女方 - みる会図書館


検索対象: 写楽
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1. 写楽

ら二本の渡り板は平土間席のうしろで、長細い舞台でつながっていた。引幕は白と黒の帯状 の布地が縞模様を形づくっているものであった。左右の天井桟敷はそれぞれ三階になってい た。一番上の階は二階桟敷と呼ばれ、差し掛け屋根で覆われていて、その上にスライド開閉 式の窓が付いた一種の「最上階観覧席」がそびえていたが、これは恐らく例外的にしか、つ まり柵の外の無料見物人によってしか利用されなかったようだ。真ん中の階には鶉桟敷など という奇妙な名が付けられていた。これら両方の階には提灯がつるされていた。一番下の階 おおくび は東側が大間桟敷と呼ばれたが、それは大領と名付けられた西側より広かったからである。 この階は真ん中の階の下方ではなく、前方に位置していた。またこの階の南側には留場が設 けられていて、紋の付いた切幕と呼ばれる幕で覆い隠された部屋に通じていた。この部屋は 西側桟敷のうしろから、しかるべく舞台に戻る通路に通じていて、それにより役者は長い距 離を戻る必要なく、「花道」から舞台に行き着くことができた。渡り板で囲まれた平土間席 ( 中の間 ) には約十六列の長腰掛が置かれていた。その後方には、恐らく立見席であろう一一 つ目の平土間席が位置していた。ズッコの『 Toyokuni 』の第一巻には、この劇場の一部に ついてよく描かれている挿絵が図として載っている。もっとわかりやすいのは、政信の芝 居小屋について描いたシュミットの挿絵である。市村座では、我々にきわめて奇妙な印象を 与える発明も、江戸で初めて採用された。 女方を演じる役者は、自分が女性化していても、十五歳になると他の男たちと同様に前髪 うずら

2. 写楽

両方とも丸に「仙」の字。男方。 歌右衛門、谷村・虎蔵を参照。男方。 中村此蔵〔写楽〕はトロンポーンを吹く天使のように太っていて、家紋に「此」の字を付け ていた。男方。 富十郎。〔写楽 ? 〕家紋。女方。 マンゾウ ( 万世か ) 。〔写楽〕。「万」の字が付いた家紋。女方。 一一代目野塩。〔写楽〕。かな文字の「の」が付いた家紋。女方。 まさに悪魔のようなひどい顔をしたある役者は、写楽が活躍した最後の数年間、男方も女方 も演じた。彼は紋として菱形に鶴を付けていた。 ( 図版紋一覧表参照 ) 彼が中村家の一員であったかどうか疑わしい。谷村家も参照。 男方を演じた家

3. 写楽

を剃って元服を経験した ( 三十頁参照 ) 。我々が日本のすべての男性肖像画で目にする青み をおびた剃りあとが、彼等にも残った。とはいえ彼等が登場しても、一六五五年以降広く用 いられるようになった女物のカッラをかぶっていれば、額の欠点は全部とまではいかなくと も隠すことができた。さて一六八七年になると、有名な鳥居派初代清信の父親で鳥居庄七と いう男が江戸にやってきた。彼はそのときまで、大坂のかって城の濠であった道頓堀のそば の劇場の重要でない役者であったが、鳥居清元の名で片手間にやっていた劇のポスター描き の方で、才能が認められ有名になった。この男は将軍の居城にこれら両方の才能だけでなく、 奇妙な発明品、つまり剃りあとを隠した女方の額にかぶせる紫帽子も持ち込んだ。浮世絵版 画でよく見かけるこの帽子は、政変 ( 一八六八年 ) が起きるまで、正式には野郎帽子と呼ば れた。その理由はわからない。いずれにせよ、それは重要でない役者しかこの帽子をかぶら なかったというある日本の文献が挙げている理由からではない。最も有名な女方を描いた多 くの肖像画は、それとは逆の材料を提供してくれている。これについてのフローレンツの解 釈は若干違っている。「野郎帽子」の発明者は一六九〇年には市村一座の一員になって、こ の帽子のために自からポスターも描いた。 たちばな 市村家の家紋は、有名な貴族の氏も使用している丸に橘で、その他に大きな渦巻きがあっ た。とりわけかっての鳥居派の名人たちの時代には、初代および二代目市村竹之丞、あるい はのちの吉五郎といった多くの代表的役者がいた

4. 写楽

丹絵の扇が描かれている。帯と下衣は青紫で、輪の星が描かれている。右側の絵。 「家の前」。図版。 。 9 。 > 期右 小佐川常世。女方。左向きに立っている。手拭を噛んでいる。・ 側の図版。追加図版。 市川高麗蔵 ( ヴィニエは間違っている中村仲蔵 ) 。男方。左を向いて立っている。 武家の肩衣、右手には丸に二の紋の入った汲み桶 ( 角樟 ) 。翫 2 追加図版。 亠細判。多分、三枚絵。背景関寺の前の墓地。夜の黒い地。 沢村宗十郎。旅人役で胸に子供を抱いている。 2 文の入った標柱。追加図版。 丘細判。三枚絵。背景室内、上方に障子窓、引き上げられている、白い渦巻き模様で 飾られた青い縁。花が咲いている桜の木が外に見える。床 ( 地面 ) は無色。 沢村宗十郎 ( 五代目山下富十郎、ヴィニエではない ) 。黄緑色の下着と灰色のホ の竹林を参照。「関寺」の碑 。 > 中央。 220

5. 写楽

一九〇四年のジローカタログは、歌舞妓堂艶鏡の役者絵を 671b の番号で挙げてい る。この役者は手に扇子を持っている。扇子の面には絵が描かれていないので、覚書からは ) 。はっきりしているのは、艶鏡のことを一言っているとい、つことだ ほとんど何も読み取れなし けである。そしてその他の有名な浮世絵の中には、扇子を持ったものは一枚もないので、こ れは彼自身のための番号を意味していることになる。 バルプ ートーのカタログは、歌舞妓堂艶鏡の落款の入った浮世絵を掲載した最初のカタロ グであった。彼はこのカタログが写楽のことを指摘しているにもかかわらず、この浮世絵の 価値が全然知られていないことを、一九〇四年、一九〇五年ならびに一九〇八年の三回のオ ークションで証明した。描かれているのは、役者中山富三郎のいつも通りの女方の半身像で ある。 ( ・、図版番号 ) きわめて幸運だったことにクルトとズッコのコレクションが、 間違いなくバルプートーの浮世絵と同じシリ ーズの一部である別の一一枚の浮世絵を入手した。 そのうちの一枚は地位の高い若い侍役の市川八百蔵を描いたもので、「歌舞妓堂」の落款が 入っている。この浮世絵のすぐ隣に置かれるべきもう一枚には、中村家の若い役者が演じて いるこの侍の刀持ちが描かれているが、落款は入っていない。両方とも大判半身像である。 、図版番号、門 灰色の地、色彩、技術とも完全に同じである。 ( ) 五番目の浮世絵 のコピーを、私はこの本の校正中に入手した。スペースの関係で、より正確なことは最後の なる。 191

6. 写楽

中山富三郎。女方。水に浮かぶ桜の花の模様の着物を着ようとしている。黒い飾り 帯。 > 。 ( ( 岩藤 ) 、ヴィニエ z 2 、。・ 8 を参照 ) 。に相当。図版。 沢村宗十郎。立って、左を向いている。仙台の大名として、花模様の黒い衣装を着 。。・ 4 こ相当。。 > 。。追加図版。 て、扇子を持っている z 2 ( 二枚目の絵 ( 花魁高尾としての瀬川菊三郎 ) はまだ確認されていない。 大谷鬼次。侍役で、右を向いて立っている。頬冠りの布を上にたくしあげようとし と同じ、シャツのような下着。 > ( そこでは灰 ている。黒い帯。・幻 色の地 ) 。図版。二枚目の絵 ( 市川男女蔵 ) はまだ確認されていない。 2 糸判。黄つぶし。落款は一行。三枚続き絵と思われる絵のシリ ④庭を暗示させるために、上方にカエデの枝。将軍所有の庭園の女庭師役の岩井半四 郎 ( エジ ( 衛士か ) ) 、熊手を持った庭師役の市川高麗蔵、女庭師役の小佐川常世、 これら三人はみんな黒い帽子をかぶっている。一式組。 >ä0 追加図版。 大谷徳次。鋤を持った百姓役。市川富右衛門。ハチマキをして、斧 ( 鍬 ) を持った 百姓役。服はたくし上げられている。中島和田右衛門 ( * 中島勘蔵 ) 。馬丁役。怒 って包丁を振りかざしている。スペース不足からこの版画の場合は二行の落款。一 ヾ 0 236

7. 写楽

一七七〇年以降になって創設された比較的新しい家。紋と名前から判断すると、中村家の 「女方の系列」から分派したと思われる。 〔家紋〕丸に桐。 富三郎。恐らく初代。同家の指導者。有名な役者で、「グニヤ」の別名を持っとともに、以 5 2 x 3 の花。〔写楽〕。 前は近江屋錦車と称した。〔紋家紋〕、白地に黒、 粂次郎、春章によってだけ描かれている。〔紋家紋〕「粂」の字が忠実に書かれている。 のちに荒五郎として市川家に移っている、つまり女方から男方に変わったわけである。 粂太郎。〔写楽〕。〔紋家紋〕「粂」の字が付いた、白地に黒。 佐川家、小佐川家を参照 佐野川家

8. 写楽

一人の絵師のことを想像してみよう。彼が徳島のさる寺の境内や、蜂須賀の城の杉と松の影 に清められた舞台で、どのように神秘劇を演じたかを、そして顔につけた奇屋な仮面、眼前 にあい対する別の面、ドラマチックで高尚な古代芸術の神秘的な伝統に包まれ、精神の竪穴 の深部で桎梏を掛けられ、現世をめざして上方に突進しようとする巨神のこと、、いに浮かん あるいは、おごそかな神秘主義と典雅な壮 だ将来の奇屋な数々の絵を想像してみよう・ : 麗さの威光が彼のまわりできらめいている一方で、都から来たこの経験豊かな役者が阿波一 族の舞台仲間に自らの精緻な教えをどのように伝えるのかを想像してみよう、そうすれば、 この男が絵師としてドラマの創作者にならさるをえなかったことがわかるはずだ。さらに、 すばらしい阿波地方のことを思い描いてみるがよい。森のざわめきに包まれた岩の多い山々、 打ち寄せる大波が次々に砕ける絵のように美しい海岸、陽光を一杯に受けたカシの林、深紅 色に燃えるカエデ、春の色とりどりの花、冬も緑を失わない草花のことを。そうすればこの 男が絵師として色彩の夢想家にならざるをえなかったことが理解出来るはずである。 思索に耿ける人、それが彼であった。彼は人間の顔を通して見つめる激情のスフィンクス に敢えて挑んだオイデイプスである。不気味なほどの力が、彼の能面の深いグロテスクな皺 と悪魔のように恐ろしい顔にひそんでいた。あらゆるグロテスクさにもかかわらず、そのカ は偏狭なもの、空虚なものとは無縁な本質的なもの、寓意的なものである。かくして、その ときの彼はコトウルン ( 高沓・たかぐっ ) を履いた高みから、高尚な春信がかって描いたよ

9. 写楽

いか、仲間たちより小柄の彼は、まだ半分少年のような主人公の息子力弥を演じたと推定さ 1 ー肥 ) でも、彼にこの役を割 れる。ヴィニエは黄色の地のシリ ーズ ( 図版番号 1 り当てている。 洗練された宗十郎は、恐らく非常に屈辱的な殺され方をした大名の塩谷であろうと言われ ている。この役者が豪華な金色の扇を携帯しているように、塩谷も第一幕で扇を持っている。 虎蔵は少し太っていて、十分に髭を剃っていない年老いた侍で登場した。彼はすぐに忠実な 加古川本蔵の役になりきっている ( シュミットはこの人物を坂東三津五郎が演じるのを見た がっている。付言すれば両者とも「怒ると斜視になる」 ) 。彼の娘の小浪を有名な菊之丞が演 じ、彼のもう若くはない妻の戸無瀬を常世が演じているのがわかる。花魁のお軽は、すでに 米三郎によって演じられた時点で、その衣装とその姿態のせいで正体がばれている。シュミ ットは当然のことながら私の以前の解釈とは反対に、お軽の父親与市兵衛を二代目幸四郎の 役として再び認めているが、他方、徳次は由良之助の供侍であるとしている。ある日本人は、 勘弥が扮したのはういろう売り ( ある薬の売り手 ) の扮装をした浪人であると見なそうとし た。半四郎の小太りの中年婦人は、由良之助の妻お石の役にびったりである。瀬川富三郎は 塩谷の妻顔世を演じたかもしれない。そうすると後に残ったのは、女方の中山富三郎と市松、 そして男方の門之助と龍蔵だけである。市松は第七幕の一カ茶屋の芸者と一致する。同じ箇 所に、門之助がその一味であると思われる侍の一団が登場する。浪人に描かれている鬼次が 149

10. 写楽

〔家紋〕一種の錘である分銅。 初代三五郎は一七二七年から二九年の間しか出演しなかった。 七五郎。〔家紋〕黒。 龍蔵。〔写楽〕。家紋または以前別の家が所有していた、二個の分銅が付いた家紋。目付きの 悪い、痩せた男。 坂東家 一六六〇年に森田太郎兵衛とかいう名の男が、木挽町五番地に汐入という土地を手に入れ た。彼は坂東乂九郎の次男の乂七を養子に迎え入れ、そして木挽町狂言座の経営者に相談し て森田勘弥と名付けた。古い日本の文献は、この劇場の特徴である「花のように美しい女方 と四季折々の風景」をほめたたえている。私は比較的古い作品の中で、女方の坂東をめずら しくも一度見たことがある。坂東家は特に一八世紀半ば以降に栄えた。当時のリストには二 くつわ 十人を越える名が載っていた ! 〔家紋〕上下に矢尻状の飾りの付いた轡に似ている。初代 嵐家