対する姿勢について大きな違いを一月に一三日、一日六〇〇〇—七〇〇〇円程度の雇用保険 ( 失業 生み出しているように見える。 保険 ) を受給できた。だが、「あんなものをもらうと人間がダメ 日雇労働者・野宿者の多くは、年齢から見て高度経済成長とと になる」と言って、この雇用保険の手続きをしない人が結構多かっ もに就労年齢を迎えている。例えば一九五〇年生まれにとっては、 。雇用保険は労働者の権利だが、それ以前に「食い扶持は働い 一九六〇年代は一〇代にあたる。日雇労働者の多くは中卒か高卒てもらうもの」「人様の金 ( 税金 ) で暮らすなんて ! 」という意
" 生切り崩さない 巻頭セッション 「仕事」を考える 生田武志 >< 杉田俊介 >< 栗田隆子 x 大澤信亮 ( 有限責任事業組合フリーターズフリー ) フリーター間題を 「ないこど」にさせない 杉田二〇〇七年三月二日の毎日新聞 の記事によると、フリーターの数が減っ ているそうです。〇六年のフリーター数 は前年を十四万人下回る一八七万人だっ て。ニートも二万人減って六二万人に なったってさ。 生田いまちょうどその新聞を持って るから引用すると、「雇用者 ( 役員を ート・アルバイ 除く ) 全体に占めるパ トや派遣社員ら「非正規社員・職員」 の割合は、前年比〇・四ポイント増の
「新時代の『日本的経営』」の雇用形態の三分類、「長期蓄積能力善は進んでいても、非正規雇用化は進行し続けている。景気回復 3 活用型」 ( 新規学卒採用で長期にわたり同一企業で就労するタイで完全失業率などの数値は改善しているが、企業が人件費抑制な ) プ ) Ⅱ「 < 」、「高度専門知識活用型」 ( 高い技能を持った者を年どを目的に正社員をパートなどで代替しているからだ。ちなみ 、三〇〇三年の就業形態多様化に関する調査結果」 ( 厚生労働 「」、「雇用柔 俸制などにより一時的契約で雇用するタイプ ) ド正社員を雇用する理由 ( 複数回答 ) の第一位が ート・アルバイトなどの形態であまり高い技能を要し省 ) によると、丿 軟型」 ( パ ない仕事について、一時的に雇用するタイプ ) Ⅱ「」にそれ「賃金の節約」が五一・七 % 、次は「一日や週の仕事の繁閑に対応」 三八・〇 % ) 、「景気変動に応じて雇用量を調節する」三六・五 % ) ぞれある程度当てはまることが確認できる。 となっている。 つまり、景気が回復しても、企業は「賃金の節約」と「雇用量 ここでこの図を見ながら、フリーターについて「よく言われるを調節」できるメリットを優先して、「 < 」「」をあまり増やさ ス レ ず相対的に「 u 」「」を増やしている。これは、「いす取りゲー セリフ」の意味を考えてみよう。 ム ム」でいえば、いす ( 正規雇用 ) がプレーヤーの人数に対して減っ 例えば、「フリーターは甘えている。きちんとした仕事に就け」 という「よく言われるセリフ」である。これは、何を言っているている状態である。そんな状況で「フリーターは甘えている。きホ ちんとした仕事に就け」と言うのは単に無意味である。誰かが頑 のかというと、「 u 」「」の人は「 < 」「」の人になりなよ、と言っ ているこ」に宀なる。 張っていすを取れば、その代わりに誰かがあぶれるだけだからだ。 しかし、そもそもフリーターがみんながみんな正社員になるとつまり、いすからあぶれた人に「再チャレンジしろ」 ( 「頑張って いうことはあり得ない。「」「」の数が、企業側の正規雇用絞いすを取れ ! 」 ) と言うのは、個々人の生き残り戦略にはなっても、 社会全体では全く解決にならない。 り込みによって押さえ込まれているからだ。 ちなみに、「景気が回復すればフリーター問題のかなりは解決 総務省が公表した〇六年の労働力調査結果によると、正社員の 従業員数は三四一一万人、非正社員は一六七七万人、雇用者全体する」ということも「よく言われるセリフ」である。一般的にも、 の比率では三三・〇 % となり過去曩咼を更新した。雇用情勢の改「経済成長こそ失業や格差・貧困問題への最良の対策」と言われ ーフリーター
り、「自分のやりたいこと」を仕事にしたいという「自分さがし」 「自己実現」タイプは高収入家庭・大卒フリーターに多く、食べ ていくために働くという「自分の生存」タイプは低収入家庭・中 高卒フリーターに多いはずである。そこには、まず学歴と家庭の 経済格差の連動という問題がある。低学歴者ほど、家庭の経済事 情から自分の生活費を自分で稼がなければならない場合が多い 彼 ( 女 ) たちは、高卒・中卒の段階から、親の資産をあてにでき ないこと、正社員になることがどれだけ難しいかを知っているの で、世の中に甘い期待を持てない。そもそも、低学歴者は最もチャ ンスの多いはずの卒業時にそもそも正規雇用されにくいし、いっ たんフリーターになるとそこから正規雇用に移るのも難しい ( 小 杉礼子『フリーターという生き方』一一〇〇一一 l) 。一方、高学歴者の家 庭には経済的余裕が比較的あり、自分の「やりたいこと」を探し 続けることができる。こうして、低学歴層には「生存のために働 く」ことを強いられる者が相対的に多く、高学歴層には「自分さ がしのために働く」という者が相対的に多くなる。こうしたフリー ターとその親の学歴・経済格差の影響については、幾つかのイン タビュー調査からその輪郭を見ることができる。労働政策研究・ 研修機構による「移行の危機にある若者の実像ーーー無業・フリー ターの若者へのインタビュー調査 ( 中間報告 ) 二〇〇四」から一 部引用すると、 〇 ・ : 中・高卒フリーター層の将来のくらしに関する夢は、「ふ ) つうにくらしていかれればいい」とささやかである」「低学歴 層の親は、子どもの学業・就職に対して無関心で、放任に近 い状態がある。学校での業績に無関心であり、職業選択に関 しても無頓着である。お金が入ればそれでよい、という感覚 がある。親子の間に意思疎通のない家庭があり、時には一方 的な叱責で事を解決しようとして、子どもの反発をかってい る。これらの家庭は、子どもを職業へといざなうという点で、 子どもの社会化機能を果たしているとはいえない」「このよ うなタイプは、欧米諸国で指摘されているように、もっとも 社会的排除に陥りやすい典型といえよう。家庭環境のなかに、 職業生活への準備をさせる条件がないため、当座の現金が入 ればそれでよいという意識をもってしまう。その点では、正 規雇用よりアルバイトの方が合理的と考えるのである。 関西、東北の中・高卒フリーター層と比較すると、首都圏高 学歴フリーター層は、大学進学があたりまえの環境で育って きたことに大きな違いがある。前者の親たちが、子どもの学 業に対してほとんど無関心であったのに対して、ここでの親 たちは教育に対する関心が高く、子どもにかける期待が高く、
の人生の心配をする資格は俺には絶無だ。俺は俺自身 うことはあるだろ , つ。いや、こちらから一言葉を届けよ , フ、 3 一 の人生を少しでもマシにするくらいしかできない。 挨なんておこがましい。完全に逆だ。言葉を臓腑へ叩き〇 拶はシンプルにこうだ。あんたらはあんたらの居場所込まれ、染み渡らされるのは、常に俺達の側だからだ。 て だが、あんたらはそもそも、 で粘り強く戦ってくれ。 もちろん、あんたらがそんなことをやんなきゃならない せ 社会や自分と戦う余裕すら剥奪されているのかもしれ理由もべつにない。ただ、自然の不思議な摂理としてそ寄 、こけ・の一 , 」ししに。 ない。「私たちは怒っていい」どころか、全ての怒気やうなっていくた 格闘の後の疲弊し切った失語と泥沼こそがあんたらの その限りで、フリーター問題と貧困問題を、俺は今刊 現実なのかもしれない。 しかし、それを決める資格も当はきっちりと分けておく。誰が一層深刻か、より悲惨 然俺の側にはよい。こご オ一つ、あんたらが賃金労働や商か、と弱者竸争のインフレを煽る意図は全くない。 品交換からぎりぎりまで切り離された無所有者、無能力 フ リーター層にはフリーター層に固有の幸福と不幸があ ズ んに圧 ~ 当ごる , 」し」 者であり続ける限り、た 利用できる り、それでもう十分だ 生活困窮フリー ものを全て利用して生きのび続けること が最大の、ターではなく自立生活フリーター。こないだ、首都圏青タ 無条件の倫理的実践なのだ、という 真理だけが、今の俺年ュニオン ( 非正規雇用者でも誰でも一人でも入れる労 の近眼には眩しく疑えない。すると俺達に出来るのは、 働組合 ) の河添誠さんに取材に行った時、労使交渉のでフ あんたらの余計な邪魔をこれ以上しないこと、社会の障きる非正規雇用の人の現実と、ネットカフェを漂流して < 壁を可能な限り取り除くこと、もちろんあんたらの生活希望自体を失っている人の現実は、つながってはいるが が貧窮しているなら必要な支援と援助のツールを社会少し意味が違う、後者の現実に働きかけるには何か別 カ 的に増築していくこと、それくらいしか残らない。 の回路を作る以外ない、、 ヒヒ たが前者の運動の成否を握るの ム月 無 しかしその時も、俺達とあんたらの関係の癒着と浸潤は後者の回路だろう、といっていた ( 本誌参照 ) 。フリー を反復的に切り離し続ける時、間接的に何かが響きあター層と貧困層の切断と峻別、それは悪しき分断政治 0 あお 一三ロ
宿者とか外国人を排除しても全く構わな ) 大澤そうですね。たとえばモンドラゴということで評価されてきたんだけど、 って空気はある。露骨にそれはある〇 シャリン・カスミアの『モンドラゴンの ンが評価されるときに「政治色がない」 と言われてきた。モンドラゴンは、仕事神話』によれば、アリスメンディアリエよ。「協同」と言う時、同じ崇高な目的 のなかった若者の雇用を創出するためスタが属していた「カトリック信徒運動」のために人々が参加しているからこそ醸 に、ホセ・マリア・アリスメンディアリ はムッソリーニと同盟を形成していたら成されていく「空気」の暴力はやつばり エスタという神父が音頭を取って、五人しい。もちろんそのアングルだけで彼がある。そこには、たんに精神的な同化だ けでなくて、共同出資や共同販売に関わ の若者が協同で石油ストープの製造を始ファシストだとは言わないけれど。ある めたのがはしりですが、四十年経った現いは、バスク地方は民族主義がとても盛る物質的な基盤が関係しているんじゃな いかな。協同で何かをやるっていう形式 在では一五〇の協同組合二万千人の雇用んなところで、公式的には政治色がない の中に特定の暴力を醸成する物質的基盤 者組合員に膨れ上がっている。その失と言われてきたものの、理事会やマネー があるなら、それに対しても敏感でない 業率の低さは驚異的で、バスク地方全ジャーには民族主義運動の関係者がかな とまずいかなって気はちょっとする。 り多いとも言われる。だから組合とファ 体の失業率が二七 % あったときでさえ、 シズムという問題をどこかで頭に入れて モンドラゴン協同組合の失業率は〇・六 担保のいらない ーセントだったそうです。働く人は最おく必要はあると思う。 信用どは ? 初に一年分の給料を出資してーーーもちろ杉田それこそドイツのナチズムが戦前 ん最初からそんなお金はないので信用の失業を根こそぎにしたという事実があ杉田物質的というのを言葉の水準で 組合に借りることになりますーーーそこでるわけですよね。その意味がよく吟味さ考えれば、合議制っていうのもそうだよ 組合員として働くことになる。つまり運れていないってことはある気がする。当ね。合議制の厄介なところは、確かに個 人の意見は尊重されるんだけれど、決定 営に対する決定権を持てる。そこで働く時の大衆がたんにナチズムの思想だけに 人間のなかから理事会を選出して、その共感したわけじゃないですよね。自分のに極端に時間がかかって皆が疲弊してい く、という事態に必ずなって、その時集 理事会がマネージャーを任命するという関わっている仕事の世界でいえば、重度 経営スタイルで、これは非常に民主的だ障害者の生存と生活を守るためなら、野団の全体がなしくずしになっていくか