ズム的なものではまったくなかった ! 伝統について何らのためらいもなく、最終的結論を 8 絵画のあらゆる分野での歌麿の発見から引き出した男、葛飾北斎は、のちに傑作版画の民族 的芸術性に実際にとどめを刺して、それを純粋絵画に逆戻りさせた。 すでに我々が聞き知る通り、『画本虫撰』の版元の重三郎のところに出入りしていた写楽 は、当然のことながらこの作品のことをよく知っていた。彼が有名な歌麿と個人的な接触が あったかどうか、私には疑わしい。例の誇り高い、個性的な歌麿が、舞台で騒がしい所作を する人を描くことに対して、どのぐらい消極的な態度をとったか、我々は知っている。彼は そもそも控え目で、親しみやすい性格ではなく、また彼の芸術家仲間よりも、むしろ美しい 女性に彼流の理解を求めた。まさにこの時期に、「青楼」の重苦しい雰囲気の中にいた大変 に美しい娘が、彼を愛の虜にしてしまった。その娘は「扇屋」の魅力的な滝川で、当時彼女 はそこの女仲間で、有名な花扇よりずっと人気があった。そして、やっと有名になりかけて いた歌麿にはポスターと役者絵の絵師になるための時間は、確かにわずかしかなかった。し かし写楽はまったく違ったことを感じざるを得なかった ! 石燕の模範的な結論の中に、稲 妻のように彼の頭をよぎったある言葉があった。それは発言全体の中の核心的言葉、つまり 「自然の写し」であった。それは全面的に彼の新しい芸名、写楽に対応するものであった , 自然を写すーー・しからばなぜ最小の生物か ? その傑作こそ人間ではなかったのか ? そ して、このように写すという行為は物質として存在するものの退屈な模写を意味しないと、
丿ーズは、美的理由から東洲斎の版画の前に位置している。きわめて素朴な初期作品一点も、 「写楽」の名があるだけである。我々は二つの異なる落款の境界線を見つけることができる のだろうか ? 再び幸運な偶然なのだが、我々は手書きでなく、版木によって日付が入れられた巨匠の版 画を一点所有している。これは「若い力士」を描いた奇妙な版画である。この版画の場合、 日付は一七九〇年、落款は「写楽」となっている。つまりここには境界線があるのだ , かくして我々は次の結論に達した。つまり、一七八七年頃から一七九〇年までこの芸術家 は自分の作品に「写楽」と落款していたが、一七九〇年に雲母絵を発明してからはーー従っ て、我々はいずれそのことを知ることになるーー・「東洲斎写楽」という落款をしたというこ とである。しかも、二人半身像を含む雲母摺シリーズが、少なくとも「大首絵」以後の一年 間のうちに刊行されていたことは確実だし、また巨匠の以前の作品は少なくとも一七九五年 以後には存在しないからである。艶鏡の問題をめぐって起こったそれよりあとの出来事につ いてよ、リ 男の章で述べる。 ところで我々は暫定的ながら、以下の時期を確認している。 * ・写楽の落款の時期。 一七八七年頃。勝川春章や鳥居派四代目清長の影響を受けた初期作品群。 一七八八年初め。喜多川歌麿の『画本虫撰』の影響を受けて、役における写実主義的
に作られたことを証明している。 このシリーズの新しいところは、きわめて不透明な色調の塊である。写楽はこれを春信か ら受け継いだが、色彩豊かな提灯と同様にこれらの色彩は赤々と輝き、そしてすばらしく美 しい笑いの魅力を引き出す一方、春信がまだ知らなかった、迫力のある金属的な色調を備え た写楽の作品は、物語詩風な印象を与える。これらは光彩を放っことはせず、冷たくて、 弱々しい自然光の細い線条が突然に差し込む、宝の詰まった真っ暗な穴蔵の中の大きな宝石 のように光彩を吸収する : この大浪人ドラマは一七九四年十月十四日に江戸の河原崎座で上演された。この上演と同 時に、あるいは宣伝目的からか、すこし早めにこの巨匠の驚くべき作品が刊行された。恐ろ しく真実味のある顔とすばらしく華麗な色彩を持った独創的な浮世絵が、センセーションを まき起こした。歌麿の影が薄くなってしまったことは明らかであった。こうした彼の写実主 義的傾向の帰結は、歌麿の感情を害した。彼は恐らくもう前から地のために灰色がかった銀 色を使っていたと思われるが、これらの新しい地を真似しなかった。だが、まさにこの年、 この全く新しい色彩の魔術は、ついに歌麿をして写楽の不透明な質量感とは全く逆に、もっ とも洗練された段階の色調としての精緻きわまる最高の透明性をめざす最終的な実験へと駆 り立てたのである。 いつまでも完全に平然としてはいられなかった。バイエルン おつにすました栄之でさえ、 163
傾向の意識的な採用。版元重三郎 ーズ、二人全身像シリ 一七九〇年まで、細絵シリ 一七九〇年、「力士の若者」を描いた一枚摺。 Ⅱ・東洲斎写楽の落款の時期。 一七九〇年。雲母絵の発明。写楽芸術の頂点。白雲母摺にそれぞれ二人の役者を描い たシリ ーズ。タイプにおける写実主義的傾向の採用。意識的な風刺への移行。 一七九一年 5 九三年。細絵シリー 一七九四年、写楽の人気の絶頂期、暗い銀摺 ( 黒雲母摺 ) の大判半身像。役とタイプ における風刺的解釈。 Ⅲ・歌舞妓堂艶鏡。もはや版元なし。刊行されなかった本 ( 版下絵 ) 。民衆の人気を再度得 るための最後の試み。 終焉。 ヾ 0 ーズ。黄つぶし半身像。
、ンヤ ザワという音に似た響きをもっている。さまざまな意味に解釈される名前である , ( 写 ) は模写 ( 写真複写 ) を意味し、ラク ( 楽 ) は「楽しみ、仕事からの解放、喜び」を意 味する。またガクという読み方をすると、例えば能楽の一種である猿楽とつなげるとわかる ように「音楽」の意味になる。シャラクを別の字 ( 洒落 ) で書くと、「央な、機知に富ん だ、率直な」という意味になるし、さらに別の字 ( 策略 ) で書くと、「術策、計画、陰謀、 策謀」の意味になる。もしも我々が「模写 ( 写真複写 ) の楽しみ」という一番簡単な意味に 固執する限り、手本にすがっていた控え目な初心者は、まずもって自らをより控え目である などと言、つことはできなくなった。とはいえ、目的意識をもった自然主義者といえども、そ れよりいい名前を名乗っていた者は一人もいなかった ! この新しい方向がすでに頭の中に 入っているといえるだろうか ? この方向性を初めてはっきりと強調した歌麿の『画本虫 なぜなら、たとえそれが一七八 撰』が当時すでに版元の印刷所にあればよかったのだが , せきえん 八年初頭に初めて刊行されたとしても、その前年の一七八七年冬には高齢の鳥山石燕の序文 か用意されていた。つまり仕上がって彼の手元にあったし、それにこの豪華な作品の図版の 製作はひどくやっかいで、時間もかかったからである。我々はただちに、「写楽」という名 前とこの作品とを具体的に関連づけることができるかどうかの問題に、より詳細に立ち返る ことにする。人々はすぐに、まだ大量に残っている同時代の劇場用ポスターの中から写楽の タイプを探そうという気を起こす。とりわけ、猛々しく、ぞっとするような顔の場合に、彼
とは対照的に、ほとんど一度も役柄を役者の隣に書いたことかないし、役者の名前も二つの シリーズに書いただけだからである。そのため、私が頼みとしたのは組合せであった。とこ ろが、役とシーンの特異性を取り除くことができなければ、素顔の役者を我々に見せてくれ る個人的な残りの部分に逢着できないわけで、それができて初めて、絵師の描写方法につい ての批評が可能になる。例えば、役者の顔を恐ろしげな、あるいは邪悪そうな顔つきに描い た責任を写楽に負わせることは、もしもその役がそうした顔つきをしている場合は、全く本 かたきやく 末転倒になってしまう。しかし、一人の役者がそうしたしかめつ面を、もちろんすべて敵役 というわけではないがいろいろな役で演じているところが描かれているのを見れば、パトロ ン自体のかなりの部分を我々にゆだねようという写楽の意図を語るであろう。このことは特 たとえ好感のもてる役の中であっても、「人間的なもの、余りにも人間的なもの」自体 を担ったような役柄の場合に、明るみに出てくるであろう。そうした分析だけが我々の眼を 訓練し、写楽の様式を他のものと区別することを可能にする。つまり結局のところ、そうし た分析だけが役者と観客の恨みを我々に納得させるのであろう。 私はそうした分析を通じて、一七九〇年までは最初は役者の役と「私的な顔」の中に強烈 な写実主義的傾向をめざした努力がなされたこと、そして次にこの巨匠が役を戯画化し始め、 最後には嘲笑を役者自身にまで広げたことを、発見したと思っている。 いずれにせよ我々は、一七八八年から一七九〇年までに作られた一連の十七の細絵シリー
くすんだ淡青色の左文字となって、紙を通して透 けて見えている。ポスター ( 表題は口上っまり の太 9 元は 2 座題「予告」の意味である ) は、写楽の役者ポートレ の表 屋のる ート ( 似顔 ) の二つ目のシリーズ三番目 ) がま 居タて 芝スれもなく刊行されると伝えている。肌色に摺られた たボか つ。書顔は、肖像画として一級の出来である。醜く太っ ゞ持内て こ云れ 利口さた老人の顔のいずれの線もしわも、驚くほど写実 を都大 一 ( 拡的に、ただし風刺する気はなく描かれている。贅 タチて スウし ポャそ沢な生活への愛着、多少の狡猾さ、しかし才気も、 そして世馴れた冷淡さも。出来るだけ無理しては ならぬかのように、大きい涙嚢のせいで細くなった目 : : : 遠目に見ると、ポンペイの銀行家 であり株式仲買人でもあったルーツイウス・セシリウス・イルクンダス ( ローマ時代の人 ) のプロンズ製の顔を彷彿とさせるが、あるいは両方の顔とも残忍さのイン。ハクトがあるから かもしれない この版画の発行については、さまざまなことが語られている。日く、まず第一に、重三郎 が自分の肖像画を商売にできるぐらいだから、芝居小屋の座元は広く世に知られた人物であ ったに違いない。さらに、明らかに最初の雲母摺シリーズである写楽の最初の役者シリーズ
写楽はこの発展段階の最後になると、役に がプついてかなり写実主義的傾向の考え方になっ 楽イ 写タ ていたが、タイプについてはまだそのように 野愚はなっていなかった。もっとも、ある顔が愚 中最鈍な場合は、彼はそれを見逃すことができな のた 女描かった。女方の中村野塩の顔は、もしも男が この女を演じていないとしたら、優美な女ら 、こ、どうしようもなく愚鈍な表情を見せて しさに対して絶望的な気分になりかねないぐらし。 いる ! 春章が形式に凝り固まった劇場の装飾品 ( 役者絵 ) に吹き込んだ生き生きした要素 を、写楽は完璧なものにした。それは彼がこれらの作品の中で歌っている形式言語の春の歌 ・イエッセン (PeterJessen) か自ら次のよ、つにったときに、 であり、すでにペーター のことは感じとられていた。すなわち、「よくよく見る者は、彼の役者としては小柄な体格 ( 大きい頭に比べて ! ) に、より一層驚くであろう。彼がどんなにぎこちのない、不機嫌そ うな身振りをするか、彼がどのように絵筆をとって頑固な線を描くのか、彼がどのように奥 行を縮めたり、線を交差させて描くのか、そしてそのようにするだけで空間の奥行を作り出 すすべを知っているのか、こうしたことのすべてが、通常の日本の浮世絵とは違った男性的 な力、内に秘めた情熱を示している。人は彼をこの芸術様式のドナテロ ( イタリア初期ルネ 112
四つの顔についての解釈はヨーロッパの美の理想像に近く、明らかに日本固有なものを越 えている。 この観察にいま一歩詳細に立ち入ってみることにしよう。さしあたって、絵師の輪郭線の 取り扱いは普段のやり方にしたがっていて、コントラストだけが強くなっている。これによ り、素材の死んでいる部分が生きている部分の線とより強いコントラストを生み出して、こ の部分の動きを一層激しくする。黒の面に対する写楽の偏愛を、我々は繰り返し感じてきた。 浪人シリーズでは、迫力のある漆黒が陰気で不透明な色調に対抗しているが、ここではこの 漆黒が、明るくて透き通った絵具の間に置かれているために、その作用はより一層激しくな る。すでに以前に見てきた輪郭線のない着物の模様は、ひだの線をより太く描き込むことに よって、いままでよりも際立った印象を与える。写楽における新しいものは、仄色の虹彩で ある。虹彩は瞳と一緒に常に黒く描かれた。歌麿はそれを初めて一七八八年の彼の「歌満く ら」で写実的効果を十分に意識した上、自然色を使って描写したが、そのあとはごくまれに しか、私の知っている限りでは一度も、大首絵では描かなかった。ここでは民族的、聖職者 的解釈に反して、ヨーロッパ的要素が目立つ。 卩、卩リ万卩、商標の欠如である。このことはここ 最も際立っているのか、あらゆる版元「届戸丘 で論じていることの全体像を伝えている。芸術を愛する江戸の民衆だけでなく、またひどく 嘲笑された役者だけでなく、かっての重三郎さえもが、これまで一緒に「でぶ男と痩せ男」 193
ば倍の長さであって、顎と口がまったく釣り合っておらず、眉、ロ、あらゆる部分がその他 の部分と考えられない関係にある。同じ観察を写楽のすべての大首絵でやってみよう。この 巨匠がこれらの釣り合いがすべて間違っていることを知らなかった、などということは当然 あり得ない。彼は普通のことを十分に意識して無視してきたし、各部分の描写がかなり濃縮 された写実主義的傾向に基づいている一方、それらの構成は純粋に観念的な解釈に従ってい る。彼は心的表現の本質的に重要な点を各部分の釣り合いの規準として利用しており、そし て、この重要な点への添加物が風刺であったことがわかるであろう。それゆえにこそ、この ようなおよそ考えられないこと、いやそれどころか奇怪なことも、決して調和を崩すように は作用しないのだ。我々が考察を長く続けることに伴って、我々に見えていないものが、何 の苦もなく補足されてくる。例えば沢村宗十郎の肖像画だが、その目は自然な寸法に即して いるとはいえ、この大きな顔と比べても少なくとも倍は大きいと思われる。ところがそれに もかかわらず、我々にはただ大きな目をしている、迫力のある目付きをしていると感じるだ けである。どこから全体の調和が出てくるのかわからない。写楽の場合、我々は絶えず「分 かちがたい残りの部分」に出くわしてしまう。上辺は無邪気に見える単純さの中で、形容し がこいほどに生き生きしているが、他方で冷静でもある彼の線は、この巨匠は日本人の流派 には属したことかないかもしれないか、ロートレックの流れを汲んでいるように見える , ここで役とタイプの性格描写について考えてみよう。恐ろしいほどに生き生きと自分の枠 巧 4