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検索対象: 本土の守りかた ~復刻・昭和20年「国土決戦教令」~
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1. 本土の守りかた ~復刻・昭和20年「国土決戦教令」~

重点方面に於いては、勉めて大なる縦長区分を保持して攻撃の必成を期するを要す 第五十必勝攻勢にあたり攻勢兵団の展開予期の如く進捗せば、必勝の基礎成れり とい一フべし 攻勢兵団の展開は状況特に攻撃発起の予定時期、沿岸防御兵団に期待すべき持久 抗堪度、敵情特にその攻撃方向及び速度等を判断し、攻撃準備の位置及び之に就く 行動を律するものとす 第五十一攻撃準備の位置に就きたる兵団は、周到なる準備の下、諸般の戦力を統 合して攻撃を開始す 状況により攻撃準備の位置はさらに之を推進することあり 敵の準備未完に乗ぜんとし、あるいは戦線浮動等の戦機を捕捉せんとする場合に おいては、攻撃準備の位置に就くことなく直ちに攻撃を開始することあり 何れの場合に於いても、橋頭陣地の特性就中その膨張性に稽え攻撃の初動を当時 の状況に適応せしむること緊要なり 第五十一一攻勢のための諸準備は、為し得る限りあらかじめ之を整え、築城、交通、 通信、兵站、測地、住民に対する処置等は兵団の展開前に完了すべきものとす 高級指揮官攻勢に決するや所要の指揮機関、部隊、軍需品等を攻撃準備の位置に 推進し、前項の準備を補綴 ( ほてい ) するものとす。この際防空機関の配置を速や かに完了すること緊要なり

2. 本土の守りかた ~復刻・昭和20年「国土決戦教令」~

■敵軍上陸を迎え撃っ気分ー吹上浜 & 硫黄島ーー ここ 253 年、趣味で戦史研究のようなことをしている。研究というと大げさだが、日本国内の軍事史 跡を訪ね歩いたり、友人たちの活動に乗っかる形で、旧軍関係者への聞き取りなどを行っている。 3 年ほ ど前だと思うが、鹿児島の吹上浜を観に行った。本書に掲載しているような写真を撮りにいったのだが、 現場を見て思った。「こんなに広い海岸、どうやって守るのだろう」と。実際、水際に配置できる兵力は 微々たるものだったはすで、海を埋め尽くさんばかりの上陸用舟艇の群れが襲いかかってきたら : : : もち ろん、事前の砲爆撃もハンパなものではない。自分がその場にいてもとても生き残れなかっただろう。 もうひとつ、対上陸作戦関連では、先日仕事で訪れることがかなった「硫黄島」での体験が忘れられな 本稿執筆時点では、まだその「仕事」の成果は影も形もなく、それについて詳しく述べることは事情 が許さないのだが、 とにかく初めての硫黄島訪問は驚きの連続だった。まさに聞くとみるとは大違い 「百聞は一見にしかず」という一一一口葉をこれほどまでに強く納得できたのは初めてだった。 硫黄島では様々な場所を見て回ることができ、あらゆることが印象的ではあったのだが、なかでも「絶 海の孤島感」はすごかった。周囲に島がない、というだけなら他の島でもそうだろうが、感覚的に「周り に誰もいない」「援軍など来るはずもない」と思えてしまう「孤島感」はかなりのものだった。 そして、擂鉢山から南側の海岸を見て思ったのが「この海を埋め尽くす敵艦を見て、発砲を我慢できる か ? 」ということ。よく、硫黄島の戦いについて語られるとき、島の南に陣取った海軍の砲が、敵を引き つけきれず発砲してしまい、損害こそ与えたものの、位置を暴露してしまいあっという間に破壊された、 という話が出る。私も「海軍のこらえ性なし」と思ったクチだが、現場をみて気づいた。敵の砲爆撃厳し く、いつ自分の陣地もやられてしまうか、と思っているとき、絶好の位置に敵が現れたら : : : ここで一矢 報いようという気にならないと言えるだろうか。まして、司令部間の通信も社絶しがちな状況で : んなことを思いながら「やはり現場を見なくてはなにもわからないものだな」と感じた次第である。

3. 本土の守りかた ~復刻・昭和20年「国土決戦教令」~

銘記すべし 第三十九軍隊の機動は作戦時に於ける交通網破壊の状況に鑑み、集中及び戦場付 近の機動共に主として行軍に依らざるべからず。然れども鉄道、水路その他の輸送 機関を利用して機動の神速を図るを必要とす。軍需品の移動は勉めて鉄道、水路を 利用するを要す 第四十機動に関する訓練は高等司令部以下之を行うものとす。即ち情報、通信、 集合、機動発起、交通統制、行軍力の増大、対空部署、陽動、欺瞞等に関し総合的 に演練するを要す 第四十一行軍間の傷者、患者は万難を排して同行し決戦に参加せしむべし。落伍 は軍人の本領をわきまえざる非行と知るべし 第四十一一行軍部署は対空戦備を主として之を定む 高級指揮官は防空部隊の配置、運用に万全を期すると共に軍隊は自ら対空戦闘の 処置を講じ、敵機の執拗なる妨害を排除しつつ行軍を敢行すべきものとす 第四十三地障特に河川、湖沼、海峡の神速なる渡過は周到なる事前準備に依り期 し得るものとす。高級指揮官は渡過の為徒渉場、夜間架橋昼間撤収、河底橋等の施 設を実施すると共に防空、欺瞞等の処置に遺憾なきを要す 軍隊はたとい配当渡過材料の不十分なる場合に於いても自ら応用材料を利用して 地障の克服に勉むべきものとす

4. 本土の守りかた ~復刻・昭和20年「国土決戦教令」~

なる敵に対し長期にわたり作戦せざるべからず 持久正面の戦闘に任ずる軍隊は、一兵に至るまで全局の勝利は一に懸りて将兵の 勇戦敢闘にあるを銘心しあらゆる苦難を克服し勇躍任務の完遂に邁進すべし 第五十八持久戦闘を企図する場合には、大規模なる障碍地帯の設定及び交通遮断 を実施するを要す。この際之が実行の時機を失せざること及び火力を伴わざる障碍 は大なる期待を保し難きに注意するを要す 而して障碍等に配置せられたる軍隊は単に防守に専念することなく巧みに攻防の 手段を併用すること緊要なり 第五十九持久正面に於いては敵をして既設飛行場を使用せしめざる為、我が使用 を期待せざる飛行場は根底より之を破壊し、且っ敵の修理設定を妨害すべき処置を 講ずるを要す 第六章情報勤務 第六十対上陸作戦に於いて主決戦方面の決定機宜を制するは情報勤務の成果に俟 っところ大なり 第六十一情報勤務を適切ならしむるには、各兵団に一貫せる情報体系を末梢に至

5. 本土の守りかた ~復刻・昭和20年「国土決戦教令」~

( 前略 ) 三第四十軍司令官ハ別紙ノ部隊ヲ併セ指揮シ薩摩半島方面ノ作戦準備ヲ速急完整シ該方面ニ来攻 スル敵ヲ撃滅スへシ ( 中略 ) 特ニ吹上浜及薩摩半島南岸地区ノ戦備ヲ速急強化スルト共ニ敵ノ鹿児島湾侵入企図ニ対シ指宿地 区ヲ確保シ海軍及第五十七軍 ( 注 : 同じ第十六方面軍隷下で大隅半島の防備を担当した ) ト協同シ 同湾ロノ閉塞ヲ強化スへシ ( 後略 ) ※太字筆者 ↓吹上浜 これでおわかりの通り、第四十軍は薩摩半島の 守備を担当することになっていた。特に、米軍が 上陸地点としうる九十九里浜及び薩摩半島南岸を 固めろ、と命令されているわけだ。 吹上浜は上記地図でも分かるとおり、かなり開 けた大きな海岸だ。鹿児島県民 ( 薩摩の住民 ) に とってはお馴染みの海水浴スポットである。 ちなみに筆者も子どもの頃たまに連れて行かれ た場所だ。次のページに、吹上浜の写真を何点か 収録してある。 ( 地図 1 ) 吹上浜の位置

6. 本土の守りかた ~復刻・昭和20年「国土決戦教令」~

みたい。 ( 以下『戦史叢書・本土決戦準備《 2 》九州の防衛』 357 ページ「十第四十軍の統帥発動と薩摩半島 方面作戦準備」より ) 陸軍中央部は、九州に決戦が生起した場合の統帥機構についての研究を進めていた。そしてその 場合広大な南九州全域を担任している第五十七軍のほかに、その作戦地域を分割して薩摩半島方面 を担任する一軍司令部が必要であり、また別に、機動的に重点運用ができる一軍司令部 ( 機動軍司 令部 ) を編成し、これを直轄として控置する必要があるとの結論に達した。 しかし、人的関係上軍司令部を新編成することは、きわめて困難な状況にあったので、薩摩半島 方面には台湾から第四十軍司令部 ( 軍司令官中澤三夫中将 ) を転用することになった ( 後略 ) 。 前述の内容を改めて戦史叢書で確認してみると、以下の通りである。 第四十軍司令部は昭和一一十年一月八日、軍令陸甲第五号により臨時編成。一月二十五日、台北で編成完 結、第十方面軍司令官の隷下に入ったが、先に引用した通りの事情で、五月中旬には九州に転用されるこ ととなった。 以降、第四十軍は第十六方面軍の戦闘序列に編入され、南九州のうち薩摩半島を防備する役割を受け持 っことになったのである。 さて、この第四十軍の任務は具体的に何だったのだろうか。参考として、第十六方面軍司令官が六月十 一一日に発した命令をみてみよう ( 睦西作戦甲第百六十一一号※ ) 。なお、後述するが第四十軍司令部は当初 鹿児島県宮之城に位置していた。 ※注 : 「睦」は第十六方面軍の通称号

7. 本土の守りかた ~復刻・昭和20年「国土決戦教令」~

2 、機祕密書類ノ燒却 終戰直後機祕密書類ノ燒却ヲ全面的ニ命セラレタルモ燒却シテ後刻終戰ヲ有利ニ導キタル所一點モナク反ッ テ陸軍全部隊ニ對シ大ナル困亂ト迷惑ヲ掛ケタルノミ之ヲ必要トスル場合ニアリテモ地域別種類別ニ選 定スルノ餘地ヲ有スルヲ要ス 3 、軍需品ノ處理 終戰直後ニ於ケル軍需品ノ急速民需轉換斷行開始カ復員軍人ノ不正行爲民ノ泥棒開始ノ端ヲ發ス國内相 克強盜續生ノ世トナラサンコトヲ望ム嗚呼一人ノカハ大ナリ又一人ノ短慮ハ國ヲ滅亡ニ導クコトアリ戒 メサルへケンヤ 六國民義勇隊同戰鬪隊ニ就テ 其ノ主旨竝ニ機構ハ概ネ同意スル所ナルモ訓練準備等ノ不十分ハ有事ニ際シ眞價ヲ發揮スルコトハ困難ナ リシモノト認メラル 着手半年遲シ 右諸項ハ過去トナリタル今次大東亞戰ヲ前提トシアリ固ョリ將來戰ノ樣相ヲ考慮シテノ教訓ニハアラス 將來戰ノ樣相ヲ推測 ( ※原文は側 ) スルハ困難ナルモ航空ノ一撃ニョリ或ハ居ナカラニシテ勝敗既時決定 セラルルコトアルヲ豫想セラル又此ニ至ラストモ近キ將來平和ヲ愛好スルコト極メテ切ナル日本國民ノ 上ニ戰禍ノ及フコトアルヲ考慮シ對策ヲ確定スルニアラサレバ一瞬ニシテ八千萬同胞ヲ失フコトナキヲ保 シ難シ少クモ全國民ヲ各々 ( ※原文二の字点 ) ノ位置ニ於テ短期間ノ地下生活可能ナル態勢ヲ即時準備

8. 本土の守りかた ~復刻・昭和20年「国土決戦教令」~

とす 故に兵站部隊に対する対米必勝の基礎戦技に関する訓練の課目、程度は第一線兵 団と異なるところなし 第七十兵站作戦の準備の主要なる事項左の如し 一、沿岸防御に任ずる兵団の作戦 ( 戦闘 ) 計画に即応する集積及び配置 一「方面軍 ( 軍 ) 兵站の基礎展開、集積、防空、対爆施設 三、輸送機関の配置準備 四、第一線への補給水深の要領及び之に伴う諸施設 国土決戦教令終

9. 本土の守りかた ~復刻・昭和20年「国土決戦教令」~

屯している周辺地域の治安を守るために最大限の努力を払い、しばらくするとこうした混乱も落ちついた ということである。 ■第四十軍の教訓 さあ、ではいよいよ本書も最後。私がぐっときた、第四十軍による「遺言」を採録しておく。以下、 「第四十軍作戦行動の概要ー最後の第五章を全文掲載したものである。 ※防衛研究所戦史研究センター許諾済み 第五章教訓其他 一軍ノ任務ト編成裝備 、軍ノ任務ニ對スル第一線兵團數ハ敢テ小ナリトハ謂ハサルモ火力裝備 ( 特ニ爆藥ヲ含ム對戰車火力 ) 機動、補給、衞生能力ノ貧弱ナルハ致命的缺陷トス張付兵團ト雖 ( ※原文は略字、以下同様 ) モ機關銃 主體ニシテ火砲及彈藥爆藥裝備貧弱ナルハ戰車ヲ手トスル敵ニ對シ兵團トシテノ威力ヲ發揮スルニ適セス 機動補給能力ハ兵團カ所命ノ地域ニ諸準備ヲ完了セル以後ノ戰鬪ノ場面ノミヲ考フレハ敢テ不可ナキカ 如キモ上陸防禦ニ於テ極メテ緊要ナル兵團内ニ於ケル兵力移動ヲ拘束スルコト少カラス作戰準備間ニ於 テハ築城及軍需品ノ集積ノ爲ニハ張付兵團 ( ※主に海岸線付近に配置された兵団のことと推測。「かかし 兵団」とも言われ、時間稼ぎのための部隊といっても過言ではない ) ト雖モ輸送カヲ要スルコト何等機動 兵團 ( ※こちらは機動力を持ち、張付兵団が時間を稼ぐ間に反撃するための兵団 ) ト異ラザルニ關ラス

10. 本土の守りかた ~復刻・昭和20年「国土決戦教令」~

兵團ハ之ヲ有セス軍亦之ヲ有セサル編成ナリシヲ以テ作戰準備ノ進捗ヲ妨害スル所至大ナルモノアリタ シ 2 、軍ノ後方機關ノ指揮系統及編成ハ不可ナリ之カ爲是等機關ハ最後造平時臭ヲ脱却シ得ス敏活ナル活 動ヲ阻害セル重大原因ノ一ヲナセリ時ニ編成裝備極メテ區々ナル兵團部隊ニ對スル補給ノ圓滑ヲ期シ得 タルャ否ャハ甚ク疑シキモノアリ 一一後方準備ト作戰計畫 、後方機關ノ編成ニ弱體ナル外後方機關ノ指揮系統ノ不鮮明 ( 軍ニ弱體ナル後方機關ヲ附セラレタル以 後ニ於テモ軍需品ノ移管、第五十七軍補給諸廠トノ關係釋然タラサルモノアリ ) ニ基ク指揮責任ノ所在ノ 不分明通信連絡不良竝軍需品ノ絶對量不足セルノミナラス其ノ現況把握十分ナラサリシ等ノ結果後方準備 ノ實體ハ本土決戰生起ノ場合ヲ豫想スルトキ作戰計畫ニ即應スル活發ナル運用ハ稍 ( ※原文ここに二の字 点 ) 過望ナル状況ニアリ 2 、七月以降ニ於ケル空襲ノ激化ニ伴フ鐵道輸送ノ混亂ノ状態ヲ見レハ大部ヲ鐵道ニ依存セル補給ノ運命 ハ思半ニ過クルモノアリ又從令所要ノ自動車ヲ集メ得テ輸送ノ主力ヲ之ニ切換へタリトスルモ貧弱ナル道 路 ( 主要道ニシテ夜間ノ行進ニ適セサルモノ少カラズ ) ノ状況ヲ以テシテハ之ヲ賄フヲ得ス作戰準備間 ノ集積輸送モ果シテ實行シ得タリヤ疑ナキ能ハス道路ニ對スル對空對空 ( ※原文ママ ) 措置ハ一層徹底 セシムルヲ必要トシタリ